やさしくしないで
「時間を自由に巻き戻したり、早送りしたりできる。それにくらべたら、猫が人のことばを語ることくらい、不思議でもなんでもない。そうは思わないかい?」
黒猫はそう言うと、すとっと、軽やかに窓辺から降り立った。そのままあたしのひざの上に乗る。やわらかい。あたたかい。……猫、だ。たしかに。
「お、おもわない……」
あたしはようやっと、からからにかわいた口から言葉をしぼり出した。あたしを見上げた猫の、ガラス玉みたいな瞳が挑戦的に光った。
「それより。君、使わないのかい、それ。迷っていただろう」
それは……。たしかに。でも、こんな風にあおられると、逆に気持ちがしぼんじゃうっていうか。
「使わないなら、返してくれ」
「返して、って。これ、あなたの……?」
「僕のではない。僕のパートナーの落とし物だ」
「パートナー? 飼い主ってこと?」
「飼い主だと? 失礼な。僕と彼女は対等な関係にある」
彼女、って。この猫の飼い主は、女性らしい。って、そんなことはこのさいどうでもいい。何者なんだ、この猫。
「まあいいや。しばらく君に貸しておいてあげるよ、それ。そのほうが面白いし」
猫はにゃああ、と猫らしい声をあげると、ぱちんと片目をつぶってみせた。
猫が、ウインクした……。
疲れているんだ、あたし。ここんとこ、いろいろありすぎて。さっきのはきっと幻覚だ。
あたしはいつもより早く布団にはいった。天井で、だいだい色のナツメ電球がぼうっと光ってる。静寂の中、かち、こち、と秒針の音だけがひびいている。
でも、たしかにあの猫が言ったように、時間を自由に戻したり早めたりできる、そのことだけでも十分不思議っていうか、異常事態だ。深く考えたことがなかったけど、いったいあのリモコンは、何なんだろう。あの猫のパートナーの持ち物って言ってたけど、何者なんだろう……。
頭がさえて眠れない。ぐるぐる、ぐるぐる、頭の中が回ってる。
あたし、りなと志信が出会う前に戻りたいって思ってたけど。やっぱりやめることにする。急に怖くなっちゃったんだ。時間を戻すって。進めるって。一体、どういうことなんだろう。
未来へとまっすぐに時は流れ、夜は去り、朝が来た。いつものように、日下くんと一緒に学校へ行く。あたしの自転車を押す日下くんのとなり、こぶし二個分くらいのすきまがある。登校する生徒たちの群れが通り過ぎてく。みんな、ちらちらとあたしたちを見ていく。その視線が、小さな棘が刺さったみたいにちくちく痛い。
ちりん、と後ろから自転車のベルを鳴らされて振り向いた。
「おはよ千紗」
菜月だった。おはよ、と返す。菜月はすれ違いざま、ふうーん、と舐めるようにあたしたちを見た。なんか、やな感じ。
教室で、自分の机にかばんを置いて。はあっとため息をつく。どうしてあたしはこんなに、いたたまれない気持ちになってるんだろう。しおりんとその彼氏のダイスケ先輩は、すごい仲がよくて、周りの目なんて気にしないで、いつも一緒に笑ってるのに。
ちゃんと、両想いだからかな。
あたしやっぱり、交際、断ったほうがいいのかも。日下くんに、とっても失礼なことをしてる気がする。
ほおづえをついて考え込んでいるあたしの鼻先に、ふわっと、甘い香りがとどいた。
「千紗ちゃん、おはよう」
りなだ。りなは、赤い顔でもじもじしながら、あたしに白い封筒をわたした。
「読んで……。メールだと長くなっちゃうし、電話だと、恥ずかしくてうまく話せそうにないから」
手紙? あたしに? 志信に、じゃなくって?
