第3話 見回り

「通り魔ぁ?」

夕飯を取りに立ち寄った食堂で店主のおやっさんから聞かされた話に、思わず返した言葉は疑問の声だった。

「なんだ、聞いてねぇのか?駅向こうの住宅地で出たんだと。一人で歩いてると、後ろからガバっとされて、押さえ付けられてる間に金目の物を奪われるんだってよ。」

俺が食っているカウンター席の向こうで煮物の味を見ながらそう言うおやっさんはあくまでも話の一環として喋ってるだけで、特に危機感を覚えてるわけではない。


当然だ。

この商店街でそんなことが起きれば、通り魔の方がえらい目にあうだろう。

もちろん、普通の人間も住んでいるわけだから全く安全というわけでは無いが、それでもそこらに妖怪の目や耳があるんだ、少しの騒ぎですぐ誰かが駆けつける。


「まあ俺らは通り魔なんぞ気にしねぇが、他の奴らはそうはいかん。近々夜の見回り組を作るって話が出てたらしいぞ。」

「なにそれ。俺聞いてないけど?」

初耳だ。

一応商店街の自治会長補佐、相談役的な存在だと思うのだが、俺の耳に入れず話が進むのはおかしくないか?

もしかして、俺って信用されてない?

「言ってないからね。」


後ろから聞こえた声に振り返ると、そこにいたのはハナだった。

こいつも飯を食いに来たのか俺の隣の席に着く。

「なんでだよ。言えよ。」

俺のちょっと不貞腐れた言い方を気にしないで注文するハナ。

「トンカツ定食ね。だって大角って色々忙しそうじゃん。だからあたしらだけでやろうって、佳乃さんが。」


またあの人か。

もういっそあの人が俺の代わりに全部やってくれればいいのに。

まあ、この商店街の窓口は人間の方がいいってのは耳にタコができるくらい聞かされたけど。


佳乃は時々、こんな具合に俺の手がまだ回っていない案件を代行してくれることがある。

正直助かっているのだが、なぜか俺に秘密で行うことが多く、後から知ったり、動いている最中に気付いたりといったことがしょっちゅうだ。

本人曰く、『大角君一人に背負わせるよりも、町の皆が一緒に臨むことが重要』なのだそうだ。

そうは言っていたが、佳乃を含み町の住民はどこか祭りじみた騒動にまで発展させて、それを楽しもうとする節がある。


「当分は怪異の連中が一緒に動くことになってるんだ。そこにあたしと圭奈が一日交替で付くことになってる。」

「けど、大丈夫なのか?通り魔に遭ったら危険…はないか。」

よく考えたらハナは人狼だし、圭奈にしてもそこいらの人間が敵うような相手じゃない。

過剰戦力なんじゃないか?


