お節介焼き
「ぎゃああぁあぁああああぁ!!」
二階から放り投げられた守は、背中から地面に向かって落下していた。
しかし。
「あれ?」
予想していた衝撃は、やってこなかった。
そのかわり。
「ぐえっ!」
自分の体の上に何かが落下してきた。
落下してきた何かは、顔を上げて言った。
「――大丈夫ですか、守宮さん?」
「……一重ちゃん?」
守の上に落下してきたのは、守を窓から放り投げた一重自身だった。
「どうやら成功したみたいですね」
「成功……?」
一重の言葉に首をかしげる守だったが、直後に、前方で大きな音がする。
何が起こったのかと目を凝らすと、庭の池に誰かが落ちていた。
多分、渡り廊下の仕掛けが作動したのだと守は判断する。
ならば、おそらく。池に落ちたのは百足だろう。
「あれ……?」
ここで、守はようやく、自分の体の違和感に気が付く。
なんというか、ふわっとした、地に足がついていない感覚。
守が自身の周りを見渡すと、文字通り、地に足がついていない状態だった。
体が宙に浮いていた。いや、超常的なものではなく。地面から一メートルほどの高さの位置に張られた網の上に、守は倒れていたのだ。
落下の衝撃は、どうやらこの網が軽減してくれたようだ。
しかし、いったいどうしてこんなところに網が?
そう思って、守が顔を上げると
「よう、守。無事だったか?」
「面倒をかけてくれますね」
「――智樹、と、一葉君?」
少し前に囮役として別行動をとっていた、智樹と一葉が、守の傍らに立っていた。
「……どうして?」
「どうしてって……。助太刀だよ、助太刀。窓から顔出した一重ちゃんに助けを求められて、こうして網を張ったってわけさ」
「じゃあ、蚰蜒は?」
「ああ。そいつなら、俺らに負けてそこで転がってるよ」
そう言って後ろを指す智樹だったが、そこには誰もいなかった。
「いないよ?」
「あ? んなわけ――って、いねぇ!? どこ行った!?」
もしや逃がしたのかと焦り、辺りをキョロキョロと見回す智樹。
そこに、焦った様子もない一葉が現れ、前方に指をさした。
「あそこですよ。ほら」
そちらの方向に視線を向けると
「――姐さあぁん!? 大丈夫っすか!?」
体をいくつかのワイヤーでぐるぐる巻きにされた蚰蜒が、池のほとりで叫んでいた。
池に落ちた百足に向かって叫んでいるらしい。
「あれ止めなくていいの、一葉君?」
「別に、両手両足を縛られた状態では、何もできないでしょう」
「むしろ、両手両足を縛られた状態で、どうやってあそこまで移動したのか俺は気になるんだが……」
まあ、這ってでも行ったのだろう。
それよりも。
いまだ池から上がってこない百足のことが心配になる守。
「……そういえば、池って凍らせてたんだっけ」
「落ちた後、池から上がりづらくなるようにって、守さんが凍らせてましたよ」
「ちょっとやり過ぎた……?」
もう一度、守は池の様子をよく見てみる。
百足は池からあがろうとしているものの、まわりの氷が割れて上手く陸へあがれないらしい。その百足を蚰蜒が引き上げようとしているが、両手両足を縛られているため、手をとることもできない。
「あ、姐さん。俺に掴まって!」
っと、最後には体を差し出してまで、引き上げようとするも。
「って、重っ――」
――ばっしゃーん
逆に、池の中に落とされる蚰蜒。
「……助けた方がいいかもね」
「かもな……」
守が言って智樹が同意する。
このままでは、さすがにあの二人も凍え死んでしまうかもしれない。
「一重ちゃん、ちょっとどいてね」
いつの間にか自分の上でくつろいでいた一重に、守は言う。
「えぇー……」
不満そうにしながらも、一重は素直に守の上から降りる。
「姉のあんな姿を見るのは、かなり複雑な気持ちですね……」
「今は、んなこと言ってる場合じゃないだろ。守を手伝うぞ」
「……はあ」
守に続き、智樹と一葉も池まで移動する。
そして、三人がかりで何とか、百足と蚰蜒を引き上げた。
引き上げられた百足は満身創痍であったが、一葉が一応、縛りあげておく。
