「それではお茶なんてどうでしょう?」

「僕の願い、それは彼女に変身する術を与えることだ!」


 ルカは精霊に向かってそう叫んだ。


「……承知した」


彼女は静かに頷いた。そして続ける。


「元来、精霊とは様々な気の集まりだ。気とは万物の源だ。その気というのはお前らマモノやニンゲン、それから草木や水などのありとあらゆるものひとつひとつに宿っている。言うなればお前らは器で気はそれを満たす水だ。そしてお前のその願いを叶えるとするならば、まずそこのハーピーに空気から気を取り込むことを教えなければならん」

「…………?」


 その説明を聞いたルカとセラはきょとんとした顔で精霊を見つめる。その顔には?マークがはっきりと浮かんでいる。


「あー……伝わってるか?」

「う、うん……! 大丈夫! 水でしょ? うん、水水」

「ルカ、貴様……」

「てへぺろ」


 薄っすらと怒りをにじませる彼女にルカはふざけた顔で舌を出しVサインをしてみせた。この上なく憎たらしい姿である。


「あー、精霊さん?」


 怒りに肩を震わせる精霊に少しうつむくセラが呼びかけた。


「む? なんだ」

「そのー、差し支えなければそろそろ女王様の姿から戻っていただけるかしら……」


 頭で違うとは認識していても彼女に刻まれた女王への忠誠心が反応をするようだ。セラはクイーンハーピーの姿をした精霊にすっかり腰が引けてしまっていた。


「むぅ。そうだったな。今変身しよう」

「可愛い娘頼みますよ〜」

「うっさい」


 小うるさいルカを叱咤しつつ彼女はまばゆい光で辺りを青白く染め上げながら先ほどとは違う少女の姿に変身した。


「女の子キター」


 新しい少女の姿にルカは小躍りしている。そんなルカにセラと精霊は冷ややかな視線を送る。


「あんたって本当、女なら何でもいいのね……」

「はぁっ!?」


 その一言にルカは驚きの声を上げた。


「えぇ……? 違うの?」

「そんなワケないでしょう! 僕のことをなんだと思ってるんですか!?」

「ゴミ」

「変態」

「うぐっ!」


 二人の辛辣な言葉がルカの精神を深くえぐり取る。


「あと、ウザいよね」

「あっ、それわかるわ〜」

「でしょ~?」

「あの顔本当ムカつく」

「そうそう!」


 セラと精霊はすっかり意気投合したようだ。二人は次々とルカの悪口を吐き出していく。


「今さーあいついないから言えるんだけどさー」

「いやいや! 居る! 目の前に居る!」

「うん、なになに?」

「え、無視!? それとも聞こえてないの!? 耳ついてないの!? その耳っぽいやつはなに!? 飾り!?」

「あいつ、キモくね?」

「ぐはぁっ!」

「はー、本当それ」

「マジなんなの? もう吐き気止まんないよね」

「あいつと話すくらいだったらその辺の石ころと話してるほうがマシだっつーの」

「うぎゃあっ!」


 繰り出される怒涛の罵倒によってルカは膝から崩れ落ちた。

 しかし二人による攻撃はまだ止まらない。


「え、ねぇちょっと見てあそこ。でっかいゴミ落ちてない?」

「うわ、本当だ。服着たゴミが落ちてる。道理で臭いのね〜」


 ルカはまるでトカゲのように這いずりながら二人の所へ移動を始めた。


「やだ、こっち来てるんだけどキモい!」

「来んな来んな!」


 近づくルカをセラは足で押し返した。


「あぁ……」


 妙に色っぽい声があがる。


「えっ、キモ」


 更にセラが押し返す。


「んっ……もっと……」

「え?」


 予想だにしないその返答にセラは思わず聞き返した。


「あぁ……! 女王様、このイケない僕をもっとなじってください!」


