第2話:日常、世界より消え去り




 俺は、無我夢中で走り出していた。

 毎日当たり前のように見ていた光景が、今は見る形もなくほとんどの家が焼けただれている。

 その光景は日常は戻ってこないと思わせるには十分だった。

 きっと、火事だ。

 そう思っても、心の何処かでそれは違うと反駁はんばくする。

 盛り場まで辿り着く。売り物は燃えている。

 かつて物資の交流場として活き活きとしていたここも果物が破裂し散乱し、いびつに歪んだ調度品が足元に無数に転がっている。


 すると、視界の先に武装した二人の人間の姿を捉える。何かを話しているようだ。間違いなくこの集落の人間ではない。

 咄嗟に物陰に隠れ耳を澄ませると、二人の会話が辛うじて聞こえる。


「リストの人間は全員収容した。あとは老人一人、女が二人……、ガキ一人だ」

「ったく。面倒くせえな。とっとと攫ってかねえと」

「だな」


 その会話に俺の心臓が震え上がる。

 収容? 攫う?

 この前ふと訪れて半日ほど滞在した旅人の吟遊詩人に、ルザリア国、ビラガ国付近で人攫いが出没していると聞いたことを集落長が集会で言っていた。俺は間が悪く直接その人には合わなかったが信憑性は高いらしい。

 そんな人攫いが、こんな田舎の人間を攫うというのか?

 でも、人攫いなら大丈夫だ。みんなはまだ生きてる、どこかに隠れている……。と、自分に言い聞かせ安心させようとする。

 とにかくここはやり過ごして、何とかしないと。


 焦る心を抑え、息を吐く。

 とにかく何処かへ行かないと。

 そう思いながら立ち上がろうとすると立てかけてあった木材が倒れ、けたたましい音を立てる。


「そこか!!」


 そう言って二人は俺の方に向かってくる。

 こうなったら……。


 逃げるしかない!


 そして俺は堂々と大通りを突っ切る。一瞬だけ二人と目があうも直様、反対側の脇道へ入る。

 背後から追いかけてくる気配に俺の足へさらに急げと掻き立てる。

 入り組んだテントと家々を駆け巡る。何度もイタズラして逃げ回ってきたんだ。追いかけっこで負けるはずがない。


 息が切れそうだ。

 家まではもうすぐのはずだ。

 足の皮が千切れ、焼けただれた煤(すす)が鼻腔(びくう)を叩き呼吸困難に陥りそうになる。

 急いで服の端を破り口元を抑える。喉が渇いた。

 早く……っ。


「ちょっとセア、どこ行くの!?」


 ポケットの中からルビンが焦ったように叫ぶ。


「そんなの……、家に決まってるだろ!」

「待って、危険よ! ここで隠れてたほうが……」

「母さんが、まだ家にいるはずなんだ」


 ルビンにそう言い放つも正直あまり期待できない。

 目の前に燃え尽きた家の支柱が倒れてくるのを前転しながら避け、家へ向かって真っ直ぐに走って行った。


 胸から何かが込み上げてくる。……くそ。まだ、泣いちゃダメだ。

 火が煌々と燃え盛り、視線を下げながら走る。

 見たくない。嫌だ……。認めたくない。

 明日からまた俺の日常は続く、これはきっと悪い夢だ。


 俺の家が見えてきた。そこまで燃えている訳ではなく、入れないこともない。

 二人は完全に撒いた。そこまで複雑な道ではないが遠回りした甲斐あってか二人の気配はない。そのことに少しホッとする。

 家の前をよく見るとドアの前に誰かがいた。


「ベルツさん!」

「セっ、セア君!! よかった、無事だったのね!」

「ベルツさんも……。それにしても一体何が?!」


 ベルツさんはそれに答えるより先に俺の手を引き扉を開けながら家へと入り、同時に家のかんぬきを閉めると一気に息を吐き出す。

 簡素な木の閂で扉を固定しただけだがこれで少しは安心できる。

 自分の家に帰ってきたという安堵感が胸を満たす。

 見慣れた玄関、木造りでできた簡素な家だが住み慣れたその景色はこんな状況下でも優しく俺を包むような気がした。

 すると乱れた息を整えていたベルツさんが口に出す。


「……ごめんね、私も何も分からないの。私、少し散歩してて……。そしたら見たことのない人たちが何かを運んでるのが見えて、怖くてテントの幕を被って息を潜めていたらいつの間にか集落が……、も、もえ」


