第6話 片輪車

妖し乃商店街唯一の診療所、久喜診療所の一室で今、一組の男女が不自然に熱の籠った室内で欲望の戦いを繰り広げていた。

この部屋は普段は圭奈が休憩や待機に使っているため、あまり人に見られることは無い。


「ダメっ大角…!そんなことしないで。ちょっと、本当にダメだったら。あっ。」

「いいだろ、圭奈。こんなのもう我慢できないって。お前だって本当はわかってるんだろ?」

先程からこんなやり取りが続いている。

圭奈は自分の大切にしてきたものを簡単に他人に奪われるのをよしとせず、対して俺は圭奈の弱い所を責める快感に、もはや抑えきれない欲望が限界を迎えようとしていた。


「んな、何やってんだぁああっ!!」

そこへ突然、ハナが部屋の入り口を力いっぱいに開いてそのまま飛び込んでくる。

「ひ昼間から、あああんた達そんな、そんな……えぁ?」

それっきり硬直してしまったハナに俺から声をかける。

「おーハナか。なんだ、お前もやるか?」

「ちょっと大角、私は嫌よ。ハナなんか混ぜたら一気につまんなくなるんだから。」

そう言ってコントローラから手を放して不機嫌そうに言う。

「そう言うなって。この手のは大人数でやった方が面白いんだって。」

さっきまでプレイしていたゲーム機をリセットさせて圭奈を説得する。


そうしている間に硬直から回復したハナがぎこちなく質問してくる。

「え…じゃあ、さっきのそんなことしないでってのは?」

「私の陣地に大角が経済封鎖を仕掛けようとしてきたことにだけど?」

プレイしてたのは『ごっつぁんシティ』という、いわゆるボードゲーム系で、相手の妨害をしながら自分の資金を増やしていくというオーソドックスなものだ。


「大角の我慢できないって…。」

「圭奈の奴が防御系のカード持ってなかったから攻撃したかったからだが?」

このゲームの発売自体は大分昔だが、色んな機種でリメイクがされており、今でも一定の人気を誇っている。

俺は子供の頃からやりこんでいるので、まだまだプレイ経験の浅い圭奈には負ける気がしなかった。


「な…なぁーんだぁ、そうだったのかぁー。はぁー焦ったぁ。」

そこまで話すとハナは腰が抜けたように床にへたり込んでしまった。

「なんで焦ったんだよ?俺達はゲームしてただけだぞ。」

俺が言った言葉にギョッとした顔を浮かべて、明後日の方向を向いて真っ赤な顔をしている動揺を隠せないハナ。

「えっ!?いや、まあそれはだって……あんな声で…。」

「あんな声ってどんな声よ。」

「う、うるせーっ!もうその話はいいんだよ!とにかく!変なことはしてないことはわかったからよしとする!!」

徐々に小さくなっていくハナの声に圭奈が尋ねるが、それに反応したハナはバッと顔を上げて大声で捲し立てる。

ゲームをしていただけでここまで騒ぐとはハナもよくわからん奴だな。


「そういやハナはなんでここに?なんだ、腹痛か?拾い食いはよせとあれほど―」

「あたしはそこまで食い意地張ってない!ちゃんと見極められる!」

大丈夫そうなら食う気ではあるんだな。

「そうじゃなくて、あたしは大角を呼びに来たんだって。今日は山の方に出るんだろ?磯部のおっさんが待ってるよ。」

言われて時計を確認すると、すでに約束の時刻をかなりすぎており、相手を待たせてしまっていた。

圭奈のとこで少し遊んでからでも間に合うと油断したのがよくなかったか。


「うわ、しまったな。ちょっとゲームに熱くなりすぎたか。圭奈、あのこと頼んだぞ?」

「はいはい、わかったからとっとと行きなさいよ。」

しっしと手を振って俺を追い出そうとする圭奈に言いたいことはあるが、今は急いで出た方がよさそうだ。


さっさと診療所を後にして商店街の通りを駆けていく。

「大角!あたしも一緒に行く!」

後ろから圭奈の声がかかったので、ついでに疑問に思っていたことを聞く。

「そういえばハナ、お前よく俺が圭奈のとこにいるって分かったな。誰かに聞いたか?」

「ううん、匂いで。」

普段なら診療所に近寄らないハナが俺の居場所を特定できたのはそんな理由だったか。

こいつの種族を考えるとおかしくはないな。


