第22話:二人は世界で愛を謳う
ひたすら、赤いカーペットの上を走っていた。ここには、何度か来たことがある。
初めて来た時のことは、思い出したくない。同じような壁、同じような通路。
だが、どれもアシンメトリーで、この城は不気味だ。
扉という扉を片っ端から開け、嘆息する。
どこにもいやしない。
こんな所で、俺は何をやっている? 何度も、その疑念が頭をよぎった。
そうだ。俺は、早くこの革命を終わらせて、そして――
――そして、俺はどうしたいんだ?
変革した国、新たな国王を立ち上げて俺の行政で世界を変える。だが、再びそこにふと疑念がよぎる。
本当にそれは、俺の強さの象徴なのか、と。
それこそ、ただの暗君ではないか。裏で国王を人形のように操り、自らの思惑通りに動かす。
それでは、俺は認められることはできない。
なら、どうするべきか。
……そこに、浮かんだのは彼女の姿ではなく、ミアの姿だった。
ミア……。
こんな俺になってからたった1人心を許した、俺の心の拠り所。
ずっと一緒にいたいとも思う、彼女の代わりになるのなら、それこそ俺のものにしたい。果たせなかったことを果たしたい。
そんな欲求が波を打ったように俺へ押し寄せてくる。磨耗していく精神に、灯された火が薄れていく。
「ルナート、大丈夫?」
ミアの心配そうな問いに、俺は一つ頷く。
こんなにも俺を思ってくれているのだ。それに、ミアにはもう俺の全てをさらけ出した。
あいつらとは違う、本物の信頼。
「少し、休もう。このまま闇雲に探し回っていても埒があかない」
「そうね」
一番近くの扉を開ける。
その部屋にも誰もいなかった。だが、凄惨な気配はなく、神聖で清潔な空間だった。
その部屋を見た途端、豪華絢爛な装飾に驚かされる。
城の二階奥、その一室にあったのは質素や惨憺とはかけ離れた
天井は高く、城とは別の空間に建てられたのであろうその部屋は軽く二階分は悠にある。
机の上に布をひいた小さな祭壇と、壁画。そしてその背後にステンドグラスのある部屋で簡易な椅子がサイドに並んでいる。
こんな空間があったのかと驚愕しながら部屋の隅々を眺めまわす。
目の前の祭壇画は金色の装飾で周りを着飾られ、左右対称に配置された祭壇が場を厳粛に抑える。
天蓋の下に天使、預言者、聖者の彫刻が並んでいる。天井は、複数の支柱と装飾されたキーストーンで構成されている。
まるで修道都市クルータムのアストリア聖堂を思わせるこの部屋は、この国の雰囲気とは似ても似つかぬ程の造りだった。
だが、誰が何の意図でこの部屋を取り入れたのかを推し量ることは叶わない。
すると、ミアが何かに打たれたように身廊を歩き、祭壇へ向かっていく。
その後ろ姿が、昔どこかで見たような気がして。遠くへ行ってしまう恐怖が再び雪崩れ込んで来るようで。
咄嗟にミアへと手を伸ばす。
だが、それも届かず、ミアはそのまま祭壇の前へと赴き、その場で
「ミア……?」
すると、その声にブルッと肩を震わせ、何か正気に戻ったかのようにして俺の方を向く。
「どうしたの?」
「いや、突然歩き出したから……」
「私もね、どうしてかは分からないんだけど。どうしてもやらなくちゃ行けないのかなって、思っちゃって」
ミアのその表情が彼女と重なる。
遠い昔に無くしてしまった彼女の面影に。
本当に、よく似ている。
そして、不意に脳裏をよぎる疑念があった。この革命は本当に成功するのかどうかという、不安。どうしてか、この革命にはもっと俺の知らない闇があるのではないか。
これから俺は国王の元へ赴き……、殺す。だが、何故か国王の背後にいる邪悪な気配を感じてしまう。その朧気な正体と不透明で空虚な実態に苦虫を潰したように黙考する。そして、しばし推理する。まだ、この革命の表舞台へ立っていない人物。
前国王の妃は、既に病死している。ガンの妻も幽閉生活に精神を狂わせ身を投げたと聞いた。
その子供、ジェイム・ビラガルドはまだこの城のどこかにいるはずだ。それも、探さなければいけない。なにせ新たに建てる国王は彼なのだ。
なら、誰だ。この得体の知れない違和感は。まだ触れていない人物。いや、一度触れたも思考から除外した圧倒的に不可解な人物。
