第三章「家へおいでよ。買い物へ行こうよ。そしてとびだせ!」

職場で迷子の同僚

 役所内、仕事中。

 トイレへ行って戻る途中で、守は同僚の河津押花と鉢合わせた。

「河津さん」

「――ああ、守宮さん」

 振り返った河津は、何か困っているような顔をしていた。

「どうしました?」

「あ、いえ。大したことではないんですけど……ちょっと迷っちゃって」

「あはは、またですか?」

「……はい。また、なんです。すみません」

 苦笑する守と、しょぼくれる河津。

 また、と河津が言っていることから、職場で迷うのも良くあることなのだろう。

「それで、どこへ行こうと?」

「資料室ですねぇ」

「資料室って、一昨日は普通に行けてたじゃないですか」

「あのときは、守宮さんと一緒だったから……」

「……ですか。方向音痴っていうのも大変ですね」

「できれば、自分の職場でくらいは、迷わずにいたいんですけどねぇ……」

「そ、そのうちきっと、覚えられますよ! 今日のところは、僕が案内しますから!」

「はい。お願いします」

 申し訳なさそうにしながらも、どこか嬉しそうに微笑む河津。先を歩く守の背中に、置いて行かれないよう、ぴったりとついて歩く。

「そういえば、さっき転居届を出してましたよね。ということは、守宮さん、新しく買った家に住むことを決めたんですね?」

「ああ、はい。届出を出すときとか、役所勤めは便利ですよね」

「お家は、どんな感じでしたか?」

「一昨日、初めて家を見たんですが、大きくて凄い良い家でしたよ」

 身振り手振りを加えながら、自慢げに言う守。

 河津はそんな守の様子を見て微笑み、そして少し考えて、意を決したように口を開く。

「あの、守宮さん。もしよろしければ、今日、仕事が終わった後に、守宮さんの新しいお家にお邪魔してもいいでしょうか? その、引っ越しのお祝いとかをしたいので……」

「お祝いだなんて……同僚だからってわざわざ気を遣わなくてもいいんですよ? それに持て成すためにパーティーの準備だってできてませんし」

「い、いえ! 気を遣ってるわけじゃなくて、パーティーとかでもなく、その……守宮さんの新しいお家をちょっと見てみたいかなぁ、なんて」

 恥ずかしそうに、そう答える河津。

 守も、自慢の家を見たいと言われて、悪い気はしないのか

「そうでしたか! だったら、ぜひ、家に来てください!」

 と、嬉しそうにした。

 それを聞いてほっとしたのか胸をなで下ろす河津。

「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて。お仕事が終わったら、お邪魔したいと思います」

「はいはい。じゃあ、終わったら、役所の前で待ち合わせですね。さすがに、役所前なら河津さんも迷いませんよね?」

「あ、守宮さん。私を馬鹿にしてますねぇ」

 ぷくぅと頬を膨らませ、腰に手を当てて、河津は不平を漏らす。

「あははー……あ、資料室つきましたよ」

 河津の言葉にたいする言及は避けておく守。

 むー、と河津は少し納得いかなさそうな顔をする。

「誤魔化しましたね、守さん。まあ、いいですけど」

「そ、それじゃあ、また後で」

「はい、また後で。案内、助かりました」

 ぺこり、と頭を下げる河津。

 守は、軽く手を振ってから、その場を去り自分の仕事に戻ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る