第6話:託された世界


 世界って何だろうか……。


 何度も脳内で反芻はんすうする。

 そして手紙を読んでからずっと物思いにふけっていたため、目の前で行われていたことに気がつかなかった。


「喰わねぇの?」

「……えっ?」


 ふいなカカの声に驚く。

 読み終わってから結構時間が経っていたようで、気づけば目の前には簡素な食事が出されていた。

 どこかの山菜と焼いた肉が広げられていて隣でルビンが一生懸命頬張っている。


「セア、手紙……。なんて書いてあったの?」


 口の中でモグモグしながら聞いてくる。

 なんて書いてあったか……、か。

 一言で表せられるものではなかった。

 たくさんの事が脳内で右往左往する、どう整理をつけたらいいのか分からない。


「まとまったらまた教えて」


 こっちの意を察したのか再び食事に手をつける。

 大方なくなりつつある食べ物にちょっとずつ手をつけながら考える。


……母さん。


 母さんとの日常が蘇る。あの日々はもうない。

 ろくに、親孝行も出来なかったけど、俺が生き残りだという事は、母さんは母さんではない……。ということなのか。

 手紙では母さんは俺をレピアで拾ったと書いてあった。母さんはーー俺の本当の母親ではないんだ。

 父さんだけではない。本当の母さんも……、いたんだ。

 だけど、思い出そうとしても全く思い出せない。まるで、何かに阻害されているかのように。

 思い出すのをやめ、黙考を続ける。

 レピアが滅んだのは15年前、だが俺は17歳だ。

 ということは……。俺は、”両親と2年間、レピアで共に暮らしていた”ということになる。

 あの夜……、一体何が起こったんだ。もしさっき見た夢が崩壊の時のものなら、どうして俺は両親に抱きかかえられて死んでいたんだ。

 疑問が疑問を生み、その連鎖は断てない。

 だが、俺はあの夜の真実を知りたい。紋章器を集めた先に、それが見えるのなら……、俺は人生を懸けてでもその真実を知りたい。


 母さんに……、ミレノアの手紙に世界を託された。

 俺にしか出来ないこと……、なのか。

 それにしても、母さんではなかったミレノアとは一体……、何者だったのだろうか。


……自分が、あのレピア崩壊の生き残りだということに、母さんが二人もいるということに、あの夜の見えない真実に、母さんミレノアの死に動揺し混乱している。

 少しだけ、心からこみ上げてくるものに目頭が熱くなる。

 例え、実の母でなくても、ミレノアは俺の母さんだ。母さんは……、死んでないと心の片隅で叫ぶ俺がいた。

 だが、僅かな可能性も、隣で飯を頬張るルビンを見ると全て消し飛んだ。そういえば、ルビンは集落に大技を打ち込んでいた。あれなら……、生きていてら助かるのだろうか。

 高揚感と失望感が相克し、混濁した精神を懸命に抑え、気持ちを切り替えようとする。

 いつまでも陰鬱になっていてはいけない。それこそ、母さんに前を向け、と言われそうなものだ。


 悲哀を無理やり押しやり、これからのことを考える。

……少しだけ、ワクワクしていた、この世界を救うそして変える。

 そんな大それたことより大きな冒険が待っていると思うと無性に楽しみになってくる。


 何せ全てが初めてなのだ。

 俺の人生を賭けて世界を巡ってその中で運命とやらを受け入れる。

