夏休み、謎の円盤

午後二時、駅前のファミレスで、りなたちと待ち合わせ。

 自転車をこぐ。今日のあたしはノースリーブのカットソーに、デニムのショーパン。手首には夏らしく、カラフルなブレスを重ねづけして。頭にはシルバーのカチューシャもつけた。コーデを考えたのはもちろんお姉ちゃん。手持ちのものを使って、可愛くて、かつ、あたしのキャラに合うようにって。お姉ちゃん、まるでスタイリスト気取りだ。

 時をスキップしてから、早や二週間。あたしの知らないあたしを演じる日々。

 そして先週から、ようやく夏休みに入った。

 空のてっぺんで、まぶしく輝く太陽。真っ白い入道雲。焼けたアスファルトのにおい。

 駐輪場に自転車を止める。

 店にはいると、心地いい冷気がほてったからだをつつんだ。奥のテーブル席にはなやかな女子たちの群れを見つけて、あたしはひらひらと手をふった。

「ごめーん。遅くなって」

「いいよいいよー。千紗ちゃん、めっちゃ汗かいてる」

 りなが笑った。一緒にドリンクバーで飲み物を注ぐ。りなは、クリーム色にブルーの小花模様の、ミニのふわふわしたワンピ―ス。赤いベルトでウエストマークしてる。髪はゆるく編んで、アップにしてる。

 可愛いなあ。りな、可愛い。思わず、見とれちゃう。

 りな、みゆ、しおりん。あたらしい友達。みんな、ふわふわして、甘くて、よく笑う子たちだ。ゆっちやまっちーといる時の雰囲気とは、また違う。

「でね、ダイスケ先輩がね、なんにも言わなくなっちゃって、どーしたのって言ったら、五秒くらいしてからね、ごめん寝てた、って。ありえなくない?」

 しおりんがほっぺをふくらませた。みんな笑う。ワンテンポ遅れて、あたしも笑い声をのせる。ここ、笑うとこなんだ。ていうか、オチてないよね。たんなるノロケだよね?

 しおりんは、この中で唯一の彼氏持ち。みゆとりなは絶賛片思い中。あたしは……。

「それより千紗。たいへんだよー。笹っち、熱愛発覚だって!」

 みゆがかん高い声を出す。

「えっ、だれと? ショック。超ショックー」

 負けじとあたしも、高い声でおおげさにリアクションしてみせる。

「一般女性Aさんってテレビで言ってたよ。売れない時代を支え続けた彼女だって!」

 笹っちっていうのは、今年ブレイクしたお笑いコンビ「かもねぎスプーン」のツッコミ担当。長身イケメン。あたし、この「笹っち」に夢中で、同世代の男子なんて眼中にないって設定になってるみたい。「かもねぎスプーン」のネタ、前から好きだったし、ほんとうに好きなひとを暴露するかわりに考えたアイデアとしては悪くない。だれも傷つかないし、「協力するよ!」みたいな困った展開にもならないし。他人の恋バナを聞いてるだけなら平気になった。自分のことを詮索されないように気をつけさえすればいい。もう、同じ失敗はくり返さない。

「千紗もさあ、そろそろ、リアル男子に目を向けないと!」みゆが笑う。

「笹っちもリアル男子だよう」すねてみせる演技。

「ゲイノ―人はリアルじゃないの! ねっ、りな!」

 みゆにいきなり話を振られて、りなは、う、うん、とぎこちなくうなずいた。顔が赤い。

「りな、この前、片瀬くんと一緒に帰ったんだよねっ!」

 はずむようなしおりんの声。どくんと心臓が跳ねる。なにそれ、知らない。

「図書委員の仕事でね、学校に行ったの。それで、部活帰りの片瀬くんに会って。あっ、ふたりきりじゃないよ! バスケ部の日下くんもいたの!」

「えーっ」「日下、ジャマ!」

 もりあがるみゆとしおりん。

「あっ、でも、最後は片瀬くんとふたりだった……。五百メートルくらいだけど……」

 消え入りそうなりなの声。あたしはだまってソーダをすすった。ストローがずずっと音をたてる。おかわりを注ぎに立ち上がる。

 中一の六月から、中二の七月。あたしは一年と二か月、スキップしちゃったことになる。その間に、志信は背がのびて、髪ものびて、カッコよくなって、それから、無口になった。

 たまにメールをくれるから、嫌われてるわけじゃない。ちゃんと友達なんだと思う。だけど、あんまり話しかけてこないし、前みたいに無邪気にじゃれ合うこともない。志信、男子といるときは、ふつうに笑ったりふざけたりしてるのに。

 あたし、せっかく女子っぽくなって、クラスの中心のグループに入れたのに。しかも、りなと帰ったって。これじゃあ、もともとの世界とそんなに変わらなくない?