四つ葉のクローバーもようの便せんには、丸っこいかわいらしい文字が、びっしり並んでいる。二時間目と三時間目の間の中休み、立ち入り禁止の屋上へつづく非常階段に腰かけて、ひとりで、ゆっくりその手紙を読んだ。
きのう、りなは、放課後の教室に志信を呼び出して告白した。その場ですぐにオーケーをもらった。志信もりなのことが好きだと言った。まだ志信とつき合うことを、だれにも言っていない。とくに、みゆにはどう報告しようか、迷ってる。四人のなかで、みゆだけまだ彼氏がいないことになるから。
要約するとこんな感じだった。
ついに来た。……ついに。
手紙を持つ手がふるえる。涙が、りなのつづった文字のうえにほたりと落ちて、にじんでいく。あわててそれをぬぐう。おなかにぐっと力を入れて、涙を飲みこむ。
「千紗ちゃんにだけうち明けます。みんなには、もう少しだけ、秘密にしておいてね。あたし、千紗ちゃんのこと、親友だと思ってる」
そんなことばで、長い文章はしめくくられていた。
最初の失恋。リモコンを拾う前の、オリジナルの世界で。放課後、りなの告白を聞いたとき。あのときより、もっと、痛い。心の準備はしていたはずなのに。心臓を絞られてるみたいに、ぎゅうって、ぎゅうってなる。
予鈴が鳴った。教室に、どんな顔をして戻ればいいか、わかんない。
あたしは保健室に行った。おなかが痛いと言ってベッドにもぐりこむ。消毒薬のにおいのするシートにくるまって小さくなる。泣かないように、じっと耐える。泣いたらもう、戻れない気がして。養護の先生は、なにも言わずに、そのままにしておいてくれた。
昼休み、あたしは覚悟を決めて教室に戻った。途中トイレに寄って、鏡の前で、にいっと笑ってみた。大丈夫。きっとうまくやれる。
「だいじょうぶ?」
みゆ、しおりん、りな。みんな、心配そうな顔をしている。
「うん。ちょっとね、おなかが……」
もごもごと言いよどむあたしに、しおりんが笑いながら、「もー、夜おなか出して寝てたんでしょー」なんて茶化す。力ない笑みを、なんとか返す。
「元気出して。ほら、王子様が来たよ」
りなが教室後方のドアを指差した。背の高い男の子がうろうろしてる。日下くんだ。そっか。ここでは、あたしの王子様は、日下くんなんだよね。
あたしは、幸せいっぱいって感じのスマイルをうかべてみせた。
それから。りなの腕をつんとつつく。お、め、で、と、う。声にはださず、りなにだけわかるように、大きく口をうごかした。そして、笑った。りなははにかんだような笑みをうかべて、スカートの後ろから、ちょろっとピースサインをのぞかせた。
上出来だ。やればできるじゃん、あたし。
ほんとうの気持ちを殺したまま、日々は過ぎていく。がんばっているのに、事態はどんどん、悪いほうへと転がっていった。
九月の最後の日の放課後。しおりんは吹奏楽部の練習、みゆは塾。りなは委員会の話し合い。日下くんもバスケ部の練習に行った。あたしはひとり、のろのろと下校の準備をして、教室を出た。
下駄箱にやわらかい秋の陽が差して、ちらちらと埃が舞っているのが見える。あたしはぼうっと、自分の靴に手をかけた。
かさり。何かが触れた。……紙? また、りなが手紙をくれたとか?
