迷宮遊園地

ずほ子

死後に甘き夢を

 人は死ぬと天国に、もしくは地獄に行くのだと最初に言ったのは、一体誰なのだろう。

 知る由もないけれど、そいつはとんだ大嘘吐きだ。

 だってそいつは死んでもいないのにそんな事を言ったわけでしょ?

 白河夜船もここに極まれり。ましてや死後の世界なんて確認しようがないものをそんな風に語ってかたるなんて反則だわ。

 勘違いしないでほしいのは、私が死後の世界を信じていないわけではないってこと。

 「天国? 地獄? ははん馬鹿馬鹿しい、そんなものを信じている奴の頭はお花畑だよ」なんて身も蓋もないことを言う気はさらさらないの。

 ただ、行ってもいないのに天国だの地獄だのと知った風に言う奴を小馬鹿にしているだけ。

 何でこんなに偉そうに言うかと聞かれれば、そりゃもちろん、私が死後の世界を経験したからに他ならない。

 というか、今いる。死後の世界なう、イエーイ。

 断言しよう。人は死んでも天国にも地獄にも行かない。天使も悪魔もいない。ましてや神様だってどこにもいない。

 それでは私、榎本えのもとかえでが、今までを回想しつつ死後の世界のお話をしたいと思います。

 最後になりますが、もちろん私、既に死んでます。


***


「ようこそいらっしゃいました。わたくしは、此度こたびの案内役を務めさせていただきます、なばり征士郎せいじろうと申します」

 初めに会ったのは、赤い燕尾服を着た痩せぎすの男。

 手も足もひょろりと長くて細くて、鉛筆みたいに長細い体をした男。深々とお辞儀をしてやっと、私の頭と同じくらいの高さになる。

「あ、どうも。榎本楓です」

「はい。存じております。楓さま、これからこの場所の説明をさせていただきたいのですか、よろしいですか?」

 頷き一回。頭を上げた隠さんはにっこりと微笑んで、遠くに見える門扉もんぴを指した。

「あちらが、貴方様の行く場所でございます。あの門をくぐれば、そこはもう夢の世界。永遠の歓楽をお楽しみいただけるのです」

 手を引かれて門前まで近寄ると、中の様子がよく見えた。

 黒い金属の門の向こうからは、楽しげな音楽が風と共に流れてくる。空は丁度、私の好きな夕焼け空。

「すごい。遊園地みたい」

「はい。ここは、死者の遊園地なのです」

 その言葉と共に、私を招き入れるかのように門が開いた。

 背後の門を隔てた外界には、もう二度と戻れない。そんな予感が絶望ではなく希望となって、あたしを打ち震わせた。

「楓さま。貴方様の死の理由は、悲惨にして悲劇であったと聞いております。当園が少しでも悲しみを和らげられるよう、従業員一同尽力いたします」

 またもや深々と拝礼する隠さん。

 この時私は、彼の態度があまりにうやうやしかったので、なんだか恥ずかしくなって慌ててしまった。

「だ、大丈夫だよ。生前の事なんてちっとも気にしてないから。それより、ここの話、もっと聞かせてよ」

「これは失礼いたしました。では、早速お話してまいりましょう。

ここは『迷宮遊園地』と称されます。あまねく死者の辿り着く、生前満たされていた方も、そうでない方も、平等にお楽しみいただける場所でございます。

遊園地と言う名前ではありますが、遊具ばかりが存在するのではございません。食事を提供する施設がございますし、サーカスや劇場、映画館などの視覚的にお楽しみいただける施設もございます。

しかし、さとい楓さまならば、迷宮と言う言葉の意味するところをご理解いただけるかと存じます。

この広い敷地内、ご来園して間もないお客様は園内をさまよう迷子になる。故に迷宮、故の案内役――ですが、わたくし共はお客様のご意志を尊重いたします。楓さまが迷子になりたいとおっしゃれば、わたくしはすぐに役目を放棄いたしましょう。

長々と話してしまいましたが、これにて当園の説明は終了でございます。ご清聴を感謝いたします。それでは楓さま、まいりましょう」

 ゲーム前にプレイングマニュアルを読んだ気分になりつつ、私は隠さんに続いて足を踏み出した。

 地面に広がる石畳を叩く、無数の靴。

 視線を上げてみれば黒山の人だかり。目を凝らしてみれば金髪の人赤毛の人、黒い肌の人アルビノの人。服装だって、歴史の教科書から集めてきたみたいに全然雰囲気が違う。

 ああ。彼らは既に死んでいるのに、この遊園地であんなにも生き生きしている。

 白人が黒人と腕を組み、ユダヤ人とドイツ人が乾杯する。遠い昔に滅んだ民族は名も知らぬ国のお伽噺とぎばなしを興味深そうに聞き、モダンな服を着た若者は古き時代の子守歌に酔いしれる。