 ゲホッがはっ!! と、ベルツさんが突然吐血する。


「大丈夫?!」

「う……、うん。でも良かった、セア君が無事で」


 きっと一人でひたすら逃げていたのだろう……、俺のように。

 なぜこんな時間に俺が外にいたのかは聞いてこなかった。きっと思考がそこまで回っていないのか、それとも……。


「取り敢えず、セア君はここにいて! 私は村長の所に行ってくる! 緊急時は全員、村長の所へ集合する約束だったから! ミレノアがもしいたら機を見て私達のところへ来て!!」


 そう言いながら潤んだ瞳を俺に向ける。

 もう一度、一人で行くのが怖いのだろうか。

 大人として、行かなければいけないという使命感と恐怖心の狭間で戦っているのか。

 ギリッ……。と唇を引き結び震える拳を開いて、閉じる。

 ベルツさんの一つ一つの動作から感情が滲み出る。


「それじゃあセア君! 先に行くから!!」


 そう言って留め木を外し扉を開け――





「――こんばんわぁ」




――その低い声が、一瞬の静寂を掻き乱しながら鼓膜を震わした


――あいつら、俺たちが家から出てくるのを待ち伏せて?!


 すると、ベルツさんが目一杯の力で扉を閉め抑える。

 俺は腰が引け尻餅をつく。

……立ち上がれない。

 怖い……、怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖いっ!!


 扉を殴打し二人の男が開こうとするのを必死にベルツさんが食い止める。ベルツさんの体は震動し、追ってきた人たちは扉が砕けるのではというほど強く開けようとする。

……怖い。

 ベルツさんが、決死の表情で俺を見る。

 恐怖だろうか、それとも後悔だろうか。

 ベルツさんは、一度強く目を閉じ……、見開いた。


「セア君……っ。逃げ……って、早――」


――奇怪な音を掻き鳴らしながらベルツさんの胸を剣が貫く。必死に閉じていた扉とともに


 俺は、生暖かい血の洗礼を洪水のように受ける。

 腰を抜かし、ただ何もできずにベルツさんを凝視する。


――ベルツさんの胸から剣が引き抜かれると同時に死体が頽(くずお)れる音を残響にただ……、見上げる


 扉がゆっくりと開き、傲然と俺を見下ろす

 ベルツさんの表情なんて、見なくても分かる。

 驚き……。そして唐突な死と恐怖。

 どんな思いで死んでいったのかなど考えたくもない。


「ぁーぁ、殺さないって約束だったのに」

「一人くらい構わんよ、替えはいくらでもきく。……さて、坊や。私たちと来たま――」


 その声が終わるより早く、本能的に身近に置いてあった桶を取り中の水を思い切り吹きかける。

 それが見事に二人の顔にかかると同時に走り出す。

 食卓の扉を開け通路を塞ぎ、立てかけてあった竹箒を走りながら全て倒す。


 逃げなきゃ……っ!!

 隠れなきゃ……っ!!


 俺の心は……、冷え渡り……、冷(れい)……、静(せ)。


 ッ”ゥ”ァ”ア”ァ”ァ”ァ”ァ”ア”ア”ッ”!!