それは四つ折りにされたルーズリーフの切れ端だった。何だろう。開いてみる。
『うざい。消えろ』
そう書かれていた。濃い鉛筆で、無造作に書きなぐったような字。
むき出しの、悪意。
あたしはとっさに、その紙切れを丸めて、ポケットに入れた。こんなもの、だれにも見られたくない。
どきどきしている。いやな、どきどき。呼吸がみだれる。いち、にい、さん……。目を閉じて、ゆっくり数をかぞえて、息をととのえる。そして、何事もなかったかのように校舎を出た。
色づきはじめた稲が風にそよぐ。高い空にひろがるいわし雲。はっか飴のような空気を切り裂いて自転車をこぐ。ポケットの中の紙切れが、鉛みたいに重い。
これは、あたしへの言葉じゃない。何かの間違いだ。そう何度も自分に言い聞かせた。
だけどちがった。
次の日の放課後も、あたしの下駄箱に、四つ折りの紙切れがあった。
『むかつく。死ね』
誰が死ぬもんか。ぎりっ、と奥歯をかみしめる。
次の日は何もなかった。その次の日は、あった。
下駄箱にいたずらされるのは、放課後だけだった。それも、あたしがひとりで帰る日だけ。朝は日下くんが一緒にいるから、一度も、変な手紙は入れられていない。
いったい、だれが。だんだんと、あたしは笑えなくなっていった。つくり笑顔すらもうまくできない。日下くんにも、友達にも、心配された。そのたびに、成績が下がって親に毎日叱られていると言い訳していた。こんなこと、だれにも相談できない。
そもそも、だれが犯人でもおかしくないんだ。
犯人。
真っ先に思い浮かんだのが、ゆっちとまっちーだった。一年の時悪口を言われた。一緒にいても、裏ではみんな、何を言っているかわからない。「千紗ってノリ悪いよね」「イタいだけだよね」。あのときのふたりのせりふがよみがえる。
……いや。あやしいのは、彼女たちだけじゃない。
日下くんとつき合いはじめたときの、みゆのせりふ。「しれーっと、イケメン捕まえてんだもん。ずるーい」。あのときの、みゆの、じとっとした目。
それから。菜月。自転車で、ふうーんって舐めあげるようにあたしを見て去って行った。
いや。いやいやいや。証拠もないのに、誰かのことをうたがうなんてよくない。だけど。だけど……。信じられない。誰のことも、信じられない。
だれかがあたしのことを陰で悪く言ってるんじゃないかって、一日中びくびくしてすごす。ホームルームが終わって教室を出るとき、あたしの緊張はピークに達する。
みぞおちのあたりが重苦しい。吐きそう。今日も、みんなそれぞれの用事があって、あたしはひとりだ。だけど、靴を履かなくちゃ家に帰れない。重い足をひきずるように、昇降口へ向かう。あたしの下駄箱。靴に、手をかける。
かさり。やっぱり今日も、あった。見ないで破ってしまえばいいのに、どうしても、あたしはそれを開いてしまう。
『ブス。さっさと別れろ』
もうだめ。限界……。あたしはその場にうずくまった。
口に手をあてて、嗚咽がもれるのをこらえる。あたしはブスなんだ。あたしはうざいんだ。あたしはむかつくんだ。あたしは……。
「名波さん?」
はっと顔をあげた。この、声。
「大丈夫? 具合、悪いの?」
美凪がいた。美凪があたしのとなりに、寄り添うようにしゃがんでいる。
「みな……。江藤、さん」
あたしの顔、くしゃくしゃだ。美凪は怪訝そうに首を傾けて、それから視線を落とした。あたしの手の中、しわくちゃになった紙切れを見つけて、一瞬、美凪の顔が蒼白になった。
「江藤さん……?」
美凪はあたしの手から紙をひったくると、それを、びりびりに裂いた。こまかく、こまかく、文字が読めなくなるくらいに裂いて、コンクリの床に投げ捨てた。
「許せない。こんなこと……」
美凪。どうして、あなたが、泣いているの?
