第7話 でかい野良猫狩りが始まる

 銀次の左目は、光を失った。

 代わりに、彼は新宿に確固たる地歩を占めることに成功した。

 呉小龍を暗殺したのち、銀次は目の傷も意に介さず、その足で苗幇の幹部、ウェイ京生ジンシェンのもとへと向かい、その庇護を得たのだ。

好多謝ハオドーシェイウェイ大猫ターマオ。この御恩は忘れません」

 頭を下げてはいるものの、実際のところ、恩を売ったのは銀次のほうだ。

 ウェイは、自分の地位を脅かす呉を排除し、さらには呉が拡大した縄張りのおよそ半分を銀次から譲り受ける代わりに、苗幇と銀次との間の手打ちを取り持ったのだ。

「最初からこの絵ェ描いてたのか」

 とし蔵の問いに、銀次が笑う。

「仲間っちゅうても、結局は損得じゃけえの。なんぼ巨大な組織でも、崩しようはあるっちゅうことじゃ」

 かくして、銀次ととし蔵は、新宿においてその勢力を拡大していくこととなる。

 一方渋谷では、一匹の猫の死が、街全体に激震を走らせていた。

 その死体は、早朝の宮下公園で、無残にも爪で全身を切り刻まれた血だらけの姿で発見された。


デデーン(効果音)

飼い猫

マロン 死亡


 山盛組では、この無名の猫の死を受けて、全組員に緊急の招集がかかった。

 山盛よしおが、しわがれた声で言う。

「この際、誰がやったかは問わねえ」

 組員全員が、静まり返っている。

「マロンはニャクザでも野良でもねえ。青山の高級マンションで飼われちょった猫じゃ。それが、宮下公園で死んだ。死体を見りゃあ、誰だって猫の仕業だとわかる。これを人間どもが放っておくわけがねえ。必ず、近いうちにでかい野良猫狩りが始まる。捕まれば、保健所送りじゃ。こればっかりは、組が守ってやるわけにはいかねえ。各自、自分の身は自分で守れや」

 打つ手なし。山盛組ならずとも、これは仕方のないことだっただろう。

 不安げな顔で組員たちが本部を後にする中、おき太は気楽に街へ出た。

 生まれたときから野良猫だったおき太にとって、野良猫狩りは日常茶飯事だ。怖いとも思っていない。

 ただ、今回の事件には、何かきな臭いものを感じていた。

 マロンという猫は、青山に住むの飼い猫だという。

 その飼い猫が、なぜ宮下公園にいたのか。

 そして、なぜ惨殺されてしまったのか。

 誰が、何のために、マロンを殺したのか。

 ただ、おき太はそれも深くは考えないことにした。

 彼にとって重要なのは、姉のシロを守ることだ。

 そのためには、あまり暗い部分に踏み込み過ぎないほうがいい。

 おき太はそう自分に言い聞かせ、素知らぬ顔で渋谷を歩く。

 足は、自然と青山方面に向いた。

 宮益坂みやますざかを登り、青山通りを横切って、青山学院大学に入る。

 守衛は猫を気にも留めない。

 おき太は、ロータリーのベンチで横になった。

 そのおき太に、一匹の雌猫が近づいてくる。

 美しい猫だった。

 しなやかで均整の取れた肉体と、宝石のような大きな瞳。その奥に、燃えるような生命の輝きを感じさせる。

「……アンタ、また来たの?」

 雌猫が、おき太に声をかけた。

「うん」

 無邪気に答えるおき太に、雌猫は呆れた声で言う。

「まったく、アンタ、危機感ってもんがないの? 渋谷の山盛組と宇田川組は、一触即発の状況だって聞いてるよ。アンタ、山盛組の若い衆なんでしょ?」

 おき太は、答えずに、にっこりと微笑む。

「キミに会いたかったから」

 雌猫は、苦笑して首を振る。

「やめてよ。私、アンタよりずっと年上なんだから」

「ぼくは気にしない」

 おき太は、雌猫の目を真っ直ぐに見つめて言う。おき太の視線を避けるように、雌猫はうつむく。

「名前を教えて」

 おき太の言葉に、雌猫は、ためらいながら答えた。

「……クロ。私の名前はクロ。ねえ、今日はもう帰って」

「どうして?」

 クロが、困り顔に微笑みを浮かべて言う。

「どうしても」

 おき太も微笑み、ベンチから降りた。

「また来るよ」

 そう言って、おき太は去っていく。

 クロは、去っていくおき太をずっと見つめていた。

 ……。

 おき太と入れ替わりに、巨大な黒猫が、クロに近づいてくる。

 犬のような大きさの、真っ黒な猫だ。

 見る者すべてに恐怖を感じさせずにはおかない。

 宇田川組組長代行、虚太郎である。

「……相変わらず、美しいぜ、クロ」

 虚太郎が、クロの首筋を舐める。

「もうすぐだ。もうすぐ、渋谷は俺と弟のものになる」

 クロは、内心の恐怖を押し殺し、気丈に言った。

「また、何か企んでるの」

 虚太郎の口元が歪み、細い炎のような笑みが浮かぶ。

「六本木と話がついた」

 クロの表情が、恐怖に染まった。

「……山盛組も、これで終わりだ」

 巨大な陰謀の渦が、渋谷を呑み込もうとしていた。

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