罠ラッシュ!!
「智樹、一重ちゃんを連れて逃げて!」
守は立ち上がり大声で叫ぶ。
智樹と一重は一度大きく頷くと、トイレの横にある浴室の扉に向かって走る。
瞬間――トイレの戸が内側から勢いよく押し開けられた。
守は、その際に罠が作動するのを確認する。
トイレの戸の前に縄によってぶら下げられていた小さな丸太が、戸に押されたことで、宙高くへと押しやられた。そして戸が開ききると、その棒を押していたものがなくなり、あとは重力に従って落ちるだけ。
縄に引っ張られながら落下する丸太は、トイレから出てきた人物の頭めがけて落下。
「おっと危ない」
出てきた人物――蚰蜒は自身の頭めがけて落下してきた丸太に反応して、ひょいと躱す。失敗した――かに思われたが、蚰蜒に躱された丸太は縄に引っ張られ、振り子の要領で返ってきた。
そして――
「げふんっ!」
蚰蜒の後頭部に命中。その場で盛大にスッ転ぶ。
残念ながら、丸太が当たった瞬間に受け身を取ったのか、ダメージはないようだ。
しかし、そこに追撃を仕掛ける守。
「喰らえっ!!」
掛け声と共に、重りの付いた網を投げつける。
「うおっと!!」
真横に大きく転がって網を躱し、その勢いで立ち上がる。
その際に、蚰蜒は浴室へと入っていく智樹と一重を確認する。
「待つっすよ!」
「――させるかっ!」
二人を逃すまいと、守が、立ち上がった蚰蜒の腰に抱きつく。
「うわっ! なんすか!? 男に抱きつかれても嬉しくないっすよ!?」
「僕だって、嫌なんだけどね!!」
蚰蜒は無視してそのまま二人を追いかけようとするが、必死にしがみつく守に引っ張られて思うように足が進まない。
その隙に、智樹と一重は浴室にあった隠し扉に飛び込み、姿を消す。
それを見ていた蚰蜒が舌打ちをして呟く。
「……この部屋の入り口と出口はどっちも一方通行なんすね。なら、入口前での待ち伏せも意味ないと。だったら……ターゲットは俺が追わないといけないってことっすか!」
「いやいや。もうちょっとここでゆっくりしていってくださいよ」
二人を逃がすための足止めに成功した守は、勝ち誇った顔で言った。
流石に蚰蜒もイラッときたのか
「あーもうっ! いい加減にするっすよ!!」
蚰蜒はいったん追いかけるのを諦め、まずは障害から取り除くことに決める。
引っ張ってダメなら押してみればいい。
というわけで、蚰蜒は守が引っ張っている方向に自分から跳んだ。
「――!?」
力いっぱい引っ張っていたものからいきなり抵抗が消えて、蚰蜒に抱きついたまま後ろへと倒れてしまう守。
「ぎゃっ!!」
倒れる際に、蚰蜒のクッションにされた守は、悲痛な声をあげて潰される。
守の抱きつく力が弱まり、抱きつかれていた蚰蜒はそのまま後転して、拘束から逃れる。後転した勢いで、最後にぴょんと跳んで立ち上がる。
「……ったく、手間かけさせてくれるっすね」
ひっくり返って目を回している守を見下ろした蚰蜒は、浴室に向かって駆けだした。
その際に、わざと守の上を通ってイライラの仕返しをする。
お腹を踏みつけられた守は
「ぐえっ!!」
と一度呻いて、ぱたりと動かなくなる。
それを尻目に見て浴室に入った蚰蜒は、壁に手を当ててすぐに隠し扉を見つける。
扉の先を少し覗き、空気の通りがあるのを確認。
どうやら、この家のどこかに繋がっているらしい。
「ううむ。やっぱ追わなきゃ駄目っすよね……。待ち伏せされてたら嫌だなぁ」
と、隠し扉の前で少し悩むが、やがて覚悟を決めたのか
「ええい、ままよっ!」
と言って、隠し扉の中に入っていった。
隠し扉の先は、真っ暗な空間。そして、その奥には、閂錠のある扉が見えた。
閂には紐がついており、扉が閉まった際にそれが落ちて、自動で錠がかけられる仕組みになっている。言うなれば、アナログのオートロックと言ったところか。
「これが一方通行の仕組みと……。もしかしたら戻ってくる可能性もあるっすから、一応、壊しておきますか」
蚰蜒は小太刀を取り出して一閃。閂についていた紐を切断する。
罠の警戒をするが、とくに何も起こらない。
こう、あからさまなところで罠がないとちょっと拍子抜けである。それこそ、警戒も緩みそうになる。が、扉に手を伸ばす途中で、蚰蜒は改めて気を引き締めなおす。