 その先に何があろうと……。


「んだよセア、ニヤニヤしやがって」


……カカの一言で台無しになった良い感じの雰囲気の喪失感を埋めんと返事を返さず肉を頬張り、どこから仕入れて来たのか分からない粗雑な馬乳酒アイラグを飲み干す。

……口の中で両者は一時相克するも、互いに互いを認めたように縫合し口の中でとろけていく。なかなか美味い。


「それじゃっ、私もう寝るねっ!」


 すると、突然ルビンが寝転ぶ。

 食べてからすぐ横になるとポークになる……。いや、ビーフになるぞといいかけてやめる。

 一応ルビンも女の子だ……、紋章とは言えど。

 いつの間にやら用意してあった寝具を下に引き横になる、そのまま寝る体制になる。


「なんかテンション高いな、ルビン」

「だってヒトの姿で寝るのは初めてなのよ! 気持ち良く眠れるってカカ様も言ってたから楽しみなの!」


 そう言ってウズウズしながら横になる。

 これはちょっと間寝れないやつだな……。


「ちょっとセア、あんた私が寝るまで見てるつもり?」


 なんか変態でも見るような目でみられ軽く傷つきながらそろっと立ち上がる。


「なわけないだろ! ちょっと外出てくる」




 そう言って洞穴から外へ向かう。

 細長い通路を抜け外に……。


 サァッ……。


 風が、吹き抜けた。

 バサッ、髪がなびく。

 長く生えた草の感触が、足に伝わる。

 澄んだ空気を、胸いっぱいまで吸い込む。

 辺りは、一面草原だった。

 そして夜空の天板には、満点の星たち遍(あまね)き広大な大地を藍色に染める。

 こんな荘厳な景色……、初めて見た。


「……すごい」


 なんて……、綺麗で壮大な世界なんだ。

 この世界に、向かって大声で叫びたい衝動に駆られる。

 一気に色んな事が起こりすぎて、心が安定しない。

 母さん……。

 思い出そうとすると涙が溢れそうになる。

 それを抑え「ポジティブ、ポジティブ!」と言い聞かせながら、思い切り息を吸い込み……。


「ぅぉぉぉおおーー!!!! 俺はっ、この世界で!! 生きるんだッッ!!!! 薄っぺらかった人生に……、俺の生きた重みを乗せるんだ――っ!!」


 夜空の天板に向かって、空よ裂けよとばかりに叫ぶ。渺茫びょうぼうとした平野一帯に、俺の声が響き渡る。

 全てを吐き出し、少しだけスッキリしたような気がした。


「それにしても、広いな。この世界は」


 そう呟くと、ふいに後ろから声が聞こえる。


「大声がしたかと思えば……、誓いか。あとセア、言っとくがこの世界はお前が思ってるよりももっと広いぜ」


 黄色い髪をたなびかせ、少し笑みを浮かべながらカカは歩み寄る。

 そして二人は夜空を見ながら話し始める。


「何百年って長い間生きてきたが未だにこの世界は分からないことだらけだよ」


 その表情は、どこか哀愁に満ちていた。この目は、何を見てきた目なのだろうか。


「お前さ……、これから旅に出るんだろ?」

「そのつもりだけど」

「フッ……。それなら驚くことがたくさんあるだろうな。……なあ、セア。これは俺の頼みなんだが、一緒にルビンもその旅に連れてってくれねぇか? あいつは今までずっと一人だったんだ。一緒に旅してあいつに世界の素晴らしさってのを教えてやってくれないか」

