The Lily Wars

ずほ子

The Lily Wars

 波瀾である! 私の胸中はその一言に尽きた。

 これを波瀾と言わずして何としよう。女子生徒の嬌声きょうせいが引きも切らずに響き渡り、その中には幼児のような嗚咽おえつが交じっている。

 別離は悲しいものであるし、特に苦楽の学生時代を共にした先輩方との別れともなれば、彼女らの悲嘆も一入ひとしおなのであろう。

 それにしたって、この嘆きようは少し異常なのではなかろうか、と思う方々も多くいた。

 しかし、今日となってはその疑問も解消されていることだろう。現に私も既に、そのような疑問は雲散霧消している。

 本日、三月七日をもってして、当校の三年生は晴れて卒業式を迎えた。

そんな目出度めでたきハレの日に、どうして波瀾などが起きたのか。

 原因は、宝生ほうしょう薫子かおるこという一人の女子生徒の卒業である。


***


 私立御嶽みたけ女子高等学校。

 県内唯一の女子高であり、いわゆるお嬢様学校である。

 私はこの学校に赴任してきた新任教師なのだが、そんな私も彼女の話は否応なく耳にできた。

 宝生薫子という、学校きっての優等生の話。

 三年一組二十九番に籍を置くその生徒は、ペーパーテストをさせれば高得点の嵐、体力テストを行えば最高記録を叩き出し、成績表には5が目白押しと、その優等生ぶりは留まる所を知らない、とんでもない強者だ。

 しかし、それだけではないのが彼女の恐ろしい所である。

 彼女は演劇部に所属し、部長として後輩たちに指導鞭撻べんたつする立場にあった。それと同時に、数々の主役を演じてきた名優であった。

 その名演と、舞台上にて遺憾なくスポットライトを浴びる清涼な美貌に、一体何人の生徒が虜になっただろうか。

 宝塚歌劇のトップスターを連想させる立ち振る舞い、すらりと細く高い身長……。男に飢える年頃の娘たちの心を掴むことなど造作もなかったに違いない。

 そんな宝生が、今日限りでこの学校を去るのだ。それを考えるとこの波瀾も合点がいくというものである。

「先輩、卒業してもっ、私たちのこと、忘れないで下さいっ…!」

「文化祭になったら来て下さいねっ。絶対、絶対ですよ」

「うんうん、可愛い後輩の晴れ舞台だものね、きっと行くよ」

母のような笑顔で後輩たちと喋っている宝生を見ながら、私はさる日のことを思い出していた。


 あれは確か、卒業式を間近に控えた二月下旬のことだ。

 その日は「冬来たりなば春遠からじ」を体現したような小春日和で、私も少々フワフワしていたように思う。

 そんな折であった。三年一組の教室に一人居残る宝生と出会ったのは。

 窓際の席に座り、遠く彼方に落ちる夕日を眺めるその姿は、絵画か映画でも見ているかのようで――ひどく現実と乖離かいりしているように思えた。

 少女特有の儚さだとか、娘から女へと変わるこの時期特有の艶めかしさだとか――ともかく、近づくことすら躊躇われる禁域のような雰囲気に、私は気圧されていた。

 しばらく私は固まっていた。宝生もまた然り、窓枠に切り取られた夕刻の景色を、身じろぎ一つせず見入っている。

「――ああ、萩森はぎもり先生。どうなさいました?」

 その一言で魔法が解ける。

 止まっていた時間が動き出したような感覚を覚えながら、私は平静を装って返答した。

「もうすぐ下校時刻だぞ。まだ帰らないのか?」

「あともう少し、ここにいます。この学校で過ごす時間も、もう残り少ないですから」

「そうだな。えーと、進路はもう決まっているのか?」

「はい。盾島女子大学に進学します」

「盾島か……。結構遠い所まで行くな」

「平気です。向こうには寮がありますので」

「そうか。けど、また女子校じゃないか。何かこだわりがあるのか?」

 一呼吸おくように、宝生は悪戯っぽくニヤリと笑った。

 かつて上演したオリジナル劇『怪傑シャ・ノワール』の主人公のような、どこか芝居がかった笑みだった。

「私が同性愛者だと言ったら、先生は信じますか?」

 その台詞もまた演技じみたものだったが、当時の私をドキリとさせたことは事実である。

 演劇部の花形たる宝生にとって、この程度の台詞を口走るなど戯れにも等しかったのかもしれない―――あるいは事実だったのか、今となっては知るすべはない。

 私がだんまりを決め込んでいると、宝生は口を開いた。

「フフ、やっぱり驚かれますか? でも、女子高にレズビアンが多いのは事実だと思うんです。かく言う私も、この高校に入学したのは女の子目当てな所も多少はありましてね……。どうですか、これが御嶽女子高が誇る優等生の実態です」