「……俺って臭うか?」

一応中年に分類される俺としては普段から体臭には気を使っているが、ハナが俺を見つける位に特徴的な匂いがするということが少し気になる。

とりあえず自分の体をスンスンと嗅いで見るが全く分からない。

まあ体臭ってそんなもんだが。

「大角はなんかミカンみたいな匂いだよ。あとちょっとお酒の匂いも。」

俺の方を向いて匂いを嗅ぐ仕草をするハナの言葉に少し首をかしげてしまう。

酒の匂いはともかく、ミカンはなんでだ?

石鹸とか家の中にはそんなもの使ってないのにな。


そんな疑問を抱えながら、商店街の入り口にある俺の店の前まで着くと、待たせていた相手が店の前のベンチから立ち上がってこちらを向いた。

190㎝近い身長に髭が生えた顔も相まって熊のような男だ。

「なにやってたんだ大角。10時に待ち合わせだったろ。もう11時だぞ。携帯にも出やしねぇし。」

そう言って腕を組んでこちらを不機嫌そうに見ている男は磯部英一いそべえいいちという男で、俺と同じ雇われの商店街相談役の一人だ。

と言っても常に商店街にいるのではなく、時折発生する仕事を一緒にする程度で、今日もいつも通りの仕事で合流してきた。

ちなみに携帯は店に置きっぱなしだった。


「すまんな、ハナちゃん。わざわざ呼びに走らせちまって。」

「いいってば。どうせ暇だったし、それにすぐ見つかったから時間はかからなかったからね。」

そうは言うが、ハナも本当は仕事があるはずだから、それを止めてまで走らせたのには俺も少し悪い気がする。


「ハナ、呼びに来てくれて助かった。そのうち何かの形で礼はするからな。」

「期待しないで待ってるよ。んじゃ、あたしは家に戻るから。じゃあねー大角、磯部のおっさん!」

手を振りながら後ろ向きで走り出し、離れたところで反転して一緒に来た時よりも速い速度で去っていった。


「あ、おい!ハナちゃん!俺はまだ29なんだってば!29歳はまだおっさんじゃないんだよー!」

去っていくハナの背中に向けて言う言葉は全く届くことなく、通りにただむなしく響くだけだった。

まあ俺も昔はそう思っていたからな。

30越えた時の衝撃はでかいぞ。


「おい、磯部衛いそべえ。もういいからとっとと出発するぞ。」

磯部衛に声を掛けながら店のシャッターを下ろし、本日休業の札を掛ける。

「言っとくが出発が遅れるのはお前のせいなんだからな。あといい加減その磯部衛って呼び方止めろよ。磯部か英一のどっちかでいいだろ。」

商店街のすぐ外に止めてある磯部衛のRV車に乗り込みながらそう言ってくる。

「磯部衛の方が呼びやすいって。それにそっちの方が格好いいと思わないか?」

「全く思わんな。ほら、出発するぞ、シートベルト。」

キッパリと否定されてしまい、反論する気も起きず、シートベルトを締めたのを確認して磯部衛の運転で車がユックリと発進した。


今日俺が向かっているのは車で30分ほど山側に走った先にある霧咲きりさき美術館だ。

市の郊外整備計画の一端として昨年完成したばかりで、寄贈された品はほとんどが近隣から寄せられたものが多く、郷土色の強い展示が魅力となっている。

「そんなもんだから怪異にまつわるヤバい品もあるんじゃねーかって、雇い主が気にしてるみたいでよ。んで、俺と大角でちょっと行って調べて来いってさ。」

見た目にそぐわない繊細な運転で目的地へと向かう磯部衛から、ことの成り行きを説明された。


俺達の雇い主からは時々こんな風に依頼じみた仕事の任され方をされる。

未だに雇い主と合ったことのない俺達だが、こうして与えられた仕事はやりがいのある物ばかりなので、特に不満も無くこなしている。

「前の時みたいに裸で廃屋に残されるのだけはごめんだぞ。」

「だっはっはっはっは。あの時は驚いたな。狐に化かされるのは初めてでいい経験だったと思わんか?」

以前俺達は山深い場所にある廃屋に妖怪が出るとう連絡を受けて調査に行ったのだが、向かう途中に泊まった旅館が実は幻覚で綺麗に見せかけられていた件の廃屋で、妖怪の対処に慣れた俺達があっさりと妖狐に化かされて驚いたものだ。