これでようやく、家に侵入した二人の忍者を拘束したことになる。
大晦日から元日まで続いた、長い夜も終わり、これにて一件落着。
――なんて、都合よく終わるわけもなく。
「ひゃっ!」
背後から一重の悲鳴がして、三人が振り返る。
「――動かないでください」
そう淡々と言い放ったのは、もちろん、この家の侵入者の最後の一人である押花だった。
左手で一重を抑え込み、右手では拳銃を構えて銃口を守たちに向けていた。
動くな、なんて言われるまでもなく、守たちは動くことができない。
「……ちょっと、守宮さん。あの人は、あなたがなんとかしたんじゃないんですか?」
「ごめん、一葉君。なんとかできなかったどころか、すっかり存在を忘れてたよ」
「おいおい。あんな物騒なもん持ってるなんて、聞いてないんだが」
両手をあげ、体を動かさないようにしながら、こそこそと話す三人。
「余計なことを話さないでもらえますかぁ? 痛い目をみたくないなら、大人しく、こちらの要求を聞いてください」
若干、イライラしたように言う押花。
あまり刺激しない方がいいようだ。
とにかく、今は言うことを聞くしかない。
「えっと……要求ってなんですか?」
代表して、守が聞く。
「もちろん、一重ちゃんはこのまま私が連れて帰りますが。それに加えて、そこの二人も返していただきます」
「それはちょっと、そっちに都合が良すぎません?」
「文句を言える状況だとでも?」
押花は構えていた拳銃を、守へ見せつけるようにする。
「ないですね、はい……」
無暗に逆らうことはできない。そうは言っても、はいそうですかと押花の要求を飲んでしまえば、これまでの抵抗も無意味になってしまう。
それになにより、一重を連れていかれるわけにはいかない。
「守、このままじゃ……」
「大丈夫、僕に任せて」
不安げな智樹に、何か秘策でもあるのか、守は自信満々に返す。
「えっと、河津さん。僕からも提案させてください」
「……嫌です。早く、二人をこちらに寄越してください」
「まあまあ。ちょっとだけでも話を聞いてくださいよ」
「………………」
守の怪しい態度に、押花はいぶかしげな顔をする。
「押花さんは、一重ちゃんを自由の身にしてあげたいんですよね?」
「……そうですけど?」
まるで言うことを聞かない守に、押花が折れる。
どうあがいてもひっくり返せそうにない状況。ならば、最後に話ぐらいは聞いてやってもいいと、彼女は思った。――もしくは、この状況でも余裕そうな態度を取っている守が、どんな提案をしてくるのか、単純に気になったのかもしれない。
どちらにせよ、押花は守にチャンスを与えた。最後の、チャンスを。
「それじゃあ、言わせてもらいます」
もったいぶったように、口の両端を釣り上げて守は言う。
こんな状況でも、ふてぶてしく笑って、守は言った。
「僕を――僕も一緒に、連れて行ってください」
その場にいた全員の呼吸が一瞬だけ、止まる。
「――は?」
守が言ったことを頭の中で一度、反芻して――それでもやはり理解できず、押花は思わず、声を漏らす。
「あなたは一重ちゃんを自由にしてあげたいと、言いました。そして一重ちゃんは、僕と一緒に暮らしたいって、言ってくれました。それは、一重ちゃんの自由意思だったと思います。でも、このまま一重ちゃんだけを連れて行ってしまえば、それは一重ちゃんの『自由』に反することになる。だったら、僕も連れて行けば、それで解決すると思いませんか?」
「………………」
すぐに否定することなく、少し考えるようにする押花。
割と無茶な提案だったのだが、一考の余地はあるらしい。
「それにほら、河津さんだって、僕のこと好きなんでしょう?」
「いいえ」
「あれぇ!? 即否定っ!? やだっ、嘘!? もしかして僕の勘違い!? 恥ずかしいっ!?」
顔を真っ赤にして、その場にうずくまる守。
「うわぁ……」
押花に捕まっている一重も、これにはドン引き。
今のやり取りで、押花も冷静になったのか