「はいよ、トンカツ定食お待ち。」

ハナがおやっさんから料理の乗った盆を受け取り、目を輝かせて食っていく。

「いつから見回りを始めるんだ?」

口をもぐもぐさせて視線を上向かせて思い出すように間を置いてからハナが言う。

「明後日から。一旦白井呉服店の前に集まってから、皆で見回りするって言ってた。」

発案が佳乃だから集合場所が彼女の店の前なわけか。

さらに話を聞くと、参加するのは全員女性だそうだ。

ハナや圭奈がそこに加わるのを考えると危険があるとは思わないが、一応商店街の相談役としてのプライドみたいなものがある俺としては、参加しないわけにはいかない。


「なぁ、ハナ。それって俺が参加してもいいかな?」

「いいんじゃない?別に大角に秘密にしろって言われてないし。」

あっさりと俺の参加が認められそうだ。

いや、佳乃のことだ。

俺が話を聞いたら絶対に参加すると想定していたに違いない。

すべては掌の上か…。


見回りの日になり、時間より少し早く白井呉服店に向かう。

店の前まで来ると既に他の参加者が揃っていた。

顔見知りばかりなので簡単に挨拶をすますと、佳乃を見つけて詰め寄る。

見回りで動きやすいようにだろう、パンツスタイルなのが新鮮に感じた。

「ちょっと佳乃さん、何勝手にこんなことしてんですか。」

「だって大角君ここの所忙しかったじゃない?だから私達で商店街の安全は守ろうって。」

その忙しかった原因の殆どは商店街の住民のせいなんだが。

「だとしても、せめて俺に一言言ってからにして下さい。危険だってあるかもしれないんですから。」

見回りの途中で通り魔に遭遇する可能性もある。

そのことを言ってから、俺は自分の言葉に説得力がないことに気が付いた。


「大丈夫よ。集まったのはほとんどがばかりだから。」

「それは見ればわかりますけど…。」

周りで談笑をする女性たちの顔触れを見て、佳乃の言葉は理解できる。

見た目は普通の主婦だが、全員が何らかの妖怪怪異の類だ。

この界隈で戦う主婦というのはある条件を満たした人たちに贈られる、商店街の住民だけが呼ぶ称号だ。

その条件とは以下に挙げられる。


一つ、既婚未婚に関わらず家事全般の技能に不足がないこと。


一つ、有事の際、自分を含め最低3名を救助できること。

なお、この有事の際とは人災・天災問わず起きる事件・事故のことを指す。


一つ、虫・爬虫類の出現に冷静に対処できること。


一つ、反抗期の子供に適切な応対ができること。


一つ、月に一度の婦人会に参加できること。


以上。


後半に行くにしたがって脱力しそうな項目になっていくが、2番目の項目だけでもこの集団の安全性は高いことは分かる。

「大角は心配性が過ぎるわね。」

後ろから掛けられたのは圭奈の声だ。

「圭奈か。今日はお前……なんだその恰好?」

振り向いた先には全身黒ずくめで口元を布で覆って、頭に黒頭巾を被ったいわゆる忍び装束というやつに身を包んだ圭奈がいた。


「夜の見回りにはこの格好でしょ。動きやすいし、闇に紛れやすいから、不審者を見つけたらすぐに飛び掛かれるわ。」

とりあえず不審者は俺の目の前にいるがな。

「そんな恰好してるやつがいたら、不審者の方が逃げるんじゃねーの?」

俺の言葉が心底理解できないのか、首をかしげる圭奈。

「あらー圭奈ちゃん、格好いいわねぇ。」

「本当にねぇ。スタイルもよくて似合ってるわよ。」

「ウチも昔はねぇ―」

女性陣が圭奈を囲んで格好を褒め始める。

似合ってるだのかわいいだのと言ってるうちに内容は家庭の不満に移行していく様は流石主婦だ。


自分の格好が他の人達に受け入れられているのを分かり、圭奈が俺をドヤ顔で見てくる。

単に圭奈に似合ってるってだけで、別にお前の格好が見回りに最適だと思われたわけじゃないぞ。

言っても無駄だろうと思ったので、佳乃に出発を促す。


見回りの班分けはAからDまでの4班にそれぞれ4人ずつ、A班だけは佳乃と圭奈に俺が加わり3人編成となった。

