第3話:赤く染まった世界の中で


 入り口が壊された後。いくつか間を置いて、もう一度ドゴッとなったかと思うと家が崩れ去る音が地響きと共にやってくる。


「母さん……、どうしてっ!?」


……抜け道の中で叫ぶ。暗く、重く反響していく鈍重な自分の声のみが行き先を示す。俺は、その暗闇の道をただ這い進む。


 いくらかすると、今は使われていないであろう井戸の底へとたどりつき目の前にある取っ手を伝い地上に出る。どうやら俺は井戸の底に通ずる水路を通っていたらしい。

 15年もここに住んでいたのにあんな抜け穴があるなんて気付かなかった。

 木製の取っ手に汗と泥に塗れた手を滑らせ、落ちそうになるが踏みとどまる。頭が再び、ホワイトアウトし耳鳴りが脳を押しつぶそうとする。

 ポケットの中から少し熱を感じるが今は気にしている場合ではない。

 目の前の家……、確かここはベルツさんの家だ。

 そういえば昔から仲がいいと言っていたがそういうことか。

 家の縁を辿り辺りを見回し誰もいないことを確認すると、半ば闇雲に東の方へ走り出す。刀は手に持ったままだ。

 先ほどの母さんの言葉が脳の中で繰り返される。


 だが突如、「少年を一名発見! 直ちに捕獲します!」と、大声を出しながら一人の兵士がこちらにやってくる。

 もうちょっとで集落を抜けられるのに、と思いながら焦りを抑える。

 青年か、まだ若さが残るその顔を裏に勢いよく剣を振りかぶってくる。


「クソっ、捕獲じゃないのかよっ?!」


 咄嗟とっさに手に持った刀を抜き放つ。

 初めて戦いで抜く刀はまるでずっと前から使っていたかのように手になじむ。


 刀のしのぎは黒に近しい紫色に鈍く光り、刃は対照的に夜にも関わらず白い輝きを放っている。

 つばの少し上のはばきには鎬と同色に光る宝珠が埋め込まれている。禍々しいオーラの漂う刀アマユラに戦慄を覚えると同時にとりこにされたかのように見とれる。

 ウィルさんに色んな武器を見せてもらった事があるがこんなに綺麗な物は初めてだ。


 しかし迫りくる剣を前に思考を瞬時に切り替え、青年の右上方からの袈裟けさ切りをその軌道に合わせて弾く。

 汗と泥が飛沫し、一瞬だが青年と目が合う。

 それと同時に金属音と摩擦音が耳鳴りのように広範囲に鳴り響いた。

 初めて……、人と本気で戦う。

 手が……、震えていた。

 だけど、臆するな。


 シミュレーションは、今まで何度も……、やって来たッ!


 相手も、少し震えている。青年も実践は初めてなのだろうか。

 青年はぎこちない右払いの剣を繰り出す。それを一歩引いてかわし、着地と同時に右足を強く踏ん張る。

 右足を軽く捻り前へ飛び出す。

 そのまま刀を左から横に一閃。


 だが、青年も俺の攻撃を見切っていたのか先ほどの俺と同じように後ろへ跳躍しこれを躱す。

 青年の瞳が揺れている。

……恐怖だ。

……これは、命のやり取りなんだ。

 死にたく、ない!


