第10話 渋谷のニャクザは芋かもしれんが
おき太が天猫会の本隊と交戦を開始した時点で、すでに別動隊のいくつかは渋谷に到着しており、各地で戦闘が発生していた。野良猫狩りによって組としての統制力が低下していた山盛組は、これに組織的な対応ができず、多くの組員を失ったのだ。
この影響は、じわじわと山盛組を
それが表に現れたのは、ひと月後のことである。
「なんじゃとワレェ!」
新宿歌舞伎町の
その対面で、山盛組からの使いの猫が、おびえて震えている。
「……どうしたってんだ」
餌場から戻ったとし蔵が、その様子を見て、割って入る。
「どうしたもこうしたもあるかィ! 山盛組の
「なぜ?」
直接の理由は、組長・山盛よしおの病状が悪化したことであった。山盛には、現在、銀次のほか実子がおらず、組の
「それなら、怒るこたァないじゃないの。大手を振って渋谷に戻るチャンスだ」
とし蔵の言葉に、銀次が首を振る。
「こいつの言うこと聞いてみィ。組としておれに戻ってほしいわけじゃねェ。実際のとこは、
とし蔵が、使いの者に聞く。
「山盛さんは、どうして虚無助の好きにさせてんだ」
使いの者の答えは、歯切れが悪い。
「その……
「話にならんわ。とし蔵、渋谷に向かうんじゃ。支度せえ」
銀次が言う。
「おれも行くのか」
とし蔵が聞くと、銀次はニヤリと笑って言った。
「……戦争するにゃ、こんなが必要じゃろうが」
二匹は、渋谷に向かった。
……。
銀次ととし蔵を迎えた山盛組事務所は、異様な雰囲気に包まれていた。
組員の半分以上が、敵意のこもった目で、銀次を見ている。
「おう……オヤジはまだ来んのかィ」
銀次の声に、事務所の奥から答える声がした。
「
虚無助の声だ。
虚無助が、銀次の前に、姿を現す。
そして、その後ろに続いて、若い衆に肩を抱かれながら、引きずられるようにして、山盛よしおが現れた。
「オ……オヤジ……」
銀次が、絶句した。
山盛よしおは、もはや骨と皮だけのごとき姿になりながら、恍惚の表情で、うつろな目をしている。その姿に、もはや昔年の面影はなかった。
「きょむ、きょむ……」
山盛が、虚無助を呼ぶ。虚無助が、何かの粉を山盛に手渡した。
山盛は、それを勢いよく、鼻の孔で吸い込んだ。
「おどれァ……こりゃあどういうこっちゃ」
銀次が怒りに震えながら、虚無助に問う。
「組長の
虚無助に飛びかかろうとする銀次を、とし蔵が抑える。
「ここでキレたら負けだぜ」
「……わかっちょるわ!」
銀次がなんとか矛を収めたところで、虚無助が言う。
「ところで銀次さんよ、あんたァ、渋谷には出入禁止のはずじゃないか。何をでかい面ァして戻ってきてんだい。まさか
虚無助の言葉に、銀次が答えた。
「おう、オヤジがこんなじゃけえ、おれが継ぐのになんの問題があるのよ」
虚無助が言う。
「問題あるねえ。あんたァ、新宿で組ィ構える身だ。あんたが山盛を継ぐってこたァ、渋谷が新宿に頭下げるってことだ。そいつァ許されねェ。なあ、兄貴」
その言葉とともに、事務所の奥から、巨大な黒猫が姿を現した。
宇田川組の
「おう……銀次、おめえが山盛継ぐつもりなら、新宿の組解散させて、そこのとし蔵の首持って、宇田川への仁義切ってからにしろやィ。それが筋ってもんだ」
銀次の額に、怒張した血管が浮き出る。
「虚無助、おどれァどういうつもりで山盛の本部に宇田川の猫ォ連れ込んどるんじゃ」
虚無助がニヤリと笑って、言い放った。
「銀次、聞いとけ。渋谷のニャクザは芋かもしれんが、
事務所に、緊張が走った。
とし蔵は、苦虫を噛み潰したような顔で、黙っている。
これは完全に虚無助の罠だ。
銀次が自分を連れてくることを読んだ上で、新宿対渋谷の構図をつくられた。銀次に逆らうニャクザたちに「渋谷を新宿から守る」という正当性を与えてしまった。
とし蔵がそこまで考えを進めたところで、山盛がぶるぶると体を震わせながら、声を上げた。
「ぎ、ぎんじ、きょむ、な、仲良く。仲良く……」
乾いた息が、山盛の口から漏れた。
山盛の眼が、ぐるりと回り、そのまま体が崩れ落ちる。
「オヤジ!」
銀次が、倒れた山盛の体を抱く。
「……オヤジ……」
デデーン(効果音)
山盛組 組長
山盛よしお 死亡
虚無助が、銀次を見下ろしながら言った。
「銀次、今日は退けや。組長のご遺言に従おうじゃねえか。お前がおとなしく新宿に帰るってんなら、おれたちも手は出さねえ。だがこのまま渋谷に居座るつもりなら、お前、渋谷と戦争することになるぜ。組長の葬儀が終わるまでに、
虚無助の言葉に、銀次が答える。
「おう、逃げも隠れもせんわ。おれァ、山盛組の銀次じゃ。オヤジの葬儀が終わり次第、戦争で
渋谷に、新たな抗争の嵐雲が近づいていた。
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