#5 雪うさぎ

「行ってきます」

「行ってらっしゃい、気を付けてね」


妻の沙羅(さら)が台所から顔をのぞかせる。


「沙羅の方こそ気を付けろよ」


沙羅はここ最近体の調子が悪いと言っていた。上司にも心配されていたようで、今日は有給を使い病院に行くそうだ。


「大丈夫だって! 美味しいケーキ買って待ってるから。今日は早く帰ってきてね」


手を振りながらにこにこ笑う沙羅の顔は7年前と比べても全く変わらない。俺も振り返し、ドアを静かに閉める。ふと、空を見上げると雨粒ではなく雪がちらついていた。


そういえば天気予報で雪が積もるかもしれないっていってたっけ。

俺は沙羅に編んでもらったマフラーをいつもよりキツく巻く。通学途中の小学生達は、空から落ちてくる雪を見てはしゃいでいる。


俺も子供の頃は、雪が降るのを楽しみにしていた。東京では中々雪を見ることはなく、積もるだなんてもっての外だ。俺が小学生の頃、1回だけ積もった時があったが、その時は体育の時間に雪合戦をやったのを覚えてる。雪が降るだけでその日1日はすごく楽しめる。


それがいつからか、雪は電車が乱れるから嫌い、と思うようになってしまった。友達の多くも俺と同意見だったが、ただ一人子供のように目を輝かせている女の子がいた。その女の子こそ、沙羅だった。


『えぇー、夢がないね、真守(まもる)は。雪はいつになったって楽しいじゃん』


沙羅は大学生の頃も雪が大好きで、今でも天気予報の時に雪だるまマークが現れるとウキウキしている。


……今日は特別な日だからかもしれないが、やけに昔の沙羅のことを思いだす。俺はポケットの中の紙を握りしめる。沙羅は喜んでくれるだろうか。


「……あの日も雪だったっけ」


俺がボソッとつぶやいた言葉は白く溶けていった。


仕事の昼休みに窓から外の景色を見るとすっかり白銀の世界に染まっているそのせいもあってか、外を歩く人も少ない。病院に行くと言っていた沙羅は無事に病院に行けただろうか。


「うわぁ、寒そうだな。遠上(とおがみ)、こりゃ今日は社員食堂だな」


同僚の柴田の言葉に俺は素直に首を縦に動かす。いつもは混雑を嫌って外の定食屋や牛丼屋を回っているが、この寒さの中外には出たくない。


「私もご一緒していいですか?」


後ろからかかった声に振り向くと、その声の主は社内でも可愛いと評判の峰岸さんだった。俺達の1年後に入社してきた子で、上からも可愛がられている。そんな後輩のお願いを断れるはずがない。結局俺達は3人で食堂へ向かった。外が雪なのもあっていつにもまして食堂内は混んでいたが、峰岸さんがなんとか席を確保してくれた。


俺達は揃って手を合わせ、ご飯に手を付ける。


「でも雪なんか久しぶりに降りましたよね」

「そうだな。こりゃ今日は雪だるま作りに駆り出されそうだ」


柴田は口では愚痴っぽく言っているが、

頬が緩んでいるのできっと本心では乗り気なんだろう。


「柴田さんのお子さんおいくつになったんでしたっけ?」

「2歳だよ。今日も雪を見ておおはしゃぎだった」

「子どもって純真でかわいいですよね」


純真で可愛い……か。

今の年になっても瞳の奥を輝かせている沙羅は大きな子供といったところかな。


「そう言えば、遠上さんはお子さんは……?」

「俺はいないよ」


結婚して2年。別に避妊をしている訳ではないのだが、中々授からない。そのことを沙羅はほんの少し気にしている。ただ沙羅の体ももちろん心配なので、無理をせずに自分達のペースで頑張ろうという結論には至っている。


「ま、遠上と奥さんは今は二人だけの時間を満喫してるんだろう。

赤ちゃんも遠慮してるんじゃないのか?」


「夫婦仲がいいって素敵ですね。どこで知り合ったんですか?」

「大学の時。それから今日で7年だ」

「7年! 長いですねー! 告白はどっちがしたんですか!」


峰岸さんは目を輝かせながら俺にどんどん質問を投げかけてくる。

やはり何歳になっても女性は恋愛関係の話が好きなのだろうか。


「そういえばお前の慣れ染めの話聞いてないな。聞かせろよ」


柴田がお節介にもコーヒーを三杯持ってきた。時計をチラッと見たが、まだまだ仕事開始の時間まで30分もある。流石に30分間この話題を避け続けるわけにはいかないか。俺は少し苦いコーヒーをすすってから、沙羅と俺の話を始めることにした。



その日は雪がかなり、降っていた。朝から降り続いた雪もすっかり積もっていて踏み出した足がすっぽりと雪に埋まり足元をすくわれるほどだった。そんな中、おぼつかない足取りで必死に前へ前へ進んでいく女の子の姿が前にあった。


