第7話 回る縁

木々のまばらに生える林の中を走る影が2つ。

片輪車に追われて走る内に、林の中へと逃げ込んでしまったようで、走りにくいことこの上ない。

「ガカカカカカ!」

それは追う側も同じようで、先ほどから差が縮まることが出来ずに、いら立っているような声を上げている。

段差や木の間隔の狭い所を利用して追いつかれないように工夫している。

ただ俺の方はいつまでも体力が続くわけでもないので、この追いかけっこも終わりにしたいところだ。


そう思っていると、遂に待ち望んでいた声がイヤホンマイクから聞こえてきた。

『大角!準備OKだ!今から光を出すからそっちへ向かって走って来い!』

「やっとかよ!遅いぞ磯部衛!」

この不毛な逃走がようやく終わることで、口から出た軽口も明るいものになる。

左手側に現れたチカチカと数回点滅した光のある場所を目指して方向転換する。

光のある場所はさっき車で突っ込んだ田んぼの辺りだろうか。

光り方からおそらく車に積んでいたLEDランプの点滅だ。

磯部衛が何を仕掛けるのかわからないが、今はとにかく全速力で光の方向へと駆け抜けて行った。



片輪車も俺を追ってきているため、光には気づいているはず。

だがそれが何のための光なのかはわからないようで、一直線に付いてくる。

やがて林の終わりに差し掛かった瞬間、磯部衛から声がかかった。

『「ジャンプしろ、大角!」』

イヤホンマイクと素の耳に同時に聞こえたことから、すぐ近くに磯部衛がいるはず。

その声に反応してできる限りの高さを目指して跳ぶ。


そのまま滞空しつつ後ろを見ると、俺が抜け出てきた場所の横に立っている磯部衛が2メートルぐらいの長さの巨大な熊手を両手に持って構えていた。

磯部衛が持つ熊手は俺の鎖と同様に支給された不思議道具で、普段は小指ぐらいの大きさのストラップにされて、携帯に吊り下げられている物だ。

使用者の意思で大きさが変わり、今のような大きさまで巨大化する。


片輪車が俺を追って林から飛び出してきた瞬間、熊手が下から救い上げるように襲い掛かっていき、そのままの勢いで車輪が打ち上げられた。

それを見届けて両手足を使った不格好な着地をした俺に、磯部衛からアイコンタクトが送られてくる。


意図を察して俺もウォレットチェーンを取り出す。

瞬く間に巨大化していった鎖を操り、いまだ空中を漂う片輪車に向けて蛇のように鎖をくねらせながら飛ばす。

ぐんぐんと伸びてグルグルと絡まっていき、拘束していく。

片輪車の力が強すぎて強引に千切られそうになったため、途中から鎖の周りをさらに鎖を巻いたワイヤー構造の様にして強度を上げたものに切り替えていく。


そのまま動きを制限されて地面に大音量とともに叩き付けられるが、まだ抵抗する力が残っているようで、ガタンガタンと動こうとする。

「磯部衛、もう一回だ!」

「おう、っらぁあ!!」

俺の声に応えて片輪車に駆け寄った磯部衛が下から上へとアッパースイングの要領で熊手を振るい、鎖ごと片輪車を打ち上げる。

それに合わせて、俺は鎖の片端を持って、田んぼの中の磯部衛の車に向かって駆けだす。


打ち上げられている片輪車に体を引っ張られないようにジャラジャラと鎖を伸ばし続けながら車体の屋根に飛び乗ってそのままボンネット上に滑り込む。

