リ・スタート
あたしはキャラを変えることにきめた。変えるっていうか、つくる。菜月よりもっと、明るい陽のあたる場所にいく。そしたら片瀬に告白するんだ。
居間で寝っころがってテレビをみている兄ちゃんの背中を、指でつんつんってした。
「おわっ! バカ千紗、やめれっ!」
跳ね起きる兄ちゃん。
「ねー兄ちゃん。アニメが好きとか、イラストがうまいとか、そういうのって暗いの?」
「一概にそうとも言えん」
兄ちゃんはこほんと咳払いをひとつして、姿勢をただして正座した。
「イケてないやつが『アニメが好き』って言えば、これすなわちキモオタ必須アイテム。イケてるやつが『アニメが好き』って言えば、それは、ポップなサブカルなのだ」
「えー。不公平」
「そうだ。この世はすべからく理不尽で不公平なのだ」
「じゃあさ、地味で暗いキャラって、どうすれば脱出できんの?」
「あのなあ千紗。それは相談する相手を間違っている。俺だってそんな方法知ってたらとっくに実践しとるわ」
「そっかあ。やっぱ難しいのかあ」
「うむ。ひとつ言えるのは、クラスのグループと、その力関係が固定化する前になんとかしなきゃいけないっつーことだな。いったん下のグループに追いやられたら、それを覆すのは至難のわざだ」
そうか。やっぱり、中一の四月あたりまで巻き戻さなきゃだめっぽい。
「どういうキャラがトップに行くか、は……。あいつに聞いたほうがいいだろう」
「あいつ、って」
「リア充の中のリア充。選ばれしクイーンビー、名波亜里紗だ」
名波亜里紗。あたしたちのお姉ちゃん。兄ちゃんのいっこ上、あたしの三つ上。この世界では、いま、高一。
「ただいまあー」
がらがらと玄関のとびらの開く音がする。うわさをすれば何とやら。兄ちゃんはあたしに目で合図した。
「お姉ちゃん、おかえり。遅かったね。みんな、もうごはん食べちゃったよ?」
玄関で出迎えるあたし。お姉ちゃんは靴を脱ぎながら、
「いいよ。あたし、カレシと食べてきたから」
さらっと言う。さらさらの髪、第二ボタンまで開けたシャツ、ゆるく結ばれたタイ、短いスカート。長いまつげにふちどられた、ぱっちりおめめ。メイクしてるのかしてないのか、あたしみたいなお子様にはよくわかんない。お風呂上りのお姉ちゃんはもっとさっぱりした顔だから、何らかの加工はしてるんだと思うけど。
おまけに「カレシ」。見たことないけど絶対イケメンだ。これぞリア充。あたしはその場に正座し、両手をそろえて前についた。
「お姉さまに折り入ってお願いがあります」
「な、なに? いきなり」
「あたしを、弟子にしてくださいっ!」
お姉ちゃんはひとしきり爆笑したあと、自分の部屋にあたしを通してくれた。
ふわっと、甘いかおりがする。ファブリックはピンクと黒中心で、きらきらした雑貨とか、ネイルとかのコスメグッズがいっぱい飾ってある。
「かわいいねー。お姉ちゃんの部屋」
落ち着かないけど。目がチカチカするけど。
「んー。でも高校はいってからのキャラには合わないかなー。そのうち変える。どうしよ。もちょっとパステル系にしよっかな」
お姉ちゃん、たしかに中学まではちょいギャル系だったけど、高校生になってからはちょっとおとなしめだ。
「校則きびしいの?」
「ううん。でも、うちの高校、地味なコが多いからさー。ギャル系はむしろ浮くんだよね。だから清楚系にシフトチェンジ」
なんて器用なんだ。ほれぼれする。
「そんで千紗、弟子って何よ?」
「えっと……。あ、あたしも、中学生になったし、お姉ちゃんみたいに、可愛くなりたい……、みたいな」