 そう言ったかと思うとルカはセラの足を捕まえ、甲にキスをした。


「…………!」


 一瞬でセラの動きが固まる。

 それを見てルカは「僕の方が一枚上手でしたね。まあ、僕二枚目ですしね」と言いながら立ち上がった。なんという汚い演技。なんという自意識。


「うっ……うっ……」


 顔を真っ赤にして肩をわななかせているセラが言葉を漏らす。そして次の瞬間、そのダムは決壊した。


「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁあああっ!!」


 叫び声とともにセラの物理的攻撃がルカを襲った。羽を鞭のようにしならせ殴りつける。


「うおおおおっ!?」


 右、左、右、左、とその攻撃はとめどなくルカの顔面へ吸い込まれていった。



♦♦♦




「もうほんっとあり得ない!」


 セラは随分とご立腹のようだ。恥ずかしさと腹立たしさに毛を逆立てて、少し潤んだ瞳でルカを睨んでいる。

 そんな彼女にボッコボコに殴られたルカは素直に謝った。


「いや、本当……すんませんした」

「…………」


 しかし不機嫌なセラは口を開こうとはしなかった。

 場を取り持つように精霊がしゃべりだす。


「全く、お前がふざけ始めたせいで我の話が台無しではないか」


 澄ました顔の精霊のそのしゃべり方は以前のような威厳あるものに戻っていた。


「無理してキャラ作んなくていいんですよ。さっきみたいに普通に喋ったらどうです?」


 ルカはまたしても彼女の怒りのスイッチを全身全霊で押し込んだ。


「……殺すぞ」


 おぞましい程の殺気がルカに向けられるが当の本人は何食わぬ顔だ。なんと白々しい男であろうか。


「怒るのはそのキレイな肌に悪いですよ。ほら、笑って笑って〜」


 怒りの原因は、彼女を笑わせようと変顔をしてみせる。だがそれもまた、彼女の神経を逆撫でするような不愉快なものであった。

 彼女が怒りを必死にこらえていると、ルカは突然変顔をやめて呟いた。


「おや、いつの間にかもう明るくなってきましたね」


 見ると先ほどまで真っ暗だった空が今では群青色へと変わっていた。夜が明けたようだ。風に吹かれて木々がまるで起床の合図かのようにざわざわと声を上げる。


「じゃあ僕は向こうにおいたままの荷物取ってくるんで」


 そう言ったかと思うとルカは向こうへ駆けていった。

 残された二人はため息をついた。


「災難だったな」


 精霊は慈愛に満ちた声でセラに話しかける。


「ええ、流石にびっくりしたわ。バカは何を考えているのかわからないわね」


 未だにぼーっとしているセラは一息つくと続けた。


「ずーっとそう。あいつが考えている事があたしにはわからない……」

「……そうか、そうかもな」

「あなたにはわかるの?」

「……そのうちわかるさ」


 いつのときか、似たような言葉をクイーンハーピーから言われたことをセラは思い出した。一体何が分かるというのだろうか。今までのことを振り返っても『変な奴』くらいのことしか分かっていない。一体あの男は何を……。

 セラが考えを巡らせているとルカが荷物を持って戻って来た。


「よっこいしょ」


 ルカはほとりの近くにその荷物を下ろすと二人に向かって言った。


「じゃ、あとよろしく」

「……は?」


 セラが思わず聞き返したが、ルカが気にする様子はない。


「そのうち戻ってきますから」


 そう言い残してどこかへ歩いていってしまった。

 それを見てセラは先程までの自分が急に馬鹿らしくなってきた。

 やっぱりなんにも考えてないんじゃないのあいつ!