 草摺くさずりしていた左足で砂利を踏み下し思い切り前方へ飛び出す。紫苑の閃光をはためかせ、未だ慣れない刀を斬り上げる。

 これ以上ないというほどに力を込めたその一撃を青年は華麗に裁く。摩擦が火花を打ち鳴らしスパーク音が轟く。

 鎬を削りながら、鍔迫り合いの間合いを開ける。

 だがその時、不意に青年の使う直剣のエッジに滑るように月光が流れ込み、青年が一瞬だが目を眩ませる。

 その瞬く間の瞬間に刀を引き半歩下がり、身体中の捻転ねんてんを利用し低姿勢をとり旋回。


「……くそっ!!」


 そう言った時にはすでに遅く、俺は青年の直剣を弾き飛ばしていた。青年が宙を舞う直剣を見ながら呆然としているそこへ。

 完全に開いた喉元。

『自分の得物に夢中になりすぎだ。敵と戦う時は、必ず目をそらすな』

 昔、シザン師匠が俺に言った言葉を、俺は胸中で反芻はんすうする。

 それじゃあ、斬ってくれと言っているようじゃないか……。


 その思念を振りまき勢いを殺さず、青年の喉を一思いに斬る。

 肉を、骨を断つ感触が身体中を震わすと、ばっさり開いた喉から大量の鮮血が飛び散る。

 錆びついた鉄の臭いが鼻腔を叩き、視界は赤く塗り潰される。


 初めて……、人を殺した。


 何なんだ……、この感触は。


 拭えない、恐怖の涙。忘れられない、殺人の感触。


 しかし今はそれに怯えている場合ではない。すくむ体を無理やり抑え、恐怖を噛み締める。

 地に倒れた名前も知らない青年は、怯懦と驚愕そして憎悪と怨嗟の眼で俺を見ている。

 俺を呪い殺そうかというその眼に、両手に着いた血がべっとりと張り付いていくような感覚を覚え、罪悪感に拘束される。


……やめてくれ、そんな眼で俺を見ないでくれ。


 そして逃げるように走り出す。だが、景色が眼に入らない。

 さっき見た青年の顔が脳内に現れる。眼光には赤い血を迸らせ、大きく開いた口、獰猛な歯が俺を喰らいつこうと――


「ゥうぁぁあァ”ア”ァ”ァ”ァ”ァ”ア”ア”っっ!!」


 頭から離れない。

 やめろ、やめろやめろやめろ!!!!

 俺の中から消えろ!!

 手に持った忌々しい刀を地面に投げつけたいという欲求に襲われる。

 こんな人を殺す道具モノ……、いらないっ!!

 だが、これは母さんが最後に託した物だ。

 二つの感情が胸中で葛藤し、相克する。


 すると青年の死体から淡く光る一粒の塊が追いかけてき、今にも捨てようとした刀の取っ手にある小さな宝珠の中に吸い込まれる。


 一体これは……と、思う前にはもう集落を抜けていた。

 流した涙と血と汗を集落に残し、消え去った集落の日常の記憶すら忘却し、振り向かず、ただ俺は縺(もつ)れた足を無理矢理に動かし前へと歩を進めていった。





⌘  ⌘  ⌘  ⌘





 集落を抜けてから全力で走った。

 息は切れ、何度も立ち止まり咳と吐瀉を繰り返しここまで来た。こんなに走ったのは初めてだ。

 追っ手が来る気配はないが、振り向けば今にも視界に俺を殺そうとする人間がいるような気がして。ただ、ひたすら前を見て走る。

 

 集落からこんなに離れたのは、成人記念にルザナリアへ行った時以来だ。

 俺の知らない世界の景色をゆっくり見たいという欲求に強く狩られるがそれを抑えひた走る。


 だが……、突如背中に激痛が走る。

 口元に溜まっていた唾が吐き出され、地面の草を濡らす。そう思うと次は、何か赤い物が流れる。

 血、だ。自分の……、血。

 