ほおをぽりぽり掻いて照れ隠しする。「可愛くなりたい」なんて言っちゃったよ、あたし。
「何系で行くの?」
「えっ……」
「クラスの女子たち思い浮かべてみ? どういう雰囲気の子たちと仲良くなりたいか」
それはもちろん、中岡りな、みたいな。清涼飲料水のCMで「スキだぞー」とか叫んでプールに飛び込んでる、そんなのが似合うイメージ。それが片瀬の好みっぽいし。ってか、たいていの男子は好きだよね。
「さわやかで透明感があって、かわいくって、きらきらがハンパない感じ」
「ふーん。んじゃ、制服持ってきて。着てみ?」
「え、今?」
お姉ちゃんはうなずいた。あたしは言われた通りにした。お姉ちゃんは、制服姿のあたしに「ださ」とか「ありえない」とか、容赦ないダメ出しをする。
「もっと短く。ひざがちらっと見えるくらい。でも、それ以上やると上級生ににらまれるからね、そんくらいで」
おとなしく、言われた通りにスカートのウエストベルトを折って丈をあげる。ちょっとはずかしい。
「問題は上だね。なんでそんなぶかぶかなん? 明日土曜だから、丈だけでも直してもらいな?」
指示は髪型にもおよぶ。
「んー。たしかに千紗はショートのほうが似合うけど。おでこは出していったほうがいいよねー。うーん、短すぎてアレンジしにくい。ま、とりあえず、千紗は今日から髪、のばすこと」
それから眉毛をいじられる。お姉ちゃんは毛抜きで一本一本ちまちまと毛を抜いた。うう、痛いよ……。
「これくらいはしないと。メイクは、んー。まわりのコたちがはじめたら、あんたもはじめるくらいでいっかな。だいじなのは、足並みをそろえること。でも、化粧水くらいはつけたほうがいいよ。それから日焼け止めは必須」
「えー。そんなの買うお金、ないよー」
「ドラッグストアの、いちばん安いのでいいよ。量をたっぷりつけなきゃいけないんだから、あれは」
めんどくさいな、きらきら女子って。ちょっと折れそうになったあたしに、お姉ちゃんはさらにたたみかける。
「あとねー、大事なのは、かわいい子とつるむことだよー。よくさ、かわいいコのとなりだと自分は引き立て役になっちゃう、とか言うじゃん? でもあれ、嘘だからね。逆なんよ。かわいい子と一緒にいたら、自分もかわいいって思われるの。同じ属性だと思われるの。持ってるグッズとか、ファッションとか、かわいいコと似たテイストにしてくの。『かわいい』って、雰囲気だから。顔のつくりじゃないんだよ? 雰囲気がすべてなんだよ」
「でも、お姉ちゃんはほんとに顔もかわいいじゃん……」
ふふ、と不敵に笑って、お姉ちゃんは、まつげをぴりりとはがした。
「……っ! だ、だいじょうぶ?」
「ばかねー。つけまも知らないの?」
『つけま』をとったお姉ちゃんの顔は、さっぱりしててちょっと地味で、どことなくあたしに似てる。お風呂あがりの顔といっしょ。
「ま、こんな裏ワザもあるってコト」
あたしにウインクしてみせた。
「し、師匠……」
リア充への道、一日にしてならず。
月曜日。鏡の前に立つ。うん、前よりだいぶましになってる。
どきどきしながら学校に行く。教室に入る前にトイレに寄って、くずれた髪を直す。これだからチャリ通はめんどい。
だれかに何か言われないかなー、って期待したけど、だれも何も言わなかった。菜月がちょっとだけ「おっ?」って顔してたけど、あたしにあんなことを言った手前、何も声をかけてこない。
「おはよう、名波」美凪が来た。あたしの顔をじっと見る。「なんか、ちょっと、女子っぽくなった?」
来たっ! 来た来た来たっ!
