第五章「うわぁ…檻の中‥あったかいなり」

右手の恋人しょうがくせぇ

「……はあ」

 夕飯を終えて一息ついていた守は、これから自分がどうするか、まだ迷っていた。

 正直、まだ数日しか住んでいないが、この家は居心地がいい。

 できることならば、ずっと住んでいたいと思っている。しかし、命の危険もあるということに巻き込まれてまで手放したくない、と聞かれれば、すぐに、はいとは答えられない。

 確かに良い家ではあるけど、そこまでするほどのものではないからだ。

 だったらこの家から出ていけば済む話なのだが、そう考えると、守の中の何かもやもやしたものが邪魔をして、結論を出せずにいた。

 そんなはっきりとしない態度でいたため、家本との話も、まだ一重に話せていない。

 だから守は、一人、炬燵の中でうじうじと考えていた。

 それを見かねた一重が、声をかける。

「ため息なんてついて、どうしたんです、守宮さん?」

「えっと……あ、一重ちゃん。今日の夕飯どうだった?」

 一重からの問いに、質問で返して誤魔化す守。

 しかし、隠し事をするのが苦手なのか、口元がピクピクと引きつっている。

「……生姜焼きですよね。別に、美味しかったと思います。ただ、しいて言えば、味が濃かったかな、と」

「あ、そうだった? じゃあ、次からもうちょっと薄くしてみるね」

 口元を手で隠して、平静を装う守。

 そんな守を、一重はじとーっとした目で見る。

「何やってるんですか? 手の匂いでも嗅いでるんですか?」

「え? ああ、そうなんだ! くんくん――って僕の手、生姜くせぇ!」

「手が小学生? 一人身の男性が自身の手を恋人にみたてるという話は聞いたことがありますが、守宮さんの恋人は小学生なんですね。幻滅しました」

「いやっちがっ!」

「血が? 仮想の恋人からは血はでませんよ?」

「う、うわぁん!」

 言い訳することもできず、炬燵に突っ伏してしまう守。

 一重は、やれやれと首を振って呆れた顔をする。

「……それで、守宮さんはいったい何を隠しているんです?」

「どきぃ!」

 守は突っ伏した状態で、びくん、と肩をはねさせる。

「あ。いちいち、わかりやすい擬音を口に出さなくても、驚いてることはわかっているので、やらなくてもいいですよ?」

「うぐぅ……、ひどい畳みかけだ……」

「それで、何を隠しているんです? 吐いちゃった方が、きっと楽になれますよ?」

「いや、その……」

 この期に及んで、まだ隠そうとする守に、一重はしびれを切らす。

「……はあ。もういいですよ。そんなことでいちいち悩まなくても。守宮さんは、さっさとこの家を出て、普通の暮らしに戻ればいいんです」

「……え? えっ!?」

「……ああ。言っておきますけど、私、あのとき起きていましたからね?」

 あっさりと衝撃の告白をする一重。

 守は、口を大きく開けて、目を白黒させる。

「お、おおお、起きてた? じゃ、じゃあ寝たふりをしてたの? なんで!?」

「なんでって――」

 指摘されることまで予想していなかったのか、一重は決まりの悪そうな顔をする。

「そりゃあ、私にだって考える時間が……」

「考える時間が?」

「――あ、あとはもう自分で考えてください」

 むぅ、と顔を赤くしてむくれる一重。

 察しろ馬鹿、とでも言いたげな表情だったが、しかし、守には伝わらない。

 どうしていいのかわからずに、おろおろとしている。

 その間に一重は、おほん、と咳払いをして体裁を整える。

「――と、とにかく、守宮さん。巻き込まれたくないのであれば、この家を出ていけばいいんです」

「でも――」

「でもじゃないです。もし私のことを気にしているのなら、余計なお世話です。私、最初から、言ってましたよね? 私のことは別に気にしなくていいと。家族だから気にする? そんなものは所詮、偽りでしかありません。ただの家族ごっこです。本当の家族なんかじゃないんですから、守宮さんが私にあれこれする必要はないんですよ?」

 冷たく突き放すような、ともすれば自虐的な言葉だった。

 にも、関わらず、一重は優しく微笑んでいた。

 この数日で、守がほとんど見ることができなかった笑顔だ。

 しかし、その笑顔は、すこし引きつっている。

 そんな笑顔を向けられて、守はなんと返していいかわからない。

 どんな答えを出せばいいのかも、わからない。自分の気持ちのことすら、わからない。

 わからない。わからない。わからない。

 守には、わからないことだらけだった。

 こんなとき、これまでの人生ではどうしてきたのだろうか。

 守は思い出す。

 中学生のとき、どの高校に行くのか迷ったこと。

 高校生のとき、就職するか進学するかで迷ったこと。

 大学生のとき、どんな仕事につこうか迷ったこと。

 そんなとき、守の決め手になっていたのは、いつも、祖母の言葉だった。守のことを一番よくわかっていたからこそ、いつも、守のやりたいことに後押ししてくれた。

 しかし、もう、祖母はいない。

 守は、誰ひとり家族のいない、天涯孤独な身だ。

「……ごめん、一重ちゃん。ちょっと、考えてくるよ」

 家族はいない。だったら……この世で今、一番、守のことをわかっているのは誰か。

 守は、携帯電話を持って部屋の外へと出る。

 そして、廊下を少し歩いて電話をかけた。

「――もしもし、智樹? 僕だけど?」

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