「おーい沙羅、今帰り?」


俺が沙羅の肩に手を置くと、沙羅は肩をビクッと震わせた。


「わっ……なんだ真守かぁ……びっくりさせないでよ」

「沙羅が帰りに一人なんて珍しいな」

「午後の経済学の講義、女の子は私しか取ってないんだよ。だから毎週水曜はこの時間で一人さびしく歩いてるんだよ」


沙羅の横を歩くと傘と傘がぶつかる。沙羅のピンク色をした傘の柄の部分にはうさぎのシールが貼ってある。


「沙羅、それなんだ?」

「目印だよ。傘立てに一杯傘が並んでるとさ、どれが自分の傘なのか分からなくなっちゃうじゃない。でもこのうさぎを貼っておくとすぐに自分のがどれか分かって便利なんだよ」


ふふんと沙羅は得意げに鼻を鳴らしている。確かにこんなことをするのは沙羅の他には思いつかないが、大学生にもなってうさぎのシールを貼るというのはどうだろうか。


「でも雪の日に傘をさすってのもなんか変だよね」

「そうか?」

「そうだよ。雨はじとっと濡れる感じがするけど雪はほわっと弾む感じがしない?」


沙羅は行動だけではなく、少しずれたことを言う女の子だった。だけど沙羅と話すのは凄く楽しい。沙羅は俺の話をじっと目を見て聞いてくれるし、自分の話は身振り手振り一生懸命に話す。


「雨は手で払えないけど、雪は優しく触れば体から払える……みたいなイメージで合ってるか?」

「うんうん、大体あってる! やっぱり私の話についてきてくれるのは真守だけだよ」


沙羅はしきりに頷いていたが、そこを感心されても困る。苦心して歩みを進め、公園が見えたところで沙羅の足がピタッと止まる。


「沙羅?」


沙羅の視線の先には、小さな子どもたちが思い思いに雪だるまを作っていた。


「雪だるま、作りたいのか?」

「……真守ってエスパー?」


いや、きっと俺だけじゃなくても誰が見たとしても沙羅の心を読めることが出来るだろう。


「作りたいなら作ればいいじゃん」

「でも、子どもたちより大きな雪だるま作るのってなんか嫌じゃない?」


沙羅の言わんとしたいことはなんとなく、分かる。子どもがわいわい遊んでる中、自分よりも大きな身長が大きい大人が二人ずかずかと公園内に入ってきて公園内で1番大きな雪だるまを作る……。


もし、自分が子供だったらあんまりいい気持ちはしない。


「じゃあ一緒に混ざってくれば? 沙羅なら大丈夫だろ」

「ちょっと、どういう意味?」


沙羅は頬を膨らます。雪を見てはしゃいだり、喜怒哀楽を前面に顔に出したりするところを見るときっと今子供に混ざっても何の違和感もない。微笑ましいと思ってしまうかもしれない。


「あ、そうだ、じゃああれ作ろう」


沙羅は傘を置くと、公園のベンチの下の雪を手のひらですくった。


「ひゃっ、冷たい!」


雪なんだから当たり前だろ……と心の中で俺は突っ込んだ。とりあえず、沙羅の頭上に傘を広げてやると沙羅はニコッと笑ってありがとう、と言った。やっぱり子どもたちに混ざっててもおかしくないくらい、目はキラキラしている。


 沙羅は雪を手のひらに収まるくらいの楕円の形に固めた。そして、公園の木の葉っぱを二枚千切り、雪に埋め込む。


「出来た、雪うさぎ!」


二枚の葉っぱは耳を意味してるらしい。なるほど、うさぎに見えないこともない。だけど何かが足りない。その足りない何かはすぐに分かった。


「沙羅、目がないよ」


公園内の雪だるまの顔には石などを埋め込んでいて目があるように見える。だけど沙羅のは耳だけだ。


「うん、そうなんだけど……でも赤い目がいいじゃん、うさぎって」


なるほど、確かに無機質な石ころじゃあんまり可愛くないかもしれない。沙羅と話すことが多い俺は、沙羅の感覚を若干理解しかけていた。ふと、公園内を見回すと奥の方に赤い実があった。きっと冬に実を結ぶ花だろう。


「沙羅、あれなんていいんじゃない?」


俺が指さすと沙羅は顔をほころばせてその赤い実へと走って行った。

俺も慌てて追いかけると、すでに沙羅の手には完成した雪うさぎが1匹乗っていた。赤い目がなんとも可愛らしい。


「わーかわいいー!」


女の子が沙羅の手の上の雪うさぎを見て、うらやましそうな声をあげる。沙羅はまた優しく笑う。


「簡単に作れるんだよ。お姉さんとやってみる?」


沙羅は女の子三人に雪うさぎの作り方を優しく教えていった。とはいっても雪を楕円の形に固めて葉っぱと石を埋め込むだけの簡単な作業ではある。女の子が一生懸命に作った雪うさぎは手のひらの大きさそのまま、ちょこんとしたサイズだ。


