子供が成長して思うこと
kokekko
子育てに〇を貰ったと思えた日
息子、高校生です。学校から帰れば部屋から出てこず、顔を合わせば、仏頂面で「めし」「風呂」の一言だけ。
「お前は親父か!」と、怒鳴りたくなります。
ところが
『明るい性格でユーモア溢れる言動をとるため、友人が多い。多少引っ込み思案な面もみられますが今後の学級活動によっては、リーダー的な存在になれる力を持っていると思います。』
この様に書かれた彼の通知簿の所見欄には、家では見たことの無い息子がいました。これまでの子育てに合格の印を貰ったように嬉しかったものです。
それ以来、子供への見方が変わってきました。
「外では気を遣って行動している分、そのストレスが家にいるとき、発散されて、あの仏頂面なんだ。そうやって心のバランスをとっているのかもしれない。」と、理解できるようになりました。
とは言うものの、その後も成績は奮わず、何かのリーダーになる事も無く…、泣かず飛ばずの地味でいます。
でも、見えないところで 頑張っていると信じられる様になりました。
娘、大学生です。 学校は休みがち、派手な化粧をしては友人と街に繰り出し、夜遅くまで帰りません。頭にきて「このあばずれ!」と、ののしります。
ところが、ある日、娘が夕食時に一言。
「おばあさんのお客さんに“きちんと育てられた人やね”って、ほめられた。」
彼女は携帯電話販売店でアルバイトをしている。
バイト先から帰ると、食事をしながらいつもの様に、その日の出来事をまくし立てている、その最中の一言でした。
「えっ!ほんとに!?」
私は飛び上がらんばかりに喜びます。
異常に反応する私に、娘は目を丸くして
「何がそんなに嬉しいの?そんな事、しょっちゅう言われるヨ」
と、また嬉しい言葉。
大袈裟に、天を仰いで感謝したくなりました。
もう十分満足です。厚化粧でも朝帰りでもして!
ん…? きちんと育てられていたら厚化粧で夜遊びなんてしないんじぁ…?まっ、深く考えない事にして。
子供が貰う、嘘の無い第三者のお誉めの言葉は、何より私を評価してもらっているようで、これまでの辛さは無駄ではなかった、と感慨深いものがあります。
子育て二十年がかりで、ようやくここにきて「良くできました」と先生から一つ丸をもらった満足感があります。
娘を誉めてくださったご年配の方、本当にありがとうございました!と頭を下げて御礼を言いたい気持ちです。
歳を重ねると、人を観察する目が変わるのでしょうか?
人の向こうに、その人を育てた親を想像するのだとすると、この先どんな評価が出るのか、ちょっと怖い。
かつて、どこまでも続く家事と育児に、一人追い詰められる毎日でした。
無休・無給のお手伝いさんの様で、落ち込み弱音を吐こうものなら「みんなやって来たこと」と母から切り捨てられます。
特に息子が中・高生の頃は、「うるさい黙れ!」と、吐き捨てられ、ぼろ雑巾の様な心と体でへとへと。
今思い出しても、よくやってきたものだと、自分の事ながら感心します。
「また、やりなさい」と言われても、二度とゴメン、が正直なところです。
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