#3 てのひら

「最近彼氏とはどうなの?」

「おかげ様で上手くいってるよ。祐希は?」

「まぁ、相変わらずっていったとこかな」


いつもの帰り道、僕と菜月は肩を並べて歩いている。暖かくなった春の柔らかい日差しが菜月の綺麗な茶色の髪を照らしている。僕と菜月は物心が付く前からずっと一緒だった。そのせいか、お互いに“恋愛感情”を抱くことはさっぱりなかった。


今日のように学校帰りに会ったら声を掛けて、一緒に帰る。休みの日になれば菜月の長い買い物に付き合ったり、家族ぐるみで出掛けたりすることもあった。もう限りなく家族に近い存在。それが菜月だった。


そんな関係は、お互いに恋人が出来てからも変わらず続いている。お互いに恋人が出来たら少しはこの関係も変わっていくと思っていただけに少し拍子抜けだ。恋人のことを愚痴ったり、悩みにのったり……。本当に大切な存在だ。勿論、僕の彼女に菜月のことを話すと眉を潜められてしまう。


「また買い物に付き合ってよ」


菜月は大の買い物好きで、朝から出かけても服選びに一日を費やして帰る頃には真っ暗になっていることなんてザラにある。彼氏が一度一緒に買い物に行っただけで、付き合ってくれなくなったと菜月はぼやいていたっけ。


「分かったよ」

「やった! 今から楽しみにしておくね」


そうやって笑う菜月は本当にいい顔をしていて彼氏は菜月のこんな顔をいつも見ているのかと思うと胸の奥が少し痛くなる自分がいた。


「それにしても暖かくなったねぇ」


菜月のお気に入りの厚手の黒いコートが明るい水色のコートになったことからも季節の移り変わりは感じることが出来た。


「そうだな。少し運動したら汗ばむくらいだ」

「私、春が一番好きなんだ」

「菜月が、春生まれだからだろ?」


僕がそういうと菜月はその通りと言わんばかりに大きく頷いた。


菜が咲く月に生まれたから菜月。安直な名前だと思っていたが、意外にもしっくりくる名前だった。残念な所は春の陽気のように暖かくのほほんとした女の子にならずに活発で勝気な女の子になってしまったことだろう。


「……祐希さ、今、すごーく失礼なこと考えてない?」


菜月は訝しげに僕を見つめてくる。長い付き合いだけあって、心の中なんてすぐに見透かされてしまう。


「今年の誕生日は彼氏と過ごすんだろ?」

「……そうなるのかな?」


答えに困った僕は話題を変えたが、菜月からは歯切れの悪い言葉が返ってきた。


「何で疑問形なんだよ」


僕は思わず菜月に突っ込みを入れた。自分が生まれた日は、大好きな人の隣にいたい。誰もが抱く気持ちだろう。


「祐希と過ごせないのが何か寂しくってさ」


菜月のそんな言葉に僕はなんとも奇妙な感覚を覚える。今抱いた気持ちはなんだろう。それはきっと彼氏に対する気持ちとか、自分の気持ちとかではないと思う。言うなれば、夢で水の中なのに息が出来るような、そんな感覚。現実と夢の狭間を漂っていて、自分の気持ちなのに、自分が一番分からないこの気持ちが不思議でならなかった。


「まぁ、毎年過ごしてきたもんな」


「そうなんだよね。逆に言えば、祐希の誕生日は祐希は彼女と過ごすんでしょ? なんかなぁ……って。……ごめんね、変なこと言っちゃって。分からないでしょ」


そう言って菜月はクスッと笑ったが、僕には誰よりもその気持ちが分かった。現に、自分の誕生日の隣に菜月がいないことを想像できない。それだけ僕と菜月の距離は近かった。


菜月の誕生日には、どこにでもあるようなものをプレゼントしよう。

彼氏に聞かれても「友達から」で返せるような、そんな物を。


「どうしたの、祐希?」

「……何でもないよ」


僕は少し歩く速さを遅めた。菜月もそれに合わせるかのように速度を落とす。その時に一瞬触れたてのひらの感触が、どこか切なかった。



「海行きたいね」


菜月が澄み渡る青空に体を伸ばすと、ひまわりの背丈を追い越す。季節は移り変わり、夏になった。菜月の服装も薄着になり、白いブラウス姿が太陽に負けないくらいに眩しい。


菜月の伸びに合わせ、菜月のバッグについてるピンクのクマのぬいぐるみが揺れる。僕が誕生日にあげたのはどこにでもあるようなものだった。でもあれ以以来、僕が菜月を見る度にそいつはいた。