大凡の目安でボンネットの中のバッテリーへめがけて持っていた鎖の片端を叩き付けるように突っ込んだ。

その際に、先端の鎖の環の一つを尖らせるように形状を変化させる。

この鎖の不思議な所はこういう一番端の独立した部位に関する形状変化の融通が意外と利く点だ。

今はそれがありがたい。


薄い金属板程度なら容易に貫通できるだけの勢いのおかげで甲高い音と共に鎖の先端がボンネットに突き立った。

すぐにボンネットから降りて車の運転席に乗り込んでから、鎖を遠隔操作して車のバッテリーに巻き付ける。

短時間なら俺の手から離れても操れる鎖のおかげでできる芸当だ。

長めの滞空時間が終わり、落ちた片輪車が身をよじるのに合わせて、鎖を縮めていく。


ぐんぐん鎖は短くなっていき、それに合わせて伸びていた鎖がピンと張った瞬間に、車のエンジンキーを回す。

「悪い、磯部衛。車は諦めてくれ。」

『おい大角!まだローン―』

なかなかエンジンがかからず、何度かキーを回すとようやくエンジンがかかった。

「オォォォォオオオオン!!」

次の瞬間、バンという破裂音とともに鎖を電気が伝わっていき、片輪車が絶叫と共にひときわ大きく跳ね上がった後、糸が切れたように崩れ落ちた。

遠くでは磯部衛も崩れ落ちていた。

悪かったよ。



ショックで放心状態の磯部衛を放って置き、拘束した片輪車に近づく。

電撃でかなりのダメージを負っているが、まだ動けるらしく、俺を見る目は既に憎しみは失せ、穏やかなものになっていた。

「…憑き物が落ちた顔しやがって。最初からそうだったら楽だったんだがな。」

『妖しの術なく勿怪に抗す…。かくも人は恐ろしいものか…。』

一度力で屈した妖怪はこのように賢者タイムに突入する。

大抵は会話が出来るようになるため、説得して迷惑をかけないで生きていけるように手配をする。


だが中にはそれでも人に仇成す存在であり続ける者もいる。

そういった場合は残念だが、どちらにとっても悲しい結末しか残らない。

そんなことにならないように俺達は人間の身でありながら妖怪と関わっていくのだ。

どんな結末だってハッピーエンドの方が気分がいいだろう?


とりあえず後は暴れることも無いと思われるので、片輪車の拘束を解いて自分でトラックの荷台に乗ってもらう。

「んじゃこれからお前を運ぶけど、もう逃げんなよ?」

『わかっている。もはや逃げる気など起きん。』

もう賢者タイムは終わったのか、幾分か力が戻った言い方になっている。

車輪の外側を撫でている片輪車だが、確かに逃げるのは厳しいだろう。

なぜなら車輪の所々に撓みが出来ており、高速回転が難しそうだ。


荷台に車輪が横たわったのを確認して俺もトラックの運転席に回る。

助手席には未だショックから立ち直れていない磯部衛が座っていた。

「そろそろ元気出せよ。ほれ、シートベルト締めろ。」

のそのそと動く磯部衛に注意しながら車を発進させる。

既に空は赤く染まり始めており、暗くなる前に安倍邸に着けるかどうかといったところか。


磯部衛は何度も助手席の窓越しに後ろを振り返り、残していく自分の車の方を気にしている。

あの後何とか田んぼから引き上げることは出来たが、バッテリーが完全に焦げており、動かすことは出来そうになかったので、一応ロードサービスに連絡しておいたが、俺達は先を急ぐのでレッカーでの移動を頼んでおいた。


