リモコンのひみつ
「え? ええっ?」
「さっさと運動場行くぞ。今日の体育、ドッヂだってさ!」
目の前のガキんちょがあたしの腕をひいている。あたしはとっさに振り払ってきょろきょろとあたりを見まわした。
「え、ここ、きょ、教室?」
さっきまで自分の部屋にいたはずなのに。それに、教室っていっても中学校のじゃない。
「あのさあ、きみ、名前は?」
おそるおそる聞いてみる。ガキんちょは、はあ? と思いっきり眉間にしわをよせた。
「片瀬志信」
「と、年は?」
「十一歳。六年。てか、どしたの? 記憶ソーシツ? どっかで頭でも打ったの? それ以上バカになったらやばいぞ」
やっぱり片瀬だ。二年前の片瀬だ。じゃああたしは? べたべたと自分のからだにさわってみる。足の傷は消えてる。胸もぺたんこ。いや、中二の今だってそんなにないんだけど。それだけじゃなくって、からだ全体が骨っぽくて細っこい。しかも体育服なんて着てる。それも、小学校の。
もしやあたしも、二年前の姿に?
片瀬にうながされるまま、廊下を駆ける。先生の怒鳴り声が飛んでくる。下駄箱。すのこ。自分の運動靴。ぜんぶが、なつかしい。
わけがわからないまま、あたしはいつの間にかドッヂボールなんてしていた。
「いけえええっ! 琥太郎ッ!」
叫ぶ片瀬。琥太郎が敵コートにボールを投げる。ヒット。ていうか、何で琥太郎がいる?
「よけろ! 千紗!」
片瀬の怒鳴り声と同時に、顔面にボールがぶつかってあたしはあおむけに倒れた。
ピーッとひびくホイッスル。先生が、「タイム!」と叫ぶ。なつかしい。六年の担任の佐伯先生だ。かげでゴリラって悪口言ってた。
「だいじょうぶかあー?」
ゴリラが駆け寄ってきて、あたしの顔をのぞきこんだ。力なくうなずく。チッ、と片瀬が舌打ちした。相手コートでにんまり笑ってるのは、菜月だ。
そうかこれは夢なんだ。机に向かって考え事して、そのまま寝ちゃったんだ、あたし。昔に戻りたいなんて思ってたから、その願望がそのまんま夢になっちゃったんだ。それならばすべて説明がつく。
ここは夢の中にある、二年前の世界。
あたしはゆっくり起きあがった。どうせ夢なら楽しんでやる。
外野にまわったあたしは、ボールを投げて投げて投げまくった。二年ぶりのドッヂボール。超たのしい。
「あーあ。負けた―。前半、誰かさんがボーッとしてたせいだよなあ」
体育の時間が終わって、給食食べて、昼休みが終わって、掃除が終わっても、まだ片瀬はぐちぐち言っている。
配膳台のそばでは男子たちがゲラゲラ笑ってる。琥太郎がハラ踊りしているんだ。腹筋に油性ペンでカオ書いて。あーあ。洗っても落ちないぞ? バカすぎる。
「つーか、いいこと教えてやろうか?」
片瀬があたしの耳に口をよせた。心臓がどきっと跳ねる。つい、思い出してしまう。タイムカプセルに書いてあったあたしの名前。片瀬……。
「琥太郎さ、二時間目の休み時間、ずーっとトイレの個室にこもってたんだ。ウンコだよ、ウ・ン・コ」
いいことって、それ? あたしは脱力した。
「だれにも言うなよー? あいつの名誉のために」
けらけら笑う坊主頭の片瀬。
小学校のころって、こんなだったっけ? こんな話ばっかりしてたんだっけ……?
とても、片瀬があたしのこと好きだとは思えない。中岡さんを見つめるときの雰囲気とはぜんぜん違う……。
チャイムが鳴って、みんな、いっせいに席にもどった。先生が入ってくる。日直の号令。五時間目は算数らしい。教科書をぱらぱらめくると、当たり前だけど、全部、知ってる内容だった。
先生が黒板に「学習のめあて」と書かれたプレートを貼った。なつかしい。小学校の授業って、そういえばこんな感じだった。それにしても、なんて長い夢なんだろう。ボールが当たったときはちゃんと痛かったし、給食も味がした。すっごいリアル。
そのまま一日のカリキュラムを終えたあたしは、放課後男子たちとサッカーやって、それから片瀬と一緒にだらだら道草を食いながら帰った。まだ目は覚めない。
家に着いてランドセルを机にかける。小学校入学以来使ってる学習机だ。模様替えなんて一度もしてないから場所は中二の今と変わらない。大掃除のときにどかすだけ。宿題でもしようかと椅子に腰かけようとして、あることに気づいた。
「……これ」
机の上に、銀色の、まるい、ひらべったい、ボタンがみっつついた物体がある。ごくりと、つばを飲む。
夢の中にもこれがあるの?
あの時、あたし、たしかに「巻き戻し」のボタンを押した。まさか。だから、二年前に巻き戻っちゃったとか……?
