時間稼ぎ
時間は少し巻き戻って、蚰蜒が座敷牢から飛び出していった直後。
踏み潰され、仰向けで動かなくなった守が部屋でぽつんと倒れていた。
「………………」
思ったよりも重症なのか、それともただの死んだふりなのか、守はぴくりとも動かない。
すると――誰もいないはずの炬燵がもぞもぞと動いて
「……大丈夫です? 守宮さん」
そう声をかけながら、出てきたのは――ジャージを着ている一重だった。
「大丈夫――じゃないよ、一重ちゃん。超ぐるじい……」
蚰蜒に踏まれたお腹をさすりながら、ゆっくりと起き上がる守。
「いくら腹が立ったからと言って、人の腹の上で立たないでほしいよね――今、僕、上手いこと言った!」
「ああ、はいはい。それだけ言えれば、別に大丈夫そうですね」
やれやれ、と呆れた顔をする一重。
「ふむふむ。やっぱり一重ちゃんはそうでないとね」
「え?」
「いやだって――一葉君が変装した一重ちゃんは、姉弟だけあって確かにそっくりだったんだけど、いかんせん無表情すぎてねぇ」
「囮作戦は上手くいったんだから、別にいいんじゃないですか?」
「まあ、そうなんだけどね」
つまり、蚰蜒が部屋にやってきた時点で、すでに一重は一葉と入れ替わっていたのだ。
作戦会議をしているとき、一葉の姿が見えなかったのもそういうこと。ちゃんと一葉も、作戦会議には参加していたということだ。一重の姿でだが。
そして、本物の一重はというと、ずっと炬燵の中に隠れていたというわけだ。
どういう経緯でこうなったのかというと――
はっきり言ってしまえば、ただの思い付きだ。
もともとは、背丈が一重とほぼ同じ一葉をいざというときに相手を迷わせる、ちょっとした目くらましをする作戦を用意していたのだが――一重と一葉が姐弟ということがわかって、本格的に変装させてみたところ、見た目だけでは判断が付かなくなるほどに似ていた。というわけで、急遽、本格的な囮に使うことを決めたのだ。
智樹と言う人手も増えたので、二手に分かれることもできる。
これで相手を錯乱させ、罠で各個撃破するという作戦だ。
まあ一葉は、姉の変装をするのにいまいち乗り気ではなく、ほぼ無表情に徹していたが。
「でも……むしろ私は、さっきの一葉の方が本家に居た頃の私にそっくりだと思います」
「ふうん、じゃあ一重ちゃんって、本家に居た頃のがスタイル良かったんだね」
「……どう意味です、それ? そうじゃなくて私が言いたいのは、あの無表情さが、昔の私にそっくりってことです。まあどうせ私は弟よりもスタイル悪いですけどねっ」
ふん、と拗ねたような顔をして、顔を逸らす一重。
「仕方ないよ! 一重ちゃんは引きこもりで、一葉君は現職忍者なんだから」
守は、一重のスタイルが悪いということを否定することなく、笑顔で慰める。
「うっ……。私も何か部屋でできる運動したほうがいいかなぁ」
自分の体を見下ろしながら、一重は本気トーンで呟く。
「いいね! 僕も一緒に付き合うよ!」
「それも、今の状況をなんとかできたら……ですけどね……」
急に不安になったのか、ネガティブになる一重。
守はそんな一重の前に立ち、ニコリと笑った。
「――大丈夫」
一重の肩に手をおいて、彼女を安心させるために守は言う。
「なんとかするよ! きっと――家本さんがなんとかしてくれる!」
「人頼みなんですね……」
まったく締まらない守だった。
格好よさなんてものとは、無縁の男なのである。
「でも。相手は家本さんとこの本家の人じゃないみたいだし、なんとかなるよね!」
「……え? 本家の人ではないんですか? じゃあ、いったい誰が……」
「えっと……河津押花さんって人が首謀者みたいなんだけど、知ってる?」
守が言った名前について、一重は首をかしげて考える。
「河津という名前には心当たりありませんが……押花……押花という名前は、そういえば聞いたことあります」
「ほんと!? 知り合い!?」
河津の正体を知るための光明が見えて食いつく守。
「家本押花。たしか、表花の妹の名前がそんなだったと思います。直接会ったことはありませんが」
「ってことは、もしかして二人は姉妹?」
守は二人の顔を思い浮かべるが――まったく似ていない。
もはやまったく共通点が無いとまで言えるくらい、守の記憶の中の二人は別人だった。