 セラは何度目かわからない、深いため息をついた。

 ルカの姿が見えなくなったところで精霊はセラに問うた。


「して、お前はどうするのだ?」

「ど、どうするって?」

「お前はあいつの言う通りに変身できるように気の扱い方を学ぶのか?」

「…………」


 セラは少しの間口をつぐみ逡巡した。そして、答える。


「……やるわ」

「そうか」

「もちろんあいつなんかの為じゃなくて女王様の仰っていた意味を理解する為よ?」


 慌ててセラは付け足した。


「ほ〜お」


 精霊がからかうような目でセラを見る。


「な、なによ!」

「まあ、いい。それより早速始めようではないか」


 その言葉にセラはこくりとうなずいた。




♦♦♦




「ふー、疲れた」


 ルカは湖から数時間歩いた場所にある、フォーマントという街の食事処にいた。それなりの広さを誇るフォーマントだが、国の中心地からは距離があるため少し静かな街だ。

 ルカは数人が行き来する道を眺めつつ団子を口に頬張る。もっちりとした食感にほんのり甘い風味が舌を走り抜ける。この甘さはハチミツだろうか。団子を練るときに一緒にハチミツも混ぜたようだ。程よいその甘さは団子全体に染み込み、優しい口当たりになっていた。だが、実際そんなことはどうでもいい。『美味しい』、それさえわかれば十分ではないだろうか。