「海かー、海、いいよな」

「祐希は彼女と一緒に行ったりしないの?」


「んー、微妙かな」


彼女には行こう行こうと誘われてはいた。僕自身、海が好きだけど、どこか気乗りしなかった。誘われる度に人ごみが苦手だと言ってごまかしてはきたが彼女はあからさまに不満を態度に出してきている。正直、一緒に居て疲れるというのが本音であった。


「そういう菜月はどうなんだよ」


菜月は海が大好きで、毎年8月になると一週間に一回のペースで僕を海に誘いにくる。足取りが重い振りをしても、心は浮かび上がるほど軽く、毎回毎回、菜月と行く海は楽しかった。泳ぐ時もあれば、夕焼けが溶けいく海を見たり、花火をしたり……。僕と菜月の夏の思い出に海は皆勤賞だった。


去年の夏を思い返し、はたと気づく。僕は海が好きなのではなくて菜月と行く海が好きなんじゃないのか? 菜月とだったら、お互いをお互いを良く知っているから気を使わなくて済む。一緒に居て楽な存在は……彼女ではなく、幼馴染の菜月なのだ。


そんな菜月も僕の質問に空とは対照的に顔を曇らせる。


「私も微妙」

「菜月、海好きじゃなかったっけ」

「好きじゃなきゃ、毎年毎年祐希を連れまわさないでしょ。何か疲れちゃうんだよね。やっぱり祐希じゃないと」


やっぱり祐希じゃないと。最近この言葉を菜月が良く口にするようになっていた。彼氏と何かあったんじゃないかと思いその度に尋ねるが曖昧に言葉を濁すだけだった。


「今年は家に引きこもって色白美人目指そうかな」

「いつも小麦色に焼けるもんな。クラスの男子も言勿体ないって言ってたから丁度いいんじゃないか」

「丁度いいってどういう意味よ。祐希もそう思うの?」


菜月は唇を尖らせる。


「俺は元気にはしゃいでる菜月の方が菜月らしいと思うよ」


「なんかうまく逃げられた気がする。あーあ、海、行きたいなぁ」

「ほんとにな」


一緒に行こうか。どちらかが言えば、どちらかが必ず頷くであろうその言葉をお互いに言わないまま、僕と菜月は、いつもよりゆっくり帰った。夏の日差しは僕と菜月の肌を焼いていく。


じりじり、じりじりと。

まるで何かを焦がれているかのように。


「え、喧嘩した?」


寝ようと思ってた時に菜月から電話がかかってきた。いつもの元気で明るい菜月の声じゃなく、どこか沈んだ声だった。こんな菜月の声は久しぶりに聞く。秋になり夜が長くなってきたことだし、今日は菜月の相談にとことん乗るとするか。


「うん……喧嘩というか……なんだろう。よく分からないや」

「それじゃ聞く側も分からないよ」


僕が思わずそういうと、菜月は苦笑した。その乾いた声が、菜月の気持ちを伝えてくれた。きっと喧嘩というには大げさで、それでも二人の関係に生じた歪が気になる時期なんだろう。


「んー、言われたことだけ伝えればいいのかな? 私と祐希が一緒に遊んだりするのが気に食わないみたい」


「俺も同じこと言われた」


驚いた。全く同じことをつい最近彼女に言われたばかりだったからだ。彼女に、私がほかの男の子と一緒に居たら不安になるでしょ? と言われたが、申し訳ないことに全くそうは思わなかった。


「えぇ、そうなんだ……。

向こうは他の女の子と遊んだりしてるのになぁ」


「こっちもだよ」


それに彼女が良く他の男子と楽しそうに会話をしているところを見かける。僕がそれを指摘すると、今はそういうことを言ってるんじゃない、とかわされてしまう。何が違うというのだろうか。


「これって私が謝ったほうがいいのかな? 祐希はどうしたの?」


「……別れたよ」

「……えぇ!?」


菜月の大声に思わず僕は携帯を耳から離した。窓の外で心地よく鳴いてた鈴虫の声もぴたりとやんでしまった。ったく、どれだけ菜月の声は響くんだよ。


「そんなの聞いてないよ」

「今日だったから」


突然だった。始まりとは違って、終わりは至ってシンプルなものだ。

"他に好きな人が出来た"。その一言だけだ。何か月、何年と時間を共にしてきても、その一言だけで築き上げてきた二人の関係はもろく、儚く、終わりを迎えてしまう。


僕はただ、その終わりを受け入れた。悲しくもなかった。平然と終わっていくという事実を受け止めている自分がいた。


「……なんかごめん」


「俺は気にしてないよ。

後、菜月の彼氏が嫌なら俺も菜月と会う回数減らすよ?」


「……そんなのイヤ」

「そっか」


秋にもなれば夜風が涼しい。窓の隙間から忍び込んできた風は仄かに冬のにおいを含んでいた。僕は窓を閉めようと立ち上がり、空を見上げた。


満月だ。


もっと見てみたいと思い、閉めるはずだった窓を全開にした。ガラガラという音が奇妙なことに二つ重なった。横を見ると、隣の家の菜月も窓を開けていた。ぱっちり目が合うと、声をあげて僕らは笑った。