公道に出てからは後ろを振り返ることは無くなったが、それでもまだ元気にはなれないようで、重い空気に車内が支配されている。

走り続けるうちに幾分か立ち直ったようで、磯部衛から話しかけられた。

「そろそろ安倍の爺さんとこに着くな。」

「お、ようやく復活か。車の件は悪かったよ。俺からも上に連絡して何となかならないか頼んでみるわ。」

一応こういう場合の補償のようなものはしっかりしてくれる点では俺達は雇い主に恵まれているのかもしれない。

今回は俺も磯部衛の車に助けられたともいえるのでその辺りを添えてメールを送っておこう。


先程から左手側にはずっと同じ塀が続いており、この向こうが俺達の目的地の安倍清十郎の邸宅となっている。

時代劇に出てくるような武家屋敷風の門に到着すると、門衛の若者が近づいて来た。

顔見知りではあるが、これも職務なので確認せずにはいられないのだろう。

「どうも、遠野さん。連絡は受けていますよ。一応規則なので身分証の提示をお願いします。」

「はいよ、ご苦労さん。」

そう言われて俺と磯部衛の2人分の身分証を手渡して、確認してもらう。

これは安倍邸に入る業者に渡されるもので、俺と磯部衛も晴十郎からじかに手渡されている。

当然おかしな点は無く、普通に通過を許可された。


大門が開いていきそのままトラックごと進入していく。

入ってすぐ目につくのは門からは想像もできないくらいにモダンな洋館だ。

初めて来た時は和と洋のギャップに度肝を抜かれたが、今ではすっかり慣れてしまって、レンガ敷きの通路を右に大きく曲がっていく。

そのまま手入れの行き届いている庭を抜けていくと、飛行機の格納庫のような建物が見えてくる。

大きく開かれている入口に誘導棒を手にした人間が俺達を招き入れる。


トラックが中に入るとすぐに入口が閉じられていき、1分もせずに完全に閉じ込められた。

誘導棒を持っている人影に従いトラックを停めた場所の真ん前に立っていたのは安倍晴十郎その人だった。

どうやら彼自ら誘導してくれていたようで、手に持っている誘導棒で自分の肩をトントンと叩きながら笑みを浮かべている。

「2人ともご苦労じゃったの。」

俺達がトラックを降りたところへと近付きつつ、いつも通りのグラサンにアロハの出で立ちで労いの言葉をかけてくる。

「場所の提供、感謝します。安倍さん。」

「相変わらず派手な格好しやがって。歳を考えろよ。」

軽く頭を下げて礼を言う俺に対して、磯部衛の方はというと遠慮の欠片も無い、ともすると無礼な言葉を吐く。


「やかましいわ!誰に迷惑をかけるでもなし。わしの好きな恰好をして何が悪い。」

腕を組んで仰け反るほどに胸を張る晴十郎に、言っても無駄だとわかっている俺達はそのまま荷台に回り込んで荷物を降ろす作業に入る。

あおりを下ろしてフォークリフトのツメを使って車輪を下ろそうとしたが、不意に片輪車が起き上がり、自分から転がって降りていった。


「ほう、片輪車か。かなり古い個体じゃな。」

晴十郎が近くまで見にきて観察している。

とりあえず、広めのスペースまで片輪車を誘導し、横になるよう指示を出す。

すっかり落ち着いたもので、こちらの言うことに素直に従っている様は、先ほどの荒ぶる姿を全く感じさせないほどだ。


早速車輪の各所を観察していき、気になった部分を紙に書き起こしていく。

何時の間にやら晴十郎も加わり、3人での解析が始まっていた。

「あちこち傷んでおるが、最近の傷じゃな。お主らかのぅ?」

純粋な疑問をぶつけられた目線から逃れるように2人ともが明後日の方角を見ていると、答えを期待できないと判断したようで、再び解析に戻っていった。


30分ほどかけて分かった情報を整理してみることにした。

殆どは晴十郎の得た見解を俺がまとめた形になる。

・個体はおそらく平安中期から末期にかけてに発生した可能性が高い。

・複数の年代にわたって封印を施された形跡あり。

・現在は個体の性質は陽の側に傾いているため、他に害を及ぼす恐れはない。

・車輪に負っている傷は徐々にであるが回復が始まっている。


「こんな所ですかね。磯部衛、そっちはどうだ?」

晴十郎に報告をしてから、何やら作業をしている磯部衛に声をかける。

先程からなにやら気になることがあったらしく、車輪の軸の辺りを調べていたが、紙のようなものを俺達の前に持って来た。

「爺さんの言った封印はこれだろ。」

そう言って目の前に持ち上げたのは古びてボロボロになってしまっているお札だった。


それを受け取った晴十郎が光に透かしたりピラピラと紙を揺らしたりして正体を探っていく。

こういった術系の知識は俺と磯部衛だとあまりわかることは無いので、こうして晴十郎に頼むしかない。

暫く色々探った晴十郎が口を開いた。

「様式は平安中期の巫覡、使われとる紙は楮か…。書式が江戸時代初期の神道の名残かのぅ。…おそらく江戸時代の初めに片輪車の封印を請け負ったどこぞの神主の手による札じゃな。元にあった封印札をなぞって作ったせいで、異なる時代の相の子のような札になったんじゃろ。」

封印の効力はもう大分前に切れかけていたとのことで、ちょうどここ数年のうちに再度封印の欠け直しを行う必要があったのではないかというのが晴十郎の見立てだ。


流石は安倍晴明の末裔(仮)、ほとんど文字も掠れて見えない物からこれだけの情報を引き出せるとは脱帽ものだ。

晴十郎の解析と片輪車の告白によって次第に今回の事件の真相が明らかにされていく。



この片輪車は元々平安時代の頃に発生した個体で、特に強いわけでもないし、悪さもしていなかったため放置されていたのだが、平安末期の魍魎総差配令という教科書にも載っていないような法律によって妖怪や怪異といったものは全て例外なく退治、あるいは封印といった処置が施されることになってしまった。