 ルカは団子によってもたらされた思考の渦を消し去って、残りの団子も平らげた。


「ごちそうさまです」


 ルカはお皿をお店の人に返す。店員は(なんでコイツこんな顔面腫れてるんだ?)と内心思いながらも笑顔でお皿を受け取った。


 食事処を後にしたルカは街をぶらぶらと歩いていた。

 建物のほとんどが住宅で、その中にこじんまりとした店がちらほらと見え隠れする、そんな街だ。

 そんな街の中心部には王都からやって来た行商人が見受けられた。街の人々はそれに群がりそれぞれ必要なものを買っていっていた。


「お?」


 広場を歩くルカの目にひとつの人だかりがはいってきた。

 椅子に座ったひとりの少女を机を挟んで大勢の人が集まっている。

 ルカはその人混みの中に紛れ込んでいった。


「皆さん、お集まりいただきありがとうございます!」


 少女が明るく快活な声を上げるとざわついていた人々は水を打ったように静まり返った。それを確認した彼女はボーイッシュな髪をゆらしながら言葉を続けた。


「おまたせいたしました! これより開店致しますので何か聞きたい情報がある方は一列にお並びください!」


 すると人々は快活な少女の言う通りに列をなし始め、あっという間に長蛇の列ができる。


「あのー、すいません」


 ルカは列の最後尾に並んでいた年配の男性に声をかけた。


「なんじゃ、お前さん。ど、どうしたんじゃその顔」

「あ、いえ、これは別に大したことはなくて。そんなことより一体皆さん何に並んでいるのかと」

「ケガは大事じゃろうが!」


 おじいさんはルカを怒鳴りつけた。


「ケガといえば先日ワシの家内がだな、右足を捻挫しながらも押しずもう大会で優勝したんじゃよ」

「そんなアクティブなばあちゃんの話なんてどうでもいいですから。この列が一体何……」


 おじいさんをいなすようにルカが喋り始めたが年をくったこの男性は遮るように喋りだす。


「うちの家内がばあさんだって!? ふざけるんじゃないよ!」

「いや、あの……」

「家内はまだワシの3つ上だぞ」


 そう言って老人は高らかに笑った。その何とも言えない世界観にルカはたじたじであった。


「は、はは……」

  もう笑うしかない。


 (くそぅ……こんな時にツッコめる奴がいれば……!)と、ルカは悔しさに奥歯を噛み締め、一人で来たことを少し後悔するのであった。




♦♦♦ 




「へっくちゅん!」


 セラの大きなくしゃみが湖のほとりに響き渡る。数秒後に遠くで鳥の羽ばたく音が聞こえた。


「随分と大きなくしゃみだな。風邪でも引いたか?」


 精霊がそう尋ねるとセラは神妙な顔で答えた。


「いや、なんかこう、誰かに頼られた気がして……」


 セラは辺りをキョロキョロ見回すが、当然誰の姿もなくただ草木が揺れているだけだった。


「ほぅ。少し気を感じられるようになってきたのかもな」

「本当に!?」


 精霊のその言葉にセラの表情は一気に明るくなった。

「嘘だ」

「えぇ……」


 そして表情は一気に暗くなった。

 それを見て精霊はくすくす笑う。


「さあ、続きだ続き。頭の中に点をイメージしてそこに意識を集中させるのだ」

「ううぅ……」


 技の習得にはまだまだ時間が掛かりそうであった。




♦♦♦




「情報屋?」


 街の広場の列の中、ルカは老人にそう聞き返した。


「そうじゃよロペ君」

「ルカです」

「この娘さんは各地を転々と移動しそこで得た情報を売っているんじゃ」

「へぇー。すごいですね。ちなみにおじいさんは何を聞きに?」

「そりゃあおめえ、あの娘さんのことに決まっておろうが」

「はあ」

「まずは彼氏はいるのかじゃろ、次にスリーサイズはで、そして身長体重年齢はいくつなのかを……むふふ」

「セクハラですよそれ」

「男はこうであるべきなんじゃよルーペ君」

「ルカです」


 ルカと老人がこんなしょうもない会話をしていると、だんだんと前に並ぶ人の数が減ってきていた。情報を聞き終えた人の顔をみると満足感に満ちていた。


「うほぉ、そろそろじゃ……」


 順番が近づくに連れて老人の表情は明るくなっていく。まるで好きなモノを買ってもらえる子供のようだ。


「ほら落ち着いて落ち着いて」


 はしゃぐおじいさんの背中をルカがさする。

 そうこうしているうちにも順番は回っていく。


「では次の方ー、どうぞ」

「はいっ!」


 ついに少女からお呼びがかかった。

 老人は机越しに少女と向かい合った。天真爛漫そうな顔つきで屈託のない笑顔を浮かべている。

 老人は机の上に置かれた箱にお金を入れて椅子に座った。


「今日はどういった情報を探しに?」


 少女にそう聞かれた老人は興奮のせいか息が荒くなっていた。そんな状態で彼は答えた。


「ハァ、ハァ、今……何色のおパンツ穿いてるの……?」


 極めて非常に変態性の高いその一言で少女の笑顔が引きつった。サーッと顔が青ざめていく。


「あ……えと……その……」

「ねぇ白なの? 白なんじゃろ? 白だよね!?」


 狼狽える無垢な少女におじいさんはグイグイと迫る。少女は今にも泣き出しそうである。

 ルカは見るに見兼ねて変態おじいさんを椅子から引きずり下ろした。


「こら! 女の子が困っちゃってるでしょ! めっ!」


 ルカは見るに見兼ねて変態おじいさんを椅子から引きずり下ろした。


「でも、だって……!」


 変態は激しく抵抗する。あまりに激しすぎて死んでしまうのではと感じる程だ。ルカも地面に押さえつけるのがやっとの状態である。


「だってじゃない!」


 ルカは老人の頬をピシャリと叩いた。

 その音で辺りはしんと静まり返る。


「いいか? 好きな女ができた、結構! その人と話がしたい、大いに結構! だがなぁ……」


 ルカは立ち上がり、大きな声で叫んだ。


「女を泣かす奴は男である資格なしだ! さっさと立ち去れ!」


 ルカに檄を飛ばされた老人は泣きべそかきながらに何処かへ走っていった。

 その光景を見た後列の中からちらほらと拍手が沸き起こった。拍手が拍手を呼び、盛大な拍手がルカに送られた。


「あ、あの……。ありがとうございます……!」


 少女は澄んだその目に涙を浮かべながらお礼の言葉を述べた。


「いえいえ、貴方のその素敵な笑顔をずっと見ていたかっただけですので」

「へ?」


 いきなり飛び出してきたキザなセリフに少女はきょとんとする。

 ルカは椅子にドカッと座りちょうど先程の老人のように身を乗り出した。


「ねぇ君、名前は?」

「え……あの……?」

「この街の娘? ほぉら、ね、固くならないで。子猫ちゃん」


 ルカは少女の瞳を覗き込むように顔をグイッと近づけた。

 拒絶するように少女は顔を遠ざける。


「ちょ……!」

「それではお茶なんてどうでしょう?」


 一杯だけ、ね? 一杯だけだから。とルカは得意のウインクをして少女を誘惑した。


「いや、これナンパじゃねーですか!!」


 少女は今日一番の大声で叫んだ。


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