「お久しぶりですね……」

 ルカはセラが寝ていることを確認すると、ゆっくりと立ち上がった。そしてそのまま歩き出した。


 少しするとひっそりとたたずむ湖のほとりへと到着した。透き通ったその水は明るく丸い月を揺らしていた。


「お久しぶりですね……」


 湖を前にしてルカはそう呟く。すると水底から蒼い光が湧き上がって来た。その光は瞬く間に湖全体に広がり辺り一面を照らし出した。やがて光は一点に向かって集まってきた。すべての光が一つになったその姿はまるで燃える炎のようにおぼろげに輝いていた。


 そして再びその光は強く発光した。光が収まった時にはそれは少女の姿へと変貌を遂げていた。


「ずいぶんと派手な登場の仕方ですね」


 薄ら笑いを浮かべながらルカは言う。対して少女はフン、と鼻を鳴らした。


「まさかお前の顔を再び見るとはな。どれ、何があったか見せてみよ」


 少女は自らの額を前に付き出した。それを受け入れるようにルカは彼女の前でひざまずき、額を合わせた。冷たい波動がルカの身体を駆け巡る。隅々まで回ったかと思うと、それは再び少女の中へと戻っていった。


 彼女は額を離し、吟味するかのように腕を組んだ。


「なるほど……。これはまた妙な事が起きているのだな……」

「はい」

「して、魔物に求婚とはどういうことなのだ?」

「…………」


 ルカは一瞬口をつぐんだ。


「……。彼女には申し訳ないけど、守るべきものを作りたかったんです。そうでもしなきゃ僕は……」

「くくく、ならばちょうどいい。本人に聞いてもらおうではないか」


 そう言うと少女はルカの後方の木へと目線を向けた。そして彼女が腕を動かすと、その影からセラが飛び出してきた。



♦♦♦




 強制的に引きずり出されたセラはわけもわからず呆然としていた。今も身体が動かせないのだ。


 そんなセラへ少女は手を伸ばした。冷たい感覚が頬を撫でる。少女はそのまま引き寄せ、額と額を擦り合わせた。


 瞬間、セラの中に少女が流れ込んでくる。ヒンヤリとしたそれはまるで蹂躙するかのように全体をくまなく回り、戻ってゆく。


 少女が額を離すとセラの硬直も解けた。解放されたセラはおずおずと口を開く。


「な、何をしたの……!?」

「ちょいと君の記憶を覗かせてもらったのさ」

「記憶……? 一体……何者なのよ?」


 驚くセラにルカが囁く。もはやセラにとってはルカなどそっちのけだ。


「これは……彼女は、精霊です」

「せ……精霊!?」

「くくく、そうだぞ。我は精霊だ」


 精霊と名乗る少女は随分と偉そうに胸を張った。


「こんな少女が……?」

「この身は仮初の姿にすぎん。我には実態などないのだ。その気になれば____」


 そう言うと精霊はまばゆい光に包まれたかと思うと、次の瞬間には妖艶なハーピーへと変幻していた。


「じょっ、女王様!?」


 セラは驚きながらも反射的に彼女に向かってひれ伏していた。それを見て精霊は高らかに笑う。


「お前の記憶から読み取らせてもらったぞ。フフ、どうだ。これでわかっただろう?」

「え、えぇ。どうやら本当に精霊様のようね……」


 恐る恐る顔を上げながらセラはルカに言う。


「でもどうしてアンタはここに行ったのよ? しかもまるであたしに知られないように」

「…………」


 ルカは下を向いたままで何も答えようとはしなかった。そんな彼らを見て精霊は言う。


「セラよ、こやつにもそれなりの考えがあるのだ」

「でもそんなの言ってくれなきゃわからないじゃない」

「ふむ、まあそうだな」


 精霊はセラの考えを受け入れるとしばし思考にふけった。


「ならばお前も見てみるといい」

「え?」


 精霊は先程と同じ様にセラをたぐり寄せ、額と額を密着させた。温かくもどこか冷たい何かがセラの中へ流れ込んでくる。


「こ……これは」

「それはルカの記憶だ」

「…………」


 セラは頭の中に次々と様々な場面が浮かび上がって来た。




♢♢♢




 青空の下、山に囲まれた原っぱの中にその子供と大人はいた。


「父さん! また新しい技を教えてよ!」


 少年はじゃれるように父親に飛びつく。その背丈は父親の半分にも満たない。


「この前父さんから教えてもらったやつ、もう覚えちゃったんだから! 」


 そう言って彼は木の枝を剣に見立て、力強く踏み込むと木の剣を素早い動作で振り抜いた。ブォンと風切り音が唸る。


「ハハハ、ルカは筋がいいな。立派な男になれるぞ」


 父親は幼いルカの頭をくしゃくしゃっとする。


「ねえ、何かないの? カッコイイ技!」

「うーん、そうだなぁ……。じゃあちょっとだけ向こうむいててくれるか?」

「うん!」


 ルカは素直に頷くと反対を向いた。今度は一体どんな技を教えてくれるのだろうかと期待を膨らます。とそんな彼の臀部に突然。


「秘技、ダブルストレートクラッシュ砲!!」


 ドスっ!