「ルビンを……? もちろん、いいぜ。それに俺一人じゃ何かと不安だし」

「だろうな。それにあいつには漂霊紋ひょうれいもんになって世界を彷徨さまよう以前の記憶がないんだ」

「漂霊紋?」

「あぁ……、言ってなかったなーー」



――――漂霊紋。

 紋章は人間が肉体と精神、両方の死を迎えた時、紋章は主の体を離れる。

それから新たな生命の誕生を見つけるために世界を放浪している紋章が漂霊紋だ。

 紋章が新たな主を見つけた時その生命の誕生と共にその肉体に宿ると言われている、まるで一種の精霊のように。

 しかし紋章器は主を探そうと漂霊紋となろうとしているところを無理矢理取り込んでしまう。

 だから、紋章器が出現したことで紋章そのものの均衡が崩れつつあるそうだ――――




「ま、そういうわけだ。ああいう人型になれる紋章も稀(まれ)でな、俺もあのタイプは初めて見たんだ。あいつも謎が深いぜっ?」

「まっ、そんなもん俺が全部暴いてやるさ」


 ハハハハ……ッ。

 お互い笑い合う。

 カカはイタズラ好きの無邪気な子供のような笑顔を向けながら地面に座り込み足を延ばし同時に両手を後ろにやり支えにする。

 見た目はほんとに幼い子供のようだがその実、色んなものを見て、背負ってきているのかもしれない。


「そういえば手紙の話だが……。お前紋章器集め、するのか?」


 紋章器集め……、か。

 手紙によると、この世界は天・魔・人界郷に分かれているそうだ。

 だけど今、その均衡は壊れつつあり三郷すべてを巻き込んだ聖戦が起こると言われている。

 そして聖戦が起こると間違いなく人界郷が初めに滅ぶ。

 それを止めるためには紋章器を全て集める必要がある……。と、母さんの手紙には書かれていた。

 母さんは、どこまで世界のことを知悉(ちしつ)しているのだろうか。


「俺は……、やろうと思う。それが、俺が人生の中でやるべきことのような気がするから。俺一人の人生でこの世界を救えるなら、自分の人生なんて喜んで差し出すよ」

「そうか。かなり修羅の道になるけどな。まあ、一回の人生だ、人間は寿命が少ねぇんだから好きなようにやればいいさ」


 人間の寿命……、か。

 まるでカカが人間じゃないみたいな言い方だ。

 少し冷たい風が気持ちいい、不安や恐れすべてを吹き流すかのように優しく体を吹き抜ける。


「お前はまだこの世界のことを何も知らねーから分かんねーだろーが、今の世界、俺は結構気に入ってる。まあ今でこそ崩壊で経済はメチャクチャだが、聞いたとこによりゃ王が集って戦争の計画も立ててるって話だ。だけどな、平和すぎて何も起こらなかったあん時より、今の方がずっと楽しいんだよ」

「俺には……、分からないな。世界の事なんて何にも知らないから。やっぱり15年間あそこで過ごして、得たものなんて雑多な知識と技術。後は……」


……家族。揺るぎないはずの日常。そして……。


「……居場所」

「そんだけ得てりゃ、充分だ」


 カカはそう言って見上げた夜空に、まるで独り言を言うように語りだす。


「俺もな、ミレノアから言伝の手紙をもらってたんだよ。自分がしっかり刀を託してお前を旅立たせたら俺のとこに来るように言う予定だったらしくてな。しっかり世界に旅立たせてやってくれって書いてあったんだよ。足りない知識も突っ込んで思いっきり背中を押してくれって、な」

「やっぱり会ってたんだ」

「まあ、な。ありゃ確か、崩壊の次の日の話だ。突然、赤ん坊のお前と手紙を俺に預けて1日滞在した後去っていた。不思議な人間だった。どこか、魅力的だったしな」

「母さんが、俺を拾って……。カカは俺の本当の両親を知ってるの?」

「……知らねーな」

「そっか。でも、俺にとってはミレノアが、母さんだ」


 広大な天板に張り巡らされた星々は点滅を繰り返す。


「聖戦も世界も、分からない事だらけだ。これからの事を考えたら、不安でしかない」


 正直、聖戦を止めるためなんて言われても、はいそうですか。と旅の目的に出来るはずなどもない。


「聖戦、か。まあありゃ、簡単に言えば天界王、天神と魔界王、魔神が人界郷でガチの喧嘩をおっぱじめたっつー話だ。結局は最終戦争で天神オリュンポス達の神罰シュトラーフェとルシフェルの死によって終わったはずだ。ま、今じゃ創世記なんてもんに大量の装飾つけて語られてるが、ありゃぁ唯の地獄だよ」

「人間は、どうなったんだ?」

「8割だ。新生した途端に8割。逃げ回るだけで何とかなるわけでもねーからな。本来、天神やら魔神と同数のはずだったがそこらで見てる神が創り方でも間違えたんだろ。人間は決定的に弱すぎた」