 戦争、虐殺、災害、あらゆる絶望や悪意から解き放たれた人々が、ここに集っていた。

 なんて素敵なのだろう。ここに比べれば今まで生きていた世界なんて地獄に思える。こんな事なら、もっと早くここに来ればよかった。

「楓さまは、夭折ようせつを後悔なさってはいないようですね」

「後悔なんて。――――後悔、してるって言ったらどうするの?」

「残念ですが如何様にもなりません。迷宮遊園地にいらしたお客様がお帰りになる事はありえないのです。どのような死亡理由であろうとも、死者が生者に戻る事は不可能でございます」

「つまり、死んでやり直すってことはできないんだね」

「はい。若くして死ぬ、老いて死ぬ、満たされて死ぬ、悔いて死ぬ……いずれも同じ『死』でございます。一度失った生命は戻らず、蘇らない。一度現世を離れれば永遠にこちら側で過ごしていただくのです。

それを良しとしないお客様も稀にいらっしゃいますが、ご心配なく。迷宮遊園地は生前の怒りを、涙を、笑顔に変えてくれるでしょう」

 この遊園地に閉園はないのだ。誰とでも、いつまでも、遊んでいられる。

 こんなに楽しい事がある? ずっと遊ぶなんて今までは許されなかった。幼い子供でさえ、永遠に遊び呆けるなんて出来はしなかった。

 それがどうだ、死んでしまえば、それが可能になる。

ここには家族も先生もまだ来ていない。私の知らない人しか、ここにはいない。誰からも注意されないし、怒られもしない。

『死んでも何も解決しない』『命を大切に』なんて、馬鹿みたい。少なくともあたしは救われた。死んだ甲斐があったというものだ。

 ここで全て忘れてしまおう。百年、千年、億年遊んで、辛い思い出も忌まわしい記憶も、全部夕空の彼方へ消し去ってしまおう。

 ほら、楽しげな音楽が聞こえてきた。

「楓さま。ご覧下さい」

 どこからか聞こえてくるワルツ。

 眼前に立つ巨大な二階建てのメリーゴーランドの上部に、楽器を携えた楽団が立っている。

 彼らが奏でる賑やかなワルツと共に、豪奢ごうしゃに飾られた木馬がくるくる回る。皆の笑顔を乗せて、延々と回転している。

「こちらが当園名物である、メリーゴーランドのうちの一台でございます」

「一台って、何台もあるってこと?」

「はい。一台だけでは、ご搭乗いただけるお客様の数に限りが出てしまいますので。さ、楓さま、こちらへどうぞ」

どうやら好き勝手に乗り降りできるらしい。

隠さんは金色のくらを乗せた白馬に手をかけ、あたしの手を引いて回転台に乗せて、馬上に上がるのを補佐してくれた。

「素敵。お姫様みたい」

「お気に召されましたか?」

「うん! 小さい頃、これに乗るのが好きで……」

 頭の中に疑問符が浮かんだ。

 小さい頃? メリーゴーランドに乗るのが好きだった? 

 ――私は遊園地に来た事があったっけ。

 ああ、ある。思い出した。幼稚園の時に初めて来て、心が躍るように楽しくて、来るたびに乗っていたんだ。間違いない。

 その遊園地は私が小学校に上がった時に廃園してしまったのだ。

「如何なさいましたか?」

「……えっ?」

 なに、いきなり生前の事なんか思い出しちゃって。変なの。私はもう死んでるんだから、こんな記憶は捨てるべきだわ。

「何でもない。ちょっと考え事」

「それでしたらよろしいのですが。……楓さま。他の乗り物に移りましょうか?」

「あ……うん。そうだね。もっと色々乗りたいな」

「かしこまりました。それでは、こちらへ」

 優雅な笑みを浮かべた隠さんに手を引かれ、メリーゴーランドを後にする。

 次は、考え事をしてる余裕のないアトラクションに乗りたいな。生前の記憶なんか吹っ飛ぶくらい、激しいやつがいい。

 隠さんにそれを伝えると、彼はまたにっこりと営業スマイルを浮かべた。

「それでしたら、相応ふさわしい乗り物がございますよ」

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