 ため息がこぼれた。店内は、制服姿の高校生とか、親子連れとかでいっぱい。ドリンクバーだけで何時間もねばる、あたしたちみたいな中学生も。食器の鳴る音。店員さんの足音、だれかの笑い声、そのざわめきが妙に遠い。あたし、今にもすっと消えてしまいそう。

「ねえねえ千紗ちゃん、それ、氷、入れすぎじゃない?」

 いつの間にか、真横にりながいた。はっとして自分のグラスを見ると、ぎっしりと氷で埋まってる。ぼうっとしてたせいだ。

「かき氷食べたいなー、みたいな」

 へらりと笑う。我ながら、わけのわからない言い訳。

「もうっ。相変わらず天然だね、千紗ちゃんは」

 りながあたしの腕をつつく。そっか、あたし、天然キャラなんだ。「てんねん」の四文字を、急いで脳みそに刻み込む。

 そのあと、四人で特大パフェを頼んで、つっつきながら食べた。海水浴やショッピングに行く計画をたてた。三時間くらいだらだらおしゃべりして、しおりんが彼氏から呼び出されたのをきっかけに、解散。りなは夕ご飯の材料を買いに、スーパーにいかなきゃって言った。りなの家、お母さんがいなくて、忙しいお父さんに代わってりなが家事をしたり、小学生の弟の宿題を見てあげたりしてるみたい。そんなことちっとも知らなかった。りな自身も、家のことはあまり話さないし。

 帰りみち、みんなと別れたあと。猛烈にひとりになりたくって、あたしは、まっすぐ帰るのをやめた。自転車をこぐ。灯台のある、いつもの場所に行こうか? ううん。今日はもう少し、遠くへ行きたい。

 国道を西へ進む。道に沿うようにひかれた線路を走る列車が、あたしを追い越していく。

 漁協を通り過ぎる。六時を知らせるチャイムが鳴る。夏の日はまだ落ちない。

 海浜公園に着いて自転車をとめた。リュックからペットボトルを取り出して飲む。

 ここは長い長い海床路のある場所。潮は満ちて、道は沈んで見えない。ただ、連なる電柱だけが海面から突き出ている。まだ明かりは灯っていない。

 ふと、堤防に腰かけている人影が目にはいった。見覚えのある女の子の後ろ姿。そっと歩み寄る。

「みな……、江藤さん」

 美凪のもっさりとした黒髪が海風になびいた。そういえば、美凪の家はこのあたりだ。美凪はひざの上にスケッチブックをのせて、ひたすらに色鉛筆を走らせている。

「あ。えっと、名波さん……?」

 やっと美凪があたしに気づいた。いきなり話しかけられて戸惑ってるみたい。一年のとき、スキップした(あたしにとっては)空白の期間、美凪とはほとんど口をきいてなかったみたいだ。

「江藤さん、海の絵、描いてるの?」

 美凪は、さっと手で絵を覆って隠した。拒絶されて、ずきんと胸がうずく。なんて自分勝手なあたしだろう。

 ショーパンのすそを、ぎゅっとつかむ。

「江藤さん、絵が好きなんだね」

 ひきつりながらも笑をつくって、なんとかそう言うと、美凪はこくりとうなずいた。美凪の色鉛筆は三十六色入りの水彩色鉛筆だ。軽いしかさばらないし、スケッチにはもってこいだと前の世界で言っていた。漫画やイラストも好きだけど、時々、風景画や静物画も描くんだと教えてくれた。美凪の部屋にはたくさんの画材があって、K市にいたころ、おこづかいを貯めて少しずつ買いそろえた宝物だと笑っていた。いつか、ちゃんと基礎から絵の勉強をしたい、って。

 たまーに、そんな風にまじめな話もしてたんだ、あたしたち。でも、今、その記憶を持っているのは、地球上でたったひとり、あたしだけ。不思議なリモコンを使って、過去を変えちゃったから。

 今さら。後悔なんてしてない、そう自分に言い聞かせる。深呼吸して、顔をあげる。

「ごめんね。邪魔しないから……。だから、江藤さんが絵を描くところ、見てても、いい?」

 美凪は一瞬、驚いたように目を見開いて、それから「構わないですけど」と、ぼそっとつぶやいた。

 海風は生ぬるくてべたべたと湿っていた。蒸し暑くて汗が流れ出る。ものともせず、美凪は色鉛筆をすべらせる。彼女がどんどん目の前の景色に集中していってるのがわかる。

 そうだ。この子は、漫画でも絵でも、いったん集中するとあたしのことなんて目に入らなくなっちゃう。

 空が桃色がかったオレンジに染まりはじめた。海は空の色をうつしてゆれている。美凪は、夏の海の夕暮れを、いちまいの紙に閉じ込めている。

 果てなくくりかえす波の音。水銀灯にあかりがともる。

「幻想的だな。海の上の外灯」美凪がつぶやく。「どこか遠くへ行きたい」

 あたしは美凪のとなりに、そっと腰かけた。美凪の肩がびくっとふるえた。

「あ。ごめん。名波さんがいること、忘れてました」

 真顔で謝られて、あたしは思わずふき出した。美凪も、はは、と笑った。

 赤い夕陽が、海に吸い込まれていく。

 ひさしぶりにあたしは、なんにも考えずに、からっぽのあたしになってた。

 