見回りのルートは佳乃が知っているので、俺と圭奈は周囲を警戒しながら着いて行く。

通りはすっかり暗くなっているが、何軒かの飲食店はまだ営業中のため、所々の明かりに助けられて寂しさはあまり感じられない。


「じゃあ圭奈ちゃんはまだ朝は弱いのね?」

「別に弱いってわけじゃ…。ただ早起きの必要性を感じないだけです。」

佳乃と圭奈が前を歩きながら会話をしているが、そこに男の俺が加われる余地はない。

大人しく後方と左右に気を配って黙々とついていく。


時々、酔っぱらって歩く人とすれ違うが、特におかしなこともなく、この日の見回りは終わった。

次の見回りは翌日の午後10時となり、この日は解散となった。



それからも1日おきに行われた見回りに参加を続けているが、通り魔と遭遇することもなく、1週間経つ。

この間に起きた問題と言えば、ハナと圭奈の喧嘩や住民の起こす騒動の鎮圧といった日常のトラブル程度で、普段と変わらない日々だった。


「もう1週間も見回りやってるけどさ、通り魔ってまだ捕まらないの?」

そう言うハナは退屈さが隠せないでそのまま口から出てきているようだ。

今は夜の見回り中だが、1週間何もないと流石に飽きてくるようで、話題も出尽くした会話はいつもこんな感じになる。

「そもそも通り魔が俺たちの商店街に来るとは限らないわけだから、この見回りもあくまで念のための物なんだよ。あと通り魔を捕まえるのは俺達じゃなく、警察の仕事だ。」

ブーブー言いながら進むハナを微笑ましそうに佳乃が見ているが、不意に真剣な表情に切り替わり街灯の届かない暗闇の向こうへ延びる通りを凝視しだした。


「佳乃さん?どうかしましたか?」

「今、向こうから声が―」

佳乃の声を遮るようにハナが飛び出していく。

今さっき佳乃が見ていた方向へとすさまじい速度で駆けていく。

「おいハナ!チッ、佳乃さん走れますか?」

その問いに頷きを返されたので花を追いかけて暗闇を駆け抜ける。

一直線に走り続けるが、そもそもハナがまっすぐ進んでいる前提で向かっているので、途中どこかで曲がっていた場合は合流は難しくなる。


走り続けると前方で何か言い争う声が聞こえる。

片方はハナの声だとわかるが、もう一方は聞き覚えのない女の声だ。

一気に足の回転を速め現場に飛び込んだ。

「遅いよ大角。そっちの人に襲い掛かってた所を抑えたんだけど、こいつが通り魔じゃない?」

「遅いってお前なぁ…。これでも全力で走ったんだよ。真っ先に飛び出してったハナに追いつけるわけないだろ。」

息を落ち着けながらたどり着いた場所には、うつ伏せになった灰色のつなぎ姿の女性の体に乗って押さえつけているハナと、道の端に放心状態で座り込んでいる会社員風の男性がいた。

「それで、何があったの?」

少し遅れて到着した佳乃が、息を整えながらハナに今の状況の説明を求めた。


佳乃が女性の声が聞こえたと思った瞬間、ハナはおかしな匂いに気付いた。

興奮状態の男性の匂いと、同じく興奮状態の女性の匂いが入り混じったものだ。

ほとんど条件反射的に女性が襲われていると判断して飛び出していったが、その場に到着すると、どうやら逆だったようで襲われているのは男性の方で、女性が羽交い絞めにしているという光景に少し困惑してしまったが、それでもすぐに女性を地面に押し倒して拘束したというわけだ。


「まあとりあえず、通り魔を捕まえたんだ。お手柄だぞ、ハナ。」

ハナは褒められて嬉しいのか、笑顔満面になった。

下に敷いていた女性を立ち上がらせて警察まで連行しようとする。

被害者の男性は佳乃が対応しているので、俺が通り魔の腕を取り、身動きを封じようとした瞬間、女が俺の腕を振り解いてハナに突進していった。


一瞬、女の右手にキラリとした光が見えたので刃物かと思い、咄嗟に女の腕を蹴り上げようとするが間に合わず、蹴りの体勢のせいで次の動きに移れないまま、女とハナの体が重なるのを見ていることしかできなかった。

