第18話「無音」
静寂。
それ以外にこの場を表現する言葉はない。噴水に流れる水の音もまるで耳を通らず、俺達の眼球はただ、目の前の光景を脳に映し出す。何も考えることができない。絶望とも言うことができない。どうしたらよいのかまるでわからない。泣き叫べばいいのか、怒りに身を震わせればいいのか、自ら命を絶てばいいのか。自分で自分の行動を決めることができない。まるで家畜だ。絶対的な強者の前には、思考なんてものは意味を持たない。
そしてその状態を切り崩したのは、この状況を作り出した災厄そのものだった。
「これもイヴィス…ああ、魔王ね。彼から貰った力の一つだよ。この街に散布した家畜丿愛(ラブリー)と一緒でね。前戦った時はこれを使ってなかったからね。油断したのかな?こいつらが今まで何やってたのかは知らないけど、僕だって7年もの間何もしないわけないじゃない?」
そういうと目の前の怪物は、目を閉じて眠ってしまったように倒れている武器屋の頭に靴底を合わせる。まるでサーカーボールの位置を調整でもしているかのように、少しずつ転がしながら、傷つけながら、それがさも当然とでも言うかのように。
「羊飼丿夢(トリパノソーマ)。睡眠病とでも言えばいいのかな?これを食らったものは眠ったように死んでいく。安楽死みたいなもんだよ。苦しいものじゃない。ほら、とっても安らかな顔、してんだろ?」
「貴様…その人達から離れろ…!!!」
ラークが叫ぶ。…やめろ。お前でも格が違いすぎる。こいつは生き物なんかじゃない。災厄そのものだ。人間が太刀打ちできる者じゃない。
「おっ!君が新しく生まれた勇者だったね!この廃棄物(ゴミ)共のせいで自己紹介が遅れちゃったけど、僕の名前はアレクサンダー。やっと会う事ができてうれしいな。なんだったらアレクって呼んでくれてもいいよ。一応魔王国の幹部をやってるんだ」
「その人から、足をどけろ…!!!」
「おい、ちゃんとお前も返事してくれよ。礼儀って大事でしょ?」
ラークが刺された。なんの予備動作もなく。ラークは俺の少し前にいた。距離は十分すぎるほど離れていた。目測にして約50メートル程。だがその程度の距離は例え亜人1人を抱えていようと、あいつにとっては無意味だ。
怪物の右手には長さが5メートル以上はあるかと思われる槍が握られていた。その先端はラークの胸を貫通し、背中から突き出した刃の位置は…人間が一番守らなくてはいけない臓器の位置に重なっていた。
「「ラーク…!」」
思わず声が出る。この状況で場を乱すことは得策ではない。それでも、声を出さずにはいられなかった。死ぬ恐怖より、失う恐怖が上回ってしまった。リティナも同じなのだろう。ココはもう、行き過ぎた恐怖からか、喉から嗚咽のような息を漏らすだけだ。
「ったく、折角僕が出向いてまで覚醒のお手伝いをしてやったっていうのに行儀(マナー)がなってないのは頂けないよ。まあ勇者も死ねば?次の奴がすぐ決まるわけだし?早めに殺しておいたほうが効率がいいよね。…で、お前達はどうする?あと生き残ってるのはそこの3匹だけだけど」
「…っ!」
怪物の視線がゆっくりと俺に注がれる。まだいい、ココとリティナに意識がいかないなら、それならまだ、マシだ。
「…俺の名前はリッカ…目的は、なんだ…」
「…ふふ。賢い賢い!よろしくねリッカ君!この串に刺された肉みたいになってる勇者とは友達だったのかな?ごめんね、リッカ君と違って馬鹿だから殺しちゃった!お詫びにじゃあ、僕の目的を話してから殺してあげるよ!」
怪物の持っていた槍がすぅっと消え去った。同時に膝から崩れ落ちるラーク。駆け寄るリティナ。そして、静かに歩きながら、水面に波紋を立てながら、俺の眼前にせまる災厄。腰を落とし、足の力が抜けたココの肩を支えている俺と目線を合わせる。外見上は俺のほうが背も高いはずなのにそれはまるで、子供をあやすかのように。
