弔問に耳を塞げ
穏やかなワルツの旋律と打って変わって、かまびすしい悲鳴が突風のように通り過ぎていった。
目の前にそびえ立つのはこれまた巨大な、からくり仕掛けのジェットコースターだった。ギリギリと軋む歯車が不安を煽る。
「こちらが当園名物である、ジェットコースターの一台でございます」
「やっぱり何台もあるんだね……。これ、中の機械丸見えなんだけど、大丈夫なの?」
「ご心配ありません。今まで一度たりとも、事故が起こった事はございません。――もっとも、楓さまを始め全てのお客様に負傷など、ましてや死亡など起こり得ませんが」
したり顔で冗談を言う余裕もあるようだ。ただ馬鹿丁寧なだけではないらしい。
「それでは楓さま、お行き下さい。わたくし共はジェットコースターには乗れないのです」
メリーゴーランドみたいに乗り降り自由ではないし、席が一人一つという都合上なのだろう。あくまで楽しむのはお客様、というスタンスなのだ。
しかし、私は困る。誰か話をする相手がいた方が気が紛れるし、さっきのようなフラッシュバックも防げるだろう。
「そんな。一人で乗るしかないの?」
「申し訳ありませんが、規則なのです。ご理解下さい」
「んー……どうしよう」
一人だと怖くて乗れないのだと思われるのは
合うや否や、女の子はツカツカと歩み寄ってきた。
「私と一緒に乗ろう?」
私よりも年下らしき女の子は目を輝かせてそう言った。
「ね、いいでしょ?」
傍らに控えていた案内役らしき赤燕尾服の女性に声をかけると、女性が軽く一礼した。
「それでは、わたくしはここで待っております。楽しんでいらっしゃいませ」
「うんっ!」
隠さんに視線を向けると、彼も同じように笑みを浮かべながら私達に一礼した。
「楓さまのお望みの通りに」
「分かった。じゃあ行ってくるね」
女の子に引っ張られるようにして、私はコースターが戻ってくるのを待つ列に入った。この人数なら、次のコースターに乗れそうだ。
「いきなり声をかけてごめんね。私、どうしても誰かと乗りたくって」
「ううん、大丈夫。願ったり叶ったりだった」
「あははっ。一人で乗るの、怖いものね。私、何回もこれに乗ったけど、まだ怖くって」
「そうなんだ。あ、私、榎本楓。十五歳」
「わあ、私よりお姉さんだ。私は
まだ小学六年生か、中学一年生だ。利発そうだし、お姉さんらしい顔つきをしている。
でも、着ているものははっきり言ってみすぼらしかった。所々ツギハギしてある着物に、もんぺを履いている。そして小さい頭を、これまた古そうな布でできた頭巾が包んでいた。
――この子、年下なんかじゃない。私の脳がそう叫んだ。
「……あの、さ」
前の乗客が降り、空になったコースターに乗り込みながら、スミちゃんに向かって呟く。
座席は一番先頭。出発のベルが鳴り、動き出す。
「スミちゃんはさ」
だめだ。聞いてはいけない。聞いても無駄だ。この子はきっと、もう忘れてしまっているのだから。
辛い記憶を、七十年以上も前の記憶を、とうの昔に忘れてしまっているのだから。
「どうして、死んだの?」
コースターがゆっくりと坂を上る。
スローモーションで後ろに過ぎていく空中の景色。
眼下に広がる迷宮遊園地の大パノラマすら、見ることができない。
「……少し思い出しちゃった」
じりじりと頂点ににじり寄るコースター。
スミちゃんは
「火の玉が降ってきたの。いっぱい降ってきて――――何もかも焼いて焼き尽して、とっても熱くって――――呼んでもお母ちゃんは来てくれなくて――――ううん、違う」
その横顔は夢の中のよう。
眼差しも呟きも、遠い昔の記憶を拾い上げて読み上げているかのように、淡々としている。
けれど目は見開き、声は上ずり、コースターが傾き急加速を始める直前。
「お母ちゃんも私も燃えてたんだった」
下りに達したコースターは、悲鳴を乗せた車となった。
スミちゃんも甲高く絶叫し、叩き付ける風に激しく髪を靡かせている。
私は目に飛び込んでくる景色に夢中だった。
(あ、確か死ぬ時って、こんな風だったな)
ものすごい勢いで地面が迫ってくる記憶。
もうすぐ地面に激突して死ぬのだと悟った瞬間の「やっちゃった」という単純な感想。
(どこから飛び降りたんだっけ。どこか高い所だったな)
いや、どこから飛び降りたなんて、思い出す必要はないでしょ。
(そうだ。学校の屋上だ)
やめよう。それ以上思い出さなくたっていい。立ち入り禁止だったはずなのにどうして学校の屋上にいたのかとか、そもそもどうしてそこから飛び降りようと思ったのかなんて、どうでもいい。
ジェットコースターはぐんぐん落下していく。
乗客の楽しげな悲鳴は風と同化し、空の彼方へ置き去りにされる。
スミちゃんの高らかな叫びをよそに、私の思考も風に飛ばされた。死に際の光景など忘れてしまえ――そう言って振り放すように飛んでいった。
ゴウッと重い音で回転する滑車の振動が内臓をひっくり返す。
内臓。きっとグラウンドにはそれがばらまかれたんだ。私の血と一緒に。命と一緒に……。
(ああああ!)
「スミちゃん! スミちゃん!」
「きゃーっ! なあに、楓ちゃん!」
「手を握ってて! お願い!」
「うん!」
固く掴んだ手が気を安らがせてくれた。
私は今ここにいる。生きてはいないけれど、ここにいる。
スミちゃんの手は死人とは思えないくらい温かかった。
もしかしたらこの世界はあの世なんかじゃないのではないかと錯覚させる熱を、私達は共有していた。
大丈夫。もう忘れなければ。あんな血なまぐさい記憶を覚えていてはいけない。
あれを覚えている限り、私は幽霊だ。死にいつまでも囚われている、未練たらしい幽霊のままだ。
この遊園地に来たからには、恨み辛みは許されない。
(笑え、私。)
そんな風に強迫観念めいた事を考えているうちに、ジェットコースターは元の位置に帰ってきた。
嬉しそうな顔で自分の番が来た事を喜ぶ乗客達を見ていると、放心状態の私の頭の中に浮かんでくるものがあった。
(迷子になったらどうなるんだろう……)
全人類の指でも数えきれるか分からないほどの群衆の中を、当てもなく放浪してみたならば。
「楓ちゃん。大丈夫?」
「えっ……あ、うん。大丈夫だよ。すごかったね」
「本当に、すごかったね! 楓ちゃんが手を握ってって言ってくれたから、少し怖くなくなったよ」
屈託ない笑顔を浮かべたスミちゃんは、こちらに歩み寄ってきた案内役の女性に駆け寄ると、大きく手を振った。
「また一緒に遊ぼうね、楓ちゃん!」
「うん、またね。スミちゃん」
そうして人混みに紛れたスミちゃんを見失うと同時。
隠さんの姿がどこにも見えない事に気がついた。
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