あの時を思い出して苦い思いに唸っていると、ようやく目的地に着いたので、駐車場に車を止めて俺達は館内へと入っていった。

新しいだけあって館内は綺麗な物で、入ってすぐ下へ降りる階段となっており、その下の広大な空間には展示ケースに収められた美術品が並べられていた。


入場料を払い早速端から順に見ていく。

「んじゃ霊視は頼むぜ、磯部衛。」

「おう、任せとけ。大角も何か気になったらすぐに教えろよ?」

そう言って突然瓶底眼鏡を掛けだした磯部衛だが、これは別にふざけてるわけではない。

例の雇い主から支給されている道具で、掛けていると妖気とか霊気とかいったなんだか怪しげなオーラが見やすくなるもので、こういった調査の仕事の時には活躍している。


もちろん俺も支給されて持っているが、主に磯部衛だけしか掛けない。

なぜなら格好悪いからだ。

というのは冗談で、実は俺には体質的に合わないようで、確かに霊気・妖気を見ることは出来るのだが目に入ってくるオーラの感度が高すぎて負担が強くなって目が疲れてしまうのだ。

一応雇い主にはそのことをメールで伝えて、眼鏡を返還しようとしたのだが、そのまま持っているようにとの言葉に従っている。


基本的に調査というのは地味に時間がかかる仕事だ。

霊視は磯部衛に任せて、俺は霊視以外の視点で異変を探し当てるという役割分担になっている。

正直最初は磯部衛に大事な所を任せているようで心苦しかったのだが、磯部衛本人は気にしていないようで、今はこの役回りに俺自身も慣れてきている。


磯部衛が展示ケースを覗いていく後ろに付き、俺も一緒に展示品を見ていく。

特に俺の目にはおかしな点は映らなかったが、先行していた磯部衛が立ち止まり、追従していた俺はその背中にぶつかってしまった。

体重差のせいで磯部衛は揺るぎもしなかったが、俺は少し後ろによろめいてしまった。

そのことに文句を言おうとしたが、一点をジッと見続ける磯部衛に気付き、俺もその目線を追った。


「大角、あれはまずいぞ。かなり強力な妖気だ。」

アクリルの展示ケースの向こうに鎮座していたのは直径1メートルほどの大きな木製の古びた車輪だった。

俺の目にはオーラは見えないが、磯部衛の緊張したような固い声色から相当やばい物らしいと推測できる。


「車輪の妖怪か?てことは『朧車おぼろぐるま』?」

「いや、あっちは牛車の形でいるはずだから、こいつは多分『片輪車かたわぐるま』だ。」

磯部衛の口から出た片輪車という言葉に、俺は聞き覚えがないため説明を求めようとしたが、それよりも先にここの館長に話を通しに行く必要があるということで、学芸員の女性を捕まえて案内してもらった。