ぶんぶんと首をふる。そんなわけない。ありえない。
「おーい。千紗、いるかー?」
いきなりふすまが開いて、兄ちゃんが入ってきた。
「いきなり入ってこないで! ノックぐらいしなよ!」
兄ちゃんを思いっきりにらむ。
「えー。だって、ふすまにノックって、おかしくね? ってか、お前、俺の雑誌持ってね?」
ずかずか入ってきて、勝手に引きだしを探る。兄ちゃんも今よりニキビが少なくて、幼いかんじだ。
「おー、あった。これこれ。おまえ、借りパクすんなよな!」
それはなんだかうさんくさげな雑誌だった。表紙に「タイムスリップは可能か」という見出しが躍ってる。タイムスリップ……?
「タイムスリップって、兄ちゃんは、可能だと思う……?」
「もちろん。この雑誌では不可能ってバッサリ斬られてたけどな! ふははは!」
兄ちゃんが出て行ってからも、あたしは、机の前でじいっと考え込んでいた。
いや。くよくよ考えてるより、試してみるほうが早い。
「中学二年。六月。あたしの部屋……」
目を閉じて思い浮かべる。あたしがいた世界。
ボタンを押す。『Fast-forward』。早送り……。
きゅるるるるるるるるるるるるる―――
強い風が吹く。不快な耳鳴り。ああ。まただ、この感じ。回ってる。回ってるんだ、時計の針が。
風がやんだ。音がやんだ。
机の上に置かれた銀色のリモコンが目に入る。カチ、カチ、と秒針の音。自分の腕を見る。青あざがある。中学の、制服を着ている。さわってみる。ささやかだけど、胸のふくらみが、ある。
二年で結構変わるもんだな。って、それは置いといて――。
ボタン押した。二年前の世界に行った。またボタン押した。そしたら元の時間に戻った。
一体これは、何なんだ。
お母さんに呼ばれて、一階に降りてごはんを食べる。お父さんはまだ帰ってきてない。もくもくとごはんをそしゃくするけど、まったく味がしない。
と、がらりと玄関の扉が開く音がして、「ただいま」と低い声が聞こえた。兄ちゃんだ。
あたしの隣でごはんを食べていたお姉ちゃんが、ふう、とため息をついた。
兄ちゃんはこの春高校に入ったばかり。お姉ちゃんと同じ高校だけど、派手でキラキラしたお姉ちゃんとは対照的に、地味であかぬけない。にきびを気にして、前髪のばして隠してるけど、それがかえって暗そうな人って印象をあたえる。ほんとは結構おもしろい奴なんだけど。へんなこと色々知ってるし。海に沈んだ謎の大陸とか、UFOとかUMAとか、そういうのに詳しい。
へんなこと。……二年前の兄ちゃんの雑誌の見出しが、脳裏によみがえった。
「タイムスリップは、可能か」
兄ちゃんの部屋をノックする。たしかに、ふすまをノックするって、ちょっと間抜けな感じ。
「入れよ」
ぶっきらぼうな声が返ってくる。
ひさしぶりに入る兄ちゃんの部屋はモノが少なくて片付いてるのにもかかわらず、みょうにむさくるしい。お姉ちゃんの部屋は甘ったるいにおいがするのに、ここは体育のあとの教室みたいな、汗と制汗剤が入り混じったような空気。ちょっと息苦しい。
「めずらしーな。お前が俺に用なんて。てか、なんだ? そんな思いつめた顔して」
「あのさ。……これ、あたしじゃなくって、友達が言ってたんだけど」
これまでのいろいろを、かいつまんで話した。へんな汗が出てくる。
「いや、あたしも信じられないんだよ。でも、うそつくような友達じゃないし」
つい、しどろもどろになってしまう。兄ちゃんのめがねがキラリと光った。
「それは興味深い。未来人が置いて行ったか、それとも宇宙人が落としていったか」
「は?」
「何らかの方法で時空を操るすべを得た存在がもたらしたものなのだろう、その物体は」
兄ちゃん、あっさりとうさんくさい話を鵜呑みにした上に、考察までしてる。兄ちゃんとじっくり話すのなんて久々だけど、なんか、あさってな方向にパワーアップしてる。二年前はまだ、かわいらしい少年って感じだったのに……。
「オーパーツって知ってるか?」
「オパール?」
「それは宝石だろ」
速攻でつっこまれる。
「時代錯誤遺物。その時代の技術では製造が不可能な出土品のことを言う」
ぽかんと口を開けるあたしに、兄ちゃんは自分の携帯を見せた。つるつるっと、スクロールする。画面には、「オーパーツ一覧」という文字とさまざまな画像があらわれた。
「有名どころでは、ナスカの地上絵とか。これはアンティティキラ島の機械。日本にもあるぞ。たとえば聖徳太子の地球儀」
「…………」
頭が痛くなってきた。
「大部分は、当時の技術が解明されたりインチキが発覚したりで、説明がついてるんだ。でも俺は思うんだ。未来人や宇宙人がその時代に置いて行ったものが、きっとあるはずだと……ッ」
熱くなる兄ちゃん。あたし、置いてきぼり。