とはいえこうなってしまっている以上、守の知っている河津は、おそらく本当の河津ではない。なので、違うとも断言できない。案外、性格なんかは似てる可能性もある。
「……うーん。断定はできそうにないかなぁ」
「でも、その押花って人は、本家の忍者だった二人を使ってたんですよね。だったら、本家に関係ある人間で間違いないと思いますが……」
「うーん。じゃあやっぱり、結局は本家の人なのかぁ……。まあ、その辺の細かい話は、本人に聞いてみるしかないね。答えてくれるとは思えないけど……。――っと、そろそろ移動した方がいいかな。あんまり長いことここにいると、出口で待ち伏せされちゃう可能性もあるしね」
出口の扉がある浴室へ移動しながら、守はそう提案する。
一重も異論はないようで、こくりと頷き後へ続く。
「じゃ、隠し扉の先で誰か待ち伏せてないか、まずは僕が一人で確認してくるから、一重ちゃんはひとまず待ってて」
「はい」
一重の見守る中、隠し扉を越えて先へ進む守。
閂は、少し前にここを通った蚰蜒に、紐を切られて床に落ちていた。
そのため、今の隠し扉には鍵はかかっていない。
待ち伏せを警戒しながら、慎重に扉を開く。
道場に人影はなく、待ち伏せも無いようだ。
守は振り向いて手招きをする。
それを見た一重は頷いて、浴室から階段裏へと移動する。
「………………」
道場側の隠し扉まできて、そこで一重は、足を進めるのを躊躇してしまう。
まあ、それも仕方がないことだ。なんせ、一重の話が確かなら、座敷牢から出るのは数年ぶりなのだ。座敷牢から出るのを躊躇うのも当然の話である。
守は、不安そうにする一重の目を見て、こくりと力強く頷いて手を差し出す。
それで覚悟が決まったのか、一重は守の手を取って、隠し扉を越える。
「さてと……ここからはなるべく時間をかけて逃げないとね」
今、守がするべきことは――時間を稼ぐことだ。
時間を稼いで、一葉と智樹に蚰蜒を倒してもらい、合流して残る河津と、おそらく解放されているだろう百足を捕まえる。これが理想だ。
とはいえ、もし一葉と智樹が蚰蜒に返り討ちにされてしまった場合は、どうしようもない。そのときは相手を行動不能にするのを諦め、家本が来るまでひたすら時間を稼ぐだけになる。まあ、どちらにせよ時間稼ぎは必要なのだ。
では、これからどうするか。このまま道場で身を潜めていれば、それなりに時間を稼げるだろうが――ここで敵に襲われれば逃げるのは難しい。ここの道場には、いざと言うとき一重が一人でも逃げられるように、ほとんど罠も仕掛けていないのだ。
だから早いところ、この道場からは出た方がいいのだが。さて、どこへ行くべきか。
時間を稼ぐなら、道が入り組んでいて罠も多い二階がいいのだが、残念ながら二階へと続く階段は、守自身がローションまみれにして潰してしまっている。
「そういえば……」
守は、あることを思い出した。
一重の温かい手を引いて、道場を出て廊下へ移動する。
「……やっぱり」
そこには守の予想通り、積み上げられた客室の机があった。
三段積んだ机と五段に積んだ机が、天井まで届くように並べられている。蚰蜒が二階へ上がるために作ったという、簡易式の階段だった。
「せっかくだし、これを使って二階に上がらせてもらおうか」
「え、これ使うんですか?」
「うん? 何か問題あった?」
「いえ……危なそうだなって……」
不安げな顔で、並べられた机を見上げる一重。
天井までの高さは三メートルほど。五段に積んだ机も二メートルはあって、二人の身長よりも高い。忍者のように受け身が取れない守や一重では、落ちた際に怪我をする可能性もあるだろう。足場の机も固定されているわけではないので、崩れるおそれもある。
守も、心配になったのか、詰まれた机を少しゆすってみる。ローテーブルで重心が低いこともあって、そこまで揺れない。これなら、横から力をかけない限り、崩れることもなさそうだった。
「まあ、慎重にいけば大丈夫だよ。僕が先にのぼって一重ちゃんを引き上げるしさ」
「そう……ですね。別の方法で二階へ上がるほうが、もっと危険でしょうし」
意を決したのか、守に視線を向けて頷く一重。
守も頷き返して、積まれた机に手をかけたのだった。
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