 夏の日々は過ぎていく。てのひらからこぼれ落ちる砂のように、するする、するする。

 あたしは時々、海浜公園に行った。美凪は、週に一・二回、暑さのやわらぐ夕暮れ時に、スケッチに来ているようだった。べつに、一緒に遊ぶとか語るとかじゃない。美凪のとなりで、ただ、ぼうっとしてるだけ。

「名波さんって、変わってるね」

 美凪はこんな風に言った。おかしかった。「変わりものに変わってるって言われたくねーよ」って、前の、美凪と友達だった世界だったら、あたしはそう言って笑っただろう。

 一方、りなたちと遊びに出かけるときは、ちゃんとお姉ちゃんにコーデしてもらって「イケてる」あたしに変身する。がんばって、「明るくて元気でちょっと天然」なあたしになる。

 学校が始まったら、毎日、がんばらなきゃいけない。りなの恋の相談にものってあげなきゃ。親友と自分の好きなひとの、恋の応援をしなきゃ。

 テレビから声援がわきおこって、はっと顔をあげた。ばあちゃんが高校野球の中継を観てるんだ。延々とつづくブラスバンドの演奏。扇風機の真ん前で寝っころがっていた兄ちゃんが、のっそり立ち上がった。

「千紗。俺は今夜、家を空ける」

「あ、そう。友達んちに泊まるの?」

「いや。ところでお前、ゆうべ、おかしなもの、見てないか?」

 兄ちゃんは急に声をひそめた。一体、何の話してるんだろう。きょとんとするあたしを見て、兄ちゃんは首を横に振った。

「俺も半信半疑なのだが……。友達が、円盤を見たっていうんだよ。灯台の真上あたりでな、くるくる旋回してたって」

「それでまさか、張り込みに行くとか……」

「うむ。張り込むというか、呼び出すというか。お前も気が向いたら、円盤が来るように、空に向かって念じてみてくれ」

「念じるって。UFOって、念じれば来るようなもんなの?」

 さあな、と兄ちゃんはつぶやくように言った。

 やり直しの世界でも、わが兄は相変わらずだ。兄ちゃんの友達の顔が見てみたい。やっぱ、類は友を呼ぶっていうか、似たもの同士なんだろうな。

 それにしても、円盤って。見間違いじゃないのかな? そりゃ、宇宙って広大だし、UFO飛ばすような生き物はどこかにいるかもしれない。だけど、地球に、それもこんな田舎に、わざわざ来る?

 ふと、銀色の、あたしの秘密のリモコンのことを思い出した。

 時空を操るすべを持つ存在がもたらした可能性がある。そんな風に兄ちゃんは言った。

 まさか、ね。だって、「巻き戻し」って英語で書いてあるんだよ。宇宙人がそんなのわかる? って、だったら、宇宙人じゃなくて未来人ってこと?

 そんなことありえないって思うけど、でもあたしは実際に、あのリモコンで時間を進めたり戻したりした。ふしぎな猫があれをくれたのは灯台のふもとだった。円盤は灯台の真上を旋回してたって。まさか、あれを、取り戻しにきた……?

 いてもたってもいられなくって、自分の部屋に戻った。机の、いちばん上の、鍵つきの引き出しをあける。夏休みの間はここにしまっておいていたんだ。

 リモコンはちゃんとあった。銀色の、ひかえめな輝き。右向きの三角のボタンと、左向きの三角のボタン。その間に、赤い、丸いボタン。

 そういえば、この赤いボタンは何だろう。何にも書いてないからわからない。一時停止とか? だとしても、そんな機能、きっと使わない。

 思わず、あたりをきょろきょろ見回す。だいじょうぶ、だれも見ていない。見てるはずがない。ふうと息をついて、そっと、引き出しの奥にそれを仕舞った。

 

 それから兄ちゃんは毎晩のように灯台へ出かけていったけど、それらしい未確認飛行物体は見つからなかったらしい。蚊に刺されに行っただけだったと悔しそうにこぼしていた。

 そんなこんなで、あっという間にお盆が過ぎ、八月も残りわずかとなった。今日はみんなでみゆの家に集まって宿題をやっつけた。というか、ほぼおしゃべりしてただけだから、正確にはやっつけられていない。それなのに、みょうにつかれた。

 帰って、自分の部屋でひっくり返っていたら、携帯が鳴った。

 メール。志信から。ぴょんと跳ね起きる。

「これから俺んちで、バーベキューやる。日下も来てる。ひまなら、来れば? 友達呼んでもいいよ」

 三回、ゆっくりと黙読した。志信のうちに? 今から?

 友達、呼んでもいいって。真っ先にりなの顔が浮かんだ。りなの家、ここから遠いけど、きっと呼んだら来るよね。土日だからお父さんは仕事休みだろうし、夜はあたしの家に泊めればいいし……。

 でも。ぎゅっと携帯をにぎりしめる。リモコンを拾う前の、教室での、りなと志信のすがたを思い出した。目を合わせて、ふたりして真っ赤になって。

 いや。見たくない。やっぱり、りなに協力するなんて無理。せめて、今日だけは。

 あたしは、ひとりで行く、と返信した。

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