第1話:世界に一人



 静かだ……。


 風が颯爽と吹き抜け、天然がかった黒髪が揺れる。


 空は、世界に邪悪などない、と言わんばかりに澄み渡っている。


 俺はここ。ルークス集落の中心、ルークス集会所で日課の剣の修行を終え、一人大の字に寝転がっているところだ。

 静かな空に吸われるような感覚に、世界にはもしかしたら俺一人しかいないんじゃないだろうか、などと途方もない思考に老け始める。


 俺……、セア・ルークスはこの集落ただ一人の子供だ。

 まあ、子供とはいえもう17歳だが……。


 この集落には何故か俺以外に20歳より下の子供や青年がいないので、こうして子供のいない集落でのんびり過ごしている。


 何となく小鳥のさえずりを頭の中でもう一度流す。

 そういえば、そろそろ昼飯時だ。

 母さん……。ミレノア・ルークスはなかなか短気なので、遅れると昼飯抜きなんてこともありえる。

 そう思い立ち上がり、集会所から西へ歩く。


「セア〜! お前まぁ〜た、ちゃんばらやってたのかぁ? お前の家、働き手ミレノアさんしかいねぇんだから、しっかり働いて親孝行しろよなぁ〜」


 辛気臭い様子で30代半ばのおっさん、レオンおじさんがからかい半分で声をかける。

 口髭を揺らしながら快活に笑う、これでも集落の用心棒で村長と仲が良い。それに昔、建築士だったらしく、よく家の修理などをしてくれる。


「ちゃんばらじゃないって言ってるじゃん! だいたい余計なお世話だよ!」


 いつものように言い返してから、再び歩き出す。手に持った木剣を弄びながらのどかな集落を一人歩く。特に高い建物もなく平地の上に木造の家を建て木の柵で囲っただけの簡素な集落だが平穏でとても住み心地がいい。


 西へふと目をやると山々が連なり、そのなだらかな稜線から冷たい風が流れ込み俺の頬を叩く。

 太陽は天頂に差し掛かっていて、その光がこの季節の寒さを程よく緩和する。

 あぁ……、太陽が眩しい。

 その光を遮るように手をかざしながら、ノンビリと集落を歩く。15年間も住んでいるので、辺りの風景は丸暗記するほどに覚えている。

 道すがらの盛り場は今度の隊商キャラバンに備え既にいくらか売り物が並べてある。きっと俺も昼から手伝わされることになるだろう。


 簡単な柵で囲われたこの集落の周りは田畑で埋め尽くされており、レピア崩壊の影響で需要の高まった食糧を三圃式さんぽしき農業で何種類も育て、それの売買で生活しているので生活に不自由はない。

 今日の昼飯は何だろうか。

 そんなことを考えながら俺は、軽快なリズムを刻みながら帰宅の途につくのだった。





 ようやく家にたどり着く。

 香ばしい焼き魚の香りが鼻腔をくすぐり、扉を開け住み慣れた木製の家へ入り、靴を片方ずつ脱ぎ捨て木剣を立てかけながら入っていく。

 そのままガタッ、と使い古された扉を開け椅子を引きながら食卓に座る。

 母さんはまだ俺が帰ってきたのに気づき「おかえり」と声をかけながら、料理の盛り付けを鼻歌混じりに続けている。


 

 母さんはもう32歳だというのにその若々しい表情に老いはない。

 長い金髪を艶(なまめ)かしくとかしながらスープを煮込む、グツグツ、という沸騰音が食欲を掻き立て、滴りそうになる涎を飲み込む。

 窓からは太陽の光が差し込み、いつも額につけているバンダナがフリフリと揺れ少しだけ淡く輝く。

 これがまた母さんは毎日同じ薄い黄色の布を使っていて、それがお洒落じゃないと気づいたのはつい最近のことだ。


 すると、母さんがようやく俺の存在に気づく。

 どうでもいいけれど、この家は俺と母さんの二人暮らしだ。父さんの話はこの家では触れてはいけない話題になっている。


「母さん、ご飯まだー」と俺が椅子を揺らしながら声をかけると「もう出来たよ」と言いながら母さんは振り向きながら昼飯を運ぶ。

 盆に載せられてくる食事に再び涎が出そうになるのをこらえながら足を揺らして待つ。


 今日の昼飯はいつもと同じアテイナおばさん御用達のイワシの白身魚と、ハクラン大陸から渡来してきたお米、そしてナンプラースープだ。

 母さんも俺の前に座り、昼飯を食べ始める。

 木でできたこの円卓には至る所にシミがついていて住んできた年月と風流を醸し出す。


 いただきます、と手を合わせ箸を手に取り食べ始める。箸は成人になったらマスターしていて当然であり出来なければ恥であるという風習があることを聞き、俺が成人一年前の15歳の時に集落全体で使う事が推奨すいしょうされた。