「そっかな」
とぼけてみせる。そうだ。美凪もお姉ちゃんに弟子入りして、可愛く変身してみたらどうかな。そしたらもう菜月にあんなこと言われない。漫画描いてても、ポップなサブカル扱いだ。
「美凪。放課後あたしんち来ない? お姉ちゃんに雑誌借りてるから、研究しようよ」
「何の?」
「ファッションとか…………メイク、とか」
とたんに美凪は絶句して、奇異な生き物でも見るような目であたしをまじまじと見た。
「自分は、そういうの……、興味ないから。結構です」
「くやしくないの? その、もっと華やかなポジションに行きたいとか、思わない?」
「思わない。あたしは、ひとりでもいいから、自分の好きなことをやれてればそれでいい。ポジションとかどうでもいい」
美凪はきっぱりと言い放った。
胸のなかにつめたい風が吹いたような気がした。
ポジションとか、どうでもいい。あたしだって、つい最近までそう思ってたよ。
だけどあたしは……、片瀬のこと、好きになっちゃったから。華やかなポジションにいる奴のこと、好きになっちゃったから。
「でもっ」美凪の制服の袖をひく。「きっと楽しいよ、おしゃれしてきれいになるのって。美凪だって今よりもっと可愛くなれる。そしたらもう、暗いとか地味だとか言われない」
あたしは必死だった。必死で、美凪を説得しているつもりだったの。一緒にもっと高いところに行きたいって。隅っこに追いやられてるようなポジション脱出したいって。だから、美凪が青白い顔して、つめたい目をしてあたしを見つめているのに気づいたとき、一瞬、心臓が凍った。
「暗いとか。地味とか。みんなにそう思われてるのは知ってるよ、あたし。だけど名波はちがうって思ってた。名波はそういうの気にしないひとだと思ってた」
「みな……」すがるように美凪の名を呼ぶけど、声にならない。美凪の気持ちがあたしから離れていくのがわかったから。
「じゃあね、名波さん」
袖にかかったあたしの指をふりはらうようにして美凪はあたしに背を向ける。ぼうぜんと、遠ざかる美凪の後ろ姿を、もっさりとぶら下がったふたつの束ね髪が揺れるのを。見ていた。
あたしは可愛くなりたい。ひなたに行きたい。もういちど、片瀬のとなりに行きたい。だけど美凪はそれを望んでいない。
仕方ない。――ごめんね、美凪。
喉の奥からこみあげる何かをぐっと飲みこんで、ポケットに隠し持っていたリモコンのボタンを、あたしは、押した。
何度やっても、脳みその裏をひっかかれるような不快な高音に慣れない。めまいでふらふらしながら、まわりの光景を見回す。
桜の花びらが舞ってる。新学期だ。この景色、おぼえてる。ここらへんは暖かい地方だから、桜はいつも三月中に咲いて散ってしまうのに、あたしが中学入学した年は例年より気温が低くて開花が大幅に遅れたんだ。神様からの入学祝だねって、片瀬や菜月とわらったんだ。
「千紗っ! おんなじクラスだよっ!」
はしゃぐ菜月。あたしの手をとってぶんぶんと振った。目の前の掲示板に、クラス名簿と担任の名前の載った張り紙。
「あー。おれは二組だー」
あたしのとなりで背伸びしてるのは、片瀬。
「じゃな。あ、千紗。入学式終わったら、おまえんちと俺んちで、メシ食いに行くって、母ちゃん言ってたぜ」
「あ。かた……志信は、行く?」
「行く行く。だって、寿司だってよ?」
にかあっと笑う志信。ぜったい、ぜったい、振り向かせてみせる。
中一、四月。あたしの、リ・スタート。
前みたいに、あたしは菜月とつるんだ。菜月は速攻でバレー部にはいった。あたしは予定通り、入部はことわった。部活には入らないかわりに、おしゃれを毎日がんばっている。練習して、自分で眉の手入れくらいはできるようになった。髪も伸ばしはじめた。ショートのほうが似合うけど、今の髪はさすがに短すぎて、どうにもアレンジがきかないって前お姉ちゃんに言われたんだ。前髪をピンでとめてみたり、ななめに流してみたり、毎日鏡とにらめっこ。
「ねえねえ、あたしたちも一緒に行っていい?」
四月の終わり。ようやく新生活に慣れてきたかなって頃(あたしは二度目だけど)。移動教室のとき、クラスの女子に話しかけられた。前、菜月がキャラメルあげてた、体育会系の子たちのグループ。中岡さんたちほどの華はないけど、そこそこ可愛いかなってレベルの子たち。
「もちろん」
菜月とあたしは笑顔でこたえた。小麦色の肌の、ポニーテールの子が、ゆっち。本名は裕子だけど、平凡だから嫌いって言った。ボブカットの子が、まっちー。本名は真知子。おばあちゃんが昔のドラマからつけた名前だから、昭和っぽくてヤダって言った。
そうかな。普通にかわいい名前だと思うけど。それに、だいじなのは中身なんだし、って言おうとして、だけど、ぐっと言葉をのみこんだ。本心で言ってるとは限らない。ちょっと様子を見てみる。
「菜月って、いい名前だよねー。かわいくってー」と、ゆっち。
