第24話:世界よ、創生者を穢せ
剣の鼓動が聞こえる。
剣の声が聞こえる。
剣の痛みが伝わる。
剣の興奮が伝わる。
剣と一体になったこの感覚。互いの剣戟が一つのエピソードを紡ぎ出す。
左、右、左。
レキーラは自由自在に鎌を揮う。それは森羅万象の如く、一つとして同じものはない。
短剣はただひたすら一つ先を見据え、弾く、流す、受け止める。
俺の身体は死角に、隙に常に一手先で回りこむ。
スキル起術などいらない。
互いのスキルは無言の後、連続的に打ち出される。
その技を相殺し躱し、受ける。
血は止まることを知らず、だが止めることもままならない。
レキーラはまだ少しだけ、余裕の表情を残している。
俺の劣勢は変わらない。
しかし……。
「ふ……、っんぬ!!」
床に飛散していたシャンデリアの欠片は全て先ほどのビットスキルで謁見の間のサイドへ移動させている。こうなる事を見越してなのか、最早本能でなのかは見当もつかない。
こんな真正面で戦うのは俺の性には合わないのか、それとも暗殺士としての矜持が否を焚き付けているのか。
しかし、学んだことを惜しむことはない。
卑怯? 辛辣?
その全てが”技能”であり”能力”な限り、それを咎めることはない。
暗殺士は常に先頭において何らかの伏線を張る。ブラフを立てる。
巧妙かつ狡猾。たった一度の隙に食らいつく。
それまでは必勝の手など打たない。
レキーラもまだ隠し玉はあるだろう。だが――それを打ち出される前に決める。
白い軌跡。視界に入る前、警戒し続けている身体は本能で躱す。
レキーラはまだ攻撃の体勢。そこに投げ縄を投擲し足を掛けに狙う。
もちろんそれに気付かないレキーラではない、その投擲を足を一度つけ半歩下がる。
だが、その先は――
「罠……っ」
ーーかかった
そう思った頃には炎上した炎から黒煙が立ち込めている。
ボマースキルXI、
地下設置型のスキル。誘導までそんなに掛からない。そして、レキーラの動きは完全に読んでいる。
だから、この先の行動は。
上だ……。
目が合う。
「流石と言っておこうか。その手腕、どこで手に入れたのか大方の予想はついてきたよ」
「ほう、それは博識だな」
「面識があるからね。そういえば彼等はもう死んでいたんだっけな。まあいい、君の
懐かしい。
「……
その事に触れるなんて。
「知っているのなら、俺たちの闘い方も知ってるよなっ!!」
両腕を交差させる。
瞬間、先ほどレキーラの牽制に投擲した一本目に固定された
そして、俺がワイヤーでレキーラを絡め取ったのは実に3秒と満たない所作であった。
1本目がレキーラの腕を、2本目が身体を、3本目が足を、そして把握するのが困難を極めた時、ワイヤーはレキーラの全身へと瞬時に巻き付いていく。
それを逃れようとすれば更に別の鋼線にかかるだろう。
その動きは昆虫が繭を巻く様で、その速度を極限まで高めたようで。
「鎖で縛られたお返しだ」
鋼線で巻かれたレキーラは身動きを取る事もままならず、地べたに這い蹲る。
一緒に巻き込まれた鎌は、角度が良かったのかレキーラの身体に深々と突き刺さっている。
「なるほど。ルナート、君はずっとこの瞬間を狙って?」
「よく動いてくれたな、レキーラ」
「君は本当に……っ、面白いッッ!!」
背後――
「褒美だ……。ディザストスキルの原点にして起源。その十の災いが現世に復活した時、君は真の怯懦を知るだろう。”災禍”の紋章、特異能”すべての初子を打つ”」
その声に部屋は唐突に暗くなる。
レキーラの姿は既に背後「こちらもお返しだ」と言わんばかりの形相で宙に浮き、何かの技を放とうとしていた。
縛られていたレキーラからは人の気配がない、おそらく魂だけ抜け出し新たな魄を自ずから作り出したのだろう。それに……、特異能か。黒い胡麻の様な物質がレキーラの周りを蠢動している。
災禍ーーそのような紋章がこの程度の威力であるはずがない。
紋章は、その真名によってある程度の威力と効力を図る事が出来る。災禍などと大業な紋章がこの程度のはずがない。
だが一方その一撃は、この闘いを終わらせかねないほどの威力であるということは言うまでもない。
だからこそ詠唱に時間を掛けているのだ。
迂闊に
「こちらも同等以上の技で返すまでッッ」
そして互いのスキルが起術される。
「かつての夜に全ての長子を怪死させた変災を、その身一つで受ける事を光栄に思うがいい!
