ああ、おいしいなぁ

 同僚の全裸を自宅内で、しかも人生で初めて、異性の(老人と子どもは除く)裸を見た守だったが、しかし、それを喜んでいられる余裕はまったくなかった。

 それも当然。家に招待したお客が、全裸で冬の池に落とされていたのだ。ニヤニヤと鼻の下を伸ばして裸を眺めている場合ではない。守は、慌てて河津に駆け寄り、上着を彼女にかけて、体を温めさせるため、すぐに温泉へと案内をした。

「えっと、守宮さん。……ごめんなさい」

 温泉から上がった河津が、守が貸したスウェットの上下を着て、開口一番、そう謝った。

「何、言ってるんです、河津さん! 謝るは僕の方ですよ!」

「そんなことないです。これは私の自業自得で……」

「えと……とりあえず、部屋に行きましょう、ね?」

 守の提案に、河津は大人しく従い、二人は客室へと戻る。

 そして二人は、お互いに向かい合って座り込む。

「あの、まず聞いておきたいんですけど、河津さん、怪我はないですか?」

「え? あ、ああ、怪我はだ……いえ、ちょっとだけ背中と腰の辺りに火傷しちゃったみたいです。たいしたことはないんですけどね」

「ええ!? 火傷!?」

 怪我があることを知って、顔を青くする守。

 しかしその怪我が火傷ということは、守の既視感は正解だった。おそらく河津は前日の智樹と同じような目にあったのだと、今の段階で予測できる。

「だ、大丈夫ですか!? 薬塗りましょうか!?」

 河津の入浴中に用意しておいた救急箱から、火傷用の軟膏を取り出す守。

「あー……。じゃあ、お願い……しますねぇ」

 少し迷ってから、恥ずかしそうに頼む河津。そして、くるりと体を回転させて守に背中を向けてから、スウェットの上を脱ぐ。下着も焼けてしまったらしくつけていない。これで上半身は完全に裸になる。

「うわっ!? 河津さん!? 何で、服を!?」

 慌てて手のひらで顔を隠す守。

ちなみに、指がガバガバに開いていて、目はまったく覆われていない。

「え、だって、服を脱がないとお薬が……」

「あ、ああっ! そういえばそうか! これは、医療行為ってことですよね?」

 顔を赤くした守が、そう言って気を落ち着かせる。

「そんなこともわからずに、お薬を塗るって言ったんですね。てっきり、下心込で提案したのかと。……やっぱり守宮さんって初心ですねぇ?」

「へ、へたれなのは否定できませんが」

「うふふ。それじゃあ、お薬お願いしますねぇ」

 河津は落ち着いた様子で、脱いだ服を抱え、体の前を隠す。

「は、はい!」

 一方、緊張して声が上ずっている守。

 震える手で、軟膏を両手のひらで伸ばす。

「じゃ、じゃあ塗りますねっ」

「お願いします」

 少し濡れて艶のある後ろ髪を片手で器用にあげて、頭を前に傾ける河津。背中から腰にかけてまだらに、赤く腫れた部分がいくつかあった。

 守は、恐る恐る手を伸ばして――ぴとっ、とその部分に触れる。

「んっ――」

 軟膏が冷たかったのか、河津は悩ましげな声をあげる。

「だ、大丈夫ですか!?」

 慌てる守。

「少しだけ痛いですけど……平気です。続けてください」

「は、はい」

 今度は悩ましい言葉をかけられて、守はますます緊張してしまう。

 たどたどしい手つきながらも、なんとか河津の背中に軟膏を塗っていく。

 そして、腰の辺りの火傷に塗ろうとしたところで

「――ぶっ」

 守は吹き出して、咄嗟に顔をそらした。

「? どうしました?」

「えっ? あー、なんでも、ないです」

 笑って誤魔化す守だったが、内心はドキドキだ。

 そらした顔を戻して、ちらっと河津の腰に視線を向ける。――見ているのは腰よりも下の部分。つまり、臀部、お尻だった。守は、河津のお尻を凝視していた。

 と言っても、服の上からお尻の形を観察したりしているわけではない。

 河津が前かがみになったことで、腰とズボンの間に空間が生まれ、布に覆われていた部分があらわになってしまっていたのだ。下着も――どうやら焼けてしまったらしく、履いていない。素のお尻が、尾てい骨の辺りまで丸見えだった。