調伏封印で長い年月をかけて浄化させる為にとある神社に奉納されていたのだが、封印の効力が弱まるたびに掛けなおされていき、本来の浄化の目的は失われ、ただ押さえ付けるだけの封印へと変わっていったため、精神のバランスが崩れて邪悪の方向へと次第に染まっていったそうだ。


話の途中で少し気になった俺は携帯を使ってこの辺りのことを探ってみることにした。

そうしてみるとわかってきたのは、あまりにも杜撰な仕事の数々だ。

片輪車の本体である車輪が奉納されていたのはこの街にあった羽青神社だったのだが、この神社は市の再開発計画の際に移転される予定だった。

ところがその費用の捻出に困った行政側が他の土地の神社と合祀で話を進めていたのだが、何時の間にやら片輪車が美術館に寄贈するという話になっていて、代々に伝わっていた片輪車の封印の掛けなおしが出来なくなってしまい、いつ封印が解けてもおかしくない状態で美術館に飾られていたというわけだ。


「なんとまあ…行政の杜撰さ、ここに極まれりじゃな。」

怒りよりも呆れが先だってため息が深くなる晴十郎だ。

一応この辺りの地主として顔も広い晴十郎からしたら、行政の杜撰な対応で迷惑を被るのはさぞ気分が悪いことだろう。

「けど、俺達が気付いてよかったかもな。知らずに突然暴れられたら収拾のつきようがなかったろ。」

磯部衛の言うことも一理ある。

今回は俺達が気付いたから事前に人目につかず対処できたが、これが日中の開館中に片輪車が暴れ出したらと思うと心中穏やかではいられないな。


「とりあえず、今回の件で片輪車もある意味で被害者でもあるということは明白だ。…怪異調査の立会人として、遠野大角は片輪車の敵性対象からの除外を提案します。」

「同じく、磯部英一も提案に賛成します。」

俺の提案に磯部衛も乗り、この場で最上位の権限者である晴十郎に判断をゆだねる。

と言っても、おそらく晴十郎もこの提案には乗るだろう。

彼は元々、妖怪や怪異といった存在には寛容に手を差し伸べる性格のため、こういった人間の勝手で被害を受けた妖怪には特に助力を惜しまない。


「あいわかった。第36代安倍家当主、安倍晴十郎は片輪車の処罰の必要性を認めず、これの保護を宣言する。」

やはり乗ってきたか。

晴十郎もこの提案は渡りに舟だったらしく、上機嫌で宣言までしていた。


この宣言により、片輪車は完全に安倍家の庇護下に入る。

その存在の一切が安倍家に帰属するため、誰であろうとおいそれと手を出すことは出来なくなった。

「さて、それでは片輪車の今後だが、何かいい案はないかのう?」

古い妖怪ではあるのだが、どうやら人間に化けるのは無理そうで、そうなると車輪の形で過ごす必要があるのだが、この現代社会でそういった存在は受け皿があまりにも少ない。


妖し乃商店街で身元を引き受けるには人間の姿に成れないと生きていくのは難しい。

どうしたものかと俺達が角突き合わせて悩んでいると、それを察した片輪車が名案を出してきた。

『儂は元々ただの車輪であった。であれば、いずれかの地にて捨て置いてくれるだけでも構わんのだ。かように回る他に能のない儂では―』

「「「それだっ!!」」」

まさか悩みごとの当事者から答えのヒントが出てくるとは思わなかったが、他の2人も同じ考えに至ったようで、すぐに動き出した。

何が起きているのかわかっていないのは、自分の将来が勝手に回りだした片輪車だけであった。







「へー、んじゃその片輪車ってのはお鶴さんのとこに引き取られたんだ。」

「ああ、あそこならヤツが必要な仕事はいくらでもあるからな。」

「でもよかったじゃない。退治じゃなくて保護で済んだんだもの。」

カウンターでちびちびと飲んでいる俺の右に座ったハナから説明をねだられたので話してやった所、いつの間にか俺の左側に着いた圭奈も聞いていたようで、しきりに頷きや相槌を返してきていた。


