ぶくぶくぶくぶく

 守の手元から、大量の水が勢いよく噴出されて、女の顔面にぶち当たる。

 ホースの先に取り付けられているノズルは改造品であるため、庭の水巻きなどに使うものよりも、圧倒的な高水圧で発射される。

 そんなものを生身で受ければ、ひとたまりもなく。女は顔面に水が当たった瞬間、はじかれたように後方へすっ飛んだ。それでも何とかバランスを取ろうとするも、足が床に落ちていた風呂桶にはまって、バランスを崩す。まるで、バナナの皮を踏んで転んだ人のように足を滑らせて、床にお尻を強打した。

「うわぉ……」

 あまりの水の勢いと女の転びざまに、さすがに罪悪感が生まれたのか、そっと引き金を離し、水を止める守。

 女は仰向けになった状態で

「げほっ、ごほっ、がはっ!」

 と、むせたようにして、濡れて呼吸の妨げになっている覆面を剥ぐ。

 そして、もがくように手を伸ばし、浴槽の縁を掴んで起き上がろうとする。

 起き上がろうとして――起き上がれなかった。

 何故か中腰で「了」の字のような体勢になってしまい、それ以上は起き上がれなかった。

 女は、自分の腰の辺りを確認する。

 すると――

「――ぷっ!」

 風呂桶の一つが、女のお尻にぴったりとはまってしまっていた。

 女は、自分の姿を見て吹き出した守にたいして、きっ、と憎しみの意を込めて睨みつける。が、びしょ濡れの髪と顔、涙目、鼻から垂れる鼻水、口からよだれ、そして何より「了」の恰好で浴槽に掴まっている女の睨みに、迫力も何もなかった。むしろ、ただただ間抜けなだけだった。

「ぶはっ!」

 さらに吹き出す守。

「――――っ!!」

 女は、唇をわなわなと震わせて、怒りで顔を真っ赤にする。

 守が、さてこれからどんな追撃をしようかな、と画策していると

『守宮さん、その場を離れてください!』

 今まで、黙っていたヘッドセットから一葉の声が聞こえた。

「どうしたの、一葉君?」

『今、蚰蜒が――もう一人の男が中庭からそっちへ向かいました!』

 一葉がそう言った瞬間――

「大丈夫っすか、姐さん!?」

 露天へと続く戸を開けて、守が先ほど取り逃がした男、蚰蜒が現れた。

 守が、慌てて手に持ったホースを男に向けて、引き金を引く。

「おっと!」

 しかしその攻撃は、咄嗟に体をひるがえした蚰蜒に難なく避けられ、返す体で手裏剣を投げつけられる。

「うわっ!?」

 手裏剣は守には当たらなかったものの、手に持ったホースに突き刺さり噴水のように水を巻き散らす。

「い、一時撤退!!」

 手元で暴れるホースをすぐに手放して、守は脱衣所へと逃げ込んだ。

『大丈夫ですか、守宮さん? すぐに、僕も風呂場へ行きます』

「いや、大丈夫! 一葉君は今、中庭!? だったら、すぐに引き返して!」

 風呂場と脱衣所の間の戸を閉め、脱衣所からも出ていく守。

『どうしてですか?』

「別の作戦で行くから!」

『はい?』

「名付けて、階段で待ち伏せ作戦!」

『待ち伏せ作戦?』

「うん。座敷牢へと続く道は二階にしかないでしょ? だったら、二階さえ押さえてしまえば、あいつらは一重ちゃんの元にたどり着けない!」

『だから……二階へ続く階段で待ち伏せるというわけですか』

「そういうこと。それにたぶん、あいつらは――特に女忍者のほうは、さっきの僕の攻撃で相当怒ってるはずだよ。だから、きっと追いかけてくる。それなら、待ち伏せした方が、対処しやすいと思ったんだ」