見ているのも退屈だったので、俺も試しに作ったら沙羅に思いきり笑われた。何でも男が雪うさぎを作ってるのがおかしかったらしい。

余計なお世話だといいたい。


お礼を言う女の子に手を振って俺達は公園を後にする。


「冷たぁ……もう手真っ赤だよ」


沙羅ははぁっと息を何度も手に吹きかける。


「雪で遊ぶ時の唯一の難点だな」

「でも楽しかったね! やっぱり私は雪が好き! いつか本当のうさぎも飼いたいなぁ」


「うさぎ好きなんだ?」

「大好き!!」


気付けば空から降る雪の勢いも弱まりつつある。俺達は自然に傘を閉じた。さっきよりもお互いの距離は近くなる。


「……うさぎってさ。ひらがなで書くと可愛いよね」

「うん?」


また何の脈絡もなく、沙羅の話は始まった。沙羅は携帯からメール画面を出し「兎」と入力する。


「ほら、こんなにごつくなる! だったらひらがな三文字でうさぎの方がかわいいじゃん」


「あぁー。なんでもひらがなにすると柔らかく見えるってのもあるよな。葡萄とかもぶどうのほうが美味しそうだし、虎もひらがなで"とら"だとどうもすごみにかけるよな」


「……流石、真守。よく私の話について来てくれるね」


大学の英語の講義で一緒になって顔見知りになり早一年。沙羅にとって男子の中で一番話してるのは俺だろうし、逆に俺自身女子で一番話してるのが沙羅だ。大抵の話には対応できる。すっかり沙羅に感覚を蝕まれている。


「沙羅本人にも言えるよな。"さら"って平仮名にしても可愛いし、沙羅ってするとなんかキリっとするし」


俺がそう言うと、沙羅は俺から視線を切り、下に向けた。頬は寒さのせいもあるのか若干、赤い。


「そ、そうやって、何人の女を落してきたの! 変なこと言わないの!」

「いや別に……本当のこと言ったまでだし」

「ふ、ふん! 私はそんな言葉なんかじゃ落ちないんだから!」


はいはいと流そうとしたら、手をぎゅっと握られる。

冷たいと思うよりも先に、心が跳ね上がる。


「もうずっと前から……恋に落ちてるんだから……」



「はぁー……それで遠上さんがその告白にOKして付き合いだしたんですか!」

「まぁな。俺も沙羅と一緒にいる時間が好きだったから」

「いいですね! ロマンティックです! 私もそんな恋愛がしたいですね」


峰岸さんがため息交じりに言うと、食堂の視線が一気にこちらに集まるのが分かった。峰岸さんを狙っている男社員共のねっとりとした視線だ。


「それでその日は沙羅を家まで送って、最後に家の前で二匹雪うさぎを作って、これからもよろしくって」

「ホント、奥さん可愛らしいよな」


沙羅は雪うさぎ同士をくっつけてラブラブだねとも言っていたのだが、そのことを二人に言うのはやめておこう。


「それで今日のプレゼントも用意したって訳か。お前がこだわっていた理由が分かったよ。まるでタイミングを計ったように雪が降ってきたな」


「ほら、休憩の時間も終わりだぞ」

「えー、プレゼントのことも聞きたかったんですよー」


峰岸さんの不満げな声に、周りの男社員共はにわかに殺気立つ。こいつら、ずっと俺達の話に聞き耳を立てていたのか。となると、俺の馴れ初めの話も筒抜けだったかもしれない。


「それはまた今度な。ほら、仕事仕事」


その後は18時までみっちり仕事に打ち込む。沙羅の体調は大丈夫だっただろうか。色々心配なこともあったが、仕事も片付きなんとか定時に上がることが出来た。


家に帰る前にある所に寄り、プレゼントを引き取ってから、家の前に立つ。俺はすぅっと大きく息を吸い込んでから自宅のドアを開けた。


「おかえ……」


パタパタと駆け寄ってきた沙羅の足がぴたりと止まる。視線は俺の手の上のケースに釘づけだ。


「うさぎ、飼いたいって言ってただろ? 付き合って7年、結婚してから2年目のお祝いにって思って」


沙羅は目の奥を宝石のように煌めかせている。やっぱり、あの日と変わらない。見ていてなんだか安心できる、沙羅の目だ。


「かわいいぃ! 真っ白の毛並みだし、名前は"ユキ"だね」

「それじゃ文字通りの雪うさぎだな」

「ふふ、私達が付き合い始めた日のことを思い出すね」


沙羅は頬を赤らめる。雪は嫌いだと言っていただけど、沙羅のこんな嬉しそうな表情を見ることが出来て、今日だけは雪のことを好きになりそうだ。


「真守。私からも話があるの」

「話?」


沙羅からその話を聞いた俺達は泣きながら抱き合った。そしてそのまま勢いよく外に飛び出し、まだ陰に残っている雪を二人ですくう。


二つ作った後に、俺達は一緒にもう一つの小さい小さい雪うさぎを作った。その光景を、家の中からユキうさぎが羨ましげに見つめていた。

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