「僕のスリーサイズなんか聞いたところで誰も興奮しないでしょう?」
ルカの鼓動は激しく脈を打っていた。恥ずかしさで顔面から融解していくようだ。そんなルカにイブは言った。
「あたしも好きよ、ルカ」
――好きよ。
ルカの頭の中でその返事がぐるぐると回る。
「ホッホホホントっ!?」
最高潮かと思われた脈も興奮で更に一段階激しくなる。言葉にならない嬉しさが奥から湧き出てくる。
「ええ、大好きよ!」
刹那、ルカの頬を歓喜の涙が伝う。
「あなたはもちろん、お母様やカシムさんやルミナさん、この村も村の皆さんもみんなみーんな大好きなの!」
「……ん?」
瞬間、ルカの顔が引きつった。
「あたしこの大好きな村で沢山の大好きなみんなに囲まれて暮らせて幸せなのよ!」
彼女は屈託のない笑顔でそう語る。どうやらルカの伝えたかった意味の『好き』という言葉は彼女には届かなかったようだ。
「ねぇ、ルカ。あなたどうしてそんなに顔を赤くしているの?」
天使のような笑顔がルカの恥ずかしさに満ちた顔を覗き込む。ルカは羞恥のあまり顔を背けた。もしこの時のルカにもう一つ踏み込む勇気があったのなら「俺がその中の一番になってやるよ」なぁんて臭いセリフを吐けたのだろうが、この少年には難しい話であった。まあ、それを言ったところで彼女がその意味を理解することも難しいかもしれないが。
「なんでもない」
地面に突っ伏したルカは少しぶっきらぼうにそう言う。何も知らない彼女はそんなルカを見て笑う。
「さあ、お空の色が変わる前に帰りましょう!」
元気にそう叫んでイブは立ち上がって歩きだした。
♦♦♦
「それじゃあまた会いましょう!」
イブはそう言うとぶんぶんと手を振った。合わせてしっぽも揺れていた。そんな可愛らしい彼女をみてルカは思わず苦笑した。
ルカがイブと別れて帰宅していると一人の中年男性が声をかけてきた。
「よう、ルカ! 今日はお譲ちゃんを口説けたかい?」
その問にルカが首を振ると男性は大きな笑い声を上げた。
「そうかそうか、そりゃあおめえさんじゃ無理かもなぁ!」
「毎日女の尻追っかけてるおっちゃんに言われたかないね」
「かーっ! 最近のガキは礼儀もなってねぇのかよぉ!」
かっかっか、と笑い飛ばす。陽気な男性だ。
「まあ、相手があの天然お譲ちゃんだからな。無理もないぜルカ坊」
「そう言ってくれると助かりますよ」
「そうか? ならよかったね」
すると男性は思い出したかのようにまた喋り始めた。
「そういやおめぇさんは村の外の話について聞いたことはあるか?」
「村の外……」
言われてみればそんなことなんて考えたこともなかった。それほど今の生活に満足していたのだ。
「娘さんと二人で外に出てみたらどうだい。周りが違ってくればまたお譲ちゃんもなにか変わってくるんじゃねぇのかい?」
「はぁ……」
考え込むルカの顔を見て彼は嫌らしい笑みを浮かべると一言付け足した。
「ま、俺にゃ関係ないことなんだがなぁ」
「はぁ……」
「かっかっか、他人の考え込む顔はやっぱり傑作だな! じゃあな、悩める少年よ!」
男性はそう言い残すとふらふらと何処かへ行ってしまった。
外の世界。今まで考えても見なかった未知なる場所に少年は思いを馳せる。果たして外には何が広がっているというのだろうか。もしかしたらこの村と変わらないずっと変わらない光景が広がっているのかもしれない。ただ外の世界が未知に包まれた場所であったなら自分の真意は伝わるのではないだろうか。とにかく、無知な少年には見当もつかなかった。
そんな思考の輪廻に囚われているといつの間にか家へ着いていた。もうすぐ夕飯の頃合いだ。ルカは一旦その思考から抜け出すことにした。
♦♦♦
それから数日間ルカは自分の考えがまとめられずにいた。外の世界に何があるのかという好奇心と、なんとなくこの村を出たくないという曖昧で不確かなひっかかりがせめぎ合っているのだ。こうして野原の上に座っていても、答はなかなか出てこないものであった。
「ねえ、ルカ。悩み事でもあるの?」
ルカが思考の海に潜り込んでいるといきなりルカを呼ぶ声がした。
「うわぁ!」
驚き顔を上げるとルカの隣にはイブが立っていた。優しい笑顔でルカを見つめている。