あの片輪車の騒動から1週間経った。

今は俺と磯部衛で商店街の居酒屋で打ち上げをしていたのだが、どこから聞きつけたのかハナと圭奈を引き連れた佳乃が襲撃してきた。

正直、今回の打ち上げは佳乃たちには関係ないので、お引き取り願おうとしたのだが、鼻息を荒くした磯部衛に無理やり参加を了承させられた。


佳乃に好意を持っている磯部衛としてはこの飲みの場で少しでも仲良くなっておこうという企みがあったのだろう。

その磯部衛はというと、テーブルの端でしきりに佳乃に話しかけているのだが、すでに大分酒が入っているため、もはや何を言っているのかわからないほどだ。


「でしからねぇ、俺の車を大角がぁ……あんだっけぇ?」

「あらあら。磯部さん、少し酔いすぎではないの?大丈夫かしら?」

言いながら磯部衛のお猪口に酒を注いでいく佳乃は磯部衛を潰すつもりだろうか。

佳乃は元々酒にあまり酔わない体質らしく、一緒に飲む場合だと笊の様に酒を飲んでいくペースに合わせていては、今の磯部衛の様にあっという間に酔いが回ってしまいダウンしてしまう。

それをわかっている者は酒の席で佳乃と相席しようとはしない。


佳乃もそんな状況に慣れていたのだが、誰かと一緒に飲むということに嬉しくなってしまったんだろう。

ついついいつもよりも酒が進んでしまい、今に至るというわけだ。

そんな一角を俺達3人はなるべく意識しないようにカウンター席で前だけを向いて飲んでいた。


「そういえばそのお鶴さんから動画が送られてきてたんだが、一緒に見るか?」

ふと思い出して、2人にそう誘いをかけてみる。

片輪車の近況は晴十郎から聞いた5日前のものが最後だったため、今朝届いたお鶴さんからの動画で最新の状況を知ることが出来ると思った為、磯部衛との打ち上げの時に一緒に見ようと思っていたのだが、この有様では到底無理だろう。

仕方ないので俺達3人で見るかと思って声に出してみた。


「お、いいねぇ。あたしはその片輪車ってのがどんな奴か気なるしね。」

「私も見てみたいわ。お鶴さんも一緒に映ってるんでしょ?」

ワイワイ言いながら俺の手に持ったタブレットの画面を覗き込むために身を寄せてきた2人の顔を間近で見てしまったため、少しドキっとしたが、それを振り払うように動画の再生ボタンを押した。


真っ暗だった画面が突然明るくなり、自動で明るさ調整がされていき、鮮明な画像が現れた。

『―し、映った映った。』

どこかの縫製工場の作業場を背景に一人の20歳ほどの女性が映っている。

カメラの真ん前に座ったその姿は、工員としての格好だろうと思われる割烹着を着ているのだが、服の各所にレースやスワロフスキーでデコられているそれは見ている者の目には騒がしく映るだろう。

褐色の肌に映える金髪のウェーブが長い髪のボリュームをさらに増やしているように見え、目元には過剰なアイシャドーが隈取の様に存在感を放っている。

パステルピンクの口紅に彩られた唇を時々撫でる指先には、鳥の羽を象ったデコネイルが目立っていた。


完全に黒ギャル系の姿でいる彼女の名前は鶴来つるぎさなといい、今映っている鶴来縫製会社のオーナー兼デザイナー兼モデルを務めている。

見知っている者達からは『お鶴さん』の愛称で親しまれており、面倒見の良さも相まって母親のように慕っている者も多い。


彼女自身は鶴の妖怪で、あの有名な『鶴の恩返し』のモデルになった鶴の子孫だ。

営んでいる縫製工場は人間社会に溶け込んでいる妖怪の受け皿となっており、今回の片輪車も彼女の所で働くことになったのだ。


「あぁ!やっぱりお鶴さんはすごいわ!前のサラサラストレートもよかったけど今回のウェーブも似合ってるわねそれにあのネイルの羽も鶴のイメージの白い―」

「圭奈うるさい!お鶴さんの声が聞こえないってば!」

陶酔した様子で俺を押しのけるようにタブレットに顔を近づけて息継ぎも無くしゃべり続ける圭奈にハナから叱責が飛ぶ。

ムっとした顔をしたが、今回ばかりは俺もハナの意見に同意なので、圭奈に静かにするように言う。


圭奈はお鶴さんをカリスマとして崇めているからこの反応は仕方ないが、今回は片輪車のことに関する報告なので、うるさくされると困る。

映像を少し戻してお鶴さんの第一声から再生した。


『どうも、お鶴でーす。引き取った片ちゃんの近況の説明ってことでこの動画送ったんで、よろしくー。』

軽薄な言い方だが、この人はいつもこんな感じなので俺達は気にせず聞いている。

ある意味見た目通りの話し方だが、実はお鶴さんはすでに20代後半らしく、そのことを思うと少し胸が痛くなる。

ちなみに年齢を指摘したことのあった磯部衛は、変化を解いたお鶴さんに腕に大穴を空けられたことがあり、未だにトラウマとなっているそうだ。


お鶴さんの話した内容から、片輪車は縫製工程の内にある糸車としての仕事を与えられている。

今までは機械でやっていたのだが、やはり人力での繊細さには劣るようで、片輪車の車輪としての回転を使った素材ごとの丁寧な糸紡ぎは非常に素晴らしく、高級品の大量生産に大いに役立っているとのこと。

