「……ホントだね」

「本当にありがとうございます……」


 晩ごはんを済ませた後、ユアラは感謝の言葉を述べていた。


「謝らなくていいですってば!」


 こんなやり取りはもう何十回目だろうか。しつこいほどに彼女は頭を下げていた。


「にしてもユアラさんが来た時はびっくりしましたよ。喋り方もなんかこう、堅苦しかったもんで」


 ルカの父はコップ片手にそう言った。


「あれは一応は他の魔物を束ねる身でしたので威厳を出さないといけないかと思いまして。それに相手に対等に話し合わなければいけないっていう思いからですね……でも優しい方々で本当に助かりました」


 恥ずかしそうにあたふたとしながらユアラはそう説明した。


「それにしてもあなたの影響力は凄まじかったですよね」

「いやいや、滅相もない」


 彼は照れくさそうに手を振り頭を掻いた。その雰囲気にみんなが惹き寄せられるのもどこか頷ける。


「羨ましいですよ。自分から村長に立候補したのですか?」

「いえ、なんというか。成り行きでなった、みたいな」

「へぇ、一体どんな事があったんですか?」

「ええと、あれは5、6年前のことだったかな。村に王国の使者がやって来て我々の支配下に入れって言ったんだ。元々僕らはその王国から逃げるように北へ北へと移動してここに来たんだ。だからそんな話は受け入れるつもりは全くなかった」


 彼は昔を懐かしむ様に話し始めた。窓から月を眺めていたルカは何となしにその話を聞いた。


「で、僕らはその使者にそれは出来ない、って言ったら向こうはそれは認めない、支配下に入るまで帰らないって言ったんだ。でも本当はそうじゃなかった。帰れなかったんだ」

「……? どういうことですか?」

「なんの成果もなしに国へ戻れば命はない、王様への反逆罪として殺されるって彼は言ったんだ」

「そんな……。あまりにも酷いですね」

「そこの王は我欲に溺れた哀れな人間だからね……」

「それでその後はどうなったんですか?」


 軽く頷きながらユアラは話の続きを急かした。


「その後村のみんなとその使者とで話し合いをしてね、帰れないんだったら帰らなくていいんじゃないかっていうふうに話が進んでこの村に住んでもらうことにしたんだよ」

「へぇー。平和的でいいですね」


 感心するように彼女は喉を鳴らす。


「その話し合いの中心となったってわけですね」

「ええ、まあ」

「いいリーダーさんですね、あなたは」

「……そんな立派な人じゃないよ、僕はただ臆病なだけなんだ」


 彼は大きなため息をついた。それは普段気丈に振る舞う彼が他人に見せた唯一のため息かもしれない。

 明るく浮かぶ月の周りには厚い雲がその光を遮ろうとしていた。


「大勢の上に立つってことはいくらかの犠牲を考えなくちゃいけないんだ。その使者を国へ帰さないということはその国から攻められることだって考えられた。そうなったら村は滅ぶ。何百人もの命が消えるんだ。でも僕は大勢の仲間よりも目の前の初対面の一つの命を選んだ。逃げたんだ、そのどちらかを選択することを」


 どこか苦しそうにそう吐き出す彼。


「いいんじゃないですか? それで」


 そんな彼にユアラは優しく言葉をかけた。


「一人を守れないで大勢の人を守れるもんですか。逃げたってことは優しいからなんです。優しいから他のために動けるんです。強いだけじゃ何も守れないんです。弱いからこそ他の気持ちがわかるんです。そういう強さが大勢を守るんです」


 その言葉たちはじんわりと彼の胸の奥へと広がってゆく。人に見せることのなかった心の奥底にしまった本心が自然と浮き上がってくる。彼の頬を静かに涙が伝う。


「本当は……本当はいつも、どこかで、なにか間違ってるんじゃないか、取り返しのつかない事をしてるんじゃないか……そんな陰気な考えがずっと……ずっとずっと引っかかって、不安で、心配で、ずっと……」


 秘めた思いが言葉となって嗚咽と共に彼から留めどなく溢れ出す。それを受け止めるかのようにユアラは更に声をかけた。


「大丈夫ですよ。あなたが頑張っていることは皆さんわかっているはずです。あなたはあなたが思うよりもずっとずっと素敵なリーダーさんなんですから」


 その言葉により遂に彼の涙のダムは決壊した。


「うぅぅ、あぁ、ひっぐ、うぁぁあぁ……」


 その父の泣き声に気づき、奥の部屋から母がやって来た。


「ちょっとあんた、なんで泣いてるのよ?」

「いつも、いつも、支えてくれてありがとうなぁ……」

「ちょっ、いきなり何なのよ」


 わんわん泣き叫ぶ夫にいきなり普段言われないようなことを言われて彼女は面食らってしまった。


「俺、お前が嫁で良かったよぉ……!」

「フフ、バカね……あたしもよ……って恥ずかしい!」


 彼女は顔を赤くして嗚咽する彼の頭を叩いた。その目には薄っすらと涙が見えた。そんな微笑ましい光景を眺めているルカにいきなりイブが話しかけてきた。


「つき、かくれちゃったね」


 ルカは窓の外に視線をやった。


「……ホントだね」


 彼女の言う通り先ほどまで顔を覗かせていた月は分厚い雲の中へと隠れてしまっていた。




♦♦♦




 後日ユアラは大勢の村人の前に立っていた。


「同じ農地に何年かに一回の周期で違う種類の作物を一定の順序で栽培するのです。例えば初めは大麦を、次の年はクローバー、その来年は小麦、更に来年はカブを、そしてまた次の年に大麦に戻るのです。そうすることによって農地の地力低下を防ぐことができるのです」


