第32話:明けない夜はない



 必死で走り続けていた。


 熱い……。ただ、ひたすら熱い。


 焼け焦げた死体の臭いと飛び散った脂肪がベタつき肌を撫で回す。

 吸い込む空気は喉をつんざき、目が痺れ涙が溢れ続ける。


 空に瞬いていた星たちもいつしか天高く昇る煙によって隠れ、崩れ去った家屋と絶望に満ちた人間達が散乱し界隈する。

 

 私は……、誰?

 何故、こうして走っている?


 ただただ体を動かす。

 何もわからない、どうしてこの姿なのかも何故……。


 ”あるじから逃げているのかも”


 バッ、ヂャッ

 足を駆け地を蹴るたび足がえぐれるような音と共に血を吹き出す。

 

……痛い、苦しい。


 だけど。


 ”紋章だった時の苦しみは、さっき味わった苦しみに比べたら何億倍もマシだ”


 何が起こったの?

 この世界に、何が……。

 これは……、これは私がやったの?


 見えない恐怖心に掻き立てられる。

 全てが初めてだというのに、この世界へ足をつけ視界に捉えるのも初めてなのに……。

 あるのはただただ果てしない虚無感。


 誰か……、誰か助けて!!


 そう、懇願する。

 だが……。目の前に現れたのは、私の……。


「紋章が主から逃げ出すなど……、初めて見たよ」


……主だった。

 全身が震え上がる感覚と共に、恐怖という名の感情が身を包む。

 手を伸ばしてくる。

 また……、あの暗い部屋に閉じ込められるんだ。

 必死に声を出し手を振るい反撃しようとする……が。

 見えない何かが、私の動きを止める。


「紋章は主に逆らえないというのにね」


 また、この人間は私を利用するつもりだ!

 何度も! 何度も!!

 私の苦しみなんて知らないで、まるでただの道具であるかのように!!


 すると、目の前でその人間が苦しみ出す。

 何かを叫んでいる。

 何かを訴えるようにひたすら悶(もだ)える。

 その一連の動作を終え、憔悴(しょうすい)しきった人間が……。


 ”私を……”





⌘  ⌘  ⌘  ⌘




「ハッ……、ァ”ア”ァ”ァ”ァ”ァ”ア”ア”!!」


 全てを奪われ、突き放された。

 思考が溶けるように熱い。


 目を覚ます。

 辺りはさっきの光景と変わっていない。

 ただ……、カカ様とレキーラの姿がない。


 脳がズキズキする。

 もう、私は何者でもない!!

 生きる価値は失った! 奪われた!!

 私の存在が何人もの人間を死へと追いやった、世界を壊した……っ!!


 私がいなければ今日の革命はなかったかもしれない。彼らは……、零暗の衣は今日も楽しく日々を生きていたかもしれない!


 ずっと……、ずっと夢を見ていた。

 そうだ……、あの夢はあの夜のことだったんだ。

 苦しかった。……夢を見るのが辛かった。

 記憶にない、記憶。

 流される崩壊の景色。

 私はずっと眺めているだけだった!


 必死に抗おうとした!

 絶えない苦しみに、目覚めぬ夢に、永遠の闇に!!

 例え目覚めようともその苦しみから解放されない、ずっと戦い続けてきた!

 ずっと、ずっと一人で!!

 心に縛られた心が、叫び続けた。

 もう……、嫌だと。

 この世界に囚われて、夢から覚めても消えない苦しみ。


 暴発し暴走した。

 嫌だ……。もう、こんな世界見たくない。


 折角出会った人達はみんな死んだ、見てきた景色は美しかった。

 だけど、思い出してしまう。

 この景色を、この世界を壊したのは私なのだとずっと夢の中で。


 そうだ。

 もう、ここに私がいる必要なんてない。

 全てが壊れたなら、全てを再び壊せば……。


 次々と身体中を刺激する破壊衝動が私を蝕む。

 ダメ……、ダメ!!

 そんなことしたら、またたくさんの人が死ぬ。


 私は何のために生きているの?!


 その自問に対する答えは……。ただ、一つだった。



「全てを……、壊して、滅ぼすため」



 分かってる、それは違うと……。

 だけどそんな建前を吹き飛ばすほどに私の本能は……、私自身を、破戒する。自己破壊衝動(デストルドー)は噴火するかのように胸の奥底から噴き出していく。


「やっぱり……、この世界は終わるべきだわ!!」


 そして両手を広げる。

 空は黒いままだ。

 辺りに散らばる死体の参列は全て零暗の衣だけだ。


 もう……、私が終わらせてあげる。

 抜け出せない苦しみから、抜け出せない闇から……、私自身をっ!!!


「メテオスキルXXIっ!!

 破世する隕界の墜嘔ハズーラ・ストロ・エバレトランッッ!!!!」



――……



――――何も、起こらない



――――――どうして?



「は……、ははっ。そうだ……、私はあいつに何もかも奪われたんだ。私には何もないんだ。もう……、死ぬんだ。いらないんだ、私なんて。いてはいけないんだ……、もう」



 すると、ザッ……、と一陣の風舞った。



「ル、ビン……」



「セ、ア……」



 どうして?

 どうして今……、あなが現れるの?!