油断させてから、本命の罠にかける。罠を使う上での基本だ。
弟弟子である一葉を相手に、いくらかの罠に引っかかってしまったことを思い出して、しっかり警戒して扉を開く。
――そういえば、あの座敷牢の中には一葉クンはいなかったっすね。
隠し扉を開け、何の罠もないことを確認してから、蚰蜒が思い返す。
顔を出した先は、全面板張りの大きな部屋。一階、客室側にある道場だった。部屋の配置から考えると、座敷牢の部屋から階段下を抜けて道場に繋がっているのだろう。
辺りを見回しながら、蚰蜒は考える。
――まあ一葉クンも一応、忍者っすから。おそらく、裏で何かしてるんだろうけど、少し気になるっすね。
考えたが、しかし、今はそれ以上、そのことを考えている余裕はなかった。
何故なら、蚰蜒が隠し扉を通って出た場所――道場らしき場所から出ていくターゲットの姿を視界の端に捉えたからだ。
ここで立ち往生していたら、ターゲットを逃がしてしまう。なんせ、この家は広くそれなりに複雑だ。見失って、どこかに隠れられてしまったら、しらみつぶしに家の中を見回るしかない。それで見つかるかどうかは運次第だが、現段階で経過している時間を考えると、そんなことをしてる余裕は、あまりない。
確実にターゲットを確保するには、追って捕まえるのが最善だ。
そう考えて、蚰蜒はすぐに駆け出す。
道場を出ると、客室側の廊下から足音が。蚰蜒は、自分が積み上げた机がまだ階段前に並んでいるのをちらりと見て、すぐに追いかける。
廊下の先は、玄関。
河津から、ターゲットが好んで外に出ることはないと聞いていたが、今は状況が状況だ。
車に乗って家の外に逃げられる、という可能性もある。
そのときはそのときで、河津が手を打っているらしいが――プロの忍である蚰蜒が、これ以上、雇い主である河津の手を煩わせるのは忍びない。忍だけど、忍びない。
だから、蚰蜒はやる気ゲージを切り替えた。そこそこ、から、ちょっと頑張る、へ。
もともと、軽薄狡猾な性格だったのも、真剣愚直な百足とのバランスをとってのことだ。
真面目にやろうと思えば、できなくもない。
姿勢を低くして、加速。曲がり角は、壁を蹴っ飛ばして無理やり曲がる。
そうやって、強引に追いかけた結果――
「見つけたっす」
玄関にいるターゲットと、智樹とかいう男を視界に捕捉した。
二人は、今にも外へと出ようとしていた。
残念ながら――外へ出るのは阻止できそうもない、と蚰蜒は判断。
本気で追いかけた割には、思ったより追いつくのに時間がかかってしまったからだ。
が、ここまで接近すれば、車に乗るような時間もないだろう。
ならば、外へ逃げられても、蚰蜒の足でいずれは捕まえられる。
智樹は曲がり角から飛び出した蚰蜒を見て、驚いた顔をしていたが、しかし、前に立つターゲット――一重に手を引かれ、すぐに玄関から外に出る。
「逃げても無駄っすよ!」
すかさず外へと追いかける蚰蜒。
二人は、庭の方へと走っていた。
家の外には逃げなかったようだ。が、敷地内には罠が置かれている可能性があるので、気を付けなければならない。
そうは言っても、気を付けなければいけないのは逃げる二人も同じ。
なんせ、外は暗く明かり無しでは足元も見えない。いくら、罠を仕掛けた当人たちだったとしても、うっかり自分で引っかからないとも限らない。
まあ、一重も智樹も罠を仕掛けた当人ですらないのだが。
それでも、二人は足を止めることもなく走っていた。智樹が前を行って、その後ろから一重が足元を懐中電灯で照らしながら。罠にかかることもなく、庭を進んでいた。
――ということは、もしや庭には罠をしかけていないんすかね。
蚰蜒が、二人を追いかけながら、そう考えたそのときだった。
「なっ!?」
蚰蜒の足元が突然、崩れさる。そして、重力に背中を引っ張られる感覚。
――落とし穴。
子どものいたずらや、お遊びで作られるような罠。
しかし、規模や仕掛けによって、人を殺傷しうる罠でもある。
そして、蚰蜒が落ちたこの落とし穴も、人を殺傷しうるものだった。
明かりに使っていたサイリウムが、蚰蜒の手元から落ちて、落とし穴の底が照らされる。