「なんだ、イブか……。全然気が付かなかったよ」
「ねえ、ルカ? あなたが何を考えているかはあたしにはわからないけれど、あんまり思いつめるのはカラダに良くないと思うの」
「うん」
「だからあなたの考えていることをあたしにも考えさせてちょうだい」
「……うん?」
「だって二人で考えたほうが、うーんと負担がへっていいと思わない?」
「う、うん……」
あまりの笑顔の眩しさにルカは顔をそらした。そんなルカの顔を追いかけるようにイブは顔を近づけた。
「ねぇ、教えてちょうだい! あたしはあなたが何を考えているのかを知りたいのよ」
「わ、わかった! わかったよ! 話す! 話すからちょっ、近い!」
「なんだってそう顔を赤くするのよ」
心底愉快そうに笑う彼女はルカの隣にちょこんと座った。
「さあ、話してちょうだい!」
「あ、うん。えと。ここ最近村の外には何があるのかなぁって思っててさ……」
「村の外?」
「うん。今まで考えたこともなくてさ。イブは何があると思う?」
「そうねぇ、この村みたいに住んでるみんなが笑顔で幸せに暮らしているところがたくさんあると思うわ!」
目を輝かせながらイブはそう言った。ルカは彼女の言う光景を思い浮かべた。幸せそうな笑い声があちらこちらに響き渡り、全てが暖かく見守ってくれるようなそんな光景。
「そんなに気になるのなら見に行けばいいんじゃない?」
想像を膨らましていたルカにイブはそう声をかけた。
「え?」
「だって気になるのでしょう? なら確認すればいいじゃない!」
「そう……かな?」
「そうよ、きっとそうよ!」
「じゃあ……行こう!」
「うん!」
「今すぐ行こう!」
「……え?」
今度はイブが驚く番だった。
♦♦♦
村を出てから数時間。二人の足は好奇心によって進められていた。深い森のなかには木漏れ日が差し込み、時折涼しい風が通り抜けていた。未知なる場所での新発見はあちらこちらに広がっていた。
「ねぇ、ルカ! 見て! 変なものが生えてるわ!」
「えっ、どこ?」
「ほら、あそこの木の根っこ!」
イブが指差す方を見ると確かに見たことのないものが生えていた。
「うわぁ! なんだコレ!」
ルカは思わず近づいた。かさのある背の低い植物がいくつか群がって生えていた。触るとぶよぶよしている。
「変なの」
二人はそれらをながめた後、再びあてもなく歩き始めた。
しばらくすると二人の耳に妙な音が聞こえてくるようになった。強弱をつけて繰り返されるその音は彼らの旺盛な好奇心を射止めた。
「なんの音なのかしら」
「とにかく行ってみよう!」
二人は音のする方へと駆け出した。木々の間を走り抜け、開けた草むらの上に出た。その少し先は切り立った崖となっていた。そこまで歩を進めた二人は息をのんだ。
「うわぁ……」
「す……すげぇおっきな……水たまり……?」
少年少女の眼下に広がっていたのは広大な海であった。
「ねぇ、ルカ。下まで行ってみましょう!」
ルカは頷き下まで降りれる回り道を探した。
「多分こっち!」
下り坂を見つけ二人は走り出す。生い茂る草の波をかき分け進むと、再び開けた場所へ出た。草ではなくてサラサラな砂が辺り一面を覆っていた。その砂を踏みしめた二人は再び息をのんだ。
「水が……勝手に動いてる……!」
慣れない砂地に苦戦をしながら二人は波打ち際まで進んだ。少し青掛かった透明な水が、向かってきては引き戻されてゆく。
イブは身を乗り出して水の中へと手を沈めた。
「冷たい」
そこへ次の波がやって来る。イブは急いで身を引いて水を回避したが勢い余ってそのまま後ろへ倒れてしまった。
逆さになったイブはルカと目が合うとニッコリと顔をほころばせて笑い声を上げた。釣られてルカも笑う。
今度はルカが波の中に手を入れようと身をかがめた。するとイブは後ろからいきなりルカのことを押し出した。
「うわぁ!」
とっさに両手を出して体を支えると冷たい水しぶきが飛び上がった。
「ちょっとぉ!」
ルカが後ろを振り返ると彼女は満開の笑顔の花を咲かしていた。
仕返しに、とルカは水をすくいイブに向かって飛ばした。
「きゃあ! なにするのよ!」
「仕返しだよ!」
「ならあたしも!」
「うわっ、冷たい! このー!」
浜辺にはしばらく二人の若者の楽しげな声が響いていた。