 私を……、私をこの世界に導いてくれた、あなたに。


「ルビーー」

「その名前を呼ばないで!!」


 セアの表情が強張る。

 階円広場の上から私を見下ろす。

 惨めに座り込む、私と。

 さっきとは……、逆だ。


「私は……、私は”滅亡”よ?! あなたの故郷と家族を壊した、あなたの打つべき仇よ?」


「それは――」


「分からないの?! 私は”滅亡”の紋章!! レキーラに使われレピアを滅ぼした破壊の化身ッッ!!」



 セアは戸惑いの表情で私を見る。さっき、レキーラがそれを、口にした時より困惑は減っているものの、唖然としながら私を見下ろす。

 セアのおかげで私は人になれた。

 だけど、もう……。セアの前では”ルビン”としていられない。



「何で……、だよ。そんなので俺がお前を仇だなんて思うわけないだろ!!」


「嘘……、つかないで。セア……、自分の心を欺いて、隠してはダメよ。私はずっと暗闇にいた、だけどあなたは眩しかった」


「嘘なんかじゃ――」


「嘘よ!! あなたにはわからないでしょ?!

 終わらない苦しみと終わらない暗闇。抜け出せない世界に囚われ、抗い続けた心の痛みと叫びがっ!!」


 苦しい。

 全てを吐き出すような感覚と共に嗚咽感が体を通る。

 だけど、もう止まらない。

 全てが。


「こんな……、こんな世界なんて終わればいい!! 終わりへ向かう世界でただ悦楽に浸っていれば!

 人間は愚かなの!! 楽な道を自ら歩み、その愚かさにも気づかず生を終える。この世界が終わるべきではないと唱えるのは……、ただの偽善者よ!?」




「違う! ルビン、聞いてくれっ!!

 世界は、終わ――」




「――もう、聞きたくない!! あなたには分からないでしょう?! 私の辛さも、苦しみも! あなたは人間に生まれられたからいいじゃない、私は……、私はっ、人間として生きたくでもそうできないの! 許されていないの!

 触れないで……、私の所へ!! そんな光を見せないで!! 私はそっちへ行けない!!

 私はこの世界に存在しないの! してはならないの! もう……、私は”滅亡”なのか”ルビン”なのかすら分からない。……いや、もうどちらでもない!! 手を差し伸べようとしないで……。何も何も私に言ーー」




「――聞けぇェェエええッッッ!!!!」




 セアの声に心が震える。

 セアの表情は何かの決意と強い意志……、そして。

 涙が、流れていた。



「目を覚ませ、ルビン!! 世界は終わるべきなんかじゃないっ!! 偽善だと言われようが関係ない! まだ……、俺は世界のことを全然知らないし、お前の苦しみを理解することもできない、だけど!!

 それを受け止めることなら、出来る! それならそこでずっと叫んでいろ、気がすむまで、ずっと、ずっと惨めに叫んでいろ! 俺も気がすむまで付き合ってやる。ずっとそうしていたってどうにもならないって実感するまで、俺も一緒にいる。お前が前を向くまで、俺も同じ所を向いててやる! 

 それに人間として許されていないなんてこと、誰が決めた?!この世の神様か?!その答えは、お前が教えてくれたじゃないか!」


 この叱咤は……、聞いたことがある。

 そうだ……、セアが人を殺すことへ躊躇っていた時と同じ。

 置かれている立場も、背負っている物も、何もかも違う、だけど。

 セアはそれでもーー立ち上がった

 セアの瞳に映った強い意志の炎が、今にも私を包み込まんとする。


「世界は……、終わるべきなんかじゃない。俺は、この世界が決して綺麗で美しいものではないって分かった。それに絶望して終わることを望んでしまうかもしれない、だけど、だからこそーーッ

 今こそが、新たな世界を望み始める時じゃないのか!?

 ずっとレピア崩壊で人生を囚われた人達だってこの世界が今、その節目なんじゃないかって気づくべきなんだ! お前が、たくさんの物を失ったかもしれない! 終わらない苦しみが抜け出せない悪夢があるかもしれない!……だけどっ!!」


 突然、セアが駆け降り出す。

 決死の表情の裏に、どこか労わりの表情が垣間見える。

 ダメよ! セア!


「こっちに……、こないで!! 近づかないで!! 私をこれ以上そっちに連れ込もうとしないでっ!! 私は、そっちに行く資格なんてーー」


「そんなの……、関係ないっ!! ルビン! 自分が存在しないなんて言うな! 何者でもないなんて言うなっ!!

 人間は! 誰かの心に生きている限り存在し続けるんだ!! お前は、俺の心の中に”ルビン”として生きてるっ!! だから見失うな、自分自身を!!

 例え目を覚まさなくたって俺が何度でも起こし続けてやる!

 だからっ。そんな……、そんな顔するなっ!!」



 セアの言葉が、胸を打つ。

 私を縛り続けた鎖が、一つずつ外れていく感覚と共に涙が溢れ出る。

 言葉は……、勝手に出ていた。



「嫌……、もう嫌なの……。助けて……、セア。

 この終わらない夢から……、私を救い出して」


 すると、セアは私の手を取り引き寄せた。


「なぁ……。ルビン、こんな言葉を知っているか?」





        ”明けない夜はない”




 心に、光が射した。

 暗闇が少しずつ晴れ、心に空いた穴にセアの言葉がゆっくりと……、染み込んでいく。


 いつの間にか、涙が出ていた。

 だけどこれは苦しみの涙じゃない。

 セアのくれた、生(せい)の涙。



「大丈夫、ずっと一緒にいるから。抜け出せないなら俺が引っ張り出す。暗闇にいるのなら俺が光になるっ!! だから……、ルビン!!」



 その、セアの表情は……。



「これからもずっと一緒に! この世界を見て回ろう!!」



……最高に輝いていた。


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