 ゴツゴツとした四本の指が大きな音と共に小さな穴へねじ込まれた。父親は素早く指を抜き去り汚れた指にフッ、と息を吹きかけ言った。


「又の名を……四本指カンチョー」


 そして振り返り歩き出した。その背中はこの世の掟でも語っているかのように厳かなものであった。


「ぎぃやぁぁぁぁぁぁあああああっ!!」


 大いなる痛みの波動がルカのアナルを襲う!


「はぐぅぅぅ!! お尻が! 穴がぁぁっ!」


 ルカは尻を抑えながらその場をのた打ち回る。それでも地獄のような鋭い痛みは消えそうにない。まるで尻の中で爆撃テロが起こったかのようだ。


「どうだルカ? お父さん格好良かっただろう?」

「微塵もカッコよくないよ! 痛いよ! ダサいよ!!」

「ふふ、そうか」

「なんで笑ってるの!?」 


 しばらくするうちに段々と痛みは引いていった。尻に平和が訪れる。


「さあ、もう帰ろうか。母さんが待ってるからな」


 そう言って父親はルカに背を向けた。その時をルカは見逃さなかった。


直腸の支配者レクタル・ルーラー!!」


 そう叫びルカは木の枝を掴み父の尻に目掛けて付き出した。

 ズブリ!

 木の枝は二つの布地と穴を越え彼の直腸へと突き刺さった。


「ぐわぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああっ!!!」


 醜い悲鳴が山に木霊する。

 のた打ち回る父を横目にルカはこの木の枝を宝物にしようと決心したのだった。



♦♦♦



「一体何をしたら尻から血が出るっていうのよ!」


 家に帰ったルカたちは母親にこっぴどく叱られていた。ズボンを血だらけにしていては当然のことである。


「もう、しっかりしてよねあなた」


 父の臀部を消毒しながら母は言う。


「あなたはこのカシミナ村の村長なのよ? あなたがしっかりしなくてどうするの」

「そんな大げさなもんじゃないさ」


 彼はそう言って笑った。

 ルカの住んでいた村、カシミナ村は決して裕福ではなかったが安定した生活を実現させていた。そしてルカの父親は人口役千人程度のこの村を治める村長であった。しかし村長と言ってもそこまで大した事はしていない。何しろ役場というものが存在しないのだ。強いて言うならば彼の家が役場の代わりを果たしていると言っていいだろう。村人が彼の家を訪ね、相談や苦情、はたまた依頼などをする。その内容はほんの些細なものだ。

 会議なんかで決めたわけではないが、不思議と彼を頼る人が多かったのだ。自然と彼はこの村の長のような存在になっていたのだった。




♦♦♦



 ある日の昼下がりのこと。彼はまだ全快していないお尻を無意識のうちにさすりながらいつものようにルカの相手をしていた。


「いいか、ルカ。大切なのは腕っぷしだけの強さじゃなくて真の強さなんだ」

「しんのつよさ?」

「そうだ、これから力だけじゃどうにもならなくなる事がお前の前に立ちはだかるかもしれない」


 そう言う彼の目はいつに無く真剣だ。


「そんな時お前やお前の大事なものを守るためにはまた違う強さが必要なんだ」

「ふーん。どんなの?」


 彼はにこやかに笑いながらルカの頭を優しくなでた。その心地良さにルカは目を細める。


「そうだなぁ、お前はまず大事なものを見つけないとな」

「ふーん」

「ふーん、ってなんだふーんて」


 と、そんな二人の元へ一人の男性が駆け寄ってきた。


「村長!」

「おう、どうしたんだ? そんなに慌てて。また女の話か?」

「違う! 魔物が……魔物がやってきたんだ!」

「なんだって!?」

「こっちだ!」


 男は再び走り出した。それを追うように二人も走り出す。

 数分走ると人だかりが出来ているところが見えた。遠巻きに見守る人もいる。

 人の波をかき分け進むとそこには数十体もの魔物が立っていた。その異質な光景に見るもの全てが呆気にとられていた。

 そんな中リーダー格らしき角と尻尾が生えた女性が声を発した。


「突然の訪問で申し訳ないのだが話し合いがしたい。責任者を出してほしい」


 少し高圧的ともとれるような声色が空気を震わす。凛とした声だ。その声に操られたかのようにほとんどの村人の目線が一人に集まった。状況を察して彼は一歩前へ出て名乗りを上げた。