底にあるのは――先のとがった竹やり。落ちてきたものを刺し殺すための仕掛けだ。
それを尻目に見た蚰蜒は
「ぬおおおぉぉう……!!」
後ろに倒れまいと、必死に腕をぶんぶんと回転させる。
しかし。
「あっ……」
最後には、糸が切れた人形のように、落とし穴の中に背中から落下。
「ぎゃああああああああ!!」
断末魔の叫び。
「………………」
そしてすぐに、しんと静かになる。
前を走っていた一重と智樹の二人も、蚰蜒の悲鳴を聞いて、いったん立ち止まり後方の様子をうかがう。しばらく待つが、蚰蜒は落とし穴から這い上がってこない。
「あ、あれ……。もしかして殺っちゃったか?」
あまりの反応の無さに、智樹が落とし穴まで引き返そうとする。
が、これは、一重によって止められる。
止めたうえで、一重は首を横に振って、智樹に先へ進むよう促す。
「お、おぅ……」
後ろが気になりつつも、智樹は素直に従って先へ進む。
そして、それは正しい行動だった。
何故なら――
「無視っすか!?」
落とし穴の中では、死んだふりをした蚰蜒が二人を待ち伏せていたから。
まるで土の中でじっと獲物をまつ蜘蛛のように――とはとても言えない。竹やりを躱すために、落とし穴の中で窮屈そうにブリッジをするという恰好だったが。蚰蜒は息をひそめ、聞き耳を立てながら、二人を待ち伏せていたのだ。
……まあさすがに、遠ざかっていく足音が聞こえてしまった以上、待ち続けるわけにもいかない。死んだふり作戦は失敗である。
蚰蜒はブリッジしたそのままの体勢で後転して、落とし穴の中からひょいと飛び出す。
「あーあ。様子すら見に来ないとは、薄情っすねぇ」
ぼやきながら、前を走る二人の姿を確認。落とし穴を飛び越えて、再び追いかける。
――それにしても、罠はちゃんと仕掛けられてるみたいっすね。
だとしたら、前を走る二人はどうやって罠を躱しているのか。蚰蜒は考えてみる。姿が見えない一葉あたりが、どこからか指示でも出しているかもしれない。が、その確証もない。今ある情報だけでは、答えは出せそうにないようだ。
答えは出せなかったが、しかし、自分が罠にかからない方法は思いついた。
前を行く二人は、なんらかの方法で罠を躱して走っている。
つまり、二人が通った道には罠が仕掛けられていないということだ。少なくとも、さっき蚰蜒が引っかかったような自動で発動するような罠はない。
だったら蚰蜒は、二人の通った道をそのままトレースすればいいだけのことだ。
蚰蜒は二人が走った道をその場で見て覚え、まったく同じ場所を進む。言うだけなら簡単だが、普通の人にはできるような芸当ではない。だが、そこは忍。蚰蜒は、二人の通った道を完璧にトレースしたうえで、二人よりさらに速く駆けた。
となれば当然、蚰蜒と二人の距離が段々と詰められていく。
このまま行けば、いずれは、蚰蜒が二人に追いつく。
追われる智樹の顔にも、焦りが生まれる。
「やばい、追いつかれるぞ!?」
そう智樹が叫ぶと、一重は苦々しげな顔をしながら、智樹の手を取る。
そして、その手に、自分の着物の帯を握らせた。
何をするつもりなのか。蚰蜒は用心のために、二人の姿をジッと見ようとしたが――しかし、それ以上二人の姿を見ることはできなかった。
二人の姿が眩しくてこれ以上見ていられない、とかではなく、眩しいとはまったくの逆、真っ暗で、二人の姿を見ることはかなわなかった。
一瞬だけ、何が起こったのか戸惑う蚰蜒。
答えは考えるまでもなく、単純なことだった。
「ライトを消した……っすか」
おそらく、自分たちの進んだ道を蚰蜒がトレースしていることがバレたのだろう。目で見て追ってきているのなら、見えなくしてしまえばいい。だから、懐中電灯の明かりを消した。蚰蜒の持つサイリウムの光では、前を行く二人を照らせない。なるほど、トレースへのわかりやすい対抗策である。
しかし、それだけの判断を、素人と、ろくに外へ出たことすらもないターゲットがしたとは、到底思えない。だとしたらやはり、どこからか一葉が指示をしているのだろうか。
まあでも、焦ることはない、はずだ。
真っ暗にされては、動きをトレースできず、辺りにある罠のせいで身動きもできない。