「守宮さんの提案は受け入れられません。あと、私の名誉のために言っておきますと、ここ最近、守宮さんに近づいていたのは、好意があったからではないです。あくまでも、情報収集のためでから、勘違いしないでくださいね?」
と、淡々と言い放った。
「ですので、早くそこの二人をこちらに寄越してください。これ以上、意味のない時間稼ぎをするようでしたら、本気で引き金を引いてしまうかもしれませんよ」
そう言った押花の顔には、もう笑顔もなく。まったくの無表情だった。
「なあ、この状況はまずくねぇか、守? まだ何か、策があるんだよな?」
これまで守を信じて黙っていた智樹だったが、さすがに心配になって、そう聞いた。
しかし、守は
「万策尽きた……」
うずくまったまま、そう返した。
「僕らにできるようなことは、もうないんだよ……」
「おい、守っ!?」
焦る智樹とは対称的に、落ち着いた、あるいは諦めた様子の一葉はため息をつく。
「……守宮さんなんかに任せたのが馬鹿だったんです。もう僕たちにできることは何もないです。大人しくあちらの要求を飲みましょう。それになんですか、最後の提案。自分のことしか考えてないじゃないですか。誰があんな提案を受け入れるものですか」
そう愚痴りながら、一葉が縛り上げた百足と蚰蜒の元へ行くと
「――いやいや、一葉。私はその提案、悪くないと思うんだ」
という声が、押花の背後から聞こえた。
がば、と振り返る押花。
そこには――
「やあ、押花ちゃん。元気してた?」
まるで、久々に妹に会えてうれしいと言わんばかりの笑顔で
「お姉ちゃんです」
家本表花が立っていた。
久しぶりに兄弟姉妹に会った際に、なんと声をかければいいのか迷って、結局、そっけない態度をとってしまったりした経験がある人は、少なくないのではないだろうか。
まあ、そんな話とは関係なく。
姉と久しぶりの再会を果たした家本押花は
「――表、花っ!」
背後に立っていた姉に、一切の躊躇なく、構えていた拳銃を向けた。
「動かないでください……。相手が姉と言えども、私は撃ちますよ?」
「だったら、撃てばいいさ。妹に撃たれるんだったら、私も本望だよ」
「――っ!」
ひどく動揺する押花。
構える拳銃も震えている。
「どうした? 撃たないのかい?」
「………………」
「ああ、そうか。〝撃たない〟じゃなくて〝撃てない〟のか」
白々しくも、今、気が付いたかのように装う表花。
「……まあ、極力、撃ちたくはないですよ。後のことを考えれば」
「いやいや、違うでしょ、押花ちゃん? もういいから、その銃を貸してみなさいな」
そう言って表花は、ずかずかと押花に近づいて、拳銃へと手を伸ばす。
「くっ、来ないで――」
「はい、没収―」
「あっ!」
ひょいと。それはもうあっさりと。表花が押花から拳銃を取り上げた。
散々、守たちを追い詰めたそれを、手の中でくるくると回す表花。
「ちょっと、家本さん!? さすがにそれは危ないんじゃ!?」
と、ここで。傍観していた守が声をあげる。
しかし、守の言葉を意に介した様子もなく、表花は笑う。
「いやぁ、待たせてすまないね。とはいえ、仕事を終えてスッ飛んできたよ」
「そ、そんなこと言ってる場合じゃなくて、それ危な――」
「危なくなんてないさ、ほらパス」
そう言って表花は、手の中でくるくると回していた拳銃を、守に向かって放り投げる。
「なっ、ちょ、うわっ!?」
手元に飛んできた拳銃を、おっかなびっくりで受け止める守。
その顔はかなり引きつっている。
「その近さで見れば、一葉ならわかるだろう?」
言われて、一葉が守の持つ拳銃をまじまじと見る。
「これ……モデルガンですね」
「モ、モデルガン?」
「外見や機構を似せて作っただけの、偽物の銃です。弾が出ることはない、玩具みたいなものですよ」
「えぇ!? 偽物!?」
口をあんぐりと開ける守。
再度、拳銃を見るも、素人目にはさっぱり判断がつかない。
しかし、一葉が断言するのだから、これは〝モデルガン〟なのだろう。
「とまあ、そういうわけだよ、守宮君。押花ちゃんは最初っから、脅しのためにそれを使っていたんだ。そもそも、日本でそんな簡単に拳銃が手に入るわけないだろう? 本家にだって、二丁や三丁しかないんだから」
