第3話 俺たちの天下だ

 宇田川組の事務所は、さすがに殺気に満ちていた。

 渋谷のど真ん中の露天駐車場。あまりにもあけっぴろげな、この空間が、渋谷最大のニャクザ組織、宇田川組の本部なのだ。


 一見するとただの駐車場だが、ほとんどすべての車の下に、ニャクザが潜んでいる。駐車場全体を合わせれば、およそ100匹近いニャクザが、ここに集結しているのである。


「山盛組の虚無助だ。宇田川の組長オジキに会いてえ」


 虚無助が告げると、車の下から猫が一匹、這い出してきた。


「……そこで待ってろ」


 猫が駐車場の奥へ消えていく。


「大したやつだな、お前。震え一つ出ねえのか」


 虚無助が、とし蔵を見て言った。


「……死んで元々の身ですから」


 とし蔵は、静かに答える。

 しばらくして、猫が戻ってきた。


「組長が会うと言ってる。妙なこと考えるんじゃねえぞ。もしちょっとでも変なそぶりを見せたら、てめえらミンチになって帰ることになるぜ」


 すごむ猫の後ろについて、とし蔵と虚無助は駐車場の奥へと進む。


「入れ」


 古いトラックの前で、猫が言った。

 このトラックは、だいぶ長いことこの場所から動かされていないのだろう。車体の下のアスファルトの色が、わずかに他の場所と違う。

 虚無助が先にトラックの下へ入り、続いてとし蔵が入った。


「……お久しぶりです。組長オジキ


 トラックの奥に横たわる猫に、虚無助が頭を下げる。


 宇田川たつ吉。

 山盛よしおとともに、カポネによる渋谷支配を終わらせ、伝説のニャクザと呼ばれる猫だ。


 しかし、今、その姿は往時の名声をしのぶべくもない。やつれ果て、立ち上がるのも難しいことが、一目でわかる。明らかに、死病に冒された猫だ。


「そいつが、とらをった野郎か」


 地に響くような声を発したのは、宇田川ではない。トラックの奥、タイヤと見えた黒い塊が、身を震わせて声を上げたのだ。


 それは、巨大な黒猫だった。

 とらと比べても、さらに大きい。

 もはや猫というよりも、中型犬に近いサイズだ。


「宇田川組筆頭若頭、虚太郎きょたろうだ」


 虚太郎と名乗る巨大な猫が、とし蔵を見下ろして言う。


「……宮下町のとし蔵」


 とし蔵は、ひるんだ様子もなく、平然と答えた。


「てめえの名前なんて聞いてねえんだよいい度胸じゃねえかおうこらてめえウチの跡目ェっときながらよくものうのうと来れたもんだなぼけこらニャクザなめてんじゃねえぞこのどチンピラがこらぼけ」


 虚太郎が巨体に似合わぬ滑舌ですごみながら、その巨大な額を、とし蔵の額と接するほどに近づけ、威圧する。

 そこに、宇田川のかすれた声が割り込んだ。


「やめろ、虚太郎。挑発に乗るんじゃねえ」


 その声に、虚太郎は引き下がる。


「今さら隠してもしようがねえ。この通り、おいらはもう長くねえ。こいつら、そこにつけ込んで、戦争を誘ってやがるんだ。山盛の野郎、相変わらず仁義もクソもねえ。そうはいくかい」


 吐き出すように言う宇田川の眼には、深い憎しみがこもっていた。

 なだめるように、虚無助が言う。


「戦争しようなんて、思っちゃあいませんよ、組長オジキ。今日は、こいつの件を、手打ちにしてもらいに来たんです。この通り、こいつには耳ィ詰めさせました。どうかこれで収めてやってください」


 虚無助の言葉に、再び虚太郎が声を上げる。


「手打ちってぇのはな、こっちの面子メンツが立つように、そっちも相応のものを払ってするもんだ。こっちは跡目のたまァとられてんだぞ。耳ィ詰めてそれで勘弁って話があるかィ!」


 虚無助はひるまず、しれっと答える。


「宮下町の餌場、どれでも好きなとこ、一つ持ってってください。それでお相子あいこってことにしましょうや。今度のことァ、山盛組の組員がやったわけじゃあねえんだ。こっちとしても、これができる限りのとこなんですよ」