この国に始めからおらず、途中から介入さてきた。それこそ俺がやろうとしていることと同じ、裏で糸を引き行政を牛耳る悪の権化。
その瞬間、引き絞ったボルトが途中でひび割れ折れるような感覚と共に、セアへ言った俺の言葉の一つが蘇る。
――『だがある日、国王は一人の男を国の参謀として雇った。その男が全てを狂わせたんだ』――
……参謀。
これだ。間違いない。俺が、本能的に怯懦し辟易している最大にして未知の存在。
何者だ、その人物は。もし、この革命を狂わせる人物がいるならばその人間しかいない。
未知。その恐怖がいかほどのものか、俺は嫌という程知っている。だからこそ事前にその人物よ探りを入れたはずだが、一切が掴めていない。
不安が押し寄せる。
何故こんなにも急に弱気になるのか。
そんなものの理由は分かりきっている。
もし。たった1人の心の拠り所であるミアが、また。あの日のように俺の元から去ってしまったら。
その恐怖だけが俺を深淵へと突き落とし悪夢を見せる。
ダメだ。次々と襲いかかる悪夢の幻聴に息が絶え絶えになっていくのを感じる。
ミアにはもう好きだと伝えた。これは過去に果たせなかったことだ。
じゃあ、そのあとは?
止めどなく溢れる不安。
それ以上の物を望みたいと本心では思っているのだ。だが、それは許されるのだろうか。この汚れた手が心が、純潔な
「ルナート、気分でも悪い? 顔色、良くないよ?」
その言葉が、俺の理性全てを吹き飛ばしただ徐ろに俺はミアへと覆いかぶさった。ステンドグラスの光が俺とミアの二人を照らす。
おそらく、ここは式場としても使われていたのだろう。二人の愛を、示す場所。神聖で敬虔なる神の場所。
祭壇の目の前で両手を床につける。ミアはもう、全てを受け入れるかのような双眸で俺を見上げる。
唇を引き絞る。
言えば、いいだけなのだ。
例えこの革命がどのような結末を迎えようとも。ミア……、俺は。俺は……俺は……。
心細くなっていく、心臓がきつく縛られるような。そんな感覚。目眩がする、だが、この先ずっとミアといられることができたら。リーダーなんて重しを全て捨てて、ミアと、どこかの田舎でたった二人だけの生活が出来たらどれほど幸せか。
近づいていく互いの顔。触れるかとも思われたその唇をだが敢えてミアの唇から横へと逸らし、耳元へと向ける。
そして、蚊の鳴くような声で俺は全てを――
「……結婚してくれ、ミア。この革命が終わったら、俺と。そして、ずっと……。ずっと俺と一緒に居てくれないか?」
――たった一言の”言葉という道具”に俺の気持ちを全て託し、伝える
――その一言にミアは。恥じることも迷うこともなく
「……はい」
――応えた
そこからミアは、俺がここから弱さを吐露することを見越したかのように。どうして今それを言ったのかと、自分を叱咤する間すら与えることなく、ミアは自らの唇で俺の口を塞ぎ込んだ。愛しい、震える睫毛と吐息が直ぐそばにある。2度目だが、身体が火照るように熱い。
ミアの睫毛に溜まった涙が俺の頬へと零れ落ちていく。
ミアの表情はこれ以上ないほどに幸せそうで、美しく綺麗であった。
俺のこの一言だけでもう、全てが叶ったと言うように――礼拝堂のステンドグラスは静かに俺たちを讃え、照らしていた
⌘ ⌘ ⌘ ⌘
重い足取りで俺とミアは一度城から外へ出て、
「あれ、ルビンちゃんの……っ」
「……のようだな」
王は謁見の間か。それがわかれば後は……。
そう思いながら辿り着いたその重い扉を、俺はゆっくりと開けていく。
ミアとの一連のやりとりでさっきまでの出来事が嘘だったかのようにかんじる。
ただ、ミアと目があうと逸らしたくなる。だが、その度にミアが微笑みかけてくれる。
凍てついた氷を徐々に熱を加え溶かしていくように、ミアのその笑顔は俺の中に永久凍土のように凍りついた彼女の像を少しずつ砕いていく。
開いた部屋は、今まで来たどの部屋よりも質素で薄汚かった。
生活に最低限必要なもの、そして大量の資料、剣、食べかけた残飯が散らばっている。
360度に取り付けられた天窓からは遮る者なく光が入る。