「それじゃあ、謎のリモコンも、そういうこと?」
ぽつりとはなった質問に、重い沈黙が沈む。部屋は兄ちゃんの放つ熱気のせいか蒸し暑い。あたしは窓をあけた。
夜空に星がまたたいてる。宇宙人……。未来人……。時空を操るすべを持つ存在……。
あの綺麗な黒猫は、どこからあれを拾ってきたんだろう。
「時空を操るって、タイムマシンみたいな?」
つぶやくあたし。兄ちゃんはうなずく。あたしは首をかしげた。
「タイムマシンとはちょっとちがうような。過去に行く、って感じじゃなくて、戻ってるんだよね。周りだけじゃなくって、自分自身も二年前のすがたに戻ってるんだ。身長も縮んで、服も変わってて、でも頭の中は今の十三歳のあたしなんだ……」
兄ちゃんの目が不気味に光ってるのに気付いて、われに返った。
「って、友達が言ってた。あはは、はは……」
「秀ー」一階から、お母さんの声がする。
「早くお風呂入りなさいー。亜里紗なら、もうあがったからー」
ちょうどいいタイミングだ。あたしは兄ちゃんの部屋を出た。
学校でも、あたしはずっと謎のリモコンのことを考えていた。リモコンは、あたしがいない間にだれかが勝手に触ったりしたら大変だから、ポケットに入れて持ってきている。 二時間目は理科。ああ、教室移動ってめんどい。
「今日おとなしいね。ハラでも壊した?」
あたしに聞く美凪は無表情。ちっとも心配してないだろ、と心の中でつっこむ。美凪っていつもポーカーフェイス。ボリュームたっぷりのアンダーツインが、湿気をふくんでさらにふくらんでいる。
どん、と肩に何かがぶつかった。その拍子に、あたしの教科書とノートがばらばらと床に落ちる。
「あっ。ごめんねっ!」
中岡りなだ。心臓がどきんとする。
「あたし、前よく見てなくて……。ボーッとしてたんだ」
ころころと愛らしい声。あたしが道具を拾うのを手伝ってくれる、白くて細い指。
至近距離の中岡さんは、なんだか甘いかおりがする。何かつけてるのかな。それともこれが、恋する女の子のにおい……?
ぎゅうっと、心臓がつかまれたみたいになる。
「りな、行くよー」
中岡さんのグループの子たちが呼んでる。中岡さんはあたしに、もういちど「ごめんね
」と言って駆けてった。
ひざこぞうがのぞくくらいに短くしたスカート。形よく結ばれたスカーフ。おんなじデザインの制服なのに、あたしのとは決定的にちがう。まず、セーラー服の丈からちがう。あたしのは、お母さんが大き目のを注文しちゃったせいで、袖も丈もあまってぶかぶか。美凪も似たようなかんじ。ずるずるの、もっさり。
同じ空間に人間がたくさんいれば、似たようなタイプで固まるのが道理というもの。ハデな子はハデな子と。かわいい子はかわいい子と。地味な子は、地味な子と。
中学にはいってはじめて、あたしはその「道理」に気づいた。小学校のクラスは十人しかいなくて、そのうち女子は四人。グループなんてつくりようがないし、そもそも男子とばっかり遊んでいたし。クラスの女子がくっつき合っていくつかの島に別れていくのをぼんやり眺めてるだけで、気づいたら取り残されてて、あたしは「地味、暗い」キャラになってしまっていた。あたしが望んで演じたキャラじゃないのにな。まわりに勝手に決められちゃったんだ。
ポケットに手をいれる。指先が、ひんやり、すべすべしたものに触れる。
「名波―?」
美凪があたしの目の前で手のひらをひらひら動かした。あたしは不敵にほほえんだ。
「何。案ずることはない。わたしは時空をつかさどる能力を手に入れたのだ!」
兄ちゃんの口調をまねて言ってみる。とたんに美凪のポーカーフェイスがくずれた。げらげらと、おなかをかかえて引き笑いしている。
「どうした名波。ウケる。さっそくネタに使わせてもらうよ!」
涙目の美凪。チャイムが鳴った。やば、とあたしたちはダッシュで理科室へ向かった。
美凪とはじめてしゃべったのは中一のはじめごろ。ちょうど、ゴールデンウィークが終わったぐらいだったかな。まだ、あたしは菜月や片瀬とふつうにしゃべってた。
小学校卒業と同時にこの町に引っ越してきたという美凪には親しいひとがいなかった。なんとなくクラス内のグループが形作られてきた頃だったけど、美凪はいつまでもひとりだった。
さっきの中岡さんみたいに、あたし、何かで急いでて、美凪にぶつかったんだ。美凪の持ってたノートが床に落ちて、ぱらぱらとページがめくれて……。
なつかしい。あのころ、楽しかったな。
あたしは、無意識に、ポケットの中のボタンを押していた。
きゅるるるるるる……。世界がまわる。ふたたびの、巻き戻し。
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