だが、それは向こうも同じはずだ。いくら罠を仕掛けた当人でも、目が使えなければ。罠のない場所を通るのは難しい。蚰蜒と同じように、身動きが取れなくなっているか、精々、おっかなびっくりで、のろのろと歩を進めることしかできないはずだ。
だから蚰蜒は、目が暗闇に慣れるまで、ただその場で待っているだけでいい。
――はずだった。
「……まじっすか」
蚰蜒の前方から聞こえる、じゃりじゃりと地面を踏む音。
それは、とてもおっかなびっくり歩を進めている足音ではなかった。
二人はこの暗闇の中で、完全に走っている。
「ってことは、このまま突っ立ってるだけじゃまずいっすか。あんま、こういうの得意じゃないんだけどなぁ」
呟きながら、蚰蜒はその場にしゃがみこむ。
そして、地面をサイリウムで照らして、ジッと見た。そこには、砂利しかない。――が、その砂利の配置は均等ではなかった。くぼんでいる部分や、盛り上がっている部分がある。
それは先を走っていた二人の足跡だった。
足跡を辿れば、暗闇の中でも二人を追うことはできる。しかし、まだ問題はある。追いつくための、速度が足りないのだ。
前を行く二人は暗闇の中を走り、後を追う蚰蜒は足跡を辿って歩く。
このままでは、距離を放されるだけで追いつくことはできない。
しかし、そんな心配も無駄に終わった。
辿っていた足跡が、途切れていたのだ。
といっても慌てる必要はない。足跡が途切れたのは、砂利の道が終わったことが原因だ。
地面を見ていた蚰蜒は、顔を上げる。
「――これは竹藪っすね。はて、藪の中には何があるのか」
目の前にある竹が生い茂った竹藪を見て、そう呟く。
足跡はないが、地に生えた草が倒されていたり、竹藪には人が通った形跡は残っている。
まだ、追跡はできそうだ。
「……まあ、でも。この先は面倒なことになりそうっすねぇ」
はあ、とため息をついて、蚰蜒は庭よりもさらに暗い竹藪の中へと足を踏み入れた。
……そこからは怒涛の罠ラッシュだった。
地面から竹やりが飛び出したり、庭にあったのと同じ落とし穴があったり、竹のしなりを利用して足を紐でくくる罠があったり、中に入ったものを閉じ込める竹でできた檻があったり、地面から二メートルほど上にある竹板に岩を乗せて下を通ったものを圧殺する仕掛けがあったり。様々な罠が、竹藪の中に設置されていた。
前を行く二人の痕跡も、上手いこと罠に誘導されていたりしたが、しかし蚰蜒は、そのどの罠にもかかることはなかった。
というか、前半の罠はともかく後半の罠は野生の動物に仕掛けるような罠だ。
意識するまでもなく、視界に入るような罠だったため、本命の罠を隠すためのミスディレクションかと思ったほどだ。たしかに、その罠の周辺には細かい罠が仕掛けてあったが、注意すれば引っかかるようなものではなかった。
ということは、竹藪にあった罠は蚰蜒を捕まえることが目的ではなく、むしろ――
「ん?」
そこまで考えたところで、蚰蜒は開けた場所に出た。
どうやら、罠に利用した竹はこの辺りから取られたようで、辺り一面、竹の切り株だらけになっている。そんな空間が半径五メートルほどの円状に広がっていた。
だから、見晴らしがとてもいい。開けた場所の中心に人がいることにも、蚰蜒はすぐに気が付いた。気が付いて――
「………………」
しばらく、その光景に見惚れてしまった。
着ている服を汚さないためか、少し高い位置で縦横に並べた竹の上の中心に、その人物は一人ぽつりと、月明かりに照らされながら座っていた。紙魚一重。今回のターゲットである、豪奢な着物を着た少女。蚰蜒にたいして背を向けた状態で、月を眺めている。
「――はっ!」
自分が見惚れてしまっていることに気が付いて、ぽかんとだらしなく開けていた口を慌てて閉じる蚰蜒。そして、落ち着いて、周りの様子を探る。
智樹の姿が見えなかったが、この辺り一帯で他の人の気配はしない。
どうせはぐれたとか、そんなとこだろう――なんて、楽観的には考えられなかったが、だからと言って、ターゲットを目の前にして放置するわけにもいかない。
なんらかの罠があることを覚悟したうえで、蚰蜒は一重に近づく。