「この村に何か御用で?」


 彼女らの目線が一気に彼の元へと集まる。そして彼をリーダーだと認識し声を発した。


「端的に言うと我々をこの村の住民として受け入れてほしい」


 唐突なこの魔物の要求に当然辺りはざわついた。何しろ彼らにとって魔物とはほとんど未知の存在なのだ。何をされるのかわかったものではない。村人の中から声が上がる。


「それは……どういう意味ですか?」

「言葉通りの意味だ。我々を受け入れ、共に暮らさせてほしい」


 彼女の態度は依然として変わらない。ざわめきは広まり、時折否定的な野次も飛んできていた。彼はそれを手で制止する。


「狙いはなんだ? あなたたちになんのメリットがある?」

「我々の狙い……と言うより目的は魔物の生活区域の拡大と人間との共存です。今、我々の個体数は増加傾向にあって土地が不足してしまうと懸念されているのだ。それに加えて我々魔族はあなた方人間に危害を加えるつもりもなければ争うつもりなんて毛頭ないのだ。だから我々を共に暮らさせてほしい」


 ころころと口調を変えながら彼女はそう言い切った。頬はももの様にほんのり赤く染まり、握る拳には力が入っていた。

 村の長は答えに詰まり、今一度彼女の出で立ちを見た。サラサラな紅い髪の毛の中から二本の牛のそれのような角が生えていて、彼女の豊満な身体を見たことのない材料で織られた服を着ている。どうやら向こうの方が文明は発達しているようだ。

 彼は考えに考え抜いた末に重々しくその口を開いた。


「……ああ、わかった」


 その一言を聞いた彼女は目の中に星を散りばめ小さくジャンプをした。


「ホントにいいの!?」

 人々は驚きの視線を彼女に突き刺す。彼女は恥ずかしそうに口元を手で隠し、咳払いをして言い直した。


「……本当によいのか?」

「ああ。ただし三つ程条件がある」

「三つの条件……。それは一体」

「一つ、不正当な暴力をした場合には即刻退村してもらう。二つ、互いの持つ知識や知恵、文化などは積極的に交換し合うこと。そして三つめは……自分を偽らない事だ」

「え?」

「これから一緒に暮らしていくのなら素をさらけださなくちゃ」

「は、はい」


 彼女は少し予想外の条件に戸惑っていた。

 彼は後ろを振り返り皆に問いかけた。


「この魔物たちと生活することに対して何か異議がある者はいるか!?」


 そんな問いに民衆の中から一人の手が上がった。


「一つだけ言わせてもらおうか……」


 それによって周囲に緊張が走る。その手の主の頑固そうな老人は声を発した。


「家を建てるとなりゃぁ時間がかかっちまう。それまで誰かの家に居候という形になるが、構いはしねぇか?」

「え? ええ! 全然問題ないです!」


 彼女はブンブンと首を縦に振る。


「それじゃあ、決まりだな」


 彼は自らの右手を彼女の前に差しだした。


「人間と魔物、共に生きてみせようじゃないか!」

「はい……! 喜んで!」


 彼女は目を輝かせ彼の手をとり硬い握手をした。



♦♦♦



 その後村人内で誰がどの魔物を家に泊まらせるかを十分に話し合った。意外にも積極的な者が多く、全村人の十分の一にも満たない数の魔物たちはあっという間に各家々へと割り振られていった。


「この度は柔軟な御決断誠にありがとうございました」


 ルカの家では先程のリーダー格の女性と、ルカと同じくらいの女の子の姿があった。


「私、ミノタウロス族のユアラと申します。こちらは娘のイブです。不束か者ですが、どうかよろしくお願い致します」


 ユアラは床に膝を突き深々と頭を下げている。娘の方も母の姿を真似ていた。


「いやいや頭を上げてくださいよ! 本当に何にもない家だけどくつろいでくださいな! ほら、顔を上げて!」

「そうですよ。こちらこそよろしくお願い致しますねユアラさん。イブちゃん。ほら、ルカも挨拶!」


 母親に促されルカも二人の魔物に頭を下げた。


「ささっ、早いとこご飯にしましょう」

「あぁっ、それなら私が! 私がやりますよ!」

「いや、ユアラさんはくつろいでて大丈夫なんですって! 客人なんですから!」

「いやいや、何もしてないのにご飯を頂くなんて申し訳ないですって!」

「いやいやいや、申し訳ないのはこっちですよ!だからあたしに任せて!」

「いや私が!」

「いやあたしが!」


 言い争いながら二人の母親は台所へ駆け込んでいく。

 居間に残されたのはルカとルカの父とイブだった。ルカは今一度イブの容姿をねめまわした。

 歳はルカと同じぐらいだと思われる。彼女のサラサラな髪の毛の中からは少し小さなツノと、エルフのような三角形の毛でふさふさな耳が飛び出ていた。初めて見るそれにルカの好奇心はビンビンに反応していた。

