第6話 おれの目ん玉でよきゃあ、もってくといいぜ

 夜の歌舞伎町を、二匹の猫が走る。

「呉は、苗幇の本部には寄りつかず、自分で古いビルを縄張りにしとるんじゃ。今ならあのビルにゃ、呉とわずかな護衛しかおらんはずじゃ」

 走りながら、銀次が言う。

 ホストクラブが立ち並ぶ通りを抜けた、ラブホテル街の一角に、そのビルはあった。

「あのビルの屋上が、呉の根城じゃ」

 銀次が指さす先を見ると、破れたフェンスの先に錆びた鉄の階段が続いている。そして、そのフェンスの前に、一匹の秋田犬が番をしているのが見えた。

「おい、犬がいるぜ」

 とし蔵の声に、銀次が答える。

「任せとけや」

 そう言って、銀次は無造作に、とことこ犬のほうに歩いていく。

「こんちわ」

 銀次があいさつすると、犬は銀次をにらみつけてうなる。

「どうどう、そうにらむなや、っと」

 ひょいっと、銀次は犬の首を抱きかかえるように掴んだ。

 犬には、小柄な猫という油断があったのだろう。あっさりと首を取らせた犬の表情に、恐怖が浮かぶ。

 銀次の腕に、すさまじい力が込められているのだ。

「抵抗すんな。こうなったら、もうじゃ」

 犬の首を、万力のように絞め上げていく。

 犬は、吠え声を上げることもできず、くたりと倒れた。

「よう覚えとけ。これが銀次のギロチン・チョークじゃ」

 銀次が、階段を駆け上がっていく。

 続いて、とし蔵も走る。

 時間が勝負だった。

 やがて、銀次を見つけられなかった猫たちが戻ってくる。

 それまでに呉を殺せなければ、銀次は終わりだ。

 階段を駆け上がる二匹の前に、一匹の猫が立ちふさがった。

「こっから先は立ち入り禁止だぜ」

 その猫は、あたかも巨大な脂肪の塊だった。

 吐き気を覚えるほどの肥満体。

 彼が立つ踊り場には、もう脇をすり抜けるすき間もない。

「おれの名は、悟能ウーナン。おれがここにいる限り、誰もこの上には行けない」

 そう言って、悟能と名乗る肥満猫は、身を震わせる。

 その身震いだけで、古い階段全体が揺れる。

「こりゃあ、厄介じゃのう」

 銀次のつぶやきに、とし蔵が答えた。

「おれがやろう」

 言うなり、とし蔵は、悟能の前に進み出る。

 有無を言わさず、悟能はその太い腕を振り上げ、とし蔵の頭に拳を振り下ろした。

 とし蔵は、避けない。

 拳が、とし蔵の頬にめり込み、振り抜かれた。

「……ぬるい拳だぜ」

 ぺっ、と血を吐き出すと、とし蔵の拳が、悟能の腹に打ち込まれる。

「おごっ!?」

 悟能の巨体が、一歩後ろに退いた。

「恩に着るわい」

 言って、銀次が奔る。

 銀次は、わずかに生まれたすき間を風のように走り抜けた。

「ま、待てえ!」

「てめえの相手はこのおれだ」

 とし蔵の拳が、またも悟能の腹に打ち込まれる。

 胃液を吐き出しながら、悟能が再びとし蔵の顔を打つ。

 とし蔵は、一歩も退かない。

「お前を殺してから、あいつを追う!」

 いきり立つ悟能に、とし蔵はニヤリと笑う。

「そいつはおれのセリフだな」


 ――。

 銀次が階段を登り切ると、そこには、星空が広がっていた。

「銀次か」

 その星空の下、一匹の猫が、ビルの屋上に立っている。

「おう。来てやったぜ、呉」

你媽的ニーマーダ……てめえ、一匹でおれを殺れると思ってんのか?」

 呉が、その端正な顔を憎しみに歪ませて言う。

「さあ、どうかのう、小龍。いずれにしろ、こんなを殺んなきゃあ、おれが終いじゃ」

 風が吹いている。

 新宿の風だ。

 まるで、旧い友人に握手を求めるように、銀次が呉に向かって歩いていく。

 強い風が吹いた。

 影が、夜の下で、一瞬交わる。

 銀次の左の瞳が、ぱっかりと割れ、血が滴った。

「おれの目ん玉でよきゃあ、もってくといいぜ、呉」

 銀次がぽつりとつぶやくと、堰を切ったように、呉の首から、血が噴き出し、呉小龍の体が、どさりと倒れた。


デデーン(効果音)

苗幇 幹部

呉小龍 死亡


 鉄の階段を、とし蔵が登ってくる。

ったか」

「ああ。ったわい」

 目から真っ赤な血を流しながら、銀次は笑った。

 笑い声が、満天の星空に響いた。

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