第17話:世界で信じたもの
紋章装填を解除し、鉤爪を投げ捨てる。
次の瞬間には、ヒスワン姉ちゃんを抱き抱えていた。
「スレイアは、強い子ですね。昔はあんなに弱虫だったのに。いまではもう、涙の止め方なんて覚えて……」
俺の周りの冷気がその喘鳴すら、姉ちゃんの命そのものすら凍らせてしまうのでは、と。
もう、話すことは最後になる。そう思えば思うほど思考は動かなくなる。
周りの景色が一切入ってこない。
「あなたと話せるのもこれが最後だと思うと、辛い、ですね」
「まだ助かる、なんて言わない。ゆっくり眠ってくれ、姉ちゃん」
「そう言ってくれると思いましたよ。次は私が脱落者ですか。いつか来るとは思っていましたが、あなたの盾となって死ねるのなら本望ですね」
脱落……。確かに今まで何人も仲間を失ってきた。だけど、だけど――っ
「覚えて、ますか? 私たちが何と呼ばれていた、か」
「もちろんだ。《氷の女王》、《氷の……、番犬》」
その二つ名を口にした時、まるで泡沫が一つずつ弾けるように、記憶が蘇る。
姉ちゃんの”凍結”の紋章で全てを凍らせ、俺の”氷結”で意思を宿す。完璧なコンビネーション、姉弟だからできる。
嘗ては伝説とさえ言われた俺と姉ちゃんも、いまではこの様だ。
すると、姉ちゃんが何かを差し出す。
「”凍結”の紋章石です。あなたに、この紋章を託してもよいですか?」
半分以上閉じかかった瞳が俺を直視する。
息も絶え絶えに窶れきった姉ちゃんは俺の掌へ水色の紋章石を渡す。
「……あぁ」
受け取ったヒスワン姉ちゃんの
姉ちゃんを壁際まで運び、もたれさせる。
もう、既に途絶えそうな息だ。
「……さよなら」
「えぇ。スレイア、あなたが次に私に会いに来るのは……」
涙が舞った。氷結し氷結晶が散った。
「あなたが、しっかり為すべきことを為した時です」
その眩しく哀しい笑顔を見届け……、俺は静かに呟いた。
「”凍結”の紋章。特異能”
ゆっくりと、足元から凍結し、姉ちゃんは氷解に包まれていく。
だがもう、既に姉ちゃんは死んでいた。
何度目か分からない仲間――いや、家族の死に
抱く感情を全て切り捨て。
立ち上がる。決して仲睦まじい姉弟というわけではなかった、だが最後の家族のヒスワンに背を向け、歩き出す。
それと同時に、姉ちゃんを包みこんだ氷解は儚く砕け、背後で静かに散っていった。
瞼に溜まった水滴が、たった……、たったの一滴だけ。
止めることも出来ずに、零れ落ちたような気がした。
⌘ ⌘ ⌘ ⌘
スレイアに砕き割られた欠片は塵芥ほどの粒子となり風に流されていた。
だが、裏路地の一角にて、その粒子は再び集取され合成されていく。
それが作り出すのは、一人の人間。
「おの……、れ。スレ……、イアぁ」
その掠れた呻き声を聞く者はおらず、目の前の頽れた死体のみがこの場を制す。
しかし……と。先程の光景を思い出す。まさか、あのタイミングで命を投げ打ってまで助ける者がいるとは、思わなかった。
光の粒子の合成が終わったのか、少しずつ間隔が戻ってきた。
今回は……、どこを失ったのか。
もろもろの動作をしてみる。変化はない……、いや。
いつもあるはずのものが、ない。
……音、だ。
はは……っ。次は聴力かよ、クソ。
血管は至る所が破裂しているのか血みどろの自分を見て辟易する。
――――
