第9話 おき太、奔る

 渋谷の闇を裂いて、おき太が走る。

 もはや、仲間を集めている時間はない。

 200匹のニャクザを、1匹でどう止めるのか。

 おき太は、頭に地図を描く。

 いくらなんでも、200匹の猫が、一度に攻めてくるわけがない。恐らく、いくつかの部隊に別れ、複数のルートで侵攻してくるはずだ。

 敵の目標は、渋谷駅、山盛組本部。

 六本木から渋谷駅を目指すなら、どの道を通る?

 その中で、最も大きな部隊、本隊が、渋谷の猫たちにできるだけ気づかれずに通るなら――。

 道は二つ。

 まず、首都高速3号渋谷線。

 猫たちが、通常ほとんど寄りつかない、車の流れの激しい首都高下の道路だ。このルートが最も早く、真っ直ぐに、しかも猫たちに見つからず、渋谷駅に突入できる。

 もう一つは、青山学院大学を抜けて、表参道方面から迂回するルート。こちらは、選ぶ道次第で、常に暗がりの中を行くことができる。

 どちらを選ぶ?

 おき太は、天を仰いだ。

 月が、再び雲から出て、皓々と輝き出している。

「……月だ。真んまるの月だ」

 おき太は、そうつぶやくと同時に、南へ駆け出した。

 選択は、首都高渋谷線。

 この月の明るい夜、どんなに暗い道だろうと、猫の瞳に見えないものはない。

 ならば、明るくとも、最短距離を選ぶだろう。

 青山霊園を南下し、西麻布の交差点に至る。

 ここから東へ行けば、天猫会てんぴょうかいの本拠地、六本木だ。真っ直ぐ西に行くと、渋谷駅に着く。

 そこで、おき太は、天運を感じた。

 東に、猫たちの姿が見えたのだ。

 天猫会の猫だ。

 真っ直ぐこちらに向かってくる。

 おき太は、陰に隠れ、息を殺す。

 敵の数は、おおよそ70匹。間違いなく、これが本隊だ。

 長い列をつくり、ニャクザたちが、渋谷へと向かう。

 70匹の猫。

 突っ込めば、恐らく死ぬ。

 今なら、まだ、逃げることはできる。

 鼓動が高鳴るのを感じる。

 ……。

 一瞬の逡巡の後、おき太は、跳躍した。

 影が、むれを切り裂く。

 二匹の猫が、車道に投げ出された。


デデーン(効果音)

天猫会 組員

ぺん つねぞう 死亡


「なんだ!? 何が起こった!?」

 群は混乱して、猫たちの声と、車のクラクションが交錯する。

 おき太は止まらない。

 群をかき乱すように、走り抜けながら、手当たり次第にニャクザたちの首を、腹を、急所を切り裂く。


デデーン(効果音)

天猫会 組員

ちきぞう むねのり かめ 重症


「敵襲じゃあ!」

「敵は何匹じゃ!」

「どこじゃあ敵はァ!」


デデーン(効果音)

天猫会 組員

ながまつ こうじ 死亡

ひろ さか のりぞう 重症


「バレとったんか、襲撃がァ!」

「う、裏切りじゃあ! 宇田川組の裏切りじゃあ!」

「ひいぃ! 死にたくねぇッ!」


デデーン(効果音)

天猫会 組員

もじぞう もじ たかし 死亡

かん とんぺい たべきち 重症


 渦巻く死と血の中で、おき太の爪は、冴えに冴えた。

 斬っては走り、斬っては跳び、斬っては消える。

 もはや、おき太は猫ではなかった。

 風だ。

 死を撒き散らす、風だ。

 猫たちの爪に、風を切ることはできない。

 群の混乱は極みに達し、逃げ出す者、慌てて車道に飛び出て車に轢かれる者、同士討ちする者たちによって、彼らの敵はもはやおき太一匹ではなくなっている。

 天猫会の指揮官らしき猫の声が響く。

「何をやっとんじゃ貴様らァ! 敵は少ない! 囲え! 囲えィ!」

 おき太は、その声を待っていた。

 声に向かって、真っ直ぐに走る。

 さえぎる猫を、なぎ倒して進む。


デデーン(効果音)

天猫会 組員

のん へぎそば こめきち 重症


 そして、混乱の中、二匹は対峙した。

「おい……まさか、お前一匹かよ……!」

 指揮官猫が、戦慄に身を震わせる。

 血に染まったおき太の瞳が、ギラリと光る。

「名乗れや。おれは、天猫会のいわじゃ」

 白い風が、いわ井の頬を撫でた。

 次の瞬間、いわ井には、おき太の声が、背後から聞こえた。

「……渋谷のおき太」

 いわ井は、爪を振るう間も無く、膝を突いた。

 その首から、鮮血がほとばしる。


デデーン(効果音)

天猫会 若頭補佐わかがしらほさ

いわ井 死亡


「あ、兄貴……兄貴が殺られた! 兄貴が殺られたーっ!」

 いわ井の舎弟から上がったその声が、戦いの決着となった。

 猫たちの群は、四分五裂して、夜の闇に散っていく。

 おき太も、混乱に紛れて逃げた。

 いったい、どれだけの猫を斬ったのだろう。

 宙に浮いたような、不思議な虚脱感に包まれながら、おき太は真夜中の道を歩く。

 向こうから、二匹の猫が走ってくるのが見えた。

 シロと、クロだ。

「おき太!」

 シロが、血まみれのおき太に駆け寄る。

 恐るべきことに、おき太に深い傷はひとつもなかった。

 糸が切れたように、おき太がふらりと倒れる。

 それを、クロが抱き留めた。

「……まさか、アンタ、一匹で戦ったの? 天猫会と?」

「うん。勝ったよ。これで、また会える。あのベンチで……」

 おき太は、そう言ってから、何度か咳込むと、クロに甘えるような声で言った。

「けほっ、けほっ……ごめん。すごく眠いんだ。少し、眠らせて」

 言うと、おき太は目を閉じ、薄い寝息を立てて、眠ってしまう。

 クロは、おき太を膝に抱きながら、その寝顔を見つめていた。

 血にまみれてはいるけれど、まだあどけない、少年の顔だ。

 渋谷の危機は、この少年に救われたのだ。

 天に月が、明々と煌めいている。

 クロの膝で、おき太の喉が、ゴロゴロと鳴った。

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