ことん、と目の前のちいさなテーブルにマグカップが置かれた。甘いにおいと湯気がたちのぼっている。
「ミルクティ。砂糖たっぷりめ。どうぞ」
美凪はくすりともせずに、自分のカップの飲み物をすすった。ありがと、と言ってあたしはミルクティを飲んだ。じんわりとあたたかい。
久しぶりに美凪の家に来た。広い、昔風の日本家屋だ。ここは美凪にとっては母方の祖父母の家で、代々海苔の養殖をしている。お母さんは、この街に来てからは海産物屋でパートをしているはず。たぶん、こっちの世界でも。
美凪の部屋は四畳半のせまいスペースだ。もともとは物置だったのを、勉強部屋として開けてくれたらしい。もちろんこれも、今のあたしは知らないことになってる。
「あれ。たぶん、嫉妬でしょ」美凪が口をひらいた。「わざと雑に崩してあったけど、女の字だったし。別れろなんて、日下くんに片思いしてたやつの仕業に決まってる」
憎しみのこもったような、強い口調。こんな美凪、初めて見た。
日下くんに片思いしてる女子。たしかに、そうかも。日下くん、色んな女の子にいい顔してたし……。りなみたいな可愛い子が相手だったらだれも文句のつけようがないんだろうけど、よりにもよって相手があたしだなんて、納得いかないって思ったのかも。
あたしなんて、お姉ちゃんに助けられて「雰囲気」を何とかレベルアップしただけで、そもそもの素材はよくない。本来なら、日下くんみたいな男子に好きになってもらえるなんてあり得ない。それが、あたしが時間を戻したばっかりに、こんなことになって。もともとの世界でなら、日下くんはきっとべつの女の子を選んでいたはず。
あたしは、その女の子から、彼をとったってことになる。
あたしが、だれかの運命を、変えた。日下くんの運命も。美凪の運命も。ほかにも……、あたしの知らないところで、何かが少しずつずれて、変わっていってるのかもしれない。
やっぱり……。時間を好き勝手に操るなんて、やるべきじゃないんだ。
「あのさ」
黙り込んだあたしの思考に、美凪が強引に割り込んできた。
「どんな理由があるにせよ、あんなこと、ひとにするのは最低だと思う。名波さんはちっとも悪くない。悪いのは向こうだ」
美凪の目にやどる、強い光。思わず引き込まれて見つめていると、美凪は我に返ったようにごほんと咳払いして、目をそらした。
ミルクティをすする。美凪は黙ってひざを抱えている。
沈黙が降りる。ふたたび、美凪がそれを破った。
「わたしも、あるんだよね……。ああいうこと、言われたこと。もしかしたら、みんな、知ってるのかもしれないけど」
ぼそぼそと、つぶやく。消え入りそうな声で。
「それが原因で、こっちに引っ越してきたって……」
「そう。やっぱ、みんなうわさしてんだね」自嘲気味に、美凪は笑った。
「あたらしい街で、変わろうと思った。明るくて、空気読めて、嫌われない人間になろうって。でも、さ」
「でも……?」
「自分らしさを見失うな、って。ばあちゃんに言われた。おまえはちっとも悪くない。悪いのはいじめる奴のほうだ。お前は変わる必要なんてない。堂々としてろ、って」
「むずかしいよ、そんなこと。だって、怖いじゃん」
「だよね。わたしも怖かった。まあ、不器用で自分を変えられなくて、結果的に、ばあちゃんが言ったみたいに開き直るしかなくなったんだけど」
美凪は、ふうと息をついた。あたしは思い出していた。いつかあたしが、華やかなポジションに行きたくない? って聞いたときのこと。美凪、どうでもいい、って言ったね。ひとりでも、好きなことをやれてればそれでいい、って。
自分らしさを失うな、か。でも、「自分らしさ」って、いったい何?
美凪にとっての「自分らしさ」は。
「江藤さん」
「なに?」
「夏休みに、描いてたでしょ? 海の絵。あれ、完成したの?」
「……一応、ね」
「見せてもらっても、いい……?」
美凪は、真っ赤な顔で、こくん、とうなずいた。立ち上がって、自分の学習机の引き出しから、スケッチ・ブックを取り出した。
あたしの目の前で、ゆっくりと広げる。そこには、夕暮れの海があった。やわらかな色鉛筆で、繊細に書き込まれた海、空、雲。たくさんの色が複雑に絡みあっている。海上でゆらめいているのは、海床路の、電柱のあかり。
「これ……、水彩色鉛筆で描いてるんだよね? 水で、溶かないの?」
美凪はびっくりしたように目を見開いた。
「まだ、迷ってる。これで完璧のような気もするし、何か足りないような気もするし」