俺が、スレイアのあの技を受ける直前に放った特異能だ。
自身の身体を硝子へと変え、外部からの衝撃にて爆散した欠片を意のままに操るという能力。
だが、使用後、どうしてか身体の細胞のいくつかが消え、どこかの感覚機能が作用しなくなる。不便なことこの上ない紋章だ――――
確か、前に亡くしたのは、何だっただろうか。
……感情、だった気がする。
でも俺さっき、怒っていたよな。
だが、今はそんな事はどうだっていい。スレイアとルナートのことは、後だ。
今は……、今はただ。ガンを……、この手でっ。
殺意を意識すればするほどアイツの意地汚い、醜酷な瞳が浮かび上がる。
影法師のように伸び、引きずられた自らの血を顧みず、ただ
朦朧とした意識の中、走馬灯のように浮かび上がるのは、惨憺たる非情な日々のみだった――
⌘ ⌘ ⌘ ⌘
――聖祖歴3000年、今より15年前。
この日はレピア崩壊から三ヶ月が経った時の話だ――
その日、ビラガルド城の人間は突然、全員が謁見の間に集められた。俺の父親、今でいう前国王が病死し、その遺言を読み上げる為にと、母が徴収した。
そして母は、全員が集まるや否や、すぐさま口火を切った。
「遺言により、次代ビラガ国王はガン・ビラガルドに決定しました」
ザワッ……と、母の言葉に場は騒めくことなく祝福の拍手を送る。
だが、その中で一人だけ。俺だけがその言葉に動揺と怒りを隠せず怒鳴る。
「ちょ……、ちょっと待てよ! 何で弟のガンなんだ、長男は俺だぞ!!」
「静粛にしなさい。ダン・ビラガルド。これは夫……。いや、前国王アイヅリーグ・ビラガルドの決定したことなのですよ」
母の
レピアの崩壊直後、父が病死してから更に冷たさを増した、いや父が死んだ
俺など必要ない、と言わんばかりに。
ずっとこうだ、何が才能だ何が能力だ。それだけで周りから拒まれ蔑まれ嘲笑われ続けてきた。
今、俺は14歳、ガンは12歳という年齢であった。
「兄様さぁ、これはもう決定事項なんだからそうカッカするなって」
ガンが口を開く。国王になって当然だと言わんばかりの顔で。俺の、敗北した表情を舐めるように眺めまわす。
グッ……と、拳を抑える。……いつもこうだ。
弟のくせにいつも俺より上をいく。俺より才能があるからと。いつも俺より高い所から……、見下す。
王の血統の長男なのに……、その周りの人間の言葉を何度聞いてきたか。
父様もずっと俺を出来そこないのダメ息子のように扱ってきた。
何の才能も持たずに生まれてきたせいで親の愛を受けずに育ち続けてきた兄。才能に恵まれ親の愛を一身に受け甘やかされ続けてきた弟。
そして最後に選ばれたのは弟のほうだった。
もうここに兄弟という関係は……、なかった。
――それからガン・ビラガルドによる新しい王政が始まった。
はじめは良かった。
国をしっかりまとめ、父様の遺言に書かれた言いつけを守り国を治めあげていった。
しかしある日、ガンは見てしまった……。公開処刑と言う名の悪夢を。
甘やかされ続け自分の思う通りの道を進み続けたガンにその処刑がどう見えたのかは分からない、だが……、”そこから、全てが狂い始めた”
それから10年。俺は国王補佐の臣官として政治に腰を落ち着けていた。
……だが周りの目は変わらなかった。
能力の無いものが、血統の長男が出来損ないの人間。ただ……、ただそれだけで差別し続けられるのか!!