 それを見て、ズボンの中に両手を突っ込みたい衝動に駆られる守。

「――ぐっ、落ち着け、僕の両手ぇ……!」

 と、小声で唱えて、守はなんとか衝動を押さえつける。

 そうこうしているうちに、守の手が止まったことで治療が済んだと思った河津が、顔だけで振り返る。

「あ、終わりました?」

「……は、はい」

 実際、見える範囲の火傷には軟膏を塗り終わっていたので、そう答えるしかない守。「お尻にも火傷があった」などと正当化して、ズボンの中に手を突っ込めば良かったかな、と手をわきわきとさせながら、少し……ほんの少しだけ後悔する。まあしたらしたで、その後に気まずくなることは必至だったので、我慢して正解だったのだが。

「守宮さん?」

 ショボーンとしていた守のことを心配に思ったのか、声をかける河津。

「あ、えっと、手を洗ってきますね!」

「?」

 顔を赤くして焦ったように部屋を出ていく守を見て、河津は首をかしげたのだった。

「……ふぅ」

 トイレで手についた白いの(軟膏)を洗い流した守は、鏡の前で大きく息を吐いて、ひとまず落ち着きを取り戻す。

 まあ、女性の素肌、それも普段は衣服に隠れて見えないようなところを、初めて触ったのだ。ドキドキしてしまうのも仕方がない。

「でも……女の人に怪我させちゃったんだよな」

 河津の背中にあった火傷の跡を思い出しながら、そう呟いた。一生残るような傷――ではないはずだ。しかし、直接手を出したわけではないとはいえ、嫁入り前の女性の体に傷をつけてしまったのだ。割と古風な考え方をする守は、責任を感じてしまっていた。

「とにかく……まずは事の成り行きを聞かないと、かな」

 今後の方針を決めた守は、とりあえず河津のいる客室へと戻る。

「あ、守宮さん。もう冷めちゃってますけど、お昼ご飯食べませんか?」

 と、ペペロンチーノが置かれた机を前にした河津が、部屋に入った守にフォークを差し出しながら、笑顔でそう提案した。

確かに、ペペロンチーノを部屋に運んでおいたのは守なのだが、しかし、火傷のことなどをまったく気にせずに昼食の提案をされて、拍子抜けしてしまう。

「……そうですね。せっかく河津さんが作ってくれたんだし、食べましょう」

 断る理由もなく、河津の提案に乗る守。

 差し出されたフォークを受け取って、守は河津の対面に座る。

「いただきます」

「いただきます」

 食べ始める二人。

 最初の一口を飲み込んだ守が

「うん、おいしい」

 と呟いてから

「――それで、河津さん。いったいどうしてあんなことに?」

 と、聞いた。

「実は、私にもよくわからないんですよねぇ。なんていうか、気が付いたら二階に上がっていて、気が付いたら背中に火がついていて、気が付いたら池の中に落ちてたんです」

 そう言って、むむーっと口をへの字ににしながら首を傾ける河津。

「……そういえば。河津さんって方向音痴でしたっけ」

「そうなんですよねぇ。家の中で迷ってしまったんです。勝手に歩き回ってしまって、ごめんなさい」

 河津は。頭を軽く下げて、申し訳なさそうに謝る。

「あ、いえ! 悪いのは、二階が危ないってことを伝えていなかった僕ですから!」

「そんなことはありません。……実は私、階段に危ない仕掛けがあったのをわかったうえで、二階に行ったのですから。面白そうだなぁって思って、好奇心で先に進んでしまったんです……。だから、私の自己責任なんです」

 と、河津は告白して、守の非を否定する。

 確かに、二階に上がるためには、丸太が落ちたり段が飛び出したりする階段を上がらなければならないし。そもそも、あれらを見て、好奇心から上がろうと考える時点で、河津は結構アクティブな性格なのかもしれない。

 だから、軽率な行動をとった河津にもまったく非がないわけではない。

「でも、河津さんに怪我をさせてしまいました……」

「それこそ、自己責任です。それに、たいした怪我ではありませんし、私はまったく気にしてませんからね?」

 にこやかに言う河津。

 守も、彼女の言葉に少しほっとする。もし、責任をとれ、だなんて言われていたら責任を取って結婚するほかない、とおおげさながら本気で考えていたからだ。

「……あ、でも。裸を見られたのは、ちょっとショックでした。異性に初めて全身を見られてしまいました。守宮さん、責任とってくださいね?」

「えっ!?」

 もしや結婚しなきゃ!? と、慌てる守。

 そんなあたふたとする守を見て河津は

「冗談です」

 と言って、うふふといたずらな笑みを浮かべたのだった。

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