第4話 この新宿で立派なきんたまつけて歩きたかったら

 新宿、この眠らない街で、今日も猫たちは己の欲望と闘争本能を夜の闇にまき散らしている。

 その夜の中、とし蔵は、歌舞伎町一番街を歩いていた。

 歌舞伎町は、この国で最も巨大なニャクザ生息地の一つだ。そして、この土地を掌握する巨大組織というものは、存在していない。大小無数のニャクザが割拠する場所。それが、新宿歌舞伎町なのだ。

 そして、そうであるがゆえに、この街には、全国から行き場を失くした流れ者たちが集まってくるのである。

 今、とし蔵もまた、そうした流れ者たちの中の一匹であった。

「兄さん、一発どうだい? 安くしとくよ!」

「お兄さん、ひと揉みいっとく?」

 歌舞伎町は、猫たちにとっても巨大な歓楽街だ。一番街を歩くとし蔵に、客引き猫たちが次々と声をかけてくる。

 その猫たちを一顧だにせず、とし蔵は進んでいく。

「おう、待ちな、そこの兄ちゃん」

 ドスの利いた声で、とし蔵を呼び止める猫がいる。

 とし蔵は、気にもかけない。

「待てコラ、おい」

 とし蔵が向かうのは、山盛よしおの実子、銀次ぎんじが開いた、神猫しんぴょう興業の事務所だ。

「待てって」

 三年前、山盛組と宇田川組の間に、大規模な抗争が勃発した。

 血で血を洗う抗争の果て、多くのニャクザが命を落とし、ついに抗争の中心人物である山盛組跡目相続猫であった、山盛よしおの長子金太きんたが、宇田川組決死隊の手にかかって死んだ。

「待てっつってんだろこのやろう!」

 互いに甚大な損害を出し、疲れ果てていた両陣営。最大の主戦派であった金太が消えたことで、大勢は一気に休戦へと傾いた。

 その中で、山盛よしおと宇田川たつ吉は、ひそかに場を整え、休戦のための交渉を水面下で進めた。

 これに納得しなかったのが、銀次だ。

 銀次は、休戦の交渉が秘密裏に進められているのを知ると、突如単身、宇田川組の拠点を急襲。

 銀次は一匹で宇田川組の幹部猫三匹を殺害したものの、その標的であった宇田川組跡目のとらを惜しくも取り逃がしてしまう。

「ねえ待ってってば! お願い!」

 長蛇を逸したと悟った銀次は、そのまま渋谷を出奔。

 その後、山盛組と宇田川組との間では、休戦の交渉がまとまり、諸々の取り決めのうちで、銀次は渋谷へ戻ることを禁じられたのだった。

「このやろう、猫の話を聞かないやつはこうだ!」

 とし蔵をしつこく追ってきていたサバトラ柄の猫が、突然、腕を振り上げ、電光のようにとし蔵のきんたまを叩いた。

「んーーーーーっ!」

 悶絶して倒れるとし蔵。

「おれを無視するような者は、みんなこうなるんじゃ」

 そう勝ち誇りながら、きんたまを叩いたサバトラは、律儀にもとし蔵が起き上がるのを待っている。

「……てめえ、いきなり何をしやがる」

 とし蔵は、打たれたきんたまを押さえながら、どうにか立ち上がった。

「いいか、この新宿で立派なきんたまつけて歩きたかったら、このおれに税金を払ってもらわなきゃ困るんだ」

「税金だ?」

 サバトラの突拍子もない言いがかりに、とし蔵は眉をひそめる。

「そうよ、ひと袋につき缶詰ひと缶だ。てめえは二つもつけてやがるから、缶詰ふた缶だな」

「何を言やがる。誰だってきんたまは二つついてるもんだ」

「ああん? 聞こえねえなぁ? きんたま叩かれてブルっちゃったんでちゅかぁ?」

 そう言って、サバトラはとし蔵に尻を向け、きんたまをふるふると揺らしてみせる。

 瞬間、とし蔵が抜く手も見せず、バシーンとそのきんたまをひっ叩いた。

「あーーーーーっ!」

 もんどりうって倒れるサバトラ。

 とし蔵は、さっきのお礼とばかりに、股を押さえながら震えているサバトラを見下ろしている。

 そこに、猫たちの悲鳴が聞こえた。

 見ると、血だらけの猫を引きずりながら若い猫が、こちらに向かって歩いてくる。

「あ、兄貴ィ!」

 その声を聞いて、サバトラが立ち上がる。

「どしたィてめえら」

 血だらけの猫を引きずって来た若猫が、息を切らしながら、サバトラに話す。

「とびがやられた! 苗幇ミャオパンのやつらが、襲ってきやがったんだ!」

 サバトラが、血だらけの猫を抱えて言う。

「とび太! すぐ医者に連れてってやるからな!」

 とび太と呼ばれた猫が、力なく言う。

「あ、兄貴、おいら、死にたくねえよ……」

 そうつぶやいたのち、とび太の首ががくりと垂れた。

「とび太ァーーー!」


デデーン(効果音)

神猫興業 組員

とび太 死亡


「ちくしょう、やつら今どこにいやがる!」

 サバトラの額に、目に見えるほどの太い血管が怒張している。

「やつら、兄貴を探してるんだ。銀次はどこ行ったって聞かれたから、おいら、嘘ついて逃げてきたんだ!」

 舎弟らしき猫がそう言うと、サバトラは小さく舌打ちをした。

「ちっ、てめえ、尾行けられやがったな……」

 よく見れば、通りの向こうに、中国系らしき鋭い目つきの猫たちが集まりつつある。

「仕方ねえ、突っ切るぞ!」

 そう言って走り出そうとするサバトラを、とし蔵が呼び止める。

「おい待て、まさかお前、銀次か?」

 サバトラは、ニヤリと不敵に笑うと、外連味たっぷりにこう言った。

「おう、神猫興業の銀次とは、おれのことよ。覚えときな!」

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