研究員の日記 四月二十五日(プロローグ 7/25)
研究員の日記 四月二十五日
動物がまったくの無傷息災で帰ってきたのだから、チューブ内からの行き先が極寒や灼熱、あるいは真空など、生物が生存不可能な環境ではないことは想像できる。
しかし、備えに越したことはない。
元自衛官の二人は、現役時代を思わせる完全装備でチューブ内に入った。
もっとも、この装備は気休めにもならない。今までの結果から、光に包まれて消えると同時に、一切の装備は破壊されてしまうことが濃厚だからだ。それを考慮し、頭や目を傷つけないよう、ヘルメットの類は被らない。ナイフなどの金属も携帯は控えた。
「自分が被験者となり、チューブの中に入りたい」
二人がそう藤崎所長に直訴した時、所長は一度断ったという。
「自分たちはモルモットよりも弱いとでも?」
二人は食い下がり、また、二人とも自分たちの両親はすでに他界。他に家族もない身であることを考慮に入れるよう嘆願した。
確かに、このままでは上が人体実験に踏み切るのも時間の問題だろう。そうすれば、どんな人選が行われるか、わかったものではない。
藤崎所長は二人の提案を受け入れた。上へは、自分が二人に命令を下した。と報告したと言い、万が一の場合の補償などの交渉にも納得いくまで自ら当たったという。
チューブ内の容積から、二人同時に入ることは避けた。大人二人が入られないこともない広さだが、そんな身動きもままならない不自由な状態で、いざというときに対応が取れなくなってしまってはまずい。
まず、ひとりの所員がチューブ内に足を踏み入れ、中央で仁王立ちする。名前は
二人は敬礼を交わすと、操作パネルの前にいる研究員に向かって頷いた。それを受けた研究員はメインカメラを向き、準備完了の合図を送る。
「十分気を付けてくれ」
マイクを通して聞こえたであろう藤崎所長のその言葉に、田中はチューブの透明な壁越しに、カメラに向かって敬礼を返す。
「始めてくれ」
いつもの所長の言葉が発せられ、研究員は操作パネルの上に指を滑らせる。
チューブ内が光に満たされていく。田中の輪郭、表情がぼやけていき、完全に光に包まれた。
光が消えると、田中の姿も消えていた。何度となく繰り返された実験で当然のことなのではあるが、私が知る限り一番の緊張がモニター室に張り詰めた。
〈向こう〉の様子をじっくりと確認する必要がある。しかし、あまり長い時間放置しておくことも怖い。
今までの実験では、概ね消えてから十秒ほどで再びチューブを起動させていたのだが、今回もその通例に倣うことにした。なるべくいつもと変わらない状態を維持するべきだ。
私が今まで感じた中で一番長い十秒間だった。
時計を見る度、「まだ三秒」「まだ七秒」と、もどかしく感じるほどだった。
操作パネル担当の研究員は、操作パネルの上から手を離すことなく、その十秒を過ごした。
十秒が経ち、満を持してといったように研究員はパネルを操作した。
チューブ内が光で満ちていき、明度が頂点に達する。そこから光が徐々に弱まっていくにつれ、明らかに人のものと認識できる輪郭が露わになっていく。
やがて光が治まり、完全に姿を現した田中は想像通りの格好をしていた。服を含めて身につけていた装備はボロボロの布片と化して足下に積まれている。田中の体はわずかに残った衣服の残骸を纏わり付かせているだけだった。
現役を退いてもトレーニングを怠っていなかったと想像される筋肉の隆起。その姿に私は、バイオレンス漫画の主人公が怒りで着ている服を破くシーンを連想して、不謹慎にも笑みをこぼしそうになり、手で口元を覆った。
モニター室に湧いた歓声は、初めての動物実験に成功した時の比ではなかった。
問診、検査の結果、田中の体に異常は見られなかった。もちろん外傷もない。検査を終えて着替えた田中は、会議室に現れ、所員全員が見守る中語り始めた。〈消えた〉後、何を見たのかを。
田中の話は大変興味深く、一方では拍子抜けするほどあっけないものだった。
光に包まれた田中はその眩しさにまぶたを閉じ、すぐに光が収まっていくのを感じ、自分が〈消えた〉ことを悟った。光が完全に消えたことがまぶた越しにわかると、ゆっくりとまぶたを開けた。田中は、実験が失敗したのだと思ったという。
そこは、さっきまで自分がいた遺跡と何ら変わらない場所だったからだ。
自分はチューブの中にいる。
透明なチューブ越しに遺跡の壁面も見える。
しかし、決定的に違っていることがあった。
操作パネル担当の研究員や、待機している北野の姿が見えないことと、監視カメラも、照明スタンドも見あたらない。
そして、壁の一部が薄く光を放ち、間接照明のように部屋を照らしていること。照明スタンドがないのに視界を確保できている理由はそれだった。
自分の体に目をやると、やはり着ていた衣服はボロボロになっていた。服が破れた感覚は感じられなかったという。光に完全に包まれた瞬間、一瞬意識を失っていたような気がするとも。
ひと通り周りを確認し終えると、次の、そして最大の疑問に考えを巡らせた。
「ここはどこなのか?」
遺跡が転送装置なのではないかという仮説は田中も知っていた。
それが正しいとするなら、ここは転送先、すなわち、もうひとつの遺跡? ここから出る方法は?
考えているうちに田中はチューブの内側に手を触れてみた。すると、手を触れた位置を中心に波紋が広がるように透明な壁が開いていった。これは、自分が知っている遺跡でパネルを操作してチューブを開けた時と同じ開き方だった。内側から手を触れることでも開ける事ができるのか。
田中は一歩チューブの外に足を踏み出したが、すぐにその足を引っ込めた。十秒で遺跡を再び作動させるという決まりがあったからだ。
田中の体感時間でちょうど十秒後、開いていたチューブの壁は元通り閉じて、光が満ちてきた。また一瞬気を失ったような感覚があり、目を開くと、変わらずチューブの中にいた。違っていた、いや、元に戻っていたのは、監視カメラ、照明スタンド。そして、研究員、北野の姿が目視できたことだった。
こうして、初の人体実験は成功。田中は無事帰還を果たしたのだった。
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