初めは俺達(特に瓶底眼鏡の磯部衛)を訝しんでいたが、切羽詰まった様子で緊急事態を訴えてくる姿に負けて、渋々とだが館長室へと案内してくれた。


部屋に通された俺達は応接セットに腰かけて館長と対面していた。

60歳ほどの頑固そうな外見の館長は、その見た目に違わずやはりこちらの提案を受け入れてはくれずにいた。

「―というわけで寄贈された品に問題があるようで、すぐに我々に引き渡して頂きたい。」

一応妖怪云々の辺りは伏せて、それっぽい理由として年代測定の不備で再測定を行うということにした。

「だから、そういうことはできないと何度言ったら分かるんだ!ここにあるのは郷土史的に見ても貴重な物ばかりだ。渡せと言われてどうぞとはいかない!」

いきなり来てそんなことを言う熊のような大男が怪しく感じないわけもなく、館長の拒否の返事もわからなくもない。


「ですから、今回は本当に緊急事態でして、…おい、大角。お前もなんか言えよ。このまま俺だけで説得は無理だぞ。」

俺に小声で話しかけてくる磯部衛だが、俺だってただ黙って座ってたわけではない。

「もう少し時間を稼げ。今メールを送った。直に連絡がある。」

さっきまで俺がやっていたことを理解しているだけに小さく舌打ちをするだけに抑える磯部衛に館長が話し合いの終わりを切り出す。


「ともかく!そちらの言うことは受け入れられない。さあ、帰ってくれ―」

館長の言葉が終わらないうちに、室内に電話の音が鳴り響く。

不機嫌の頂点だった館長はそのままの感情で電話に出てしまう。

「はい、こちら霧咲美術館館長室……は?」

そのまま電話の向こうと会話をしているが、その表情が段々と狐につままれたようなものへと変わっていき、電話を終えた後にはどこか納得のいっていない顔の館長がそこにいた。


あの顔は俺達も何度も見てきた。

こういう風に公的な色の強い場所だと融通が利かない場合があるのだが、そこのトップに話をつける際に俺達の雇い主へメールでそのことを伝えると、どこからか連絡があり最終的に許可される。


「今回は特別に知事からの要請と保存会の方からの許可が下りたので認めるが、あくまでも特例だと思うように。」

「ええ、もちろんです。用が済み次第直ちに返却させていただきますのでご安心ください。磯部衛、急ごう。」

未だに困惑の色が抜け出ていない館長の言葉に定型句の保証の言葉を返して、俺達は館長室を後にした。


既に連絡は行っていたらしく、学芸員たちの手によって展示ケースがは開かれており、例の車輪がパレットに乗せられてフォークリフトで持ち上げられていて、後は運び出すだけとなっていた。