 虚太郎は再びすごむ。


「ウチの跡目の命が餌場一つってのはどういうことだこら」


 虚無助は引かない。


「そっちも、ウチの跡目ェってるじゃねえか。三年前によ」


 その一言で、場に沈黙が生まれた。

 …………。

 たっぷりと間を取ってから、虚無助は言葉をつなぐ。


金太きんたさんの件にゃあ、納得してない組員もたくさんいましてね。今度の件じゃ、ウチも引きませんよ」


 宇田川がうなるように言う。


「てめえこの野郎……わかったよ畜生、呑んでやろうじゃねえか、その条件でよ」


 すかさず、虚太郎が言葉を挟む。


「それじゃあ組員に示しがつかねえ」


 そして、とし蔵を指さして言う。


所払ところばらいだ。こいつに三年は渋谷の土ィ踏ませるな」


 虚無助がにやりと笑う。


「いいでしょう。それでこの件は手打ちですね。失礼しました」


 そう言って、虚無助は立ち上がる。


「行くぞ」


 虚無助に続いて、とし蔵も宇田川に頭を下げ、くるりと向きを変えるとトラックの下から這い出した。

 宇田川組のニャクザたちの視線を受けながら、彼らは悠々と帰っていく。


「言った通り、助かっただろ?」


 虚無助が、歩きながらとし蔵に言う。


「……ありがとうございます」


 とし蔵は、何か不穏なものを感じながらも、そう答える。

 二匹は、山盛組の事務所に着くと、早速その首尾を山盛に伝えた。山盛は上機嫌でそれに応じる。


「そうかそうか、宇田川は呑んだか。三年の所払いとは、また長いこと食らったもんじゃが、まあ宇田川のジジイがくたばれば、戻ってこれるじゃろう。ちょうど、こんなに頼みたいことも、あったけんのう」


「頼みたいこと?」


 とし蔵が聞くと、山盛は笑って言う。


「わしの息子が、新宿で組ィ開いとるんじゃが、これが苦戦しとるんじゃ。しばらくの間、こんなは新宿に行って、息子を手伝ってくれんか」


 受けてよいものか、迷うとし蔵が、ふと横を見ると、虚無助がいない。


「下手をすりゃあ、こんなは今頃死んどるわ。恩を返すと思って、頼まれちゃくれんか」


 山盛の言葉を断るすべもなく、とし蔵はうなずいた。




 ――……。

 そのころ、ニャクザも寄り付かない事務所の裏路地で、虚無助を訪ねてくる猫がいた。

 あの宇田川組の事務所で、とし蔵と虚無助を案内した猫だ。


「……兄貴、うまくいきやしたね」


 猫が言う。


「兄貴に言われたように、とらのエサにあのマタタビの粉を混ぜておきましたよ。まさかあのとらが、喧嘩に負けるなんてねえ。マタタビには勝てんわ」


 虚無助が、ニヤリと笑って聞く。


「お前、そのこと、誰にもしゃべってねえな?」


 猫が答える。


「もちろんですよ、兄貴。もしバレたら、おれはもう宇田川組にゃいられねえ。これでおれも、山盛の杯、もらえるんですよね?」


「それはねえな」


 背後から、低い声がする。

 振り返ろうとした猫の首に、太い腕が巻き付いた。


「ふご!? ふごごご!? ふごー!!」


 助けを求めようとしても、恐ろしい力で首を絞められ、声も出せない。

 ごきり、と、首の折れる音が響いた。


デデーン(効果音)

宇田川組 組員

ひで 死亡


「山盛の天下にはならねえ」


 暗闇から、巨大な猫の姿が浮かび上がる。

 虚太郎だ。


 なぜ虚太郎がここにいるのか?

 虚無助が笑う。


「ふっふ、そうだ、山盛の天下にはならねえ」


 虚太郎も笑う。


「あれからすぐ、宇田川のジジイが、血ィ吐いて死んだぜ。とらを殺られたのが、よっぽど悔しかったんだろうよ」


デデーン(効果音)

宇田川組 組長

宇田川たつ吉 死亡


 虚無助が、死んだひでのからだを、ゴミ箱の中に投げ入れて言う。


「それじゃあ、宇田川組の組長代行は、兄貴か」


 虚太郎が答える


「そうなるな」


 虚無助が、凄惨な笑みを浮かべる。


「こっちのジジイも長くはねえ。そうしたら」


「そうしたら」


 二匹の声が揃う。


「俺たちの天下だ」


 渋谷の闇に、猫たちの笑い声が、溶けて消えた。

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