「目的は【勇者の覚醒】。人間ってほら、仲間が死ぬと急に強くなったりするだろ?あれってちゃんと理由があってさ。魂にかけられている魔力の制限(リミット)が感情によって解放されるんだよ。前回の勇者はそれをさせずにあいつらを逃がしてから死んじゃったからさ。今回は先にちゃんとやっておこうと思ってね」
勇者の覚醒が目的…そのためには仲間を殺すなどして魔力の制限(リミット)を解除する…敵をわざわざ強くしてるってことか…?そんなことに何の意味が…くそ、落ち着け、頭を回せ、死ぬまで時間はある、話を長引かせるでもなんでもいい、この状況をなんとかして2人を逃がす。…多分、それが今の俺の限界だ。それ以上は望めない。むしろそれすら、本当に出来るかどうかはわからない。
「…敵をわざと強くさせて…何のつもりだ…」
「…その魂が欲しいのさ。強い魂がね。僕たち魔族は寿命が長い代わりに身体の成長が終わるともう、他の能力も成長することがなくてね。あとは魂を喰らって魔力を上げていくしかないのさ。だから勇者達には強くなって、成長してから来て欲しいんだ。言わば養殖みたいなものだよ。お前達人間も同じことをしてるだろ?大事に大事に育て上げたからこそ、美味しくなっていくんだよ君たちは」
左手の小指の指輪、それを気付かれないように靴のかかとに何度も押し当てる。魔力は流している。あとはリティナが、ラークから離れ逃げてくれることを願うだけ。リティナは茫然自失としている。気付け、この音に。お前の耳のイヤリングからこの音が聞こえているはずだ。頼む、現実に戻ってきてくれ…
「…俺達はお前達の家畜だったってわけか…」
「そういうことだね。ところでさ、リッカ君、足でも痒いの?さっきから不自然な行動してるけど無意味だからね。魔法による念信かな?僕みたいなのがいると魔力の繋がりも乱れちゃうだろうからね。本当に頭がいい子だよ君は。ただまだ世界を知らないだけで。そろそろいいかな?殺しても。だってほら、君達だけ生かしてあげても他のゴミが可愛そうだろ?どうせ死ぬんだったら皆で死んであげたほうが、もう死んでるゴミも喜ぶと思うし」
「…………あー…ちょっと待って、少し首が痒いんだ。ここで殺されたら死んでも一生呪っちゃう。首だけかかせて。あと5秒でいいからさ」
「…あ?」
「【時間召喚(タイムサモン)】!!!」
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『だ、誰だあんた!』
『私の名はクレイ。妖精王とよばれていル』
『君に力を与えタ。それは【時間召喚(タイムサモン)】』
『時間召喚(タイムサモン)…召喚術?』
『あア、これは、時間を止めることが出来ル』
『え、マジで!凄いじゃん!ありがとう神様!!』
『だが、危険(リスク)も伴ウ』
『…まあ…そんなうまい話はないか…なんだよ』
『時間召喚、それは魂に刻まれた時間を無理矢理現世に召喚する禁断の召喚術ダ』
『君は2回目なのだろウ?本来肉体と密接に絡んだ魂は、それのみを取り出すのは困難ダ』
『だが君の魂は、前世の分だけ乖離(かいり)している』
『…ちょーっと難しくなってきたけど、つまり転生した奴は魂が2つあるから、前のを1個お得に使えるってこと?』
『…おおよそ、合っていル。だが、魂は人の記憶そのものダ。そして記憶とは時間そのものでもあル』
『…なーんとなく、読めてきたよ。つまり俺はこれを使うと…』
『…そうダ…前世の記憶を、少しずつ失うことになル』
『…能力(スキル)は兎も角、そんな危険(リスク)はどんな物語でも聞いたことないな』
『何を言っているカ。この世界は現実ダ。お主の前世が現実であったよう二』
『その力は強力ダ。だが、努々忘れるでなイ。お主自身が変わってしまうやもしれヌ、恐ろしく強大な力であることヲ』
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