 目の前に座る母さんは集落一の美女と評されているが毎日見ている俺としてはそんなことを微塵も感じない。


「もうちょっとお塩効かせた方が良かったかな?」とイワミの白身魚を頬張りながら首を傾げる。

 無駄に丁寧に取られた骨を皿の端に寄せながら、この前の定期隊商キャラバンから買い込んだバビントンの紅茶を飲む。


 ちなみにこの集落はメルシナ大陸の最西端、ルザリア国の北付近に位置する小さな集落だ。月に一度来る隊商を通して政令都市である臨海都市ルザナリアへ米や薬草などの農作物を売って生活している。


「そういえばセア、最近ちゃんとスターヴさんに文字の読み書き教えてもらってる? 最近話してないから分からないんだけど、他の都市じゃこれくらいの年齢の子は一か所にまとめて勉強させてるってよく聞くから心配で」

「やってるやってる。というかずっと前にレピア語はマスターしたって言ったじゃん! 最近はみんなの持ってる本をいろいろ読ませてもらってるよ」

「それならいいんだけどねー」


 そんな日常会話をしながら空になった俺の茶碗を見て母さんは「おかわり?」と訊く。

 今日はそんなにお腹が空いていないので「いや、ご馳走様」と言いながら食器を片付ける。

 食器といえどもかなり安物なので煩雑に、汲んできた水で洗いタオルで拭きながら食器棚に戻す。

 手を洗いながら、午後に水の汲み変え……と。頭の中にメモをしながら再び席に着く。

 飾ってあるお気に入りの鉄の古代人形が目につき、何となく向きを変える。

 母さんも食器を片付け、再び俺の目の前に座り、お互い落ち着いたところで、俺はいつもの質問をする。


「……でさあ、母さん。その……。いつになったら俺にあの刀、くれるんだよ?」

「まったその質問かい……。あんたもえらくしつこいねえ。いつも大人になったらって言っているでしょう」


 母さんは今までと全く変わらない言葉で返す。

「まだ諦めてないのかい」と露骨に表情に出しながら大きく伸びをしながら立ち上がる。


 またもらえなかった……。全く、いつになれば大人と認識されるのだ。

 成人の16歳はもう過ぎているというのに。しかし、それを口にすることはなかった。




――――刀。

 それは、随分昔に俺が地下の酒蔵で見つけた綺麗で豪壮な刀のことだ。俺はそれを勝手に見たこともない父さんの形見として認識している。

 母さんはどうやら、その刀を大人になってから渡すと決めていたみたいだ――――



 だがまあ、先に見つけられてしまえば元も子もない。

……隠す場所が悪いんだ「まだまだ甘い」と脳内で罵倒しながら、席を立つ。



 あの刀を振るために3年前、剣術を学ぼうと元兵士長だったというシザンさんに弟子入りした。

 だけど半年前に死んでしまい、一人で木剣を振るっているなんて毎日を繰り返している。


 まあそのうちもらえるかと開き直り、家を出て行く。

 午後はレオンおじさんに言われたからではないが、しっかり働いた。

 農作の取り入れに次の隊商(キャラバン)がくるまでに売り物の整理をし、村長の家を掃除し母さんの荷運びを手伝ったりした。塊村かいそん形態の集落ではそんなにする事もないので夕方になると自宅に戻る。