ディザストスキルX、
「アサシンスキルXIII、
打ち出した短刀は一直線にレキーラの胸を穿つ。そして、それが触れた瞬間短刀が破裂し、蜘蛛の糸のようなネットが広がる。それはそのまま蜘蛛の巣状天井へ付着する。
レキーラは苦の表情を見せるも、スキルの精製は止まらない。ディザストスキル使用者など、初めて見た。その実態は今の俺にはまだ不可解だ。
互いに打ち合い、相殺するものだと予想していたが、完全に外れた。
しかしレキーラの打ち出した物は全く別種の異端物であった。
まず、黒い胞子のようなものが雨のように降る。それはスクリュー状に渦巻いてゆき、埃の集合体のような、一つの球体となる。
間違いない、あれは致死性の菌界物だ。
今は一箇所に凝縮してあるがこれがもし拡散し蔓延でもすればこの都市は1日にして死者の都市へと豹変するだろう。
すると、俺の繰り出した蜘蛛の糸によって
「おっと、ルナート。言っておくがそれを躱しでもして見ろ、その菌界物は他物質との接触で破裂しこの都市一帯に蔓延するぞ」
「レキーラ、何の目的でこんな物をっ!」
「君との闘いを終わらせるためさ。それにその菌界物は僕の源素力で出来ている。まあ流石にこの都市に蔓延させたりはしないさ。何せセアもいるからね。だが……」
その表情は急激に卑劣なものへと変わる。
「……この場にいる人間がどうなるかは知らない」
その声にガンが驚声を張り上げる。
「ちょ、ちょっと待て貴様! 私は?! 私はどうなる?!」
「ん? 契約のことかい? そんなもの……。……ただの愉悦の一つに過ぎない」
「契約はまだ切れていないぞ!? それを」
「”ルークス襲撃を対価に君の命を守る”か。奴隷確保と命の保障、こんな君にしか得のない契約を結ぶ馬鹿がいるはずもない」
「んな無茶な……」
「ま、こんなものは言いがかりだ。そもそも契約なんて物は常に契約を持ちかけた方が有利に立っている。たかだか紙切れ一枚に何の強制力もないさ」
嘲るようにレキーラは言い放つ。
こいつらの言い分は最もだが、結局この男は初めから遊び半分だったわけだ。
自らを窮地に追い込むため、敢えて枷をつける。そうでもしないと、真に闘いを楽しむ事ができないから。
強者のみに許された、特権。
菌界物の球体は段々と近づいている。その遅速なまでの球体。
躱す事など容易い。だがこんな事をすればミアたちを見殺しにして俺だけ助かることになる。
この男は試しているのだ、自らの命と愛人の命を天秤に掛けた時、人間はどうするのか、と。
「そんな興味津々な顔するなよ、崩壊者」
「ほう、この真意に気づくのか」
「あぁ、俺がどんな行動を取るのか、それが知りたいんだろう? 昔いたからな。人の深層心理を見るためなら嘘を付いてでも恐怖に陥れるって言うやつが」
記憶に灼きつけられた、ミサの姿が蘇ってくる。
記憶のどこを探しても必ずいる、ミサの姿。だけど向けられるのは辛辣極まりないその言葉。
「おまえの目はそいつと同じなんだよ。人間の裏を、心理を常に観ようとするその瞳が」
「なるほどね。面白そうな人間だ。一度……、会ってみたいね」
「あぁ、会えるさ」
こみ上げた涙を抑える。
「あの世で……、なッッ!!」
レキーラ、お前は気づいていない。俺の放ったその蜘蛛の糸に浸透させた毒に。俺が独自改良を加えた心毒性の
暗殺士は何も戦闘だけではない。
誰にも気づかれずに”用意”、”殺害”、”逃亡”。
そのモットーの中、用意の面で俺は研究を重ねている、それももう遥か昔の話だ。
取り扱いには注意だが、先ほどの攻防の際、一本の
これでレキーラも死ぬ。
相打ち?……上等だ。
「レキーラ、言っておいてやる。普通の人間ならこの身欲しさに自らの命を選ぶだろう。だがな……」
断続的に流れる廃絶しようと欲し続けた忌まわしい戒律の記憶が、それこそ致死性の猛毒であるかのように俺の中を
だがそれを降りしきり、抗うかのように叫ぶ。
「……俺はもう。自分の愛したやつに、この命はくれている!」
あのとき、彼女を守れなかったあのときに、俺の命は死んでいる。彼女と共に、死んでいるのだ。
1度目の人生は失敗した、2度目の人生は成功した。
そう言うためにも、2度目の人生で俺は空虚で善人な自分を演じていたのかもしれない。
失った心を、何かで埋めるように。ミサによく似たミアを俺の側に置き、心の穴を塞ごうとしたように。
「レキーラ、終わりだ。俺も……、お前もッッ!!」
「何……っ? クソ、何故だ?! 何故治らない?!」
手の甲が微かに光っている。紋章か。
だが、そんな物で治るはずがない。
俺の
使い所としては……、文句ないだろ?