 これを聞いた村人達は初めて触れるその農業方法に唖然としていた。


「何か質問はありますか?」


 ユアラがそう尋ねると一人の男性がおずおずと手を上げた。


「という事は休耕地を作らなくてもいいんですか?」

「はい、大丈夫です。更に家畜たちの餌が減る時期も来ることはなくなるでしょう」


 おおっ、と周囲にざわめきが広がった。今まででの方法では解決できなかった問題が出来るのだ。なんとありがたいことだろうか。


「さあ、早速農地の改革に取り掛かりましょう!」


 彼女はにこやかに笑ってそう言った。




♦♦♦



 魔物たちがこの村を訪れ実に七年もの月日が流れた。ユアラたちによってもたらされた新しい農業方法によってカシミナ村の食料供給は安定し、次第に人口が増えていくこととなった。村の領土も広がり、定期的に魔族の使節団が訪れるようにもなっていた。

 それまで村長として村を治めていたルカの父、カシムは自らその座をユアラに譲り、妻のルミナと村人の一員として共に彼女を支えることを誓った。

 そして大きく変わったことがもう一つ。それは魔族と人間とのカップルが生まれたことだ。中には既に子を授かった者たちも居る。このカシミナ村はそれほどまでに豊かで、平和な村へと成長していたのだ。

 ルカはそんな村が大好きだった。草の海の中に寝そべり青く澄んだ空を見つめる。ずっとこの暮らしが続いていくのだ、と信じて疑うことなどなかった。眩しく優しい太陽を見つめる。

 そんな彼の視界に日の光を遮るようひょこっと頭が映り込む。イブだ。


「こんなところにいたのね、ルカ」


 ルカを見下ろす彼女はそう声をかけた。


「ああ、イブ。どうしたの?」

「んーとね、ルカは今なにしてるのかなーって思って!」


 そう言って彼女はほんわかとした笑顔をしてみせた。どうやら眩しい太陽はこんな近くにもいたようだ。


「あ、えと空を見てたんだよ。こうして寝っ転がって。イブもやってみたら? 気持ちいいよ」


 少年は恥ずかしさに若干目を逸らして言う。


「ええ、そうするわ」


 イブはルカのすぐ隣に寝転がった。ふわりと優しい香りが巻き上がる。


「今日はいい天気ねぇ」

「うん」

「あ、ほら見てあそこ! ヘンなカタチの雲があるわ!」

「ホントだね」


 嬉々としてそうルカに喋ってくるイブの横顔を見てルカはなんだか幸せな気分に包まれた。

 と、突然彼女の顔がルカの方を向いた。あわててルカは顔をそらす


「ねえ、ルカ。どうして空じゃなくてアタシの方を見てたの?」

「え、ええっ! あっ! みみみ見てない見てなかったよ! ちゃんと雲見てたよ!」

「ウソはいけないのよ、ルカ」


 イブは少し赤面するルカの脇腹を人差し指でつんつんと突っつき始めた。


「ちょっ、やめてよ。ホントだってば」

「ホントにぃ〜?」

「くすぐったいって、ホントに! あっ、ほら、あそこにも面白い形の雲が!」

「そうやってはぐらかさないの! コチョコチョしちゃうわよ?」


 そう言ってイブがわざとらしく両手の指をうねらせて見せるとルカは立ち上がり一目散に逃げ出した。


「あ! まちなさいよー!」


 ルカを追う形で彼女も草原を駆け出した。そこからしばらくの間その追いかけっこは続くこととなった。


「あぁ、ああぁ、もう限界っ」


 長い間走り回りへろへろになったルカは草の中へ倒れ込んだ。ひんやりとした感覚がルカの全身を包む。


「アタシもー」


 少し遅れてやって来たイブはルカの上へダイブした。ひんやりとした感覚がルカの全身を包む。


「ぐえぇっ!」 


 柔らかい衝撃がルカの全身を襲う。


「ゴロゴロー」


 そしてイブはそのまま転がりルカの隣に寝そべる。二人は顔を見合わせ大きな声で笑いあった。


「正直に言うと……実はさっき雲じゃなくてイブの顔見てたよ」

「やっぱり見てたんじゃない!」


 愛らしい瞳がルカを笑顔で優しく見つめてくる。


「ねえ、どうしてアタシを見てたの?」

「それは……」


 ルカは答えに詰まってしまった。いつもならここで話を曖昧にしていただろう。だが、今日は違う。今日こそは伝えるのだ。

 ひとつ、深呼吸。

 ここで頑張らなくちゃ……。

 心の中で自分を鼓舞して、踏ん切りをつけるとルカは口を開いた。


「イブ……」

「なあに、ルカ」


 優しくて癒やされるような愛くるしい笑顔で彼女は聞き返す。ふわりとした風が辺りを駆け抜けた。


「俺は、イブのことが……君のことが、好きだ」

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