「そんな。でもルビンには、もう聖戦から3000年経ったと聞いたぞ」

「その聖戦がもっぺん起きるんだ。おそらく、レピア崩壊を機に、な。そいつを止めれる可能性があるのは、今んとこお前しかいねぇってだけじゃねーの」

「はは……っ、いきなり全人類の命運を背負わされたのか、俺。何か、全部嘘みたいな気がするよ」

「だといいがな。ま、人生をかけるって意気込みは嫌いじゃねーがな」


 カカは寝転んでいた体勢を起こす。


「ま、こんな過去の話なんて俺らにゃどーでもいーんだよ! この世界は今、確実に歩を進めてる。その内俺の見解じゃ図りえないようなどデカイ事が起こるさ」

「どデカイ……、こと?」

「あぁ、例えば全世界を巻き込んだ戦争……。とかな?」

「戦争って。それじゃあ結局、人は……」

「死ぬさ。どの時代でも結局人間バカ共は常に同じ種族が死ぬことを欲している。まとまらずバラバラの思考でな。そういうぶっ飛んだ訳が分からなさが俺を彷彿とさせやがる」

「でも、やっぱりそれを良しとしない人もいるんじゃないか? バラバラなのも、まとめあげる人がいないからなんじゃ」

「そう。そうだよ、そこだよ。今のこの世界には王がいない! レピア王が死んで、各国の王に権力は分散されたはずだが今なお世界情勢は大きく動いている! 何より各大陸で最も強い権力者達が息を潜めて覇権を狙ってるんだからな!」


 すると、カカは爛々と目を輝かせる。


「いいかよく聞け! 今の世界はまさにバトルロイヤル状態! ハクラン大陸の《第六天魔王》織張おわり信王のぶきみ! ディルヴィア大陸の《偉大なる帝王》ハールー・バッ=ザシード! カナビシ大陸の《劉皇叔》劉漢りゅうかん! パルディア大陸の《聖騎士王》ペンドゥラム・アーサー!! こいつらだけじゃねえ。全世界の王が今も力を蓄えて来る戦争に備えてやがんだ! それにほぼ全員が紋章器使い! もうワクワクが止まんねえよ!」


 興奮して語るカカの表情は、初めて身長相応の子供らしさが溢れ出していた。よほど好きなのだろう、声のトーンが強い。

 まくしたてるように言われたため、しばし言葉に詰まるが。


「すごい……」と感嘆の吐息を零す。確かに今、この世界は大きく動き出しているのかもしれない。


「本当、羨ましいよ、お前が。こっから自由に好きなだけ色んなとこに行けんだからな。俺ぁもうここでチマチマ入ってくる情報で想像するしか出来ねえんだからな……」


 カカの表情が悲哀さに転化していく。

 かける言葉が見つからず逡巡していると、カカはそれを吹っ切りながらまた夜空を見上げて人知れず呟いた。


「ぜってー、見てやるからな。この世界の全てを」

「カカ……。いつかまた、お前に会えた時、世界の色んなことを話してあげるよ」

「ふっ……。そりゃ楽しみだ」


 すっかり夜のとばりも落ち再び眠くなってくる。


「セア、お前もそろそろ寝ろよ」

「わかった」


 俺はそう言って洞穴に戻ろうとするが。


「っと、そうだ待て。今日はここで寝な。ちぃとばかし寒いが火魔法ファイムがあるから何とかなる。野宿の訓練もしとかねぇといけねぇだろ。見張りは俺がやっとくよ」


 まるで寝なくても平気かのようにそう言う。


「それじゃあ……、お言葉に甘えて」


 草をしとねにし、横になる。

 草がしんみり冷たい、植物特有の香りが鼻をくすぶるが直ぐに慣れる。

 まるで俺を包み込むかのように草原は静かに夜の風にうたれる。





 そして俺は、ゆっくりと瞼を閉じていった。


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