第25話:この世界を変えるくらいの王になれ


 やっぱり、お前は俺と同じだな。


 ジェイムは血振りしながら俺へ向き直る。

 俺は完全に脱力し、膝を地につける。


「ルナートさん、僕……」

「それでいい。お前は、それでいい……。よくやったな」

「……はい」


 ミアは、後だ。先にジェイムに伝えることを伝えなければいけない。


「ジェイム、聞いてくれ。俺は見ての通りだ。革命も最後までは見届けられない。だが……、国王が死んだ今、お前には王になる資格がある」

「知っています……」

「お前が、この都市の市民を……。果てはビラガ国の三都市全ての国民を、扇動しろ。俺の名前は好きなように使っていい。出来るな?」

「出来ます……。ルナートさん、僕は……」


 ジェイムは何かを耐え忍ぶかのように震えている。王になることに躊躇いがあるのか……、いや、違う。

 怖いのだろう、親を殺した自分が、まだ。


「僕に、出来るでしょうか? みんなを引っ張るような立派な王に」

「あぁ、なれるさ。お前は……、俺と似ている。だから、さ。ジェイム……」


 ジェイムの姿が昔の自分と重なる。人を殺した感覚すら失い、機械のように今という時に縛られ未来を喪っていたあの頃の自分と。

 だからこそ、お前には……。

……お前には、この世界を変えられる力がある。

 その無情さが、自分の心を殺し冷酷に果断することが出来るその心があれば、きっと。

 ずっとジェイムは幽閉されていたと聞いた。母親も自殺。あいつが、どんな思いで日々を生きてきたかは知らない。この国をどうしたいとか、この世界をどうしたいか、という意志も、興味ない。

 だけど、コイツがこの世界の王にでもなってみろ……。

 それこそ、最高に面白い世界になるだろう。


 俺は、ゆっくりと片手を力を振り絞り、ジェイムの肩に乗せる。

 その手にありったけの力と意思を込め、喘鳴を振り払い、堂々たる声で、ジェイムに言った。


「お前が、この国の王になれ。この世界を変えるくらいの王になれ!! そして、俺の代わりに、この世界をお前の手で掴み取れ……ッ!」

「……はいっ」


 ジェイムは涙を流す。


 そして、俺に聞こえないような声で呟いた――


「僕……、ルナートさんのような父親が、良かったです」


――そう聞こえたのは、きっと気のせいではないだろう


 そして俺の背後にいる一人の女性を目に留め、静かにその場を辞退する。

 後は、二人の時間だと言うように。

 ジェイムは静かに謁見の間を後にする。

 この部屋に残されたのは死したガンとレキーラ。

 そして、俺とミアだけだった。






「ルナート……」

「悪い、な。持ちこたえそうにない」


 首肯するのを拒むかのように小刻みに震えるその華奢な身体は、ミア自身の本能は気づいている。

 俺が、時期に死ぬことを。


 ミアは俺を両手で抱きかかえる。

 上を見上げれば、ミアの顔が……。泣き崩れたミアの顔が見える。

 雨のように滴り落ち、頬を濡らしていく無限の涙が、一粒ずつ輝いているように……、見える。


「結婚しようなんて、言ってしまったから、悲しませてしまうな。でも俺は……、言わなきゃ良かったなんて、思わないよ」

「うん……、私も、私も嬉しかったから。あんなこと、言ってもらえるなんて……、私っ」


 か細い涙声のミアは今にも事切れそうだ。


「……ねぇ、ルナート。聞いていい?」

「いいよ」

「その……、ルナートが昔好きだった人って、どんな人だったの?」


 彼女のことを、ミアは聞く。

 今更、隠すこともない、か。


「そう、だな。彼女は……。”ミサ”は、常に俺たち普通の人間と違う所から世界を見ていた。人を見ていた。常に別の世界へ旅立つことを望んでいたんだ」


 息をつく間もなく、話す。


「ミサとお前の容姿は……、本当に似ていた。まあ、性格は真反対だけど、な」


 でも……。


「ミサは死んでしまった。俺が弱かったから、だから……。俺はあいつに強さを、示したかった。この世界を変えることで認めてほしかった。そうすることで、俺はあいつと釣り合うと……、認めてもらえると思ってたんだ」

「認めて……、もらえてなかったの?」

「あぁ。これっぽっちも、な。あいつには結局、最後まで切り離されて、見放され、今もそのままなんだ……。あいつは俺に絶望して見限って、捨てた」


 偽者の自分がいても、そいつがきっと、本当の俺では成し得ないことをしてくれるような気がして。善人を装い続けてきた。


 涙は、止めどなく零れ落ちる。

 その涙はもう、どちらのものかも分からない。


「でも、でもルナートは、私を選んでくれた。でしょう?」

「あぁ、俺はお前がいい」

「私もよ、私ももうルナートしかこの世界にいない気がする。私、貴方がいなくなったらどうすればいいかわからないよ……」

「ごめんな」

「いい、よ。謝らなくて。でも、ね。私……、あの世にいっても、生まれ変わっても……。ずっと貴方と一緒にいたい」

「俺もだ。俺も……お前を愛している。だから、もしもあの世でもう一度上げたら……その時はーー」

「ちゃんと結婚、しようね……。家族を作って死ぬまでずっと幸せに、ずっと……、一緒にーー」


 唇に暖かい何かが触れる。

 ミアの髪が濡れた頬に触れる。

 閉じられた扇情的な瞳が、鼻梁が今は……、俺の……。

 手に入れられなかったものだ。望んでも、望み続けていても。

 心の拠り所だ、ミア。お前はずっと……、ずっと。


 いつしか、溶けるように思考は心の深淵へと落ちていった。


 痛覚など、とうの昔に焼き切れ、菌界物による痛みは、ない。

 もう、誰とも何も合わないのか。

 そう思うと、ふと思い出すのはこれまでの日々。色々あった、不幸も幸福も共に乗り越えてきた。

 今の俺はどっちの俺だろう。偽者か? 本物か?

