二人は友達、他意はない

『――もしもし、智樹? 僕だけど?』

 古びたアパートの一室にある、智樹の家。守の家とは打って変わって、居心地の良い狭さである八畳の部屋の中、智樹はソファに座っていた。

「なんだ、守?」

 ぼんやりとテレビを見ていた智樹は、リモコンでテレビの電源を切って、そう答える。

『えっとね……』

 いつもより元気のない守の声に、智樹は首をかしげる。

「?」

『ちょっと……相談があるんだ』

「……相談?」

 思いよらぬ守の言葉に、心底不思議そうな顔をする智樹。

 それも、そのはず。二人は二十年も一緒にいるというのに、守が智樹に相談をするのは今回が初めてだったからだ。頼み事はよくあった。先日の買い物など、智樹はそれなりに守に頼られていた。だがしかし、相談だけはされたことがなかった。

 いつも能天気に振る舞っていた守。悩みのない人間なんてほとんどいないのに、あたかも自分には悩みなんてないという体を装って生活していた。

 それは、幼馴染の智樹にたいしてもそうだ。

 守が相談するのは、家族である祖母だけだった。

 それがどうしたことか、今、守は智樹にたいして、相談がある、と言ったのだ。

 驚かずにはいられない。そして、喜ばずにもいられなかった。

 これまでも智樹は、守にたいして、何度か悩みを尋ねたのだが、はぐらかされるか茶化されるかで、話を聞くことすらできなかった。

 だから――

「お前は本当に守か?」

 つい、そんなことを聞いてしまう。

『僕以外、誰が智樹に電話するっていうんだよ』

「いや、いるからな? お前以外にも電話をかけてくる奴いるからな?」

『間違い電話はカウントされないよ?』

「間違い電話じゃねぇーよ。間違ってるのは、お前の俺に対する認識だ」

 このやり取りで、電話の相手が守であると確信する智樹。

 こんな失礼なことを言うやつは、智樹の知り合いでは守しかいない。

「――ていうか、お前。相談があるっつーわりには、結構、元気じゃねぇーか」

『いや……元気、というよりかは、今、元気になったところ、って感じかな。やっぱり、智樹と話してると落ち着くよ』

「ぶふっ……! おまっ、こ、恋人みてーなこと、言ってんじゃねぇよ! お、男同士でこのやり取りは……その、気持ち悪いだろうが……」

 最初は勢いよく突っ込んだものの、だんだんと語気が下がっていく智樹。

『まあまあ、そこは幼馴染のよしみで、軽く流してよ。それで、相談なんだけどさ』

「……はいはい。で、なんだ?」

 掘り下げられても困るので、軽く流して、智樹は問いかける。

『新しい家のことなんだけど――この話は、他言無用でお願いできる?』

「ああ。誰にも話すなっつーなら誰にも話さねぇよ」

『うん、ありがとう。それでね――』

 守は、今日、家本から聞いた話を、智樹にざっくりと話し始めたのだった。


『――というわけなんだけど』

 守が一方的に話終えて、一息つく。

 その間に、携帯電話から耳を話して、智樹は思考を整理する。

「つまり――お前は、これからどうすればいいのか悩んでいるということなんだな?」

『まあ……そういうこと』

「ふうん、なるほどな」

『それで……どうすればいいと思う?』

 情けない声で、そう聞いてくる守。

 智樹は、はあ、と深くため息をついて

「お前、馬鹿か?」

 と、言い放った。

『ば、馬鹿ぁ?』

「ああ、馬鹿だよ。お前は、大馬鹿だ」

 父親が子どもに説教するように智樹は言う。

「なにが『どうすればいい?』だ。何悩んでるフリしてるんだよ。お前の中ではもう、自分が何をしたいか決まってるんだろうが。違うか?」

 問い詰めるような言い方だったが、自然とそんな感じはしない。

 むしろ、諭しているかのような印象だった。

『でも、したいことと、どうすればいいのかは……違うでしょ?』

「違うな。たしかに違う。したいことをしてるだけじゃあ、人間、生きていけない。だけど、したいことをしないのなら、お前はなんで生きてるんだ?」

『それは……』

「守には、したいことがある。でもそれは、合理的に考えて無駄なことだった。だから、お前は悩んでる。そうだろう? お前には、したいことをするだけの理由がないんだ」

 智樹は、わざわざ本人の気持ちを弁論をする。

 言葉にすることで、本当の気持ちを、守にわからせるためだ。

『………………』

図星を言われて――いや、自身の気持ちに気付かされたことで、守は黙ってしまう。

「結局、お前は誰かの後押しが欲しかっただけなんだ。何かを決める時に、誰かの後押しを必要としてしまうんだ。いや、後押しされて何かを決定するのは悪くないぞ? ただ、いずれは自分だけで決めなきゃいけない状況も、これからあるはずだ」

『……うん。そうだね』

 守の素直な返事を聞いて、智樹はニヤリと笑う。

「けどまあ、今日のところは俺がお前の背中を押してやる」

『頼みます……』

 電話越しに、落ち着いた守の声が聞こえる。

 どうやら、気負いや緊張は一切ないようだ。

 それに安心して、智樹は口を開く。


「――守は、自分のやりたいことをやる人間だ。勢いで家だって買っちゃうし、目についたものをすぐに買おうとする。確かにそれは、短所だけど……お前の長所でもあるんだ。自分のやりたいことを全力でやれるやつなんて、そんなにいない。それでも悩むんだったら、俺に相談しろ。間違っていることだったら、そのときは俺が教えてやる。だからお前は――自分のやりたいことをすればいい」


『…………うん………………うん!』

 守は、何かを覚悟したかのように、力強い返事をする。

「どうだ守? 悩みは解決しそうか?」

『頭の中のモヤモヤがなくなった! 僕はやりたいことをするよ!』

「おお、その意気だ」

 いつもの調子に戻った守の声を聞いて、思わず笑顔になる智樹。

『迷惑かけたね、智樹』

「ああ? 勘違いするなよ? 今のはお前のために言ったわけじゃないからな?」

『……?』

「俺はただ――俺が言いたいことをいっただけさ」

『え? なんだって?』

「俺はただ――って、二回も言わそうとすんな!」

 格好つけで言ったことを聞き返されて、羞恥心で智樹は顔を赤くする。

『あはは』

「笑ってんじゃねーよ」

 と、文句を言う智樹の口元もほころんでいた。

『まあまあ。それじゃあ悪いけど、これからやりたいことができたから、電話切るね?』

「おうよ、おやすみ。また困ったことがあったら、いつでも相談しろよ」

『了解です……それと智樹?』

「……ん?」

『智樹が僕の幼馴染で本当に良かったよ』

「――っぶ!!」

 盛大に吹き出す智樹。その顔は耳まで真っ赤だ。

「げほっ、げほっ!! ――お、おい!! 守!?」

 涙目になりながら、なんとか守に文句を言おうとするが

 ツー……ツー……ツー……

 通話はすでに切られ、それを知らせる音だけが携帯電話から虚しく鳴っていた。

「………………」

 その後、智樹はしばらく、むらむら――もとい、もやもやしたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る