第七章「お前のことが好きだったんだよ」

最終防衛ライン

 三十六計逃げるに如かず。守の言葉にいち早く反応した一葉が、煙玉にまきびしなどなど、手当たり次第に投げつけ、その隙に全員で逃走。

 罠への誘導を恐れたのか、蚰蜒や河津は追ってこず、あっさりと巻くことに成功した。

 その後、状況の把握と態勢を立て直すために、三人はいったん落ち着ける場所へと移動。現在、落ち着ける場所――座敷牢の部屋で、炬燵に入ってくつろいでいた。

「――はてさて。最終防衛ラインまで追いつめられることになっちゃったんだけど――智樹はこれからどうすればいいと思う?」

「さっき来たばかりの俺に聞かれても困る」

「一葉君はどう思う――って、一葉君は、いないんだったけ」

「そうだぞ、守。一葉君は、今、大事な仕事の最中だろ?」

「だったね。じゃあ、一重ちゃんはどう思う?」

 守は、目の前にいる一重に問いかける。

 一重は守の真正面、つまり同じ炬燵の反対側に座っていた。

 豪奢な着物を着て、仏頂面で、静かに座っていた。

 守から見て右隣には智樹、左隣には誰もおらず部屋には一葉の姿はない。

ここは最終防衛ライン――一重のいる座敷牢の内側だった。

 最終防衛ラインと言うだけはあって、ここまでの道筋は複雑で、しかも多数の罠がある。位置も知らずにたどり着くのは、例え忍といえども、時間がかかるはずだ。だから態勢を立て直すための時間も取れるのだが――しかし逆に言えば、そんな最後の砦となる場所に逃げ込むほどに追い詰められているのも事実だった。

「……暑苦しい」

 もごもごと答える一重。

「だってさ、智樹」

「俺のせいじゃねぇよ。……多分」

「ていうかさぁー、智樹が河津さんを連れてきちゃったから、今、こんなことになってると思うけど? 今の状況は智樹のせいだよねー」

「……俺が来てなかったら、お前はあの女忍者に酷いことされていただろうけどな」

「じゃあ、プラマイ零ってことで」

「わざわざ大晦日に来てやったってのに、プラスじゃないのか……」

「ドンマイドンマイ、こっから取り戻してこう!」

「何様だよ!」

「まあ、冗談はさておき」

 心を落ち着かせるための軽い言い合いを打ち切って、本題に入る守。

「――智樹は河津さんのこと、どう思う?」

「あ? あれは偽物なんじゃねぇのか? 忍者ってのは、変装をするんだろ? だったら、あの河津も変装なんだろうよ」

「そう……だといいんだけど。でも、そうだとしたら、いつから河津さんに変装していたのかな?」

「いつって……そりゃあ、今日、俺の家に押しかけてきたときからだろう」

「それだとおかしい……と思う。詳しい説明は省くけど、少なくともここ数日の河津さんは敵と繋がっていたはずだから」

「なるほど。だけど、ここ数日となると……俺も何度か河津と接したけど、特に普段と変わった様子はなかったと思うが」

「そこが問題なんだよねぇ。ここ数日の河津さんは敵と繋がっている。だけど、普段の様子と変わらなかった。ということは……」

 そこで言葉を止める守だったが、智樹はその先をなんとなく察する。

「いやいやいや。じゃあまさか、河津は最初から敵と繋がっていたってことか?」

「………………」

「それは……おかしいだろう。だって、河津はお前と同期。つまり――二年前から同じ役所に勤めてるんだぞ? だったら、そんな前から今日のことを計画していたってのか?」

「ううん、それはないと思うよ」

 智樹の言葉を否定する、と同時に守はある仮説にたどり着く。

「多分……僕と職場が同じになったのは偶然なんだ。というか、この家を買ったのが僕だったていうのが、偶然だったというべきか。これはあくまでも仮説なんだけど――河津さんは一重ちゃんを探すために、一重ちゃんが住んでいそうなところに当たりをつけて、今の役所に勤めたんじゃないかな? 一重ちゃんが家出したのが三年前、役所に勤め始めたのは二年前。時系列的にもぴったりだし」

「いや、その辺の事情を俺は知らんのだが……」

「ああ、だっけ。まあ、今はとりあえずで、相槌うっといて」

「あ、ああ」

 曖昧な返事をしてから、素直に黙って聞く体勢に入る智樹。

「それで、河津さんが役所にきた理由だけど――これは多分、役所が一番、地域住民の情報が集まるから、ってことだと思う。事実、河津さんが今回のことを知ったのは、僕が役所に提出した転居届が原因のはずだしね」

「転居届?」

「そう。まあただの転居届なら良かったんだろうけど、僕は世帯主のところに家本さんの名前を書いちゃったんだよね。だって、僕はこの家のお金を一銭たりとも払ってなかったんだし。で、それを河津さんに見られて、一重ちゃんの居場所もバレてしまったと。だから、今回のことは、やっぱり僕が原因だったってことだったんだ」

