君に会いに来たよ!
守が智樹との電話で決意を固めた、しばらく後の座敷牢。
「はあ……」
一重が、トイレの中に籠ってため息をついていた。
ちなみに、守が部屋を出ていってから、すでに五時間近く、経過している。
その間を、ほとんど便器の蓋の上に座って過ごす一重。
腹痛で便座から離れられない――というわけではなく、ただ考え事をするためにトイレに籠っていた。この場所が、一重にとって一番落ち着いて考えられる場所なのだ。
逆に、座敷牢の部屋は落ち着かない。今の座敷牢には簾があるものの、昔は――本家に監禁されていたころの座敷牢は、風呂とトイレ以外では、常に外から見られている状態にあった。それでは、落ち着くのも難しい話だ。それに、今も昔も座敷牢は広い。一人ぼっちで広い空間にいるよりは、狭い空間にいたほうがずっと落ち着く。
だから、トイレという周りを囲まれた狭い場所は、一重にとって、もっとも落ち着く場所になっていたのだ。次点では、風呂場だが、衣服を着たまま風呂場に入るのは中々に落ち着かない。逆に全部、服を脱いで入ったとしても、考えごとをしている間に風邪をひいてしまうだろう。湯船にお湯を張って入るという選択肢もあるが、のぼせてしまう可能性がある。座敷牢の中にいるため、いざというとき外にいる人に助けてはもらえないことを考えると、中々、多用はできない。
まあ、そもそも、座敷牢から外に出ない一重が、長時間の考え事をする機会など、ほとんどなかったのだが。それこそ、誰かと接触をしない限りは。
――そんな感じで、便器の上に座った一重は、その見た目のシュール差とは裏腹に、真面目に、守宮守という、出会ってまだ数日の人間ついて考えていたのだった。
「どうすれば、守宮さんをこの家から追い出せるのだろうか……」
思考内容は、だいたいこんなことだ。
ちなみに、答えはいまだに出ていない。
「――このまま、守宮さんが帰ってこなければいいのに」
そうなれば、別に答えを出すまでもなくなるので、ありがたいのだが……
「でも、それはそれで寂しい……」
自分勝手ながらも、悲しいと思ってしまう一重だった。
結局――本音のところでは、せっかく仲良くなってきた守と離れたくない、縁を切りたくないのだ。なんせ、守は親族以外で、生まれて初めてまともに話した相手だ。数日の付き合いとはいえ、その間に楽しく会話をしたことで、情が湧いてしまうのもしかたがない。好きだとか嫌いだとか、恋愛感情に関してはさっぱりな一重だったが、自分が守のことを気に入ってしまっているのは理解していた。
いつかの一重が、別れのときに悲しい思いすることを理由に接触を拒んでいたのは、こうなることを危惧していたからなのだろう。
「……なんで私がこんなにも悩むハメに」
一重の言葉を無視してやたらと構ってきた守を思い出して、文句を言いたい一重だった。
まあ、言っても仕方がないことだが。
そもそも、一重が一番文句を言いたい相手は、守ではなく家本表花だ。
家本がこの家で一重とずっと一緒に住んでいれば、守を連れてくる必要だってなかった。
それを、一重の力で会社が上手くいくのが嫌だからと、家本が別居しようとしたから、こんなことになっているのだ。別に、家本が自分の力で会社を経営したいというのなら、それは構わない。その結果、本家に送り返されることになったとしても、一重に抵抗する気はなかった。
だというのに、自分の会社のことに一重のこと、どっちも思い通りにしようとして、どっちも解決しようと欲張って、守という本家のいざこざとは無関係の人間を巻き込んでしまっている。
確かに、守の人柄自体は、一重と一緒に住むうえでは理想的だった。利己的でなく出世欲もない。一重の力を悪用できるほど賢くもない。騙しやすくて、利用もしやすい。それになにより、人として付き合いやすかった。人見知りな一重でも――人を知らない一重でも、自然に会話ができた。年下で、さらに実年齢より下に見える一重に、生意気なことを言われても、嫌な顔をせずに自然体で接してくれた。
裏表のない人間というのは、ああいう人間のことを言うのだ。
だからこそ、これ以上、良いように利用するわけにはいかないし、厄介ごとに巻き込むわけにもいかない。ここで縁を切ってしまうのが守にとって一番いいことなのだと、自分に言い聞かせる一重。
「嘘でも『あなたのことが迷惑です』とか言えれば、守宮さんも大人しく出ていくんだろうなあ」
それが言えれば、世話がなくて済むのだが。
残念ながら、そんなことを言う度胸は一重にはない。建前を言うならともかく、強がりを言うのならともかく、明確な嘘を言うのには抵抗を覚えてしまうからだ。
――じゃあ、どうすれば後腐れなく守を家から追い出せるのだろうか。
「はあ……」
思考が堂々巡りをして結論が出ず、またしてもため息をつく。
「それにしても、守宮さんはまだ戻ってきてないのかな。もしかして――」
このままこの家に戻ってくることはないのかも――と考えると、胸が締め付けられるような感覚に襲われる。
やっぱり感情と言うのは面倒くさい。
きっと、心の中のどこかでは、まだ守とのんびり暮らせることを期待しているのだ。
だから、その期待が外れたときに、苦しい思いをする。
期待なんてしても、いいことはない。
期待することがないよう、本家で監禁されていたころは心を閉ざしていたのに。
あの家を出てから、自分は変わってしまった。家本に言わせれば、それは良い変化なのだろうけど――でも、今の一重にとってはつらいだけだ。
いっそまた心を閉ざしてしまえば、肉体と同じように心も檻の中に閉じ込もってしまえば、楽になるのかもしれない。そうすれば守にも、冷たく言い放てるのかもしれない。
目をつむって、心を落ち着かせようとするが
「んっ……」
と、一重は突然、体をブルリと震わせる。
どうやら暖房もないトイレの中に、長時間、閉じこもっていたことで、もよおしてしまったらしい。
と言っても、ここはトイレなのだから、もよおしてしまえば用を足せばいい。
一重はいったん立ち上がって、便器の蓋を開けて、ジャージのズボンと、パンツを下ろして、もう一度、座る。
「ふぅ……」
一重がお花を摘み始めて一息ついていると
「うぐっ」
と、どこからか呻くような声が聞こえた。
「……?」
一重が首をかしげて上を見上げると
「――うわあああぁぁあ!!」
ガタンバコンドサッ
騒々しい音を立てて、一重の目の前に何かが落ちてきた。
「いてててて……」
その落ちてきた何かは、ゆっくりと立ち上がり辺りを見回す。
「……あ」
そして一重の姿を見つけて
「一重ちゃん……君に会いに来たよ!」
と、さわやかにキメ顔で言ったのは――何故かボロボロになっている守宮守だった。
突然の出来事に唖然とする一重。
「――って、あれ?」
一重の恰好を見て自分がどこに落ちてきたのかを把握した守は
「えっと……邪魔しちゃったかな? ど、どうぞ続けて?」
そう言って、そそくさとトイレの戸を開けて出ていく。
ここでようやく状況を理解した一重が
「ひっ、ひゃあぁぁああぁあぁ!!」
と、顔を真っ赤にさせて悲鳴をあげた。
泣き笑い怒りが混ざった複雑な表情をしていた。
この様子ではどうやら、今の一重が心を閉ざすのは難しいようだ。
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