その部屋の中心には1人の少年がいた。
あどけなさの残る表情で、まるで俺たちがここに来るのを分かっていたかのように。
「やはり、ここにいたか。君が、ジェイム・ビラガルドだね」
俺がそう問うと、迷うことなく端的に、だがどこか怯えながらジェイムは俺たちを見据える。
どこか
いや、それが当たり前になりすぎてこの少年は強れているのだろう。
所々ピンとはねた黒の髪を携え、美少年と呼ぶには勿体無いほどの鼻梁と顔立ちを持っている。しかし、それも全て満開の花を摘み取るように長所が消え去っている。
すると、ジェイムは弱々しく応えた。
「そう、です。やはり貴方が」
「あぁ。今回の革命の首謀者であり、レジスタンスの
「あなたの声は、聞こえていました。ルナートさん……ですよね。教えてください。外では今、何が起こっているのですか?」
「この国が、変わっている」
すると、ジェイムは睫毛に溜めた涙を惜しむこともなく流す。
「やっと……。この国が、変わるんですね」
「お前も変革を望むか」
「はい。ずっと父の横暴には耐えかねていたんです。父があんな風でなければきっと、お母さんも死なずに済んだはずなんです……」
そこに秘めた悲しみは、幾度となく押し殺してきたのだろう。まだ心の中で払拭しきれない蟠りがあるのが見て取れる。
「それは残念だったな。だが、そんなことは今はいい。ジェイム、お前はこの革命で最も重要な最期の切り札だ。俺と来い、世界を変えるぞ」
「いきなり……、そんなことを言われても困ります。それに僕に、何ができるんですか」
「兎に角、謁見の間へ案内しろ。そこで俺が王を殺しお前を王に建てる」
「つまり、利用する……と?」
「そうだ。お前の利用価値はそれしかない」
「分かりました……、拒否権はないみたいですね」
「呑み込みが早いな」
「もともと、貴方はここに僕がいると踏んで来たんでしょう? それに飾り物の王を建て参謀が裏で政権を握るなんて話、この歴史の中では山ほどある事案ですから」
そう言うとジェイムは何の未練もないように、壁に立てかけてある腰に剣を
「お二人の名前を、聞いてもいいですか?」
「ルナート・アレクトスだ」
「ミアよ。よろしくねっ、ジェイム君」
「はい……。よろしくお願いします。それではついて来てください。謁見の間はこっちです」
俺たちに振り向き、声をかけると走り出す。
何の目的であそこへ幽閉されていたのか。ジェイムはどんな思いで日々を過ごしていたのか。そんなことを推し量る余地は今はない。
だが、これから謁見の間で行われる戦いは俺にとって最後になるものだ。
必ず、変えてやる。
参謀も、恐るるに足りない。そう言い聞かせておかないと気が変になりそうだ。
並走するミアを見る。こうしてずっと見ていると、彼女のことを忘れられそうで、醜い執着の
忌まわしい記憶が少しずつ剥落していく。
ジェイムは俺たちが元来た道を迷うことなく進んでいく。幽閉とはいえ城の内部構造は熟知しているようだ。
しかし本当に幽閉などという生活をしていたのだろうか。その真偽は聞き出した情報であるため確かではない。
だが、一瞬見せた、あの猟犬のような目つき。
その瞳だけで彼を生かす価値はある。利用することは出来ると踏む。
広場の方から少しずつ喧騒が聞こえてくる。もうすぐ市民も辿り着く頃だろう。タイミングとしてはバッチリだ。
そう思いながらふと広場を見ると、煌々と燃え盛る炎の塊。そして、それに突如、大洪水が襲いかかり消化していく。
あの大規模な交戦。片方をルビンだと仮定すると――
――やはり、いるのだ。この国に。俺の知らない、黒幕が
どちらにせよ、俺を。俺とミアを阻む者は何人たりとも容赦はしない。
階段を登りきり、豪奢な扉の前に立った時には、すでに平静を取り戻していた。
例え緊張しようとも交感神経をむりやりおさえつけて止める。
これで、最後だ。
終わらせる。
憎悪と復讐の連鎖を、俺の弱さを隠蔽する闘いを。
そして、最初だ。
始めてやる。
幸福と安寧の日常を、俺の強さを証明した栄光を。
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