いつでもお兄ちゃんって呼んでもいいからね?
――そして、翌日。
一重が目を覚ますと、部屋の中は何やら、良いにおいがしていた。
小さな手で目をこすりながら、ゆっくりと起き上がる。
どてらは脱いであるものの、恰好は昨日の夜のまま、赤いジャージを着ていた。
「……うぅさむ、おこたおこた」
一重は、枕元に脱ぎ捨ててあったどてらを手に取って、小走りで炬燵に駆け寄る。
スイッチを入れて、どてらを着て、朝からさっそく炬燵の中へともぐりこんだ。
どうやら一重はすでに、炬燵を駄目な方向で使いこなしているようだ。
「――あ、おはよう。一重ちゃん」
一重が顔をあげると、守がすでに起きていて、朝食を並べていた。
もう一つ買ってあったのだろう――一重が入っている炬燵とまったく同じものが檻の向こうにも組み立てられており、朝食はその上に並べられていた。
「朝ごはん、食べるよね?」
守の問いに、一重は
「うん」
と、頷いてから、思い出したように
「……お、おはようございます」
と、最初の挨拶に返事をした。
言われた守は、苦笑して
「おはよ。えっと、一重ちゃん。昨日から思ってたんだけど、これから一緒に生活するんだから、無理に敬語で話さなくてもいいよ? 僕は気にしないから、ため口で話せばいい」
と提案をした。
「……別に、今のままでいいです」
一重は、その提案をばっさりと切る。
「そ、そう? まあ、気が向いたらため口にしてくれればいいよ。後、いつでもお兄ちゃんって呼んでもいいからね?」
「嫌です。気持ち悪いので」
「うん! ですよねー。……よし、じゃあ気を取り直して、朝ごはんにしよう」
「それには賛成です」
そう言って一重は、頭から炬燵にもぐりこんで、反対側から顔を出し檻に近づいた。そして、その場から両手を伸ばし、守から朝食を順番に受け取る。
「一重ちゃんは、すっかり炬燵の魔力に囚われちゃってるね?」
「後悔はしてません」
キリっとして、何故か自慢げに一重は答えた。
朝食を全て受け取って、一重は自分の炬燵の上に並べる。
「じゃあ、食べようか」
守がそう言って、両手を合わせて
「いただきます!」
「いただきます」
一重も後に続いて、手を合わせた。
「僕、あんまり料理が上手くなくて。簡単なものしか作れなくて、ごめんね、一重ちゃん」
ちなみに朝食のメニューは、バターを塗ったトーストに、レタスを千切っただけのサラダ、カリカリに炒めたベーコンと目玉焼き。それと、インスタントのコーンスープだった。
まあ、小学生にも作れそうなメニューだ。
とはいえ、簡単だからこそ、誰が作ってもおいしく食べられるものになるのだが。
「別に、おいしいと思いますけど」
と、一重は素直に感想を言った。そのまま、しばらく黙々と朝食を食べる。
「ありがとう。まあ今日は、一重ちゃんの口に合ったみたいだけど、今後もそうとは限らないし、食べられそうになかったら遠慮せずに言ってね? 出来る限り、改善もするし、好みの味付けがあったら教えてくれると助かるな」
「……はあ」
困ったように、曖昧な相槌を入れる一重。
「ほら、目玉焼きとか! 今日は塩胡椒しか味付けしてないけど、ソース派だったり、醤油派だったり、好みがあるじゃない? そういうのはじゃんじゃん言ってね?」
「目玉焼きは別に、私はどっちでもいいですけど……それより」
一重は一度、食べる手をとめて、守を見る。
「ん……何かな?」
「守宮さんは、昨日の朝、私にあまり関わらないと言っていませんでしたか? それなのに、なんで……おみやげ買ったり、ご飯の好みとか聞くんです? 別に、そんなことをする義理はないのに」
真剣な面持ちで、一重は守にそう訊ねた。
一方、守はきょとんとした顔で、首をかしげる。
「なんでって……そうしたいから? 前にも似たようなことを聞かれたけど、そうとしか言えないかな。あと、一重ちゃんは義理はない、って言うけど、義理はあるんだよ?」
「でも、表花との契約にはそんなこと――」
「ああ、いや、そうじゃなくてね。前にも言ったけど、僕らはこれから一緒に暮らすわけなんだから、家族みたいなものじゃない? だったらそれって、義理の家族って言えるよね。だから、僕が一重ちゃんに良くするのには、義理があるんだよ」
「ど、どういう理屈ですか、それ」
どういう理屈も何も、ただ言いたいことを言っただけの屁理屈なのだが。しかし一重は、守の思ったことをただ口に出しただけの、純粋な言葉を否定できなかった。
「あ、あと、下心があるとすれば……優しくしてれば、いつか一重ちゃんが僕のことを〝お兄ちゃん〟って呼んでくれるかな、と」
「それはないです」
「あ、はい……」
純粋な下心のほうは、即否定された。
魚心あれば水心。ただし、下心あれば隔て心もあり(造語)だ。
好意には好意で返せども、欲望をぶつけられればよそよそしくされても仕方がない。
まあ、そもそも好意からくる下心なので、一重はあまり悪い気はしていない。気持ち悪いな、とは思っているが。
しかし、単純な好意を向けられると照れてしまうのも道理。
その後は、一重は気まずくなって黙々と朝食を食べ、守もそれ以上は話しかけずに、ただ見守っているだけだった。
やがて二人が「ごちそうさまでした」と言って食事を終えると、守は席を立って言った。
「じゃあ、僕はこれから仕事があるから」
「仕事、ですか。もう年末ですし、休みではないのですか? 守宮さんは何の仕事をしてるんです?」
と、なんやかんやで一重も守に少しは興味を持ったようで、質問をする。
「お役所仕事だよ。今日は、今年中にやらなきゃいけない仕事があってね」
「はあ、そうですか。公務員というのも大変なんですね」
「公務員とはいっても、十把一からげにはできないからね。まあ、半日だし、お昼ご飯までには帰れるとは思うよー」
そう言って、仕事へ行く準備をする守。
スーツに着替えて、守が準備を終えると、一重が口ごもりながら
「そ、その……いってらっしゃい」
と、小さな声で、でもはっきりと言った。
守は、それを聞いて、瞬く間に笑顔になって
「行ってきます!」
と、まるで子供のように元気に言って、部屋を出た。
それを見届ける一重。
「これくらいのことを言う義理は……あるよね」
一人残った座敷牢の中で、一重は恥ずかしそうにそう呟いた。
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