「死ねやぁああっ!」

トスンッという静かな衝突音が思いの外辺りに大きく響き、時間が止まったかのように静寂が支配した。

通り魔の女はハナを殺したと思っているようで、顔に気持ちの悪い笑みを浮かべているが、この場でそれを信じている者は他にはいない。

いや、被害者の会社員の男性だけは青ざめているが。


「ちょっと大角ー、しっかり捕まえときなさいよ。あたしじゃなかったらヤバかったよ?」

ハナの場に相応しくないいつも通りの声に、通り魔の女性は驚愕で震えた。

確かに殺したと思っていた相手が平然と会話をしている姿に、疑問と恐怖の色が混じった顔を浮かべている。

「悪いハナ!怪我はないか!?」

「あー大丈夫大丈夫。ほら、ナイフの刃は折ってあるから。」

通り魔の女の腕をひねり上げ、柄だけになったナイフを左手でプラプラと振っている。

交差の瞬間に叩き折った刃の方はハナの足元に落ちていた。

人狼の膂力と反射神経でナイフの刃だけを持ち主に覚らせずに破壊するのは流石といえるだろう。

だが、俺のミスでハナを危険に晒したのは確かなので、そこは反省すべきだ。


その後はその場にいる皆で近くの交番に向かい、通り魔を引き渡した。

被害者の男性も一緒に連れていき、俺たちは簡単に事情を聴かれて解放された。

後で詳しく聞くために署の方に顔を出す必要があると知らされ、面倒だとは思ったがこれも市民の義務だと自分に言い聞かせた。


俺達が通り魔を捕まえたことはあっと言う間に商店街中に広がり、夜遅くにも関わらず、多くの人が飲み屋に集まって打ち上げとなった。

見回りに参加した人もしなかった人も入り混じっての宴は大盛り上がりで、佳乃が音頭を取って何度も乾杯が繰り返された。


「ハナ、今日は悪かったな。俺のせいで危険な目に合わせちまって。」

端の方の席で飲んでいた俺とハナだったが、今日の失態についてもう一度謝った。

「もういいって。怪我もしてないし、通り魔を捕まえたんだから結果オーライでいいだろ。ほら、大角も飲めって。」

あっけらかんとそう言って俺のグラスに酒を注いでくる。

こいつのこういう性格には本当に救われる。


「しっかし、あたしたちってあとで警察署に行かなきゃならないんだろ?面倒だなぁ。大角と佳乃さんだけで行ったらダメなのかな。」

「一般人が通り魔を捕まえたんだから状況を把握するのが警察の仕事なのよ。そんなことも考えつかないなんて、まさか本当にバカなの?」

ハナの弱った声に答えるように、圭奈が近付いてきながら言った。

俺を挟んで2人が立ち、一気に場の空気が険悪になる。


「あ”?誰がバカだ?……ん?あぁー。」

「…何?気持ち悪い笑い顔して。」

圭奈の言葉に機嫌悪く低い声を出すが、何かを思い付いたのか、意地の悪い笑い顔を浮かべるハナに圭奈がたじろぐ。

「あたしはー今日ー通り魔をー捕まえたんだけどさー、あれれー?圭奈はー何をしてたのー?…プフッ」

清々しい位に圭奈を煽る奴だな。

そんな挑発で頭に血が上る奴がいるわけ―

「ググゥゥ!たまたま当番の日に通り魔が出ただけのくせにっ!」

いたわ、ここに。

歯ぎしりをして悔しがっていた圭奈だが、ふっと我に返り反論する。

「……フッ聞いたわよ?取り押さえた犯人に反撃されたんですって?ウワァ…、私ならそんな恥ずかしい真似できないわねぇ。……ダサ。」

「あれは大角のマヌケが原因だったんだよ!」

「おいこら。お前やっぱ気にしてたんじゃねーかよ。」

まさかの蒸し返しに俺の感動が霧のように消えていく。


「やぁねぇ、自分の失敗を他人のせいにするなんて。こんな恩知らずな犬っているのかしら?」

「あたしは狼だっつってんだろーが!このアマァ…よっぽど痛い目に遭いたいらしいなぁ。表出ろやゴラ?」

売り言葉に買い言葉の大セールでガンの飛ばし合いに発展し、打ち上げ会場の一角は抗争の一歩手前まで育ってきている。

この雰囲気に気付いたのか、他の奴らも面白がって囃し立て、どんどんヒートアップしていく。


「2人ともやめろって!ハナ、ハウス!圭奈も煽るなバカか!」

「あたしを犬扱いすんじゃねぇ!」「誰がバカですって!」

俺の発した言葉が悪かったのか、それまで睨みあっていたはずの2人が仲良く俺を睨みつけ、一気に怒りの矛先が俺へと向けられた。

2人が衝突するのを防げたが、今度は俺が標的になってしまい、発せられるプレッシャーに押されるようにしてジリジリ後退していく。

そのまま移動し続け、飲み屋の窓に近づいた瞬間、一気に窓をぶち破って外に転がり出る。

俺の行動が意外だったのか、一瞬呆けた2人だったが、逃げたと気付くと一緒になって追いかけてくる。

その様は息があっているようで、実は仲がいいんじゃないかと思わせる。


「止まれぇー!大角この野郎!止まらねーと噛むぞ!」

「アホか!止まってもどうせ噛むんだろうが!」

狼化こそしてはいないが、ハナは流石に足が早い。

時折建物の壁を蹴るようにして俺の頭上を取ろうとするが、その度に鎖を巻き付かせようと牽制し、それを避けるために大きく距離を取るハナとは一定の距離を保てている。

「愚かね、大角!月夜の下で吸血鬼から逃げられるとでも?」

「なら惜しかったな!今日は曇りだ!」

圭奈は背中から生やしたコウモリの羽を時折羽ばたかせながら、建物の屋根を足場に飛び越しながら並走してくるが、月の出ていない今夜は絶好調とは言えないのが救いか。


この2人からは普通に逃げただけだとすぐに捕まってしまうが、そこそこの時間を過ごしたこの街の構造はそれなりに把握しているつもりだ。

地形を利用して2人を巻こうとするが、そこは向こうも同じく町の構造を知っているだけあって、なかなか距離を開けない。

結局明け方近くまで追いかけっこは続き、翌日の酒屋の営業は大幅に遅れることになった。


なお、俺が壊した飲み屋の窓はしっかり弁償させられた。

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