車輪のでかさから100㎏近い重さはあると踏んでいたのだが、気を利かせてくれたのか、美術館側がフォークリフトを用意してくれたようだ。


「大角、俺はトラックを借りてくる。お前は搬入口にフォークを動かしておいてくれ。」

それだけ言い残して磯部衛が走り去っていった。

残された俺はフォークリフトを使って車輪を運び出す。

学芸員の一人に搬入口へと先導してもらいながら進むと、外へと続く扉から出た所にこちらへ荷台の尻を向ける形でトラックが向かってきた。

すぐに磯部衛がトラックから降り、荷台のあおりが下されたのに合わせて車輪を積み込んだ。


そのまま磯部衛はトラックを、俺は磯部衛のRV車に乗り込んで出発した。

万が一に備えて俺はトラックの後方に付き、荷台に注意を払いながら付いて行く。

お互いの連絡手段にイヤホンマイクを使ってやり取りを行っているが緊張感が沸かず、雑談をしながらの移送になってしまう。


昼を大分過ぎた郊外の道は交通量もあまりないため、スムーズな移動ができるのがありがたい。

「磯部衛、運び先に連絡はしたか?」

『ああ、美術館を出る前にな。いつもの安倍の爺さんの所が受け入れてくれたよ。』

こういう怪異関連の訳アリの品を詳細に調べるのには周囲に危険が及ばない場所で且つ十分な広さが必要だ。

調べている最中に突然正体を現して暴れられるケースも少なからずあったからだ。

そういう点では意外と人里離れた山奥とかが適しているのだが、街中からそういう場所までのアクセスには意外と苦労する。

そのため、街中で作業をすることが多くなるのだが、それにはやはり協力者が必要で、磯部衛の言った安倍の爺さんというのもその内の一人だ。


安倍晴十郎あべせいじゅうろう

街中に広大な土地を所有する資産家で、昔から妖怪と関わりの深い一族の当主で、嘘か真か、あの伝説の陰陽師『安倍晴明あべのせいめい』の末裔だと言われているらしい。

70歳ほどの見た目にグラサン・アロハとファンキーな老人だが、政財界に未だに強い影響力を持っているようで、時々選挙の応援演説とかで見かけることもある。


そんな人だけに、住んでいる自宅の庭だけでもサッカーができるぐらいに広さもあるので、こういった時には受け入れてもらうことが多い。

本人もこの手のことには非常に協力的で、よく俺達の調査作業を見に来ることもある。

「あそこなら問題ないな。まだ夕方まで少し時間があるけど、ちょっと飯でも―」

買っていこうかと言おうとして驚愕に口が動かなくなる。


『大角?飯がどうか―「磯部衛!奴が起きたぞ!」っなんだと!』

荷台で横に倒されていた車輪が急にぐらりと立ち上がって、車軸の辺りからぬぅっと髭面の達磨顔が浮かび上がり、周囲をぎょろりと見渡す。

トラックを見ていた俺と目が合うとこちらへと転がって来る。

荷台のあおりが閉じられていたので、そこに乗り上げる形になりバウンドしてしまい、俺の運転する車の後方へと飛んで行ってしまった。


「磯部衛、奴が逃げた!ちょっと運転が荒くなるから、先に謝っておくぞ!」

『まて大角!俺もそっちに―』

磯部衛の言葉を聞く暇も惜しみ、車を強引にUターンさせて片輪車を追う。

律儀にも道路の上を走る片輪車に、やはり車輪の本能として整備された道を選ぶものなんだなぁと不謹慎にも感心してしまった。


先程から磯部衛が何か言っているが、それを気にしている暇はない。

既に車の速度は100キロに迫るほど出しているため、他に気を配る余裕もない。

そのまま走り去ろうとする片輪車の左側面に車を並走させ、説得を試みるが、すぐに無駄と判断する。


妖怪の中でも理性のあるタイプと本能に支配されているタイプがいる。

今回の片輪車は後者の様で、見分け方の一つとして黒目が二重に重なり合っているのがそうだ。

そのまま横付けしていた車を大きく左に一度振り、勢いをつけて一気に右に向かってハンドルを切る。


ドンという音と同時に車体が片輪車に当たり、一緒になって道を外れて脇にある林へと突っ込んでいく。

同時に磯部衛の絶叫も聞こえたが、それどころではない。

舗装されていた道から一気に荒れた土剥き出しの地面を走った為、車が大きくバウンドしてしまい、制御に手一杯になる。

そのまま片輪車をくっつけたまま進み、林を抜けた先にあった水を張っていた田んぼに車ごと突っ込んだ。

またも磯部衛の絶叫が響く。

だから先に謝っておいただろう?


エアバッグが出た運転席から何とか這い出すと、林の向こうから磯部衛の運転するトラックが猛スピードで向かってくる。

田んぼから抜け出て、無事のアピールをするために手を振って知らせる。

俺の目の前にトラックが急ブレーキで止まり、泣き顔の磯部衛が降りてきた。


「大角、てめぇ…やりやがったな…今回のはなぁ、買ってまだ1カ月だぞ!?」

「いいじゃねーか、どうせ保険きくんだろ?」

すごい剣幕で泣きながら怒る磯部衛に一応慰めの言葉をかけておく。

俺達の仕事にはこういった危険もあるので、車が損壊することも今回が初めてではない。

前に車を壊したことを根に持っているとは、意外とケツの穴の小さい男だな。

「お前がしょっちゅう壊すから保険会社が詐欺を疑ってんだよ!」

なんと、そんなことになってるのか。

それは少し不憫になってきたな。


「大体お前は自分の車じゃねーからって雑に―大角っ!」

会話の途中に突然叫んだ磯部衛の声に、反射的に左へ大きく飛び跳ねた。

一瞬前まで俺がいた場所を猛スピードで駆けていく影があった。

影の行方を追うと、そこには片輪車が立っていた。

どうやら俺を轢き殺す気だったらしく、血走った眼でこちらを見ている。

車から受けたダメージが多少はあるようで、車輪の外枠の部分に削れた跡と罅が見て取れる。


もしあのままあの場所に立っていたら、交通事故並みの衝撃で弾き飛ばされてただでは済まなかっただろう。

磯部衛も同じように避けたようで、俺とは少し離れた場所で膝をついている。

アイコンタクトでお互いに別の方向へと駆けていく。

いつも通りに、どちらかに向かってきた妖怪を奇襲で倒す手で行くつもりだ。

今回は片輪車のターゲットは俺のようなので、囮は俺が引き受ける。

案の定、片輪車は磯部衛の方へは見向きもせず、俺を目指して一直線に向かってくる。


夕暮れまでに片を付けないと、妖怪の力が強まってしまい、ますます手に負えなくなる。

とっとと倒さないと被害は俺達だけで済まなくなるかもしれない。

時間との勝負にいつになく焦りが強まってきた。

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