「ちょっと、真似しないでよ」

「菜月が真似したんだろ?」

「私はお月見しようと思っただけですー。もう、二人そろってバカみたい。笑い過ぎて涙出て来ちゃったよ」


菜月は目元を指で拭った。

見え見えのウソだ。菜月は違うことで泣いていた。無理に笑おうとしている姿が痛々しい。見ている僕の心がぎゅっと捕まれたように苦しい。


「でもさ、祐希がフラれるなんてちょっと意外だな」

「……どういう意味だよ」

「私には見当たらないもん。うん、私には……ね」

「菜月?」


月明かりに照らされる菜月の顔は見る見るうちにかげっていく。


「ふふっ、今度失恋パーティだね」

「あのな、一応俺だって傷ついてるっての」

「はいはい。ちゃんとプレゼントも用意してあげるからさ」



プレゼント……ね。僕は机の上にかざってある水色のクマを見た。

今年の誕生日に菜月からもらった物だった。


『これ私のクマと似てない? お揃いみたいだったからこれにしちゃった』


こんなことを言っちゃダメだけど、彼女がくれた物よりも数倍は嬉しかった。今だって、菜月が失恋パーティをやると言ってくれて嬉しく思っている。俺にとって菜月って何なんだろう。横になって少し考えてみたい。


「長々とごめんね、祐希。少し楽になったよ」

「……おう、またな」


ガラガラと音を立て、静かに消え行くように窓は閉められ、菜月が見えなくなる。


……バレバレのウソつきやがって。

その夜、菜月の部屋から電気が消えることはなかった。



「盛大にふられました」

「お疲れ様」


まだ目が赤い菜月の頭をそっと撫でた。気付いてみれば菜月よりも随分身長が伸びたものだ。時間は緩やかに流れているように見えて実に早く僕らを置き去りにしていく。とんだくわせものだ。


「恋愛って難しいね」

「そうだな」


お互い、自然と出来た恋人。去年の今頃菜月に彼氏が出来て、その二か月後に僕に彼女が出来た。どちらも自分から告白したのではなく、向こうからだった。


『やったじゃん、菜月を好きになってくれる男なんて珍しいから逃がすなよ』


そう軽口を叩いたものの、その夜僕は少し泣いた。当時はなぜ自分が泣いているのか分からなかった。でも今なら少しわかる。ほんの少しだけ。そのほんの少しは、僕たちの関係を大きく変えてしまう一歩ということも分かっている。


「私、今さ、酷いこと考えてる」


鼻をすすりながら菜月はつぶやく。


「多分それ、僕も考えたことあるよ」

「じゃあ、せーので言いあおうか」


僕はそっと菜月のてのひらに僕のてのひらを重ねた。一瞬ビクっ震えたが菜月はすぐに指を絡めてきた。


「せーの」


僕も強く、菜月の細い指の感触を確かめた。


「祐希みたいな人が彼氏だったら良かったのに」

「菜月みたいな人が彼女だったら良かったのに」


僕と菜月は別に驚きもしなかった。想像はついていた。あぁ、きっと菜月はこう言うんだろうな、と。それは菜月も同じだろう。近すぎる僕らの前では隠し事だって裸足で逃げ出す。


「祐希の手、冷たいね」

「そういう菜月こそ」

「2人とも振られちゃったね」


付き合い始めも同じような時期で、振られたのも似たような時期。

これは偶然なんだろうか。


「……帰ろうか」

「うん」


僕が立つと、菜月もすぐに僕の横に並んだ。

春が来て、夏が来て、秋が来て、最後に冬がやってくる。

そうして一年は過ぎていく。いや、冬が最後というのは間違いかもしれない。もしかしたら始まりなのかもしれない。この始まりと終わりが定まらない不思議な四季の中、僕等は暮らしている。


来年も、いや、いつまで僕達は、こういう関係でいられるのだろうか。僕は何を望んでいるんだろう。菜月は、何を考えているんだろう。


「あ、雪だ」


空から迷い込んできた白い雪が菜月の茶色の髪の上で弾む。


「寒いと思ったらこれだもん、冬はイヤだねぇ」

「じゃあ夏の気分を思い出すために海にでも行くか?」

「それは来年の夏に取っておくよ」


僕の手を握る菜月の力が強くなる。

今はただ。


このてのひらの温もりに少しでも長く、触れていたい。


忘れないように、ずっと。

壊れないように、そっと。

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