告白と黒猫

志信の家は、うちから歩いて五分もかからないところにある。近いのにすごく遠い場所だった。これまでは。

 すみれ色の空に、白い月と一番星が光ってる。石垣のそば、鮮やかなピンク色のおしろい花が、たそがれの中でぼうっとうかびあがって見える。自然と駆け足になってしまう。

 志信の家の広い庭。たちあおいに、のうぜんかずら。ゴーヤのカーテン。おばさんが育てている植物たちが、夜を待って、ひっそりと息をしている。

 肉の焼けるにおいが鼻先にとどいた。炭火がはぜる音がする。白い煙が立ち上る。焼き網を囲むように、折り畳みのキャンプ用のいすが並べられている。

 あたしに気づいた志信が、「おす」と片手を挙げた。その隣にはバスケ部の日下くんがいて、あたしを見て、くしゃっと笑った。

 志信のお父さんが、赤い顔して、缶ビール片手に、あたしの背中をぽんっと叩く。

「おーう、千紗ちゃん。久しぶりだなあ。すっかり女の子らしくなって」

「こんばんは、おじさん。相当飲んでない?」

「飲んでない飲んでない。むはははは。勝っちゃんも心配だなあ。べっぴんのムスメがふたりもいてなあ」

 やっぱり飲んでる。ちなみに、勝っちゃんってのはうちのお父さん。

「いらっしゃい、千紗ちゃん。ほら、肉。食べて食べて」

 ほがらかに笑う志信のお母さん。たれのついた紙皿を渡され、中に、焼けた肉をぽんぽんと放り入れられる。

「おばさん、ありがとう。いただきます」

 本当にひさしぶりだ、この感じ。志信んちに遊びに行ったら、おばさんが、果物とかお菓子とかどんどん持ってきてくれるんだ。んで、帰りには、魚とか野菜とかたんまり持たされる。うちに志信が来たときもそうだったな。たくさん作ったおかずとか、志信に持たせて。家族みたいな、親戚みたいな、親しい付き合いなんだ。

「いいねえーっ。おさななじみって。俺、そういうの、憧れだわー」

 おばさんのとなりに座ったあたしのそばに、日下くんがすっと寄ってきた。あたしはあいまいに笑った。日下くんはバスケ部いち、背が高い。さらっとした髪を無造作にくずしてる。明るいキャラで、屈託なく女子にからんでくる。前の世界では、地味なあたしはスルーされてたけど、今の世界では、よくしゃべる「友達」みたい。携帯にも彼のアドレスは登録されてた。

「りなちゃんとかみゆちゃんとか、来れなかったんだ?」

 それが狙いか、とあたしは心の中で苦笑した。

「うん。ほら、もう遅いから。急だったし」

 ほんとは誘ってすらいない。自分の嘘をごまかすみたいに、熱々の肉をあわてて口に入れた。そしてむせた。

「あー。だいじょうぶ千紗ちゃん? ほら、飲んで」

 さわやかスマイルで、缶ジュースを差し出す日下くん。

 日下くんって。こういう言い方をしちゃなんだけど、ちょっとチャラい。女子のこと「ちゃん」づけで呼ぶし、誰それかまわずやさしくするし。

 志信はというと、ひとりでもくもくと肉を食べてる。おじさんとおじいちゃんは陽気にさわいで、おばさんが、はいはい、っていなしてる。日下くんはずっとあたしのとなりで話しかけてくる。あいづちをうちながら、ちらちらと志信を見た。志信もこっちに来て、一緒におしゃべりしたらいいのに。

