第5話 牛のクソにも段々っちゅうもんがあるんで

「あんたが銀次か。おれは渋谷のとし蔵だ。山盛組の親分に頼まれて、あんたの加勢に来たんだよ」

 とし蔵の言葉に、銀次は笑って応じる。

「知っとるわい。こんなの風体はオヤジの使いから聞いとったし、一目でわかったわ」

「知っててちょっかい出したのかよ」

 とし蔵が呆れた声で言う。

「しかしな、来てもらっていきなりで悪いが、あれを抜けねえと、生きて帰れねえんだ」

 銀次が指さす方から、一団の中国猫たちが殺意をぎらつかせて迫ってきている。

「わかった。手を貸そう」

「心強いのう。真っ直ぐぶつかって、突っ切るど。そのあとは、おれについてこいや。逃げ遅れても知らんぜ」

 そう言って、銀次が走り出した。

 とし蔵も、それを追う。

「どかんかい、こんボケ! おれが新宿の銀次じゃ!」

 怒鳴りながら、銀次が中国猫の群れに突っ込む。

 銀次の膂力はすさまじかった。猫たちを掴んでは投げ倒し、引き倒し、猫の群れの中を突き進んでいく。

 その銀次を抑え込もうとする猫たちに、とし蔵がすばやい拳をぶつけ、なぎ倒す。

 二人が進むところに、道ができた。

「おう、トシ。走るぞ、ついてこいや!」

 包囲を抜けたところで、銀次が叫んだ。

 雑踏の中を、縫うように走る。

「飛ぶぞ!」

 銀次の声と、目の前にコンクリートの高い壁。

 足を止めるわけにはいかない。

 銀次ととし蔵が、跳躍する。

 一瞬の迷いからか、とし蔵のジャンプは高さがやや足りない。

 辛うじて、壁の上に爪を引っ掻けた。

「何をしとんなら!」

 銀次がとし蔵の体を引っ張り上げる。

 中国猫たちは、新宿の闇に消えていく二匹を、下から見つめていた。

「おう、うまくけたのう」

 銀次がにこやかに言った。

「置いてきた舎弟は、いいのかい?」

 とし蔵が聞くと、銀次が笑う。

「あんだけ派手に騒ぎゃあ、追手は全部おれに向かってくるわい。あいつも、その隙に逃げられたじゃろう」

 この銀次の楽観は、部下への信頼からくるものなのか、それともその命を軽視しているのか。

 ともかく、ひとまず二匹は危機を脱した。

「これからどうする」

 とし蔵が聞く。

「さっきのやつらは、苗幇ミャオパンのやつらじゃ」

 銀次が言う。

 歌舞伎町のに割拠するニャクザの約半数は、外国筋の猫たちである。そのうち最も数が多いのは、中国系のチャイニーズ・ニャフィアだ。

 チャイニーズ・ニャフィアは、日本のニャクザ同様、パンと呼ばれる組織を結成し、独特の黒社会ヘイシャーホェイを形作っていた。

 その幣の中でも、歌舞伎町で最も大きな勢力をもっているのが、苗幇だ。

「苗幇の中でも、跳ねっ返りがおってのう。まだ若いが苗幇の幹部で、ウー小龍シャオロンと名乗っちょる。おれを的にかけとるのは、こいつよ」

 ウーという猫は、苗幇の武力を背景に、新宿の他勢力の餌場を強引に奪い、逆らう者はニャクザだろうと他の幣だろうと、構わず殺して回っているという。

「それで、どうする」

 とし蔵が重ねて問うと、銀次はにやりと笑った。

「その呉を殺りに行くのよ」

 その笑みには、狂気を感じさせる凄絶さがあった。

「おれたち二匹でか?」

「そうじゃ」

「相手の親玉をいきなり? 正気か?」

 とし蔵が呆れて見せると、銀次は首を振った。

「わかっとらんのう。ええか、考えてみろ。真正面からぶつかって、おれんとこのような弱小勢力が、苗幇に勝てるかい。やるならカウンターじゃ。手下どもが新宿中に散らばっとる今しか、呉を殺るタイミングは無いんぞ」

 この答えに、とし蔵はうなった。

 銀次は、この襲撃を待っていたのだ。

 待っていたからこそ、迷いがない。

 銀次という猫、無謀に見えて、意外にものを考えている。しかし、恐ろしいまでにリスクを好む思考だ。

「タダでとは言わん。生きて帰ったら、こんながナンバー2じゃ」

 銀次の言葉に、とし蔵はぶっきらぼうに答える。

「いいよ、そんなもん。おれは、山盛さんに恩がある。その恩を返しに来ただけだ。あんたの腹が決まってるなら、おれは行く」

 銀次が笑う。

「おもろいやつじゃのう。おう、おれと兄弟のさかずき交わさんかい。二匹で新宿をっちゃろうじゃないの」

 そう言いながら、銀次は自分の腕を爪でひっかく。

 銀次の腕に、赤い血の玉が浮かんだ。

「こんなとこじゃけぇ、お互いの腕ェ切って、血ィすするんじゃ」

 とし蔵は、少しの逡巡のあと、答えた。

「わかった。どうせおれは、戻る場所の無え猫だ。新宿に骨埋めるのも悪かない」

 そう言って、とし蔵も自分の腕を引っ掻く。

 互いに腕を交差させたところで、銀次がとし蔵を押しとどめた。

「待て待て、ええか、牛のクソにも段々っちゅうもんがあるんで。おれが兄貴で、こんなが弟分じゃ。それでええな?」

「いいよ、それで」

「おし、じゃあ、わしらはこれで兄弟じゃ」

 そう言って、二匹は互いの血を飲み干した。

 仁義なき世に、二匹の義兄弟が生まれた。

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