 だけど初対面でいきなり身体を触るのも悪いかな?と、ルカは幼いながらに自制心を働かせていた。

 まさに紳士である。まあ、ただのフェミニストかもしれないが……。

 ともあれルカは再びイブのことを凝視し始めた。

 なめらかそうな服に身を包んでいる。見たことのない生地だ。これは後でどんな手触りなのか確かめとかなければいけない。

 さらなる発見を求めてルカは視線を動かす。何か未知なるものはないのかと。


「……!」


 ルカの目測レーダーは彼女の臀部から生える揺れ動く物体を捉えた。そう、尻尾だ。

 これを発見したルカは感触を確かめられずにはいられなかった。短く生え揃えた艷やかな毛並。その末端には毛玉のようにふさふさとした長い毛が円錐形に生えていた。

 それでは触感はどうなのか。ルカは尻尾をむんずと掴んだ。


「ひゃうっ!」


 どうやら中に骨が入っているらしい、柔らかすぎず、硬すぎず。正に求めていた感触だ。ルカは心の中で文句なしのA評価を下した。

 今度は尻尾を掴んだ手をしなやかかつスムーズな動きで上下に動かしてみた。


「んっ……!」


 短い毛並みがルカの手の中を滑らかに流れ、そして抵抗する。ルカはこの上昇と下降によって得られる素晴らしい感覚に感動した。止められない、止まらない。


「ぁ……っん」


 しばしその感動にふけっていると反対の手が不満を申し立てるように疼きだした。

 この疼きを止められる何かはないのかとルカが視線を泳がすと丁度いいものが目の前に映り込んだ。躊躇うことなくルカはそれを開いている手で掴んだ。


「あぁっ!」


 それは耳だった。とんがり飛び出た柔らかい耳だった。ここも短い毛で覆われている。その薄い感触はルカの手に至高の快感を生み出した。穴の入り口にサワサワと指を這わせる。


「んぁッ!」


 その瞬間耳はびくびくと震えルカの手中から逃れた。驚いたルカは同時に尻尾を握っていた手も離してしまった。


「あ……あの」


 しかしルカはまだ物足りない。もう一度……。


「あのっ!」


 ふっ、とルカの意識が現実へ帰ってきた。目の前にはミノタウロスの少女の姿。その瞳は少しだけ潤んでいるかのようにみえる。

 いつの間に移動してきたんだろうかとルカは思ったが周りを見る限りルカのほうが動いたらしかった。

 つまりルカは無意識の内に少女の前まで移動し、無許可でいきなり尻尾や耳をめちゃんこ触りまくっていたということだ。コレはいけない。紳士にあるまじき行為だ。


「……」


 イブはルカに目線で何かを訴えている。だがルカにとってはそれが何なのかなんてどうでも良かった。


「ツノ、触っていい?」


 言うが早いかルカの手は既にイブのツノの上にあった。少しザラザラとした刺激がルカの神経に伝わる。感触としては尻尾や耳に劣るB評価。やはり毛の有無は大きいようだ。

 そんな二人を見ていたルカの父が近寄ってきた。


「オレにも触らせてくれないか?」

「ダメ! 父さんはダメ!」


 父の問いに何故かルカが即答する。


「ハハハ、なんでだよ〜ルカ〜」

「来るな!またあの時の二の舞いにしてやるぞ!」


 近寄る父に対してルカは懐に忍ばせていた木の枝を取り出した。瞬間父の顔が変わる。


「その木の枝は、あの時の!」

「ククク。父よ、刺されたくなければ諦めるんだな」

「……。わかった、この件からは手を引こう」


 父は非常に賢明な判断をした。したのだが最早ルカにはそんなの関係なかった。父を倒せればそれで良いのだ。


「喰らえぇっ!」


 父の尻目掛けてルカは駆けた。


「同じ手は喰わん!」


 父は軽やかにバク宙を決めルカの頭上を通り越した。


「どうだ息子よ! 男とは常に進化しなければいけないのだよ!」


 格好つけながら彼は綺麗な着地をしてみせた。だがおしりに何か違和感を感じた。

 見るとイブのツノが彼の尻の穴にすっぽりと刺さっていたのだった。


「も゛ぉぉぉおおおおぉぉぉぉおぉおッ!」


 村中に彼の汚い悲鳴が響いたのであった。

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