 声にならない声を叫びながら家の地下の樽部屋を目指す。

 それしか、思考にはなかった。隠れる、そしてやり過ごすんだ。

 炎が迫ってくるがその中をひたすら突き進む。それにもしも母さんがいるならそこしかないからだ。

 あそこには母さんに何度も頂戴、とせがんだあの刀もあるはずだ。


 食卓を抜け母さんのベッドをのけ、凹んだ箇所に手をやり開ける。入り口は人一人が入るには充分の広さなのでそのまま梯子を降りる。

 一段一段が長い。

 手にかけると同時に手汗で滑り落ちそうになる。


 そして、そのまま転げ落ちるように地下の樽部屋に降り立つ。

 必死に見渡す……。

 母さんが部屋の奥、オーク製の樽の間に隠れていた。

 ベルツさんのことを遠忌の記憶として懸命に忘却させようとする。

 そんなことをしていると、母さんが俺の存在に気づく。


「セア! 無事だったのね?」


 ベルツさんと同じように俺の身を案じ裏返った声をかける。


「母さんこそ……」


 安堵のため息を吐いたのも束の間、上から声が聞こえた。


「ぉぃぉぃぉぃ、どこに隠れてるのかなー?」

「見ろよアレ」

「んー? ぁーれは……」


 ギコォっ、と地下につながる扉を開ける。

 床に固定し、できる限り見えにくくしていたはずだが……、ばれ――


 「か……」


 母さん! と言い終わる前に口を塞がれる。

 しぃーっ、と言いながら唇に手を押しやる。


 ふと母さんの隣に目線がいく。

 そこにはどこから取り出したのか大振りのハンマーと、父さんの形見の刀が立てかけてあった。

 すると、母さんは慣れた手つきでハンマーをお担ぎ上げその重い口を開く。

 いつもつけているバンダナが今はすすで薄く汚れ焦げ茶色に変色している。


「いい? ここはアタシが足止めしとくからそのうちにあんたはその抜け穴から逃げて。地上に出たら真っ直ぐ東へ向かって走って。そこに、一人の少年がいる。その子に出会って」


 危機迫るように言う母さんの言葉に思考はついていかない。少年って誰だ、説明省きすぎだって。

 そして母さんが指差す方を振り返ると壁に人が一人入れるほどのちいさな穴があった。

 どうやら抜け道はあそこのようだが、ハンマーを含め今までこの樽小屋で見たことがなかった。 


 母さんの持つハンマーは至る所に金の鎖が巻きついておりまるで封印されているかのようだ。

 柄頭には龍の装飾が施(ほどこ)されている。

 そして母さんは俺がいつも欲しいとねだっていた形見の刀を手に持ち俺の目の前に差し出す。


「よく聞いて。この刀は……、あんたに託す。この刀は紋章器……。

 【神器を喰らう妖刀アマユラ】

……これを手にすれば避けられない運命が待ってるわ。運命なんて大それたもんだけど、あんたなら大丈夫。渡さないって決めてたけど、こりゃもうどうしようもないね」

「母さん……。なんだよ、その最後みたいな言葉」


 すると母さんは俺に微笑みかける。


「あんたの母親を15年も出来て……、本当に良かったよ。あんたはもう、自慢の息子だ」


 思考がついていかない、そんな咄嗟に色んな事を言われたら頭の中がグチャグチャになる。ただでさえこの状況に脳が追いついてないのに。

 運命とか、かっこいいこと言ってんなよ。

 そんなこと言われて、はいそうですかと行けるわけが……。


 そう思うも無理矢理、刀を押し付けられる。

……違う、これは俺の望んでいた受け取り方じゃない。

 母さんもきっと、きちんと渡したかったんだろう。


「見つけた。手こずらせるな、早くこい」


 灰色の服を着た男が二人、剣を構えながらこちらにやってくる。考えている時間はない。

 なんとか、しなければ……。戦わ、なきゃ……。

 勇気を振り絞り、なまりのように重たい足を前へと引きずりだそうとした途端。


「早く行きな!」


 力強く……、母さんに背中を押される。


 足は反対側へ……、逃げる方へと進もうとする。

 こうなったら……、行くしかない。


 そのまま振り返り姿勢を低くしその小さな抜け道へ入り込む。

 四肢を使い、抜け道を這いずりながら進む。渡された刀は、手に持ったままだ。


 すると、抜け穴の入り口が母さんのハンマーによって破壊された。地響きとともに上から土砂が降り積もり、勢いよくほこりを被る。

 入り口が見事に塞がれていく。

 当たるかとも思ったが、まるで落ちる土砂まで調整されているかのように見事に衝撃は俺を避けた。

 穴から漏れる僅かな光が完全に消えようとしたその時……。





「信じてるよ……」




……と、最後にそう聞こえたような気がした。


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