 きっとミアと触れ合ったのは本心の俺だろう。だけどその自分の役目はもう終えた。

 体の底から何かがせり上がってくる。そうだ、今の俺を支配しているのは、偽者の自分、だ。

 道理で、心が軽いわけだ。結局、俺はこうやってるほうが生きやすかったのかもしれないな。


 でも、もう……。


 俺は、死ぬ――


 その言葉がただ無情にどこか滑稽に響く。

 ハハ、クソッ……。結局何も成せず仕舞いだ。だけど、それで満足だ。

 成せていないかもしれない。ミサにとっては、何も。

 だけど俺にとってはこの上ないほどのハッピーエンドだよ。お前との終わり方なんかじゃない。今は……、見ろよ? 愛する人と口付けしながら死んでいくんだ、こんな綺麗な死に様がれあるかよ。

 見たか、こんな生き方、こんな嘘の自分で塗り固めていても幸せな終わり方はやってくる。

 あぁ、でも……。


『……なぁ、ミサ。俺、ようやくお前のとこに行けるよ』


 久々に会ったら何て言おうか。俺は俺らしく、強く生きれたとそう言ってやろうか。

 でも、そう言ったらミサは『それは唯の自己満足でしょう?』って、返されるんだろうな。お前といすぎて、何か分かってしまう、な。

 少しずつ死を受け入れられるような気分になる。


 じきにサクヤたちも、俺が扇動した市民たちも時期にここへ来るだろう。その時、俺の死に様を見て、あいつらは何を思う?俺の死で悲しむか、<零暗の衣>のみんなはきっと悲しむだろう。


 もう、死というものに対する恐怖はない。


『あなたは、死を恐れる?』


ふと、あの日のミサの言葉を思い出す。確かに、これは死を受け容れた者にしか見えない景色……。そうか、そういうことだったんだな。

 

 俺はもう、生きる資格もない。生きようとも思えない。だってもう、あんな重み背負える気がしないから。あんな自分でい続けた所で失うものしかないだろうから。


 たった一つ心残りがあるならミアのことだけ。

 だが、昨夜の出来事をさっきまでのミアとの出来事を、俺の人生に咲いた最後の華だということにしてみれば……、心残りは消え去った。

口付けの感触も、ミアの暖かさも消え去った。



 あぁ……。いい、人生だった!! 最ッ高の終わり方だ!!


 俺は生きた!

 例え偽の自分に支配されようが、どれだけ綺麗事を並べようが、どれだけ他人を巻き込もうが、俺の……、俺の望み続けたことは果たせた! 心の在り方を見つけた!


 理想は強かった……、掲げた革命の旗は凛々しかった、美しかった!

 人生の最期だ、ようやく迎えた!

 長い、長い人生だった。親が死に、引き取られた孤児院の義母を殺し、暗殺士になり平和を手に入れたかと思えば愛人に突き放され、亡くし。

……全く、碌な人生を送れなかったじゃないか。

 でも、俺はどんな人生を望んだだろう。

 ただ、平凡に平和のみに過信し、益体もなく日々を過ごし、何となく職士について何となく結婚して何となく死んでいく。

 はっ……。

 そんなの、クソつまらないじゃないか。

 何度も死の淵に立ってきた。やっぱり、人生はこれくらいスリルがないといけない。

 レピア崩壊によって変わった世界は可笑しかった狂っていた。人が化物のように成り果てた。


 確かに世界は狂っていたかもしれない。だけど、それを見てただ「狂っている」と現状に形だけ嘆きそう言い続けてきた自分が……。


……一番狂っていたのだ!!


 だから世界が狂って見えた。本当は世界は正常なのではないのか。

 狂ったように見えるのは見ている人間そのものが狂っているからではないのか?


 だんだんと視界は黒くシャットダウンしていく……。


 もうこの世界を見るのも終わりか。


 ふと最後に何かが視界の端でちらつく。

これは――




――ドス黒い色に光る円とその中に交錯する二枚の嬉笑と嘲笑の仮面を連想させるような紋章が目の前に刻まれていた




――そして頭の中にうっすらと文字が浮かび上がる




――今まで何度も知りたがった自分の紋章、それを最後の最後に知ることになるとは





――だがその二文字を認識した途端、強烈な笑いがこみ上げてくる





――「なんだよ。最初から……、最初から決まっていたのか、俺の人生はっッ!!』




――その二文字は俺のこれまでの人生と己自身の全てを刻々と抉(えぐ)り出し、明確に映し出していた




――そう、即ち……








――”偽善”、と。






















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