 あたりはすっかり暗くなり、肉は焼き尽くされ、おじさんの酔いもピークをむかえた。おじいちゃんは寝ると言って家の中に戻った。それから三人で片付けを手伝った。

 片付けを終え、並んで回り縁に腰かけたあたしたちに、おばさんがすいかを切って出してくれる。

「千紗ちゃん、遅くなっても大丈夫?」

「はい。お母さんには言ってあるし。近いから」

「じゃあ、帰るときは志信に送らせるから。泊まってってもいいんだけどね、昔みたいに。もう中学生だから、さすがにねえ」

「泊まればいいよ! 俺も泊まるしさあ」

 日下くんが会話に割り込んできた。すかさず志信が、日下くんの頭をぽこんとはたいた。

「バーカ。それよりお前、花火買ってこいよ」

「花火かー。いいねえ。こっからだと野崎商店が近い? あるかな?」

「あるかもだけど、閉まってるだろ。浜田酒屋がよくね? ついでに菓子も買ってきてよ」

 浜田酒屋はいちおう酒屋だけど、酒だけじゃなくって、生活雑貨とかパンとか野菜とかも置いてある、いわば何でも屋だ。もちろん大きさも品揃えもスーパーほどじゃないけど。

 日下くんは、「おっけー」と言うと、志信にむかって意味ありげな笑みをうかべた。そして、あたしに振り向いた。

「んじゃ、千紗ちゃん。一緒に行こ」

「え? あ、あたしも?」

 あたしの腕をひっぱる日下くん。志信は、ちらと視線をこちらに投げて、うすく笑った。


 蒸し暑い夏の夜。なぜかあたしは、日下くんとふたりきりで歩いてる。

 細道の両脇は田んぼで、蛙がひっきりなしに鳴いていた。雨が近いんだろう。水のにおいがする。花火のはいったビニール袋を、日下くんがぶらぶら揺らしている。

「ふうー。あっちいな」

「そうだね」

 日下くんはTシャツのえりくびを引っ張ってぱたぱたした。志信んちではひっきりなしに話しかけてきたのに、ふたりで歩きだすと、とたんに口数がすくなくなった。ときどき、「あー」とか「うー」とか、意味不明なうめきを発した。

 藍色の空にあまたの星が浮いている。こんなに晴れているのに、蛙は鳴きやまない。本当に降るのかな。ふと円盤のことを思い出して、空にあやしい飛行物体がないか探していると、ふいに日下くんが口をひらいた。

「あのさ」

「なに」

「千紗ちゃんて……、その……、好きなタイプとか、どんなの?」

「タイプ? えーと、かもねぎスプーンの笹っちかな」

 なんで急に、そんな事聞くんだろう。

「あー。そっち系かあ……。えっと、リアルではいないの? いいな、って思う男子」

「いないよ」即答する。本当のことなんて、言えるわけない。「男子も、そういう話、するの? 誰が好みとか、かわいい、とか」

 質問返し。自分のこと聞かれるの、好きじゃないから。

「あー。するよ。時々」

「し、志信、とも?」

 どきどきして声がうわずった。やばい。ナチュラルに聞き出すつもりだったのに、あたしの気持ち、ばれてないよね。

「志信ね」日下くんは、くくっ、と笑った。「あいつさー。今日めっちゃガッカリしててウケる。千紗ちゃんが、りなちゃん呼んでくれるって期待してたんだわ。バカすぎ。そのつもりなら、前もって根回ししとけよっての」

 え。あたしに、りなを、呼んでほしかったの? それって……、まさか……。

「ここだけの話。ひとめぼれらしいよ、志信のやつ。ってか、ひとめぼれってキャラかよ、あいつ。ウケる。まーでも、りなちゃんカワイイもんなー。そりゃ惚れるわなー」

 息が止まりそう。目の前が真っ暗で、どこを歩いてるのかわかんない。

「……あ。でも、俺は、りなちゃんみたいな感じじゃなくって。もっとこう、ボーイッシュな子のほうが、好みだけど……」

 何も考えられない。からだが痛い。

 しっかりしなきゃ。ここで泣いたら、あたしの気持ち、日下くんにばれちゃう。日下くんが何か話しかけてる。ちゃんと聞かなきゃ。答えなきゃ。

「……ていうか。はっきり言うと、俺は千紗ちゃんのがカワイイっていうか」

 なんの話……? 顔をあげると、日下くんが、まっすぐあたしの目を見ていた。笑ってない。いつもの、ちゃらけた感じじゃない。

「よかったら、俺と、つき合ってくれませんか」


 衝撃的なことが重なって、あたしの頭はパニック状態。当然、のん気に花火なんてできそうになくって、あたしはそのまま自分の家に帰った。

「返事は、いつでもいいから。ゆっくり考えて」

 日下くんは、首の後ろを掻きながら、そう言った。

 あたし、志信にふられた。告白もしてないのに、同じ人に、二度もふられた。

 そして、はじめて男の子に告白された。どきどきしてる。信じられない。この、あたしが……!

 シャワーを浴びながら考える。ぬるいお湯をはじく、浅黒い肌。

 あたし、中身はなんにも変ってない。変わったのは、見た目と、一緒にいる友達。ださいかっこして、美凪と一緒に教室のすみっこにいたころは、日下くん、あたしになんて目もくれなかったのに。

 一方、志信は。せっかくあたしがキャラ変えたのに、前と同じように、りなに惹かれていった。

 タイムカプセルに入れたカード。たしかに、志信はあたしの名前を書いてたのに。どうして? 好きなひとには好きになってもらえないのに、何とも思ってないひとからは思いを寄せられるなんて。どうして、こうなるの?