出来る限りの努力はしてきた。毎日、剣を揮い、書物を読み、ガンの何倍も何十倍も努力し続けた。だけど、失敗する度に付け込まれ地位を落とされ続けてきた。
今、ビラガは他国から奇異の目を向けられている。
外交を拒絶した、異様な処刑国家として。
半年前に鉄鋼業の需要がなくなり滞った。国は経済の潤滑油を失ってからどんどんおかしくなっている。他のニ都市との連携も崩れ、各都市は独立し、もはや国としての体型を持っていなかった。
処刑奴隷制度が出来ているのでは、と噂するものもいた。
当然、そんな国と接触すれば同業国とみなされ他国から距離を置かれ国政は追い詰められるだろう。
ただでさえレピア崩壊の影響で不景気が続いているのだ。
だが……、国の臣官数の減少もあり、臣位はひとまず保留となった。
そして処刑制度は酷さを増し、ガンはどこかの街へ出かけることが多くなった。
だけど、俺にはそんな中、一人の女性がいた。
ずっと、剣を揮っていた俺に、食事を馳走してくれたり、書物をくれたり。彼女の両親も俺のことを我が子のように接してくれた。時には彼女と一夜を過ごしたこともある。
確信していた、願望していた。いつか、ガンを見返し俺が王になった時、彼女を妃に迎え入れると。
どうせ、俺のことなど王族、貴族の興味の範囲にはなく、その彼女と行動を共にしていることを咎められることもなかった。
しかし俺には、ただの一市民であるのに、王族のおちこぼれにそんな施しを与える理由が分からなかった。
だが……。俺の中で、彼女がたった一人、心から信頼できる人間だった。あまつさえ、ずっといられればいいのにとさえ、思っていた。……いや、そうなると心のどこかで確信していた。
彼女がいれば、例え差別されようと、侮辱されようと生きて来られたのだ。
顔を見た瞬間にぱっと笑顔になる彼女のおかげで可愛さで、全部どうでもよくなっていた。
……だが神は、こんな俺には寛容ではなかった。
どこかでは分かっていた。こんな幸せが続くはずがないと。
俺はずっと、惨めに生きる運命にあるのだから。
彼女は、とある処刑の日、ガンに見咎められた。
彼女の容姿に惚れいったのか、あらぬ理由を着せ城に連れ込み、何度も陵辱と暴行を続けいつしか彼女はガンとの子を身篭った。
俺は何も出来なかった。会いに行くこともしなかった、きっと彼女は助けを求めていただろうと知っていたのに。
一度だけ、城の王宮にてすれ違った時。たったの一瞬だけ目があった時。
あの瞳に映っていた感情を読み取ることは、俺には出来なかった。
悔しくもあった、憎くもあった、殺したいとも思った、死にたいとも思った。
俺は、幸せに生きることもままならない。
彼女とガンの息子は城の一室に幽閉されたように閉じ込められた。
……飽きたのだ。
ガンにとっては、惚れ込んだ女を抱き、後継の為の子孫を作る。
それだけの行為だった。
その部屋を一度だけ訪れた時、その時既に、彼女は人として何かを失っていた。
その息子に映った彼女の面影は、儚くも酷いものだった。
人を見る子どもの目ではない。
言葉をまじわすまもなくその部屋から逃げ出した。
殺意。
それだけが俺を動かす原動力であった。それだけが俺に生きる価値を見出した。
彼女が部屋の窓から身を投げ、自ら命を絶ったのは、そこからたったの2日後のことだった――
それから三年後。ある日、街に革命軍が存在するとの噂が入り王宮にて即座に国政会議が行われた。
そこには徴兵した市兵、貴族王族が全員が呼ばれていた。俺はいつしか、臣位を辞職し市兵の立場にあった。
「この中で一名、革命軍へスパイとしての直接介入の仕事を依頼する。報酬は50万
時期国王の権限だと……。
いきなり表れた身も蓋もない噂、存在するのかさえ分からない革命軍にそんなのを賭ける価値があるのか……。場がどよめく、そこら中でヒソヒソと話し声が聞こえる。
もちろん仕事の内容と報酬が割に合うかだろう。
まず革命軍へ入れるか、入ったとしてバレずに続けられるか……。バレたなら当然、即殺されるだろう。
未知の場所へ一人放り込まれるのだ、恐怖でしかない。
そしてガンに取って俺たちは目の前に餌を吊り下げ自分の道具を吊ろうとする卑しい……、人でない人だ。
その頃の俺には、感情の何たるかが喪失していた。殺意に押し潰されそうになっていた俺にとってそれは良いことであったのかもしれない。
しかし、かつて大きく灯り続けた殺意の火種は消えることなく心の奥底で燻り続けていた。
……誰も、手を上げない。
……こういう時は人任せかよ。
そして何人もの視線を感じる。
お前がやれ……、そう周りの人間が言う声が心に鳴り響く。確かに、こういった仕事は何もないおれが一番なのだろう。
……失敗したところで切り捨てるのは簡単なのだから。
……いないほうがいいのだから。
……王家の血統にこびりついた泥を払うことが出来るのだから。
ここで名乗り出たところでこいつらの思う壺だろう。俺だってこんな無謀な賭けに出るほどバカじゃない、けど……。
……面白そうだ。
今まで何も出来なかった俺が見返せるチャンスだ、これを逃せばこんな刺激的なことは二度と来ない。
しかし思考は冷静に働く。そうだ……、あんな報酬あり得ない。おそらく払う気など毛頭ないだろう、捨て駒としてそのまま使い捨てるだけだ。
だけどそれでもこの賭けに乗ってスパイになって……、革命が起きた時、そよ期を見てガンを殺す。
そして、王になって……。
……俺が、お前ら全員見下してやる!