♦♦♦
二人は先ほどの崖の上に並んで腰掛けていた。太陽がその身をゆっくりと沈めようとしている。辺りは橙色に染め上げられ大きな影法師を浮かび上がらせていた。ゆったりとした時間が流れ、それに合わせるかのように風は地表を優しく撫でていた。
「綺麗ね」
夕日を眺める彼女はぽつりと言葉をこぼした。
「うん。こんな綺麗なの見たことないや」
「あたしもよ」
それから少しした後、ルカは夕日を見ながらイブに話しかけた。
「ねぇ、イブ」
「なあに、ルカ」
「……気づいたんだ、何が一番幸せだったかを」
「ええ」
「あの村にいたから幸せだと思ってたんだ、最初は。でも、違うんだ」
「ええ」
「場所なんてどこでも良かったんだ」
「ええ」
「ただ君が……好きな人が隣に居てくれるだけで、それだけで幸せなんだ……」
ルカは彼女の表情を見ていなかったが、きっと彼女は笑っていたことだろう。
「ねぇ、ルカ……。あたしも……あたしもあなたと同じことを考えていたわ」
そう優しく呟いた彼女はルカによりかかり、自身の頭をルカの肩の上に預けた。
「ずっと……いつまでも二人でこうしていたいって思ったの」
「うん……」
「ねぇ、ルカ」
「うん」
「……好きよ」
「…………」
「ねぇ、ルカ。顔が赤いわよ?」
「……ゆ、夕日のせいだよ。きっと」
恥ずかしさからか少年は少しぶっきらぼうに答えた。
「フフ……。それじゃあ、そろそろ帰りましょうか」
そうして二人は立ち上がり、愛する村へと足を進め始めたのだった。
♦♦♦
「何かいるのかしら?」
「え?」
帰り途中、突然イブがそんなことを言い始めた。長い木の枝を拾って歩きながらガリガリと土を削っていたルカは素っ頓狂な声を上げた。
「ほら、何かきこえない?」
足を止めて耳を澄ましてみたがルカには何の音も聞こえなかった。
辺りはもう薄暗くなり真っ暗になる前に帰るには一刻を争う状況だった。
「何も聞こえないよ。それより早く帰ろう」
「うん……そうね。行きましょう」
イブは少し不安げだったが二人は帰ることを優先させた。
そのまま村の方へ進んで行くと何やら複数の灯りが見えてきた。
「誰かいるっぽいね」
「そうね。何をしてるのかしら」
「うーん、俺らがいないから探してるとか?」
「きっとそうだわ! 挨拶しないと」
「そうだね」
二人は意見をまとめると例の灯りの元へと駆け寄っていった。
「いやあ、身勝手な行動でご迷惑をお掛けして……」
そんなルカの謝罪の言葉は最後まで紡がれることはなかった。途端にいくつものギラつく眼が二人を睨め回した。
見たことのない大人たち。よそ者。その体には簡易的ながらも鎧が装着され、
腰には鈍く光を反射する剣がぶら下がっていた。
「誰だ貴様らは!」
彼らから怒号が飛んできた瞬間、ルカは全身で危険を察知した。
急いでイブの手を取り逃げ出した。
「ど、どうしたのよルカ!」
動揺するイブにルカは必死で叫んだ。
「いいから逃げるんだ! あいつらはよそ者だ! イブはここから逃げてこの事を村のみんなに伝えるんだ! いいね!?」
イブは無言で頷いた。ルカの態度で事の状況をなんとなく把握したのだろう。
二人が逃げ出した数秒後、背後から再び怒号が飛んできた。
「おい! あの女、尻尾が生えてやがる! マモノだぞ!」
「逃がすな! 追え! やれぇ!」
二人がどれだけ必死に走っても、鍛え上げられた大人たちに叶うはずもなかった。彼らとの距離はみるみるうちに縮まっていく。このままでは二人とも捕まってしまう。それだけはなんとしてでも避けなければいけない。
「イブ、ここは君だけで逃げてほしい……」
ルカはそう、決断した。
「嫌よ! 嫌! 二人で逃げるのよ!」
イブは珍しく激しい感情をあらわにしたが、ルカはゆっくりと首を横にふった。その目から溢れた涙が微かな光を反射する。
「村で……また会おう……」
そう言ってルカはイブの背中を強く押し、後ろを振り向き立ち止まった。そしてしゃがんで地面の砂をかき集めた。
武装した男たちはすぐさま追って来る。
そんな男たち目掛けてルカは砂を投げつけた。
「うぐっ! なんだ!?」
突然の砂に視界を奪われた男たちは立ち止まり目をこすったり、訳もわからずそのまま木に激突したりした。