どこかには罠が仕掛けられているはずだ。だが、辺り一面開けているにも関わらず、それらしいものは見当たらない。地面の中に隠されている可能性も考えたが、とくに掘り起こされた様子もない。
となると、残る怪しい部分は、一重の座っている並べられた竹の上。あるいは数十センチの空間がある、その下。
できれば近寄りたくないところだったが、しかし、残念ながら一重はその並べられた竹の中心に座っている。ターゲット確保のためには、避けては通れない道だった。
「やれやれ、っす」
罠に引っかかる覚悟をして、蚰蜒は竹の上に足をかける。
一瞬、身構える――が、何か起こる様子もない。
ただ並べられただけのように見えた竹も、良く見れば縄で縛られており、足場としてしっかりとしている。これならば、下から尖った竹が突き出したり、足場が崩れて下にある落とし穴に落ちたりすることはなさそうだ。
片足で何度か竹を踏んで強度を確認した蚰蜒は、ついに両足で上に乗る。
上に乗って、慎重に一歩を踏む出したところで
「待ってください」
前方に座る一重に、声をかけられた。
「なんすか?」
蚰蜒は立ち止まって、いつもの軽薄な口調で言った。
「いえ、少しだけ話をしようかと」
「……話? 嫌っすよ。時間稼ぎっすか? どうせ、あんたを確保したらいくらでも話す時間はあるんだから、今ここで話す必要はないっすね」
「じゃあ、一つだけ聞かせてください」
「………………」
話を聞く気がない蚰蜒は、一重の言葉を無視して無言で接近。
一重まで、残り一、二メートルといったところで
「あなた、百足のことが好きなんでしょう?」
と、聞かれた。
それこそ、修学旅行の夜に友達にたいしてするような、そんなたわいなく思える質問だった。少なくとも、こんなとき、こんな場面でするような質問ではない。
多少、虚をつかれたものの、この程度の質問に動揺したりするような蚰蜒では――
「――んなっ、えっ? はっ!?」
酷く、動揺していた。
人間というものは、身構えてさえいれば、ある程度の衝撃を軽減することができる。それは、肉体的にも、精神的にも同じことが言える。
例えば、顔面を殴られることがわかっていれば、歯を食いしばることで衝撃もダメージも軽減できる。が、しかし、歯を食いしばっているときに、予想外のところから攻撃が来たらどうだろうか。例えば、カンチョーでもされたら? 多分、そんなことをされたら、された本人は、酷く、動揺するだろう。
これが不意打ちというやつだ。人間は身構えていれば、衝撃を軽減ができる。だけど逆に、身構えていないところからの攻撃は、衝撃を増幅させてしまう。
今回の蚰蜒も、そうだった。依頼のことや、あるいは煽り、それとも適当な質問が来るものだと思って、身構えていた。身構えていたのに予想外の質問をされて、不意打たれた。
予想外の相手から、予想外の事実を指摘され、忍にはあるまじき動揺をしてしまった。
あまりの衝撃で、蚰蜒の動きと、それに思考が、一瞬、完全に止まった。
わずかな間だったが、蚰蜒は、ただの案山子とかした。
そこに振り向いた一重は畳みかける。
いや――
一重に変装していた一葉が、畳みかけた。
「蚰蜒先輩、お疲れ様でした」
普段は無表情な一葉が、珍しくにっこりと笑ってそう告げ、竹の足場の中にある一本の張りつめられた縄を、切った。
直後、我に返る蚰蜒。
アクションを起こした一葉を見て、蚰蜒は自身の頭をフル回転させる。
まずは、今の自分が陥っている状況を整理する。
一葉に騙されて罠にかけられた。たぶん、蚰蜒が百足のことをす、す、好き……だということも、本家にいたころから知っていたのだ。それで不意を打たれた。
次に、罠について考える。
足元が揺れている。ということは、やはり、足場に関する罠だ。それ以上のことは、今はまだわからない。
では、どう対処するのか。
今から、この足場から降りるのは無理。となれば、この足場の上で、絶対に安全な場所に移動するしかない。
わずかコンマ一秒の間に、それだけのことを考えた蚰蜒は、そのまま素早い動きで、前に立つ一葉に飛びかかった。
足場の上で、安全な場所。いわゆる安置というやつだが、それはどこにあるのか。もちろん、足場の外に出られれば、そこが安置なのだろうが、しかし、足場の外のほかにも、安置は存在するはずだ。