失敗したところで死ぬのが早くなるだけだ。
どうせこのままここにいても惨めに生きるだけだ、それなら……。
「……やってやるよ」
そして俺は運良くレジスタンスに入った。反吐の出るようなルナートの演説。辟易した。
ルナートは自ら国王の命を絶とうとしていた。
こんな奴に殺させる訳にはいかない。彼女もきっと、望んでいない。
ルナートを背後から殺す。
そんなことを自分自身で計画した記憶はない。だけど身体が、本能が勝手に動いていた。
俺の、たった一人の闘いは。
殺意と復讐に囚われた、呪われた人形の末路と運命を。
俺は……、受け入れる訳には――
⌘ ⌘ ⌘ ⌘
想起していた過去は風前の灯火が消え逝くように終わりを迎える。
先に進んだ自覚もないまま、ひたすら匍匐前進を繰り返す。
だが、体は言うことを聞かない。現界していられるのも時間の問題なのだろう。特異能の影響はまだ終わっていないのか身体を動かせば動かすほど、何かが抜け落ちて行っているような。そんな感覚のみが俺を打つ。
たったの二度使っただけで、命を持たせることも出来ない紋章を生まれ持つとは……。つくづく、俺は不幸で恵まれていない。
息も絶え絶えになり、身体を動かすことすら億劫になっていく。
もう……、神は言っているのではないか。
お前の人生は、終わったのだ――と
終わった……、のか。
俺のドブ沼から這い上がるような惨めな人生が。結局、俺の存在を誰かに認めさせることもできずじまいだった。
――俺は、一体何のために生まれてきたんだ?
ただただ軽蔑されようやく手に入れた成り上がりのチャンスでさえ砕かれて……、楽しいことなんてなかった。人なんて信用できなかった。
彼女がガンに連れ去られてから、人に心を開いたことすらなかっ……、いや。
一人だけ、いた。俺が嘘をついてさえ話したあいつ。適当な言葉を並べて、ただの退屈しのぎ……。気を紛らわせるためだけに話した……、はずなのに。
……セアの人生は俺より何倍も過酷な物だった。あいつの語る人生、世界は酷く残酷だった……。けど……っ。
――惹き込まれた
俺と……、どこか似ていた。
愛してくれた人を奪われ、愛した人を奪われ。
望んでもいない運命の渦中に引きずり込まれ、何も持たず、ただこの世界の何たるかを知らず彷徨していた自分と。
この世界に、心から信じられるものなどなかった……。
――身体はいつしか至る所が綻び始め欠片は、粉々に砕けた欠片は塵となり空へ舞っていく
――欠片たちを、血に汚れた自分自身の掌を眺めながら、思う
――そうだ……、俺にはあったじゃないか。この世界で信じたものが。彼女以上に、信じたものが
――自分自身という人間を、俺は信じ続けていた
――何も持たず輝くことなどなかった自分自身には、絶望しなかった
――だから、こそ
『俺はまだ……、死ぬわけにはいかないッッ!! ガンを殺すんだ、俺が……っ。ルナートなんかに殺させやしない。クソ……っ、こんなんじゃ
――何の前触れもなく、唐突に視界は黒くなった
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