「ふざ……、けるなよ。人間風情が! 僕が、こんな所で……っ!!」
その喘鳴と共にレキーラは糸の切れた人形のようになる。
そして俺も、目の前に迫った菌界物の球体へ自ら躍り出た。死ぬ覚悟なんて、とうの昔に出来ている。
その次の瞬間、身体中を駆け巡った衝撃に全ての細胞は酸化し血液は抜かれ肌は皮膚は焼けただれ骨は圧砕され精神はすり潰されるような感覚を覚え……。
「ゥゥァァアマグルァァアぁぁはがぁぁっっ!!!」
のたうち回る。苦しい……、苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しいッッ。
こんな感覚初めて、だ……っぁぁぁ。
「ルナート――ッ!」
ミアが
ミアのことだ、俺の盾になってコレを喰らうつもりだったんだろう。
「ルナート、嫌。ルナァトぉっ!」
「オイオイ、勘弁しろよ。俺はこれで満足してんだ。だからさ、最期の最期まで綺麗なミアを俺に見せてくれよ」
「でも、でも!!」
「大丈夫だ、言ってたろ? 1日は持つ……っ、て」
嘘だ。こんな苦痛、1日も持つはずがない。
持って後……、10分ってとこか。
最期に今まで共に生きてきた<零暗の衣>の連中と言葉をまじわすこともままならない、な。
まあいい。
あいつらとはもう、1度目の人生で別れは済ませてある。
「ルナート、ルナぁと……」
嫌だ。そんな非常なウンメイとやらに必死に抗うようにミアは俺の名を叫び続ける。
ジェイムも俺の方へ近づいてくるが声を喪い、ただ俺を見ている。
「ミア、少しどいてくれ」
俺はミアを振りほどくように立ち上がろうとする。
「いや! いかないで……」
ミアが必死にしがみつく。
「大丈夫。直ぐに……、終わるから」
そうだ、最後に……、最後にガンを殺して、この革命を終わらせる。それが、俺の人生で為すべき最期のことだ。
完全に立ち上がる。ミアを振りほどく。
そして、静かに息を吐き、短刀を抜きながらゆっくりと歩き出す。
「ルナー……、ト」
ミアが手を伸ばし、俺の脚を掴みながら引き止める。
憔悴しきったその表情で、俺に声をかける。
「行かないで……、お願い。ルナートが、遠くに行っちゃうような、気がしたの。折角届いたと思ったのに、また、私の届かないところへ!」
ミアを抱きしめた。
強く、強く。
「ごめんな。辛い思いさせて。でも、俺からの最期の頼みだ。こんな偽物だらけの人生でたった一回でいい。俺が決めたことを……、もう1人の俺が掲げた事を成し遂げたいんだ」
そして、抱いていた腕を解き、
「ガンを殺すまで、そこで待っていてくれ」
普通の人間ならこの菌界物にやられて即死だ。
だが、俺は並の人間とは鍛え方が違う。それに俺の身体にはありとあらゆる抗生物質を含む薬物が混入されている。それを改造人間と言う者もいるだろう、全くもってその通りだ。
ガンは逃げようとするも恐怖に身体がついて行かず、だが
「来るな……、来るなァァ!!」
「醜いぞ。国王だろう?」
「フザけるな、ふざけるなよ。私を殺すというのかぁ?!」
ガンは立ち上がり剣を抜く。恐怖は消えていない。ならあの原動力は何から来ているのか。
矜持だ、ガンの傲慢で不遜な、卑しく汚いその矜持があの男を動かしている。
来い。
ガンは走り出す。
来い。
そして、思い切り剣を振りかぶる。
来い。
回避しようとする。だが、身体は言うことを聞かない。そんなことは知っている。
来い。
俺はやはり嘘吐きだ。こうして歩く事で精一杯なのだ。短剣が揮えるはずがない、ましてやガンを殺すなど不可能なのだ。