「んー、だけど苗字がきらいー。岩渕って、ちょっとごつくない?」
菜月のせりふに、まっちーが笑う。菜月が、自分の苗字が嫌いだなんて初耳だ。
「千紗、もかわいくていいなー。苗字もいい感じ」
あたしに話をふってきた。脳みそをフル回転させてベストアンサーをさがす。
「でも、ちさ、ってちょっとおばあちゃんっぽいよね。苗字も『ナナミ』だから、どっちが名前でどっちが苗字かわかんなくない?」
これでどうだ。ゆっちがくすくす笑った。
「島崎藤村、みたいな? 小学校のころ『しまざきふじむら』って読んで笑われたの! 超はずかしかったー」
笑い声。あたしも笑った。乗り遅れないように。みんなが笑うとこでは、笑ってなきゃ。
だいじなのは、足並みをそろえること。みんながヤダっていうことにはヤダって言って、こう思うよね? って聞かれた時には、だよねってあいづち打って。流れを変えないようにしなきゃ。うん、大丈夫。きっとできる。
昼休みもあたしは、ゆっちやまっちーと四人ですごした。携帯のアドレスも交換した。
うつむいて登録作業をしてたら、いつの間にか話題が変わってて、誰それのペンポーチがかわいいとかシャーペンがかわいいとか、きゃらきゃら盛り上がってる。あたしはあわてて自分のペンポーチを隠した。あたしのは、百均にある、シンプルなメッシュのポーチ。お母さんが通帳とか印鑑とか入れてるのと同じ。使いやすいけど、あまりにそっけない。
しまった、って思った。小物まで気が回らなかった。
あっという間に四月が過ぎ去り、ゴールデンウイークが来た。あたしはお姉ちゃんにお願いして、一緒に街のショッピングセンターに行った。そこで、ペンポーチだのリュックだの櫛だの鏡だの、とにかく身の回りのグッズを買いまくった。もちろん普段のおこづかいじゃ足りなくって、手をつけてなかったお年玉をくずしてしまった。つきあってもらったお礼に、お姉ちゃんにソフトクリームをおごった。巻き戻し後も、よきアドバイザーになってもらうつもりだ。自分ひとりじゃ、何を買ったら「かわいい」のか、わかんないんだもん。
小学校の頃。服は、兄ちゃんのお下がりを着てた。お姉ちゃんのお下がりはあまりにも似合わなくって、いとこにあげてたんだ。小物も服に合わせて男子っぽいのばっかり。菜月はじめ女子の友達も何も言わなかったし、悩んだことなんてなかったのにな。
連休あけ、なんとなくからだがだるいけど、がんばって学校に行った。あたし、ちゃんと「かわいい」かなって、そればかり気になった。あたしの心配をよそに、あたらしくそろえた小物に、みんな「どこで買ったの?」って反応してくれた。
「ゆっち、アメあげるー。最近、これ、マイブームなの」
「さんきゅー菜月。あ、あたしもあげるー」
「あたしもー」
昼休み。遠足でもないのにお菓子の交換会がはじまった。あたしはあせった。あたしだけ何も持ってきてない。
「千紗も食べて。今日、元気ないじゃん。糖分補給しなきゃだよっ」
「お菓子絶ってる? ひょっとしてダイエットとか?」
つぎつぎにたたみかけられる。あたしはうなずいた。思わぬ助け舟。そうだ、ダイエットしてることにしよう。
「そうなんだー。最近太っちゃってー。お菓子もってきてなくて、お返しあげられないけど、ごめんねー」
両手をあわせてみせる。明るく、明るく。
「いいよいいよー。てか、千紗、ぜんぜん太ってないじゃん?」と、まっちー。
「そんなコトないよー。あたし、脱ぐとすごいんだよ。太ももとか。見る?」
笑顔で言うと、菜月が手を叩いて笑った。こういうときは、軽い自虐と軽いギャグを返すのがベストアンサー。自虐っていっても、深刻になっちゃだめ。みんな引くから。
「そろそろ理科室行かない?」
ゆっちが言った。いったん自分の席にもどって、しばし放心。それから、もたもたと道具を準備する。教室入口のとこで、三人があたしを待ってる。あわてて立ち上がり、駆け寄ろうとして。
衝撃。強烈なデジャ・ヴュ。誰にぶつかったのか、顔をあげなくてもあたしにはわかる。
「ごめんなさいっ」
高い声。床に散らばった道具を、あわてて拾いあつめている、かつての親友。
美凪。
しゃがみこんで、美凪のノートを拾い上げる。このノートの中身は、美凪の描いた漫画。あたしたちが仲良くなったきっかけの場面が、また、巡ってきた。
「あたしこそ、ごめんね……。ぼうっとしてて……」
鼻の奥がつんとする。どうしてあたし、泣きそうになってるんだろう。
「どこか痛いんですか? 名波さん。ごめんなさい、私」
おろおろとあやまり続ける美凪。あたしはぶんぶんと首をふった。
「ううん、大丈夫。ごめんね、江藤さん」
立ち上がる。美凪の目を見ないようにする。振り返らず、あたしを待つ、「友達」のところへ向かう。
ごめんね。美凪。ごめんね……。
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