『……わかりました。僕は、中庭側への階段で待ち伏せていればいいんですね?』

「うん、僕が客室側だ」

 守の提案した作戦に異議がないのか、大人しく従う一葉。

 口は悪いものの、なんやかんやで一葉は言うことを聞いてくれる。

「一葉君はツンデレだよね」

『………………』

 返事は無い。

 守は気にせず、客室階段方面へと走る。

「そういえば……」

 ――あの忍者二人組どっかで見たような。

 お風呂場で見た二人の顔を思い出す守。

 変装は解かれていたため、たぶん、あれが二人の素顔なのだろう。そして男――蚰蜒は言っていた。変装は大変なんだと。とすれば、普段は素顔でいるのだろう。だから、どこかであの二人を見かけてもおかしくはないはずなのだが――

「あっ!! 前にすれ違った、カップル二人組!!」

 記憶の中にあるさわやか系男子生徒と文学少女の女学生に、二人組の忍者の顔が重なる。今思えば、あのときすれ違ったのはただの偶然ではなく、様子見の理由があったのだろう。

 ――そういえば、あのときは河津さんも一緒にいたような。

 と、ふと思いだす守。

 このことが後々、関わってくるのだが――今の守には知る由はなかった。


 守が客室へと向かっているその頃。

「ぶくぶくぶくぶく」

「あ、姐さーん!?」

 風呂場は修羅場と化していた。

 というか、女忍者が浴槽の中に沈んで溺れていた。

 「了」の状態で前のめりに浴槽へ突っ込んだため、どうやら、自力では上がれないらしい。蚰蜒が慌てて、浴槽から女を引き上げる。

 どうしてこんなことになっているかと言うと――守がお風呂場を出る際に手放した、ホースが原因だった。守の手を離れ、暴れだしたホースが、浴槽の縁に掴まっていた女のお尻に直撃したのだ。その衝撃で、女は前方に向かって転倒。浴槽で溺れることになった。

「――ぶふっ、ぶひゃ、ぶひゃひゃひゃひゃひゃ!!」

 女を引き上げた蚰蜒が、その間抜けな恰好を見て、耐えきれずに大笑いをする。

 さわやかからはほど遠い、ゲスな笑い方だった。

「姐さん、なんすか、その恰好っ!! ぶひゃ、ぶひゃひゃひゃひゃひゃ!!」

「………………」

「ちょっと、そのまま歩いてみてくださいっす! あ、内またで蟹歩きになっちゃうかあ!! ぶひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!」

 耳障りな男の笑い声を聞いて、うつむきながら体を小刻みに震わせる女。

「――ねぇ」

「は、はい?」

 笑い過ぎて涙目になりながら聞き返す蚰蜒だったが

「黙って外して」

「――はいっ、すみません!」

 女のドスの効いた命令に、蚰蜒はすぐさま姿勢を正した。

 その視線からは、文学少女の風体など何も残ってはいない。

「今から、外すんで、どこかに掴まっててくださいっす!」

「………………」

 女は恨みがましい目で蚰蜒を睨むが、言うとおりにしなければ風呂桶は外せそうにないため、泣く泣く、内またで蟹歩きをしながら、浴槽の縁へと移動する。

「ぶふっ」

 間抜けな動きに吹き出した蚰蜒を女が睨む。そのまま、浴槽の縁に掴まり、蚰蜒に向かって風呂桶に嵌ったお尻を突き出す。

 蚰蜒も突き出された風呂桶をしっかり掴み、そして引っ張る。

 ぐぐぐ、と力を込めながら蚰蜒が

「姐さんは胸はないのに、お尻はおっきいっすからねぇ」

 と、笑うと、女がギロリと睨み、その際、体に力が入ったのか

 ――PON!

 という軽快な音を立てて、風呂桶が外れた。

「よっし、取れましたっす、姐さん! では、俺は、あの男を追いかけるんで、では!」

 早口で言って、その場から去ろうとする蚰蜒だったが

「――待って」

 物凄い力で肩を掴まれ、動きを強制的に止められる。

「な……なんすか?」

「私も一緒に行く。あの男は二人でぶち殺す」

 殺意の籠った声で、そのうえ、動きを止められて背後から言われてしまえば

「……はい」

 と、蚰蜒はそう答えるしかなかった。

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