来い。
だが、
来い。
予想は――
来い。
ガンの剣が目前。そのまま俺の身体を真っ二つに……。
突如、豪雷のような摩擦音。
――確実となった
ジェイム・ビラガルドが
いつでも動けるように構えていたのは知っていた。だが、ジェイムは初めからガンを殺すつもりでいたのだ。
俺が死のうと生きていようと。
だが、それでいい。
ガンは、ジェイムが殺さなければいけない。
そうすることでコイツは真の王になれる。
ジェイムが俺を一瞥する。
その瞳は死んでいた。ジェイムは、完全に自分の心を殺していた。
同じ目だ。
なるほど、な。
コイツは、俺と似ていたのかもしれない。
ずっと1人で世界を思い、愛する人を思い、失った。
ジェイムにとっての母親がどんな存在だったかは知らない、だが。
ジェイムも殺意と復讐によって動く、呪われた人形なのだ。
嘗て、俺が
だが……。
殺れ――
おまえのその血で、おまえの創生者を、穢せ――
⌘ ⌘ ⌘ ⌘
どうしてだろう、どうして僕の心はこんなにも冷静なのだろう。
心臓の心拍音がうるさい、音楽を聴いているようだ。
冷や汗で背中はべしょ濡れだ、風呂に浸かっているようだ。
手汗で剣が滑り落ちそうになる、重力が僕から剣を奪おうとしているようだ。
息が苦しい。
一歩ずつ地面を踏むたびに底のない大きな沼に浸かってしまいそうだ。
髪がかゆい、搔きむしりたい。
唇が乾く、するとピッと切れ薄く血がにじむ。
「息子よ。どうした……、そんな剣なんか持って」
ガンが喘ぐように嘆願する。
「おぉ、可愛い息子よ。助けておくれ、真に殺すべきはあの2人だ。あの2人を殺せば……、おぉ、そうだ!次期国王だ! いや……、今すぐ国王にしてやってもいい!!」
「そうですね」
剣に込める力が強まり、緩む。
だが僕の中に躊躇いはない。ただ、今することはこれだと本能が叫んでいる。
「息子よ……。まさか、父親に剣を向けるなんてことはしないな? な……?」
「お父様。僕は、ずっとお父様の事が嫌いでした」
「何を……?」
「お父様がこの都市で何をして来たのかも、知っています」
すると、お父様の表情は憤怒へと変わる。
「あんの衛兵か……っ、余計なことを言いよって……っ!!」
ズブ……。
剣を、お父様の脹脛に突き刺す。血が吹き出る。何も感じない。
「い……、ぁいイイ痛い! 貴様!! 父親を刺すとはどういうつもりだ!?」
「殺す、つもりです」
冷酷だ。自分でも分かる。
罪悪感も背徳感も何も感じない。
心が冴え渡っている。
自分を殺した、心はなかった。
いや、そもそもこれは僕なのか。何だか、別の自分がいるようだ。
お父様は瞠目しながら僕を見上げる。恐怖から、水が身体中を濡らしている。
剣を振り上げる。
お父様はすると、慈悲を請うかのように、息子に向かって哀訴する。
「息子よ……、やめてくれ。なあ? 今度は私と幸せに暮らそう。だからその剣を下ろしておくれ。良い子だから、ね? 父親の言うことを聞きなさい」
「お父様が、どうして僕とお母様をあの塔に幽閉していたのかは存知上げません。ですが人を殺す事を楽しむ人を……。お母様が……、お母様が死んだのに涙一つながさないような人を……」
決意など、もう――
「父親だとは……、思わない!」
――いらない
「待て、待て息子よ! 息……ッ! ジェイ――ッ」
その男が、僕の名前を呼ぶ前に。
僕は、男の首を斬って落とした。
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