 もやもやを抱えたまま、二学期がはじまった。

 自転車のペダルが重い。九月に入ったけど、まだまだ日差しは強い。学校までの道のりがつらい。

「千紗ちゃんっ!」

 大きな声で呼び止められて、ブレーキをかけた。見ると、交差点の、歩行者信号の横に、日下くんがいた。

「あ……。おはよう」

 日下くんの目が見れない。「つきあってください」という彼の言葉がよみがえる。あれから頻繁にメールをくれるようになった。でも、まだ、いまいち信じられない。陰キャラあつかいされていた日々が長すぎて。

「よかったら……、学校まで、一緒に行かない?」

 日下くんはそう言うと、あたしから目をそらして首の後ろを掻いた。照れた時のくせなのかもしれない。そう思ったとたん、告白されたっていう実感がぶわっと押し寄せてきた。

 どうしよう……。あたし、どうしよう。

「俺が押すよ」

 日下くんはあたしから自転車のハンドルをうばった。そのまま結局、ふたりで並んで登校した。日下くんはその間、かもねぎスプーンの話ばかりしていた。あたしはあいづちを打つだけで精いっぱいだった。

 ふたりで教室に足を踏み入れたとき、二の一に満ちていた新学期特有のざわめきが、潮がひくように、さあっと静まり返った。そして、すぐに元どおりになった。

 始業式が終わって、ホームルームが終わったあと。あたしは、グループのみんなに囲まれて質問攻めにされた。

「なんでふたりで登校してきたの?」

「夏休み、なんかあった?」

「もしかして、つき合ってるの? いつから?」

 ぶんぶんと首を振る。

「あ、あたし、まだ、返事、してないからっ……」

 とたんに、みゆとしおりんが、きゃーっと声をあげた。

「返事って! コクられたんだ! 日下に!」

「うわーっ、日下のやつ、本命は千紗だったんだあっ」

 あたしはみんなの勢いにのまれて、息切れした金魚みたいに口をぱくぱくさせた。

「あー。しおりんの次は千紗だったか……」みゆが、ため息をつきながら、じとっとした目であたしを見た。「笹っち命、とか言っといてさー。しれーっと、イケメン捕まえてんだもん。ずるーい」

「つ、つかまえる、って。だからあたし、まだ返事してないから……」

「そんなこと言ってさ。つき合うんでしょ? だって、みんなに見せつけるみたいに一緒に登校しといて、今さら断るとかないっしょ。日下のメンツまるつぶれだし」

 だって。あんなふうに待ち伏せされて、一緒に行こうっていわれて、いやだなんて言えないよ。

「たしかに。期待もたせといて振るとか、ありえないよねー」

 しおりんも言った。そうなの? あたし、こんなの慣れてないから、わかんないよ。

 泣きそうなあたしの腕を、ちいさな指が、つんつんってした。りなが、ほおをばら色にそめて、やわらかく微笑んでいた。

「つき合ってみたら、好きになるかもしれないよ? よかったね。おめでとう。だれかに好きになってもらえるなんて、奇跡みたいにすごいことだよ」

 りなの、さらさらの髪が、肩のあたりで揺れてる。

「いいなあ。千紗ちゃん、うらやましい……」

 夢見るように揺れるりなの瞳。見ているうちに、きゅううっと苦しくなった。

 あたしは、りなが、うらやましい。

 そのとき。放課後の教室でさわぐあたしたちの真横を、美凪が、すっと横切って行った。

「あっ」

 声をかけようかと思った。夏休み、絵を描いていた美凪のとなりで海を見ていた。永遠みたいな、しずかな時間。あのときの潮風が吹いた気がしたんだ。

 だけど美凪はあたしには目もくれず、教室のドアをあけて出て行った。あたしはふたたび、キャンディみたいな女の子たちの、甘い喧噪に飲みこまれていった。

 たすけて。美凪。たすけて。

 

 結局あたしは、そのまま流されるみたいに、日下くんと「つき合う」ことになった。

 毎朝、交差点のところで彼は待ってる。それから一緒に歩く。放課後は部活があるから一緒には帰らない。だけど時々、りなに誘われて練習を見に行く。

 デートにも誘われた。どうしていいかわからない。つき合ったら好きになれるかも、ってりなは言ったけど、全然そんなことない。あたしはまだ、志信を見ていた。

 りなは、志信に告白するって決心したみたい。

「幸せそうな千紗ちゃん見てたら、あたしも! って、思った」

 そう言った。あたしのどこが幸せそうに見えるんだろう?

 だめ押しが、志信からのメール。

「よかったな。あいつ、ああ見えて一途だし、いい奴だから。俺が保証する」

 何なの、この展開。もしかして志信と日下くん、ぐるだったんだ。あの日、あたしと日下くんをくっつけるつもりで、バーベキューに呼んだんだ……。


 自分の部屋。安心してひとりきりになれる空間。机につっぷして、声を殺して、泣いた。

 つらい。戻りたい。告白される前に。ううん、志信とりなが、出会う前に……。

 開け放した窓から、夜のにおいと、秋のはじめの涼やかな風が入り込んでくる。

 つっぷしたまま、秘密のリモコンを、ちょんと指でつついた。

「使うの? それ」

 いきなり男のひとの声が降ってきて、はっと顔をあげる。窓辺でカーテンが揺れている。

「にゃああん」

 猫だ。真っ黒の、つややかな毛並み。銀の首輪。みずいろの目。窓わくにちょこんと座って、あたしをじっと見下ろしている。

 あのときの……猫。

「いいじゃない。使えばいいよ。巻き戻しなよ、時間を」

 ね、ね、ね、猫が、しゃべった……!

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