ちなみに博物館の方には晴十郎が展示時点の車輪そっくりに偽装されたものを返還している。


『そんでぇ、片ちゃんを紹介してくれた安倍先生には感謝の極みっつーの?とりま全員に一括でお礼のメッセ送っといたから。』

こんな奴だが一応年長に対する礼儀は持ち合わせているようだが、礼状を携帯のメッセージで済まそうとする辺りが詰めの甘さを感じさせる。

まあ、晴十郎はそんなこと気にする人じゃないがな。


『んじゃ次に、片ちゃんから大角と磯部衛にお礼がしたいってさ。』

そう言って画面の真ん中から退き、向かって左後方に下がっていった。

入れ替わるように画面に車輪が転がってきて、中央で車軸をこちらに向けて止まった。

「お、こいつが片輪車か。あたしらみたいに化けれないんだっけか?なんだよ、聞いた話より普通の顔してんなぁ。」

ハナが片輪車の出現に食いつき、少しテンションが上がったようだ。

圭奈はどうでもいいようで、その目線は後ろのお鶴さんに注がれている。


車軸に浮かぶあの達磨顔が今では髭と眉が整えられ、小奇麗な様子に驚かされる。

『ども、片輪車の片ちゃんっす。大角さんと磯部さんには迷惑をかけてマジ申し訳なかったつー感じで。』

口を開いて出た言葉に聞いていた俺達は一気に凍り付いてしまった。

おかしい。

1週間前と比べてあまりにも変わりすぎている。


「…なあ、大角。こいつってこんな感じの奴だったのか?」

「私の想像力が足りてなかったのかしら?話だけだと堅物の老人みたいに思ってたんだけど。」

2人の白い目が俺を射抜くが、俺だってまさかこんなことになってるとは思いもしない。


『あれからお鶴さんにいろいろ教えてもらって、ついでにパリピに誘ってもらってマジリスペクトっすわ。』

恐ろしく高度に現代の若者言葉を使いこなしている平安生まれの妖怪。

元凶はあの人か。

後ろに移っているお鶴さんはうんうんと頷いているから、間違いないだろう。

そこから片輪車の今の仕事から日々の生活のことまで話し続けられていたのだが、ショックが大きすぎて頭に入ってこない。


わずか1週間で現代のチャラ男に生まれ変わった片輪車の順応性の高さに驚くべきか、それとも古風な老人をチャラ男に仕立て直したお鶴さんの業を恐れるべきか。

恐らく両方が噛み合ってしまったがゆえの悲劇だろう。


『てわけで、片ちゃんは心配ないんで、後はウチんとこで頑張ってもらいまーす。せーの―』

『『あーりとぅーっす。』』

最後に片輪車とお鶴さんのお礼らしき言葉で動画は締められた。

『あ、それとさぁ、磯部衛はたまにウチに顔見せにきてよねぇ。1カ月前に一回来たきりだし、そろそろまた来てもよくない?』

最後に一言だけ付け加えた時のお鶴さんの顔は真っ赤だったが、残念ながら磯部衛はこれを見ていないので、俺達にしか伝わっていない。

あとで磯部衛に送っとこう。


動画が終わったが、何とも言えないモヤモヤした感情のまま沈黙だけが取り残されていた。

3人揃って無言で酒を飲むしかできない場の空気はなんともいえないバツの悪いものだった。


「この磯部英一、樽一杯であろうと佳乃さんから注がれた酒を残すわけには―」

磯部衛たちのいるテーブル席では俺達など関係なしに楽しそうな雰囲気だった。

まだまだ楽しく酒を飲めそうで羨ましい限りだ。


「あら、嬉しいこと言ってくれるわねぇ。マスター、次のお酒は樽でお願いしますねー。」

「え”っ……」

訂正、楽しそうなのは佳乃だけだった。

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