2
眩しさにうっすらと目蓋を上げる。
見えたのは白く高い天井。
見覚えの無いそれを見つめて、しばし思考を停止したまま、瞬きを繰り返す。すると、すうっとさわやかな風が頬を撫でた。
それはひどく懐かしい匂い。
生い茂る青い草と水の匂い。
体を動かそうとしてはみたが、体はピクリともしない。仕方なく顔だけでそちらを見れば、真っ白のカーテンが風に揺れていた。
「ここは……?」
呟いた声は酷く擦れている。
だんだんと覚醒してきた意識は、しかし、見覚えの無い場所に困惑する。今まで何をしていたか、全く思い出せない。そもそも、ここは何処なのか。
考えようとしたときだった。
「あら? 目が覚めたのね。良かったわ」
不意に届いた知らない女性の声。窓とは逆側から掛けられた声に、そちらへ顔を向ける。そこにいたのは、白衣を着た女性。困惑した様子のキルリアに気付いたのか、安心させるように笑って女性は言う。
「貴女、相当な無茶をしたのね。ここに運ばれてきたときには、瀕死の状態だったのよ」
そう言いながら、女性はキルリアの傍に置かれた機器の数値を確かめて頷いた。
「安定してきたわね。殿下もかなり心配なさっていたから、良かったわ」
「殿下……?」
擦れた声で呟いたキルリアの言葉を女性は正確に聞き取ったようだ。気が付いたようにキルリアに目を向ける。
「そういえば、学院では身分をお隠しになってたんだわね。確か、学院でのお名前は……ウィルダム、だったかしら」
そう言って再び作業を始めた女性の言葉に、キルリアはすうっと肝が冷えた。確か、自分は魔王の城に帰って、そうしたら、ライトリアが城に乗り込んできて、ウルドと魔王が剣を交えていて……、それから……。
そこまで考えたキルリアは、動かない体ながら、必死で傍に来た女性の腕をつかんだ。気付いた女性は、手を止めて、キルリアに目を向ける。
「ん? どうかした?」
「彼は……?」
「ああ、殿下はご無事よ。多少の疲労と細かな怪我は負われていたけれど、今では回復されてるわ。……他のライトリアの方は、残念だったけれど」
その言葉に、キルリアはほっとした。魔王と対峙して、一人でも生きて還れたのだから、幸いだった。そう考えて、キルリアはふと気が付いた。還る、とはどこへか。
「貴女もとても危険な状態だったけれど、ライトル王宮専属医はみんな優秀だから、ちゃんと動けるようになるわ。安心して」
そう言葉を掛けて女性はキルリアのベッドを離れる。しかし、キルリアは目を見張り、女性の言葉を反芻した。
「ライトル、王宮……?」
つまり、ここは《光の王国》。それに気が付いて、キルリアは、慌てて身を起こそうとした。しかし、体に力が入らず、腕を付くが、それでも支え切れず、崩れるようにベッドから落ちる。
「何やってるの?!」
気付いた女性が慌てて駆け寄ってくる。そんな女性の腕に縋るようにしがみついて、キルリアは言う。
「お願い、私をここから出して」
「どうしたの? まだ貴女は動ける体じゃないわ」
「私はどうなっても良いから……、お願い、私をこの国から追い出して……」
「落ち着いて。貴女は混乱してるのよ。誰も貴女を傷付けたりはしないわ」
女性はキルリアを宥めようと優しくそう言うが、キルリアは必死で首を横に振る。
そういう事ではないのだ。それは分かっている。彼らが自分の存在に気付いたならば、無下にするはずはない。だからこそ、今のうちにここを出なければ、取り返しの付かないことになる。
「お願い……」
動かない体をもどかしく思いながらも、キルリアは懇願する。その様子に、女性も困惑するしかない。
「とにかく、ベッドに戻りましょう?」
そう言う女性にもキルリアは答えない。ただ首を横に振った。女性も困り果てて、為す術なくキルリアを支えるしかない。そこに、ちょうど誰かがやってきた。
「こんにちは、彼女の様子は……」
そんな声に聞き覚えがあって、キルリアは顔を上げる。
「っ!! どうしたんですか?!」
床に座り込んでいるキルリアを見て、あわてて近づいてきたのは、ウルドだった。
「……殿下。どうかご説得ください。彼女、ここを出るといってきかなくって」
女性の言葉に目を見張ったウルドは、問うようにキルリアを見る。
「どういうこと? 君が闇に通じていたのは、どうしようもないけど、僕らは、そのせいで君を罰するつもりはないんだよ」
「違う……、そうじゃなくて、早くしないと私は」
そこまで言ったキルリアだったが、急に咳き込む。息があがっていた。体が思うように動かない。それが悔しくて、涙が一筋だけ頬を伝った。
「キルリア……?」
その様子にただならぬものを感じたウルドだったが、それを問う前に後ろから声が掛けられた。
「とにかく、彼女を寝かせてあげなさい、ウルド」
急に割って入った声に、ウルドは振り返る。
「兄上! なぜここに……?」
思わぬ人物に、ウルドは声を上げる。その言葉に、キルリアもビクリと肩を揺らした。
「そんなことより彼女を」
ウルドを促したルークは、からだを硬くしているキルリアを一瞥して目を細めた。兄に急かされたウルドは急に大人しくなったキルリアをそっと抱き上げると、ベッドに横たえた。キルリアは、先程と一変して、大人しい。ただ、ぎゅっと自らの腕を抱くようにして、ウルド達から目を背けた。
「では、私は隣の部屋にいますので、何かあればお声かけください」
取り敢えずは大人しくなったキルリアを見て、女性が言った。
「ありがとう、ご苦労様」
ルークはそんな彼女に、丁寧に礼を言う。そして、ウルドとキルリアに目を向けた。ウルドは先程のキルリアの様子が気になるようで、不安そうだ。
「……キルリア、どうしてあんなことを言ったんだい?」
ウルドの問いに、キルリアは答えない。ただ、決まりが悪そうに黙り込んでいる。
「キルリア? どうしたんだい? あんな取り乱すなんて君らしくないよ」
しかし、キルリアは微動だにしない。その様子に、ウルドは眉をひそめた。
「ねぇ、何か答えて、キルリア」
「ウルド」
語調の強くなったウルドを嗜めるように、後ろに立ったルークが口を挟む。
「彼女は目覚めたばかりで混乱してるんだよ」
「しかし……」
納得いかない様子のウルドは、目を合わせないようにしているキルリアを見つめる。そんなウルドとキルリアの双方を見て、やがて、ルークは静かに言った。
「ウルド、席を外しなさい」
「え? 兄上……?」
唐突な兄の言葉に、ウルドは困惑してルークを見つめた。ルークもウルドを真っすぐに見つめかえして、静かに言った。
「この子は、確かにお前のクラスメイトだったかもしれない。でも、今はこの国の根幹に関わる重要人物なんだよ」
「兄、上……?」
「もっとはっきり言えば、国を欺いていた罪人となるかもしれないんだ」
「そん、な……」
唖然としているウルドに、ルークはもう一度言う。
「席を外しなさい」
「しかし、兄上!」
「わきまえなさい、ウルド。これは国事だよ」
言外に、お前には関係ないことだと告げられたウルドは、信じられないように兄を見上げる。しかし、ルークの静かな瞳は揺るがない。
やがて、ウルドは不服そうではあったが、黙って頭を下げると、足早に病室を出ていった。
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