水の流れる音、風が流れる声、それらも存在することができない真の静寂の世界を作り上げる。
とっておきの"あれ"。俺の秘密兵器。精霊王から貰った俺だけのスキル。5~20秒間、時間を止める。
それに【薬物召喚(ドラッグ)】を合わせる。右奥歯に魔力を流し、それを召喚する。花屋さんから特別に調合してもらった魔力回復薬。俺にとっては劇薬だ。魔力総量が少ない俺がこの薬を飲むと、俺の魔力総量の限界値を超えて回復してしまう。それを利用して5分間だけ、俺は人並みの魔力量を得ることが出来る。
「(ったくよ、やっと30分経った…長すぎるよ全く)」
薬を噛み砕く。この世界に音は存在しない。空気の流れも存在しない。あるのは本当に静寂だけ。いつもより深く吸わないと息も出来ない。空気抵抗が激しいのか思うように身体も動かせない。幸い、光は届いてるのか辺り一体が暗くなることはないけれども。これ物理法則どうなってるんだろうな。…でもまあ、"禁断"というからにはそれなりに異常なことをしてるんだろう。
白装束の大男の戦闘は約30分前。薬物召喚(ドラッグ)は一度使うと30分間、薬物召喚(ドラッグ)が出来なくなる。さっき頭を掻いた瞬間でやっと30分経った。時間召喚(タイムサモン)を使った瞬間に俺の魔力は枯渇する。だからそのタイミングに合わせて魔力がなくなる前に薬物召喚(ドラッグ)をしなければならない。
「(20秒でラークとリティナ、ココを隠す。後はどうにでもなれだ。リティナなら時間があって治癒魔法さえ使えればラークを助けられるだろう。ココもその補助が出来る。頼んだぞ、2人とも)」
5年間、薬漬けになりながら死ぬ気で覚えた【簡易加速(アクセル)】の無詠唱魔法。これで時間が止まっている時でも、時間が動いてる時以上の速度で移動することが出来る。ココ、リティナ、ラークを抱え、一番近くの、噴水管理棟に体当たりしながら突っ込む。ここは扉もなく開放状態なので時間が動いても何かの理由で気付かれることはないだろう。
「(どっせーーーーい!!!!!!)」
そのままなだれ込み3人を中に放り投げる。すまん、時間がない。死ぬなよ。
「(あとはあいつを………………殺すだけだ!!!!!)」
「【簡易加速(アクセル)】!!!!」
「【物理召喚(オブジェクティブ)】!!!!!!」
最大加速で、両手に斧を召喚しながらあの悪魔に向かう。あと3秒。殺すことはできないかもしれない。だけど、傷くらいは与えてやる。それに戸惑っている時間であいつらが隠れるなりなんなりしてくれればいい。
あと2秒。斧に刻まれている召喚紋に魔力を流す。この斧の中には睡眠薬が入っている。傷さえ付けられればさっきの大男のように倒れてくれる筈だ。…この怪物にどれだけ効果があるかはわからないが、やってみるしかない。
あと1秒。これなら間に合う。斧を上に構え攻撃の準備をする。あいつの後ろから、左肩目掛けて、思いっきり振り下ろすだけだ!!!
-----「立花君は………いつも独りだね」------
夕暮れの教室、2人だけの時間。
それはもう二度と手に入れることの出来ないもの。
2つとない大切な思い出。
そんな大事だった何かが、俺の頭から色を失い砕け散っていく。
0秒。無音の空間に斧の空気を切る音が流れ込む。
「…くらえ…っ!!!!!!!!!!!!!!!!」
「…っ!お前…っ!」
時間が始まった瞬間に気付かれた!…でももう遅い!ここから防御することなんて不可能、そのまま勢いを殺さずに袈裟斬りしてやる!!!!!!!!!!!!
「…どうやったか知らないけど…やるね。でも及第点とはいかない。残念だったね、リッカ君」
前を向いたまま、あいつはそう言った。斧の刃は左肩で止まっている。いくら力を入れてもその刃がそれ以上進むことはなかった。
「なめんじゃねえよ、ゴミ虫が」
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