 これは……、矢なのか。すると、抵抗する間もなく2本3本と次々に刺さっていく。

 痛い……っ。

 激痛が身体中を駆け巡る、骨が木槌で粉砕されるようだ。

 意識は遠のき、今にも途絶えようとしていた。


……ここまで、なのだろうか。


 諦観ていかんが波のように胸中へ押し寄せてきたその時、空を裂かんばかりの赤い閃光が走り世界を赤く染める。

 夜空の黒を引き裂きながら、赤い軌跡が流れる。


「メテオスキルⅩVⅡ! ヴォルガニック・プロメテウスッ!!」


 先ほどまでひたすら黙っていたルビンが突如大声で叫ぶ。

 いつも聞いていた可愛らしい声などではなく、鼓膜を切るかのような金切り声だ。

 すると、天空から赤い軌跡を残し、大きな岩のようなそれは、とてつもない速さで集落を襲う。

 おそらくあそこにいた人は全員死んでしまっただろう。 

 これじゃあどっちが集落を襲ったのか分からない。

 しかし燃え盛る集落を背景にルビンが叫ぶ。


「そんなことより早く走って!」


 く……、そっ。

 そんなこと出来るならそうしてる。

 動かない足……、いうことを聞かない身体。

 そのままその場に立ち止まる。

 人生で、こんな痛み経験したことがない。痛みと混乱で、気が変になりそうだ。

 そういえばポケットの熱はこれを放つために力を溜めていたのか。

 あぁ……、なんだよルビン。

 その技、俺も使ってみたいよ。生きていたら、だけど……。


 だけど、あんな技を見た今、もしかしたら矢傷くらい回復してくれるのではないかと心の片隅で期待する自分がいた。


 だが……、何かの発射音、滑空音、飛来音が俺の耳を過ぎった瞬間、膨大な爆裂音が耳元で炸裂する。

 それと同時に背中が焼き切れるか……、のよ。


「ァ”ア”ァ”アヅアヅい熱い熱い熱い熱い熱いぃぃぁぁぁあ!!」


 魂消たまぎる絶叫は無情にも虚空をつんざくのみで、救済の手は差し伸べられない。

 気づけば全身に火が周り筋肉が骨が肉が細胞が他人が小動物を千切るように、簡単にブチブチ灼き千切られるような激痛に見舞われ、ただただ悶え狂う。


 アヅいあつい熱いアツイアヅイ!! 

 脳が身体がグチャグチャにとろけてしまいそうだ。

 視界で燃えている炎が集落の物なのか自分の物なのかすら判断がつかない。


「嘘よ?! あんな飛距離でこの威力の火魔法ファイムの炎圧弾なんて?! やめて……。やめて、セア! 死なないで!!」


 ルビンの声が俺の耳に届くと、ドンドンと痛みと熱さが消え意識だけになっていく。


 何なんだ。

 くそ……、このまま死ぬのかよ。

 俺はただ、あの集落から飛び出せず、何も世界を見ないまま死んじゃうのかよ。


 嫌……、だ。

 もっと、見たいのに! 本に乗ってたような、広い世界を。

 死にたくない……、死にたくない!!

 ほら、死ぬ間際の走馬灯も流れやしない!

 俺には何の思い出もない! ただ、動く人形のように毎日同じことを、あの箱庭で暮らしていただけだ。

 こんな人生で終われるか、こんな呆気なく人間の人生が終わってたまるか、こんな後味の悪い死に方があるか、何なんだ何なんだよ何だったんだよ! 俺の人生ってのは!!

 カッコ悪すぎるだろ無様だ惨めだ情けない! 情けない!! 


 同じ言葉が次々と脳内を流れ無限にループし苦しみと痛みがいつの間にか心を締め付ける鎖に変わる。


 畜生……、父さんのことも何にも知らない。ルークス集落しか俺は世界を知らないんだ。

 身体の感覚がなくなり、全身が昇華したかのような気がしてならない。

 俺が死んで誰が悲しむよ。ほら、集落のみんなだろ?

 たった一人の子供だからと、可愛がってくれていた。

 だけど……、そんなみんながどうなったのかも分からず、母さんは死んだ……っ!


 悔しい……。何も、出来ないのか。

 ずっと、修行してきたのに、何も。


 ルビンが語ってくれた世界で活躍する自分の姿を、いつしか俺は想像していた。憧れていた。

 カッコよく、モンスターや悪人と戦い、信じ合った仲間に背を任せ、この世界で生きたいとずっと夢見ていた。

 だが、その姿を思い出そうとすると灼けるような感覚と共に黒く染まっていく。

 どんどんと意識が遠ざかっていく。


 ダメだ……、終わらないでくれ。


『はは……っ、けどっ、こんな薄っぺらい17年間の人生だったんだ……。こんなのが続くくらいなら、死んだほうがマシだっぁ!」


 今にも消え入りそうな、嗄れた声で何処へともなく俺は叫ぶ。

 だけど、心の奥底では分かってる。

 この言葉は違うと。

 薄っぺらいからこそ、これから分厚くなっていくはずだったんだ! そうしていきたかったんだ!!

 熱さはいつの間にか消え去り、込み上げてきた感情は喉元でセーブがかかる事もなく虚空に向かって悲痛な叫びが腹の底から噴き出る。

 黒い……、黒い俺の叫びが。


『俺はまだ死にたくないんだ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ助けて誰か助け、い……ァ”ア”ァ”ァ”ァ”ァ”ア”ア”!!』


 だが、無慈悲で冷徹な神は俺のその願望を意に介さないというように消え入り黒くなっていく景色が止まらない。

 そのまま落ちるような感覚と共に、意識は暗闇に引きずり込まれていった……。

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