2
ピチョンッ……
水の滴る小さな音は、暗いそこに響いた。その余韻は闇に捕らわれ消えてなくなる。すると、また新たな水滴が闇と同化した水溜まりに落ち、余韻が暗闇に消える。
それの繰り返しだった。果てしなく続いていくそれは、ゆっくりのようでもあり、急いているようでもある。そしてそれが続く永遠には、人を狂わす力があった。
(それがこの魔の牢獄たる所以なのだけど)
キルリアは自らを鎮めるように考えた。久しぶりにあんな夢を見てキルリアは苛立っていた。
キルリアが幼い頃の夢。思い出したいとは思わない過去。
(もう、あの頃の彼はいないのに……)
キルリアは気分を変えようと、顔を上げた。前にはただ闇があった。
学校から連れてこられて、気がついたらここにいた。もう、どれくらい時間が経ったのか分からない。
(ウィルダムは気付いたのかな……)
ふとそんな思いが、考えるともなく頭に浮かぶ。それに気付いたキルリアは思わず苦笑した。
気付くはずはないのだ。あれからかなりの時が経っているのだから。
そう自分に言い聞かせながら、自由にならない体を動かした。今のキルリアは、後ろ手に縛られ、むき出しの壁に繋がれていた。足も同様に鎖で繋がれ、立ち上がる事すらできない。全く動けない中、キルリアにできる事と言えば、考える事ぐらいだった。
妙な期待を持ったものだと思う。彼らが覚えているはずはないのだ。十年という長い月日は、それを忘れるのに十分だ。彼らも、過去を気にし続ける事などできないだろう。まして、何の期待ができるものか。
分かっているはずだった。しかし、心のどこかでは確かに助けを期待する気持ちがあった。この現状から逃れたい気持ちがあった。
しかし。
(そんなことはできない。助けなんかいらない。……むしろ、来ない方が良い)
自分を偽って納得させる。それが、無理やりだとしても、それが一番だと理解していた。
そうして沈んだ思考を振り払い、キルリアは自分が今いる場所を見回した。
明かり一つない暗闇。常人ならば三日で発狂するだろう、闇の牢。そこは、もともとあった天然の洞窟を牢獄にしたところだった。そのため、湿っぽくジメジメしていた。
この上には魔王の城がある。つまり、ここは魔王の城の地下牢だった。そんな牢獄は、敵対するライトル人を捕らえておくためのものだった。
目の前も見えない暗闇、永遠に続く水音、そして、光の力を遮り、吸い取る魔黒石の壁。それらのすべてが、敵国ライトル王国の捕虜に対するものだった。光魔術を妨害し、術者を発狂させる。それはすでに捕縛の意を超え、処刑を意味するものとなっていた。
つまり、ここから無事に抜け出たライトル人はいないという事。しかし、キルリアは魔王の娘。光魔術を使えるものの、同じように闇魔術も使える。
魔黒石は闇魔術を使う者にとって、常に身近にあるものだし、暗闇にしたって慣れてしまえば恐れる事もない。つまり、それらはキルリアに効くはずもないものだった。
それでもここに連れてきたのは、牽制の意味もあるだろう。魔王は術者としても剣士としても相当な使い手だが、キルリアもそれに劣らず、光闇両方の魔術を自在に行使できる。魔王と一対一で距離さえあるならば、互角ぐらいにはなるだろう。そうすれば、魔王といえども無事ではすまない。
長老院はそれを恐れているのだ。
しかし、おそらく、魔王自身はそれほど気にしてないはずだ。なぜなら、魔王には勝つ自信があるから。
魔王は相当の剣士であり、その間合いさえ取れれば、キルリアにさえ勝機はない。魔王に勝つには、剣を抜かせてはいけないのだ。
(まぁ、仕掛ける気はないけど)
ふと、キルリアは顔を上げた。何も見えない暗闇に、何かの気配が滓かに生じる。
「お目覚めですか、姫様」
その声は学校に来た黒衣の男のモノ。
「御気分はいかがです?」
「良い訳がありませんよ、こんな湿っぽいところに入れられて」
不服そうに答えると、闇の中の男は困ったように言った。
「そう言われましても、今の姫様は危険ですからね」
「心配しなくても、こんな負の気の多いところで正の気を使っても、疲れるだけですから。そんなことはとっくにご存じでしょう?」
「それでも、姫様はあなどれません」
「私はそんなに馬鹿じゃないわ。まだ、死ぬ気はありませんから」
「……」
「そんな近くにいらっしゃるなら、剣の方が早いでしょう? マナト様。……いえ、魔王陛下とお呼びすべきかしら?」
それを聞いた男は、低く笑った。
「ばれていたのか」
その声が聞こえた瞬間、辺りが明るくなった。ろうそくに火がともされたのだ。
そして、突然、キルリアのすぐ側で何かが輝いた。夜闇に輝く星を思わせるその輝きは、魔王の長く綺麗な銀髪のものだった。
キルリアのすぐ横、手を伸ばさなくともすぐに触れるほど側に、魔王は立っていた。さっきまでほとんど気配を感じる事もなかったのに、魔王は悠然とそこにいたのだ。
意外なことに、彼は若かった。まだ、20代前半にも見える。
キルリアが見上げると、魔王は面白そうに笑った。
「いつ、わかった?」
「初めからですよ。学校でのあの時から」
「結構、自信あったのだがな」
「それでも、わかりますよ。仮にも親子です」
「仮にも、か」
魔王は低く笑った。
「そうだったな。仮にも親子だ。お前が消えて、心配していたんだ」
「嘘」
キルリアは即答した。
その反応に、魔王は鋭い銀の目を面白そうに細めた。ここに長老院の者や魔王の側近がいたなら、皆、冷や汗をかき、この魔王を恐れただろう。それが、その男が若くして魔王となった理由だった。
そうやって、魅惑的な容姿をもちながら、冷酷な感情もあり、策士として、君主としての才能ですべての者を従わせる。それが、この王の力だ。
しかし、キルリアは怯まない。魔王もそれを知っていた。その表情を消して、肩をすくめた。
「まぁ、お前がそう思ってるのは仕方ないと思うぞ。……それにしても何故気付いたんだ? あれから五年が経ったんだ」
「わかりますよ。五年くらいじゃ、あなたほどの力の気配を忘れることなどできませんから」
「そうか」
そう言ったきり魔王は黙り込んだ。キルリアも黙った。
沈黙の時が流れる。
不思議な光景だった。魔王と姫。普通ならば親子という間柄。しかし、二人にはその気配が全くなかった。年を見たところで、二人が義親子である事は明白である。
しかし、それでも二人の関係には違和感があった。何か大きな隔たりがあるかのようで、極近くにいるような、そんな矛盾を持つように見えた。
沈黙を破ったのは魔王。
「五年も経てば変わるものだ」
「……」
キルリアは答えない。ただ、魔王の言葉に含まれた意味を痛いほど感じていた。
確かに、五年も経てば変わる。すべてが変わってしまった。しかし、変わったのに全く動かせないモノもある。それを変えようとして、変えられなかった。運命と呼ばれる、不変のモノはかえることは出来なかった。
変わったのは結局自分だ。あきらめて今ここにいる自分。この五年でやっと気付いた。
魔王は俯くキルリアを見下ろす。
魔王はやがて、唐突に火を消し、その場から姿を消した。
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