それは、罠を仕掛けた本人がいる場所。
罠を仕掛けた人間が、その罠に巻き込まれてしまっては本末転倒。
ならば、自身のいる場所を安置にするはずだ。
そう判断した蚰蜒は、罠が作動しきる前に、なんとか一葉の着物に掴まった。
――しかし。
結果から言ってしまえば、そこは別に、安置ではなかった。
どころか、竹の足場の上に、安置なんてものは存在しなかった。
つまり蚰蜒は、一葉に罠を作動された時点で、詰んでいたのだ。
「――一葉クン、おまっ!?」
体を持ち上げられる感覚。
さすがに、この時点で蚰蜒は罠の正体に気が付く。
いや、今更、気が付いたところで、もう何の意味もないのだが、それでも、自分がまんまとかかってしまった罠が何なのかを、理解した。
投石機。
これが、この罠の正体だ。
正確に言えば、石を飛ばすわけではないので、投人機とでも言い換えたほうがいいかもしれないが。ともかく、この罠は、上に乗った人間を投げ飛ばす罠だということだ。
二人が乗っている足場は、切った竹を縦と横に並べて縛ったものだと思っていたが――実際は、縦になっている十数本の竹は、まだ切り出されていなかったのらしい。
地に生えたままの竹を引っ張って、しならせた状態で、足場にしていたのだ。
一葉が切った縄は、そのしならせた竹を引っ張っていた。
引っ張っていた縄が切られれば、当然、竹は元の状態に戻ろうとする。
しならされて地面とほぼ平行になった状態から、平常時の地面から垂直になった状態へと。押さえられていた力が外れて、一気に戻る。
そうなった場合、上に乗っていたものは――そのまま宙へ放りだされることになる。
それが、投石機、もとい投人機の仕組みだ、と蚰蜒は判断した。
その判断は概ね正解である。が、一つ付け加えておくと竹が元の状態に戻る力だけで、人間二人は飛ばせない。だから、ねじった丈夫な縄の力も加えられていたりするのだが……まあ、そこは細かく説明するほどのことでもない。
とにかく、罠が作動したことで、竹の足場に乗っていた二人は、勢いよく放り投げられることになる。――罠を仕掛けた本人である、一葉もろとも、だ。
つまり、一葉は自分を囮にして自分ごと巻きこんで罠を作動させたということだ。
とはいっても、自爆覚悟でそうしたわけではない。
――きちんと、事前に対策をしたうえで、自らの仕掛けた罠にかかったのだ。
投人機に放り投げられる瞬間、一葉は自身の着物を、掴んでいた蚰蜒ごと振り払う。
もともと、帯をつけていなかったからか着物は簡単に脱げる。
そして、体を「く」の字にさせて減速。
一葉は、着物の下で腰に巻きつけていた縄に引っ張られて、投人機の元へ引き戻された。
引き戻される際、体に多少の衝撃はあったものの、縄の巻かれている竹がしなり緩和されたおかげで、一葉は背中を竹の足場に打ち付ける程度で済んだ。
一方、一葉の着物と共に宙を舞い、竹藪へと突入してしまっていた蚰蜒はというと
「あああああああああああー」
とやる気なく叫びながらも、極めて冷静に、無事、着地するためにどうすればいいのか、頭をフル回転させて考えていた。
――空中で体を反転させて、背を前に向けて、足から着地。衝撃は……そのまま後ろへ転がることで殺そう。ただ、さすがに今の速度のままで地面にぶつかれば、衝撃を殺しきるのは難しい。となれば、どこかで竹に手を引っ掛けるなりで、減速しなければ。
蚰蜒は、一瞬でそう判断した。
そして、自分がこれから飛ぶ先に、減速に使えそうな竹はないかと、視線を向ける。
「――っ!?」
目の前には、何故か大きな網が広がっていた。
「ぐ――あっ!!」
まるで蜘蛛の巣にかかる虫のように、そのままの勢いで、網の中へと突っ込んだ。網に絡め取られ、受け身も取れないまま地面に墜落。そのまま、ごろごろと地面を転がって、やがて一本の竹にぶつかって、ようやく止まる。
――いったい、誰がこんなところに網を?
落下の衝撃で薄れゆく意識の中、蚰蜒は視界の端に、倒れる自分の元へと駆け寄ってくる智樹の姿を見たのだった。
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