「あるんじゃないですか!?」
「それだって厳重に保管されてる。押花ちゃんじゃあ、持ち出せないよ」
「そんなこと言われても……」
まあ、長きにわたり人間を監禁していたことを考えれば、拳銃の一丁や二丁、あって当然なのかもしれない。いや、実感は全然わかないのだけど。
「さて、押花ちゃん」
「………………」
全てをバラされてしまい、ただ俯くだけの押花。
「一葉、押花ちゃんも縛っちゃって」
「はい、表花様」
「あ、そうだ。亀甲縛りでお願いね」
「……はい」
「お姉ちゃん!?」
顔を上げて、押花が叫ぶ。
「……お姉ちゃん?」
抱きかかえていた一重の言葉で、はっとする押花。
「……ちょっと智樹、お姉ちゃんだって」
「……完全に素だったよな」
ヒソヒソと話す、守と智樹。
「おやおやぁ。久しぶりにお姉ちゃんって呼んでもらえて、お姉ちゃん嬉しいなぁ」
ニヤニヤと笑う表花。
「うっ……う……」
今までの作った性格とは違う、素の自分を出してしまった押花。
恥ずかしさのあまり、両手で顔を覆って、耳まで赤く染める。
そんな押花に近寄って、無言で縛り始める一葉。
押花は手際よく、亀甲縛りにされていく。
「なあ、守。すげーシュールなんだが」
「僕も縛りたいなぁ」
「えっ」
そして、一葉が縛り終えると、押花、百足、蚰蜒の三人が横に並べられる。
押花に捕まっていた一重も、表花と共に守たちの元へ移動していた。
「一重ちゃん、大丈夫だった?」
「別に、何もされてませんから」
と、そっけなく言うものの、さりげなく守の隣に立つ一重。
「それは良かった。えっと、じゃあ……これからどうします? 家本さん?」
「さあて。どうしようね。とりあえず、ただ三人を逃がすだけじゃあ、また襲ってくるかもしれないからね」
「へへっ。じゃあ、始末しちゃいますか」
悪い顔をして言う守。
「そうだね、庭にでも埋めておけばいいかもね」
「えっ? いや、あの冗談なんですけど……」
「私も冗談さ。……まあ、とにかく話し合いをして、双方が納得できるところに落ち着くしか、ないだろうね」
「双方の納得……?」
「取引をするってことさ」
そう言って、縛られた押花の前でしゃがみこむ表花。
ふてくされている押花の目を、正面から見つめる。
「で、押花ちゃんの目的は結局なんだったのかな?」
「……一重ちゃんの自由です」
「二人の忍者さんはどう?」
蚰蜒と百足にも、表花は問いかける。
「押花さんの意向に従うっす」
「……同じく」
びしょ濡れで凍えながらも、それだけ答える二人。
「なるほど。じゃあ、その提案を受けよう。――一重」
振り向いて、表花は一重を呼ぶ。
「何、表花?」
「押花ちゃんは、一重を自由にしてあげたいそうだ」
「うん」
「それじゃあ、一重はどうしたい?」
「私は……」
俯く。俯いて、考える一重。
やがて、答えが決まったのか、一重は顔を上げる。
「私は、まだこの家にいたい。この家で、その……一緒にいたい。表花と一葉と……ついでに、守さんと」
一重は恥ずかしそうにしながら、それでもはっきりと、そう答えた。
「ねぇ智樹。僕ついでだって」
「いいから、今は黙ってろ」
「……はい」
智樹に叱られてしょんぼりする守。
そんな守たちは無視して、表花は話を進める。
「というわけで、これが一重の自由意志だ。つまり、押花ちゃんのやったことは、ただのお節介だったってことだよ」
「そん、な……」
「というわけで、一件落着。他に、何か言いたいことはないね?」
そう言って、半ば強制的に、その場を締める表花。
「なんか、えらいあっさり終わったね。智樹」
「ああ。俺たちの頑張りはなんだったんだろうな」
「……ただの時間稼ぎだったんじゃないかな」
「……そうか」
――こうして。大晦日、元日と続いた長い長い一夜は、遅れてやってきた家本表花の手によって、あっさりと終わったのだった。
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