湯煙追悼事項
――カポーン
「………………」
「………………」
守と智樹の二人が、温泉に浸かっていた。
守は浴槽の外を向いて桶をいじっている。智樹はその隣で、胡坐をかいて座っていた。
殊更に強調することではないが、二人はもろちん――もとい、もちろん、全裸だ。
慌てて駆け込んだのか、浴槽の脇には、濡れた服がぐしゃぐしゃのまま置かれている。
――カポーン
桶が床に落下する音が、浴室内に響く。
「――なあ、守」
「ん?」
「この家、もう焼き払っちまおう」
「へ!?」
――カポーン
突然の、智樹の過激発言に、手に持っていた桶を思わず落とす守。
「きっとたくさんの人が見に来てくれるような、綺麗なキャンプファイヤーが見られると思うんだが?」
生気のない、死んだような目でそう問いかける智樹。
「それは全く綺麗じゃないからね? 放火犯みたいなことを言うのはやめて」
「じゃあ、この俺の行き場のない怒りはどこにぶつければいいんだよぉ!!」
「……タンスの角にでもぶつければいいんじゃない? 思いっきり蹴っ飛ばしてさ」
「怒りが悲しみに変わっちまうだろうがよ」
「………………」
「………………」
――カポーン
守が桶を落として、音を響かせる。
智樹が守の臀部をチラチラと見るだけの、無言の気まずい雰囲気。
「……なあ、守。やっぱこの家――」
「焼き払わないよ? そもそも、火なんか点けちゃったら、座敷牢の一重ちゃんが大変じゃない」
「いや、焼くのは冗談だが。けども、手放すのは視野に入れてもいいんじゃないか? あんな仕掛けや罠がある家がまともだとは思えない」
智樹は、守を心配してそう言った。
「確かにそうなんだけど……、でも二階さえ使わなきゃ、とくに問題はないし。そもそも、生活するうえでは、二階を使う必要ないからね。むしろ、智樹はもう二階の探索しなくていいの?」
「俺はもう……コリゴリだよ。しばらくは、この家すら見たくないね……」
火だるまになり凍える池に落ちたことがトラウマになっているのか、智樹は光を失った目でそう呟いた。
「ふうん……」
と、守は相槌を打ちながら、智樹の体をジッと見つめる。
頭から、足先まで、ジロジロと舐めるように見る。
「な、なんだよ。どうした、急に……?」
見られて興ふ――恥ずかしいのか、顔を赤くする智樹。
「いや……火傷とかは大丈夫なの?」
心配そうな顔で問う守。
「あ、ああ。奇跡的に、火傷も怪我もないみたいだぜ」
智樹は背中を見せながら、無傷であることを伝える。
「いやでも、お前が心配してくれるなんて、珍しいな」
「あーうん。火傷してたら、唐辛子入りの味噌でも背中に塗ってあげようかと思ってね」
「カチカチ山かっ! 鬼畜ウサギかっ!! いったい俺に何の罪があるんだ!!」
「良くもまあ、あの火の中で火傷もせず、真冬の池に落ちたのにおぼれたりもしなかったね?」
「それはきっと、俺の日頃の行いが良くてだな。罪ひとつない、清い心を持っていたからだよ」
「智樹は、体と口は汚いのに、心だけは無駄に綺麗だからなぁ」
「一言、二言、多いぞ。そうやってズケズケ言うとこ、お前のばあさんにそっくりだ」
――カポーン
守が桶を落として、体をゆっくりと反転させ
「うちのおばあちゃん、中々やんちゃだったからなぁ。よく、僕や家に遊びに来た智樹にイタズラしてたよね」
と、遠い目をした。
「この家の、無駄に凝ってるトラップ見て、久しぶりにお前のばあさん思い出したよ。人をからかうのが趣味みたいな人だったよな」
「そうだねぇ。智樹のことも、いっつも薔薇野郎とか言ってたし。智樹に薔薇なんてまったく似合わないのにね」
「……おい、そのババアなんてこと言うんだ。色んな意味で腐ってるじゃねぇか」
と、文句を言いつつ、守が〝薔薇〟と言う言葉をネットで検索したりしていないことに、智樹は、ほっとする。世の中には、知らない方が幸せなこともあるのだ。
「うちのおばあちゃんの、性格と根性が腐ってたのは事実だけど。まあ僕にとっては、いいおばあちゃんだったんだよ」
しみじみとしながら、守は在りし日の祖母の様子を思い浮かべて、そう呟いた。
守が近所の子どもに虐められたとき、「あびゃー」「ばばぁー」などと叫びキ○ガイのふりをして、子供を追いかけまわして一生もんのトラウマを植え付けたり。
両親のいない守のことを悪く言ったご近所の奥さんの、人には言えない過去の経歴を調べ上げて掘り返し旦那に報告、その後、離婚へ追い込んだり。
悪知恵の働く人としてはかなりロクでもない祖母だったが、いつでも守の味方だった。
そのことは、今でも守は感謝している。ただ、そんな祖母の生き方を見て、これ以上祖母の汚い手を煩わせないよう、自分はまっとうな生き方をしようと心に決めたものだ。
だから守は、安定している公務員になったのだ。
まあ結局は、勢いで家など買ってしまい、ローンを背負うことになるという、とても安定しているとは言えない状況になってしまっているが。
「ばあさんが生きてたら、今回のことも、なんやかんやで丸く収めてたかもな」
「まあ、そうだろうね。おばあちゃん、騙し騙されの交渉、大好きだったし」
「得意とかでなく、大好きなのかよ。騙しあいがただの趣味かよ。やっぱすげぇな」
呆れながらも、心から称賛する智樹。
「さて、そろそろ、上がりますか。これ以上はのぼせそうだし。後、おなか減った。早く買い物行って、昼ごはん食べちゃおう」
守は、そう言って立ち上がり、浴槽からあがる。
「だな」
と、同意する智樹だったが、その体は浴槽につかったまま。
「ん? あがらないの?」
「……服がない」
智樹の着ていた服は、燃えたり濡れたりで、とても着られる状態ではなかった。
「ああ、そうだった。僕の貸そうか?」
「いや、サイズが合わんだろう。車に着替えがあるからとってきてくれ」
「そういえば、智樹、コートだけは無事だったよね。それだけ着て、車まで自分で取りに行くのはどう?」
「鬼か! お前はっ!」
「冗談だよ。ちゃんと、とってくるから、ちょっと待ってて」
そう言って、脱衣所へと移動する守。
「ふぅ……」
自分の着替えがくるまでまだ少しかかりそうだと判断した智樹は、もう一度、湯船に肩までつかる。口を半分、お湯につけて、ぶくぶくと息を吐く。
そして、顔をあげた智樹は、何か悟ったような目をして呟いた。
「俺、何やってんだろうなぁ……」
当然ながら、その問いに答える者は誰もいなかった。
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