 今はこの場に姿がない一葉に向けて、そう言った。

「――そういうわけで、僕はちゃんと責任をとらないとね」

 そう呟く守に、一重がぽつりと返事をする。

「……別に、守宮さんは良くやってると思いますよ」

「……え? 今なんて――」

 言った? と言いかけた守の頭を智樹がはたく。

「――痛っ」

「いちいち聞き返さんでいい。それより守。あの河津は、俺たちが知っている河津で、そんでもってお前の敵ってことでいいんだな?」

「あっ、うん。……そういうことだね」

 はたかれた頭をさすりながら、守が答える。

「だったら、俺は遠慮なくやらせてもらうぜ」

「智樹は切り替え早いね。僕はまだちょっと、いざというときに躊躇しちゃうかも」

「そんときは俺がなんとかするさ。河津には、俺を運転手として使ったことを後悔させてやる」

「ん?」

 意気込む智樹の言葉に、守はどこか違和感を覚える。

「……どうした、守?」

「いや、そういえば、どうして河津さんは智樹を連れてきたのかなって」

「バスもない時間だし、俺の車を足に使ったんだろう?」

「だったら、タクシーを使えばいいと思う」

「ああ、確かにそうだ。それに河津なら、俺が守の味方をするってことも知ってたはずだしなぁ。敵を増やすようなことをして、河津はいったい、どういうつもりなんだ?」

 自分で言っておいて、余計わけがわからなくなり、頭を抱える智樹。

「――いや待って、智樹。もしかして、それが目的だったのかも」

 智樹の言葉で何か思いついたことでもあったのか、守がそう言った。

「それって……どれだよ?」

「智樹が、僕らの側につくってとこだよ」

「……はあ?」

「ねぇ智樹。ちょっと、服を脱いで」

「は、はあああああああ!? い、いきなりなにを言いだしてんだよ!! こんなっ、他にも人がいるようなところで!!」

 両手で自身の肩を抱きかかえる乙女のポーズで、守の要求を拒否する智樹。

「いいから、黙って脱いでよ」

 守は炬燵から立ち上がり、真剣な表情で智樹に近づく。

「ちょ、なんだよ」

「………………」

 無言で智樹の肩を掴む守。

 智樹はまるで、小動物のように肩をびくんと震わせる。

 そんな智樹を見て守は、気持ち悪いなぁと思いながらも、服を無理やり剥ぎ取る。

「あ、いやっ! だめぇ!!」

 智樹の野太い叫びとともに、衣服が宙を舞う。

 守はその中のいくつかを、炬燵の中で黙って見ていた一重に投げつける。

「それ調べて!」

「………………」

 守がしようとしていることを理解したのか、一重は無言のまま、飛んできた服の中からズボンを取り出して調べ始める。智樹を剥き終えた守も、なんだか生暖かくて気持ち悪いジャケットやシャツをひっくり返したりして念入りに調べた。

「うぅ……寒い……もう、お婿にいけない……」

「………………」

「………………」

 パンツ一丁で部屋の隅にうずくまる智樹を無視して、二人は真剣に服をまさぐる。

 すると――

「――ありました」

 ズボンのポケットの中から何か小さなものを取り出して、一重が言った。

「ホント!?」

「はい。……盗聴器です。たぶん、発信機の役割も」

「やっぱりあったか……」

 守は一重から小さな盗聴器を受け取り、どこからか取り出した金槌で叩きつぶす。

「ってことは、ここの居場所も知らせてたりするかもねぇ……」

 守が深刻そうに呟くと、半裸の智樹が

「えっ、何? どういうことだ?」

 と問いかけながら、半裸で炬燵に戻ってきた。

「ああ、智樹。もう服着ていいよ。というか気持ち悪いから早く服着て」

「気持ち悪いて……守が脱がせたくせに」

 ぶちぶちと文句を言いながらも、散らかった服を手に取る智樹。

 シャツに頭を通しながら、守に質問をする。

「――それで、この場所がばれたってどういうことなんだ?」

「どういうことじゃないよ、まったく。智樹の着ていたズボンのポケットに、この盗聴器兼発信機が入ってたんだよ」

 金槌に破壊された盗聴器を、守は智樹に差し出す。

「え……それマジ?」

「嘘だったら良かったんだけどね。つまり、智樹は知らないうちに、スパイとして使われていたわけだ。まあ、そのことをいちいち責めたりはしないけど」

 おそらく、智樹が河津をこの家に連れてくるまでの間に仕込まれたのだろう。

「…………す、すまん」

 智樹も、自分が無意識にやらされていたことを理解して、素直に謝る。

「……責めたりはしないけど」

「なんで二回言った!? 遠まわしに責めてんじゃねーか!!」

「なに良いようにスパイされてんの? 馬鹿なの?」

「責めないんじゃないのかよ! ド直球に責めてんじゃねーか!!」

「――守宮さん」

 と、二人の夫婦漫才、もとい、夫夫漫才に割って入る一重。

「ん? どうしたの?」

「来てます」

「え?」

 ――ガタンバコンドサッ

 座敷牢のトイレの中から、どこかで聞いたような物音がする。

 人が個室トイレに落ちた音。

 それは――敵が最終防衛ラインまでやってきたことを知らせる音だった。

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