それからしばらく絵を見つめて、じっと考えこんでいた。
「うん。水、のせてみようかな」
そう言うやいなや、カラーボックスの引き出しをかき回し、筆と水入れを取り出した。とたとたと部屋を出て、水入れに水を汲んでくる。
水彩色鉛筆は、水を含ませた筆でなぞると、絵の具のように溶けだして滲む。
美凪は、慎重に、絵に筆をのせた。
「わあ……」
絡みあった色の線がにじんで、ぼやけて、まじり合った。海の上のあかりが、たそがれの中で、ほんとうに、ふわんと灯ったような気がした。
「きれい。すごい」
「すごく雰囲気変わったね。やっぱ、面白いなあ、絵って……」
美凪はつぶやいた。あたしにじゃなくて、自分自身に言ってるみたい。
そんなとこ、すごく、美凪らしい。
美凪のおかげで、少しだけ心が軽くなった。誰にも言えなかった胸のうちをちょっとだけさらして、たくさん泣いから。明日から、また頑張れるって思った。
だけど。次の日も、その次の日も。相変わらずあたしへの悪口はつづいた。誰かがあたしのことを、こんなに憎んでいる。そのことが、じわりじわりと、あたしの心に澱のように積もっていく。
無理かも。もう、頑張れない。
エスカレートするようなら大人に相談したほうがいいよ、って美凪は言った。教室ではあんまり話さないけど、気にかけてくれて、放課後や、クラスのみんなと離れているようなときになぐさめてくれた。
「大人って、親とか、先生とか……? 江藤さんも、そうしたの?」
「うん。先生、力になってくれた」
「それで、解決したの?」
美凪は首を横に振った。じゃあ、どうしようもないじゃない。
秋は深まる。空気がつめたくなった。どこからか、金木犀の甘いかおりがただよってくる。ちょっとだけ、りなのことを思い出す。りなはあたしのこと親友って言ったけど、あたしがこんな風に悪口言われてるの知ったら、どう思うかな。
まっすぐ帰る気になれなくて、海浜公園へ行った。夕暮れを待つ。美凪の描いた絵を思い出すと、音が消えて、こころが静かになるような気がした。だけど季節は変わった。あの時の、絵に閉じ込めた風景は、もうなかった。十月の夕暮れは透明なオレンジ色。それはそれで美しいけど……。同じ瞬間、同じ景色は、もう二度と訪れない。
不思議なリモコンで、巻き戻さないかぎりは。
胸の中に重たい石がつまったみたいだ。ため息をついて家路を行く。ゆるやかな坂をのぼる。どこかの家から焼き魚のにおいがする。日はすっかり沈んで、あたりはうす青い闇にくるまれていた。公民館のそばまで来たとき、あたしはそこにぼんやりとした影を見つけた。近寄るにつれて、その影の輪郭はくっきりしてきた。あたしに向かって、片手をあげてる。
「志信……?」
志信は部活帰りなのか、ジャージ姿だった。
「遅いんだな。お前んちに寄ったけど、まだ帰ってないっていうから。ここで待ってた」
「うちに……? なんで……?」
公民館の前は小さな公園のようになっていて、ちょっとした遊具が置いてある。自転車をとめて、ブランコにすわった。志信も、あたしのとなりのブランコに腰かけている。ずいぶん窮屈そうだ。大きくなったんだな。声も、低くなった。
「最近、何かあったの? 日下も、中岡も、心配してんぞ。名波が元気ないって」
「うん……」
志信は、二年になってから、時間をいじる前の世界みたいに、あたしを苗字で呼ぶ。前の世界でよそよそしかったのは、あたしのキャラやクラスでの立ち位置のせいじゃなかったのかもしれない。じゃあどうしてなのかって、考えてもわかんないけど。
「成績のことで親ともめてるって、嘘だろ。お前の成績が悪いの、今に始まったことじゃないし。おじさんもおばさんも、厳しいことは言っても、子どもがこんなにふさぎ込むくらい、しつこく責めたりはしないだろ」
さすがに小さいころからのつき合いだけあって、わかってる。きいと音をたてて、志信がブランコから降りた。あたしの真ん前にしゃがんで、まっすぐに、あたしを見すえる。
志信の瞳の中に、あたしの姿が映ってる。
「正直に言えよ。何、悩んでるんだよ。俺たち、ガキの頃からの友達だろ?」
志信はあたしから目をそらさない。甘い痛みがせりあがってくる。息が止まりそう。やさしくしないで。じゃないと、あたし。……あたし。
「好き」あたしは志信の、長そでのジャージを、つかんだ。
「あたし、志信が、好き」
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