「……嘘、じゃないよな」

「先生がそう思われるなら、そう思っていただいて結構ですよ。他の先生方にこんなことを言っても、信じていただけないでしょうけれど」

「……同性を好きになるって、どんな気持ちなんだ?」

 宝生が同性愛者だと決めつけたわけではなかった。その上で、私は宝生に問うた。

 同性愛とは何なのか。純粋に気になる話題である。

 男である私にとって、女同士の恋愛は未知の世界。一生理解の及ばない、遠い世界だ。

 ならばスペシャリストに――本物の同性愛者に聞いてみようではないか。

 本物であれば真実に近い話が聞けるだろう、もし彼女が同性愛者ではなかったとしても、才媛さいえんの語りである。独自の解釈などを交えた実りある話が聞けるかもしれない。

 私の期待に応えるように、宝生は滔々とうとうと話し始めた。


「特別なものではありませんよ。普通の、男女間の恋愛と同じです。一目惚れだとか、行動を共にしてだとか、性格や考えを知ってだとか……理由は様々ですが、『人を好きになる』という点では何も変わりません」

「ふうん。今は好きな子はいるのか?」

「そうですね……今の所これという人はいませんが、好みのタイプならあります。清楚で愛嬌のある、背が私より低い女の子。これが私の最も好む女性像ですね。これに黒髪が付加されると尚よろしい」

「いい趣味してるな」

「恐縮です」

「僕もそういう子がタイプだよ。君とはウマが合うね」

「そうですね。つまり、私のような女は好みでないと」

「そういうつもりじゃないが、君はレズだろう。僕の方が君の好みじゃないんじゃないのか?」

「まあ、そういうことにしておきましょう。私はレズですから」

 私は宝生との会話に熱中していた。

 優等生ということで勝手なイメージを抱いていたが、いざ直接語り合ってみると案外接しやすい。

 こういう所が、宝生が人気者たる所以ゆえんなのだろう。

「……開戦の時来たる。白百合の園にて、一陣の春嵐吹かん。そが日は乙女たちの闘争なり」

「何かの台詞か?」

「いいえ、ただの独り言です。先生、もうすぐ戦争が起きますよ」

「戦争?」

「卒業式の日に、それは最高潮を迎えます。その日は御嶽女子高の歴史に綴られるような、とんでもない日になるでしょう」

「おいおい。頼むから危険な事はやめてくれよ」

「フフ、それは私にではなく、私を慕う後輩たちに仰っていただけますか。ひょっとすればあの子らは、とんでもない事をするかもしれません。何たって戦争ですから―――」

「よく分からないな」

「よく言われます。もっと人に分かるようにものを言いなさいと、父に叱られるのですが……こればかりは癖でして、どうにも」

「いや、そういうことじゃなくて、冗談なのか本気で言っているのか、君ぐらい賢い生徒だとそれが判別できないんだよ」

「でしたら、お答えします。私が言ったことは本気ですよ。

私との別れを惜しむあまり、可愛い後輩たちが戦争を起こす。密かに潜伏していたレズビアンたちが、私に思いの丈を伝えようと奔走する。告白のマシンガンやプレゼントの手榴弾を雨あられと食らった私を中心に、恋する白兵が集う。