 昼飯時が終わった集落はいつものようにみんな、元気に楽しそうに生活していた。







⌘  ⌘  ⌘  ⌘






 その夜、俺は母さんが寝静まったタイミングを見計らって、そっと部屋を抜け出し階下へ降りる。

 そして、母さんが寝ていることを確かめ外へ出る。

 冷たい夜風が肌を裂くのに顔をしかめる。あたりは夜の帳が落ち、静寂につつまれていた。

 キィーン、という静寂独特の耳鳴りを抑え、俺は真っ直ぐ南へ走り出した。






 数分ほど軽く走り、辿り着いたのは住む者のいなくなった廃屋。そして古ぼけた扉をゆっくりと開け、いきなり広がるダイニングであろうそこに座りこむ。

 ギィっ……。

 古ぼけた床板の音に心臓が跳ね上がりそうになるのをおさえる。

 月明かりが外れかけた窓から入り込み淑やかなコントラストを生み出す。

 そして部屋の真ん中、暗い一室に一際明るく輝く”それ”に声をかけられる。


「また、来たのね?」


 可愛らしい声が耳に優しく溶けていく。


「また来たよ、今日も何か話聞かせてよ」


 にっこりと笑いかけながら眼前の神秘的に光る少女……。なら良かったのだが残念ながらその声の持ち主は、赤く光る宝石――ルビンと名付けたその宝石にせがむ。

 その石は一ヶ月ほど前からこの廃屋のダイニング、その中央に置かれた机の上に居座ってる。もちろん正体は不明だし、どうして宝石が喋っているのかなんて聞くだけ無駄だろうということは出会って2日くらいで理解した。


「今日は確か昨日言ってた迷宮塔ダンジョンタワーの話じゃなかった?」

「まったくもう……、仕方ないわね。そうね……。まずは迷宮塔っていうのは紋章器の保管庫のようなものでね、最上階にいる塔龍タワードラグーンと戦って、宝玉を壊せば紋章器が授けられるの。でもまあ、迷宮塔なんてものがあるからモンスターがこの世に蔓延まんえんしているんだけど……」


 さりげなくルビンは話し始める、声は宝石の内部で何度か反射して届いているからか微かな摩擦音が混じる。

 ルビンの放つ紅色の光が暗い廃屋の中を淡く灯す。


 ルビンはかなりの物知りで、集落の誰も知らないような事を一杯知っている。俺も集落のみんなから雑多な知識を詰め込められているがルビンのはこう……、もっと未知なものだ。

 だから、こうして毎夜通って世界の色々な話を聞かせてもらっている。

 ルビンの話はいつも興味深くて面白く、狭い集落の中で育ってきた俺にとってこの上ない楽しみだった。


 それにしても、レピア崩壊の後突然現れた迷宮塔。

 それに挑戦し瀕死ひんしの状態でようやく踏破したというのに、この世界に襲性生物……。モンスターなる物が溢れ出した。

 そのモンスターがこの世界で繁殖し、住み続けているなんて……。皮肉なものだ。


 モンスターのもたらした被害もレピア崩壊の二次災害として多大なものになっている。

 いきなり現れたのだから当然まともな対処などできなかった。


……やはりそれほどまでに、あの一夜の崩壊は物凄い影響力を持っているのだ。

 しかし人間の対応力は大したもので、たった1年という期間でモンスターという概念に慣れ討伐法や生態の研究も進み、その存在が日常になっている。


 でも、崩壊以前にも似たような攻撃性のない生物なら大量に存在していたからモンスターへの対応も早かったのかもしれない。

 レピア崩壊については以前、ほぼ唯一しっかりとした世界情勢を知っているイーリスさんに教えてもらっていた。たった一度だけだが、こっそりルザナリアの図書館の世界地図を模写したという本を見せてもらったこともある。世界地図には……、とても惹かれたのを覚えている。


「セア! あなたちゃんと聞いてるの!?」


 ルビンが怒気を含ませながら叫ぶ。宝石なので叫んだかどうかはハッキリと分からないが「聞いてるよ」と答えようとした途端――


――聞いたこともない破壊音と共に廃屋の窓ガラスが吹き飛び猛烈な熱気が押し寄せる。


「ちょっと、何この音!?」


 混乱し怒気のかさを一気に萎ませたルビンを咄嗟にポケットにしまう。石の中から外の様子が見えているのかはやぶさかではないが、とにかく今は音の正体を確かめないといけない。

 そう思い、俺は急ぎ足で外にでる。


 慌てて飛び出し集落を見渡すが辺り一面はいつの間にか火の海と化し、家は業火に包まれ、空は赤く染まっている。

 自分の家へと反射的に駆け出す。






 一体……、何が起こっているんだ――





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