苦肉の策ではあったが、ルカはなんとか男たちを足止めすることに成功した。
一旦木陰に身を潜めたルカは再び走り出そうとする男に向かって体当たりを仕掛ける。すると死角からの一撃に思わず男は吹っ飛ばされた。
「このっ! 小僧!」
ルカを見つけた一人の男が怒りに駆られ拳を飛ばしてきた。重い一撃がルカの脳を揺らす。
「うぅっ!」
衝撃でルカはその場に崩れ落ちた。男たちはそこに群がり、立ち上がろうとするルカをこぞって蹴り出した。頭の先から爪先まで鋭い痛みがルカを襲う。ルカは痛みをこらえてなんとか一人の男の足にしがみついた。
「このクソガキがっ! 離せ!」
男は反対の足でルカの顔を蹴り上げる。何度も何度も何度も何度も。ルカは骨の髄まで響く痛みに見舞われた。鼻から一筋の血がすーっと垂れてきた。
半ば意識を失いながらもルカはその男のもう片方の足をどうにか捕まえた。両足を固定された男はバランスを失い後ろに倒れ込んだ。
「この野郎っ!! ナメやがって!」
男は激高しながら起き上がると勢い良く剣をぬいた。最早体に力が入らなかったルカは脱力しながら男が剣を振り下ろそうとするところを眺めていた。
と、その時。
「待て」
辺りに一際低い男の声が放たれた。目を動かし声の主を見てみると他の男たちよりも一回り大きながたいの良い男だった。隣には他の男たちとは少し服装の違う聡明そうな男もいた。
「お前たちはこんなところでゴミをいたぶっている暇など無いはずだ。今回の遠征を成功させなければ我々は処刑される。わかっているだろう?」
「……くそっ」
体格の良い男がそう言うと先ほどの男は渋々剣を鞘に収める。だが苛立ちを抑えることができない男密かにはルカを蹴り上げた。
「わかったらさっさと先のマモノを追え」
そう体格の良い男から命令が下ると男たちはイブが逃げた方へと走っていってしまった。道端に落ちたゴミのようにうずくまるルカにはもう止めることは叶わなかった。
体格の良い男がルカの髪を引っ張り顔を持ち上げた。岩のような顔がルカの目の前に現れる。
「隊長、コレはどうすればいい?」
隊長、と呼ばれた隣の男はルカのことを一瞥すると言った。
「情報源になるだろう。持って帰れ」
「了解」
岩男はルカの首根っこをむんずと掴むと力強く絞め上げた。
「……ぁ!」
酸素の供給が断たれ視界がぼやけてくる。とても苦しいが抵抗できる力など、無い。頭の奥がチカチカしたかと思うと、ルカの意識は深い海の底へと落ちていった。
♢♢♢
そこでセラの頭の中に映し出されたルカの記憶は途絶えた。
「えぇっ!? ここで終わり!?」
なんとも目覚めの悪いセラはあくびをしているルカを問い詰めた。
「あんたあの後どうなったのか教えなさいよ!」
「い、イヤですよぅ〜」
「いいから教えなさいって!」
「そんなに僕のことを知りたいだなんて……セっちゃんのエッチ!」
「なんでそうなるのよ!?」
そんなやり取りを見ていた精霊がクスクスと笑う。
「全く、余計なことをしてくれましたね……」
「くくく、だがお前の隠し事はこれだけではないだろう?」
ニヤつく精霊に対してルカはウンザリとした顔つきだ。
「ていうかこんなことをしにきたわけじゃないんですよ」
ルカは続ける。
「僕のスリーサイズなんか聞いたところで誰も興奮しないでしょう?」
「その前に誰もそんなこと聞いてないんだけど。というか続きを教えなさいよ。あんたとこの精霊がどうして知り合いなのかとかの記憶がなかったんだけど!」
そんなセラの言葉を無視してルカは叫んだ。
「精霊よ! 我の願いを聞き入れ給え!」
「おい! はぐらかすな!」
「……願いはなんだ?」
「勝手に話を進めないで!」
精霊は青白く光ったかと思うとクイーンハーピーの姿に変身した。
「じょ、女王様!」
突然現れた彼女の忠誠の対象にセラはひれ伏した。
「セラよ、少し静かにしててもらえるか?」
「ははぁ、仰せのままに……!」
こうしてセラを黙らせると、精霊は再びルカに問うた。
「……ルカよ、此度のお前の願いはなんだ?」
ルカはちらりとセラの方を見ると、言った。
後書き
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