第一次百合戦争の開戦ですよ」

 教室を緋色に染めて、遠き山に日が落ちる。

 宝生はいつの間にか起立し、リンカーンかヒトラーのように堂々とまくし立てていた。

 広い教室の中、聴衆は私一人である。

 年端もいかぬ少女の名演に、私は感嘆し心の中で拍手を送っていた。

「その戦争に、勝利はあるのか?」

「私のハートを射止めれば、それが勝利の証となるでしょう。百合戦争は無血の戦争となるはずです」

「だったら不問だ。実弾使用なら体を張ってでも止めていただろうけど、言葉の弾丸なら怪我人は出ないな」

「ええ。ですから心配はご無用です。先生、その日は私に、然るべき言葉をかけてやって下さいね。それから、可愛い後輩たちにも」

「勿論」

 宝生はにっこり笑った。

 演劇部公演で見せていた涼やかな美貌はなりを潜め、年頃の少女らしい可憐な笑顔を向けてくれた。

 その笑顔はまさに白百合のごとく、高潔で清浄で無垢な、優等生たる彼女にぴったりと似合う表情であったと記憶している。

「もうこんな時間ですね。それでは先生、私はもう帰ります」

「ああ。気を付けて」

 窓の外より発せられる緋色の光線を背に受けた宝生は、背筋をピンと伸ばし、僅かな乱れもない完璧な拝礼をしながら、凛としてよく通る声で挨拶をした。

 学校生活の掉尾とうびを飾るにふさわしい、別れの挨拶を。

「さようなら、萩森先生」


***


 彼女と言葉を交わしたのはそれが最初で最後だ。

 私はその日の出来事を反芻しながら、宝生の言ったことは本当だなあ、などと呑気に考えていた。

 校庭にそびえる桜の木の下で、何人もの後輩や友人たちと記念撮影し、可愛らしい包みを落とさんばかりに抱える宝生の姿は、ここからでもよく確認できる。

 あの中に、宝生のハートを射抜かんと意気込むレズビアンは何人いるのだろう。想像すると恐ろしい。

「やあ萩森先生、今日はお日柄がよくてよかったですなあ」

「あ……そうですね、いい小春日和で」

 牛越うしごえ慎二郎しんじろう先生は今年で還暦を迎える、科学担当の教師である。

 物腰柔らかなロマンスグレーで、生徒たちに一定の人気を誇る、いわゆる名物教師の一人だ。

 教え子が巣立つ日を迎え感慨にふけっているのだろう、今日の彼は一段と穏やかな顔をしているように見える。

「あそこの集団は、ひょっとして宝生ですか?」

「ええ。後輩たちに群がられているようです」

「彼女は大変な生徒でしたね。我々教師泣かせの、素晴らしい子でした」

「教師泣かせ?」

「教える立場の人間が、逆に教えられてしまう有り様ですよ。課題のレベルが皆に合っていないのでは、とアドバイスを受けたこともありました」

「へえ……牛越先生ともあろう方に、そんなことを」

「いえいえ、怒ってはいませんよ。むしろ感謝しています。今時、年上の人間にあそこまで堂々と物言いができる人間は、そうそういないでしょう」

「はあ」

「きっと、社会で活躍してくれるはずです。そうなって初めて、我々は彼女に対して教鞭を執っていたことを誇れますよ」

 牛越先生はすこぶる嬉しそうに、将来への展望を込めた視線で、窓の外の宝生に優しい笑みを向けている。

「先生、私は先日、宝生と話しました」

「ほう。どのような?」

「戦争が起きる――そう言われました」

「ははは。いかにも宝生らしい言い方ですね。すっかり演劇部の性格が身についている」

「宝生は、自分の立場をよく分かっていたんですね。自分が優等生として、演劇部の花形としてもてはやされ、下級生たちに好意を向けられていることを」

「そうですね。彼女はまさしく騒動の火種です。当校の騒ぎの渦中には、いつも彼女がいた」

「そして、卒業式の日に特別大きな騒ぎが起こる……それを確信して、あんな風に言ったんです。戦争だなんて仰々しく」

「当たらずとも遠からず、ですよ。あんなに大変な別れの景色はそうそう見られたものじゃありません」

 開け放たれた窓から風に乗って届く、生徒たちの声。

 ここからだいぶ離れているというのに、その声は大音声となって耳を刺激する。

 ―――戦争。百合戦争はそろそろ佳境を迎え、最後の一盛り。

「私たちも祝いましょう。教師として、彼女らの卒業を」

「ええ……。そうですね」

 私は、百合戦争の首謀者かつ少女らを魅了した名優、宝生薫子の伝説を見届け、彼女の巣立ちを牛越先生と共に見送った。

 彼女との出会いが私の生涯に少なからぬ彩りをもたらしたことを実感しつつ。


 ―――冬が過ぎれば花も咲く。

 君に爛漫の春が来ることを願ってやまない。

 さらばだ! 白百合の園一番の大輪よ。

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